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花より樹で愛でよう サルスベリ
                         百日紅-02P

日本人が好む梅や桜の木は、花は美しいですが、木肌はゴツゴツして綺麗ではありません。梅は枝ぶりが良いと褒めることはありますが、桜の枝は褒めようがないので黒い樹幹が花びらの白さを引立てるなどと云います。花と樹が両方とも魅力的な樹木は探しても少ないです。

その例外はサルスベリだと思います。傘のように広がる小枝一面に真っ赤な花が咲くとき、サルスベリの木は赤い大きな帽子を被ったようです。昔、タイのチェンマイでみたサルスベリの街路樹は見事なまで緋色(猩紅色)の花傘で覆われていました。サルスベリ属は熱帯性植物なので南国で見事に育つのです。

日本ではサルスベリを漢字で百日紅と書きまが、その由来は緋色の花が長い間咲き続けるところから来た当て字です。日本人は強烈な原色よりも穏やかな中間色を好みますから、サルスベリの花を余り愛でません。しかし、花の少ない夏に強い太陽の光に映えるサルスベリの緋色は元気を与えてくれます。

花の強烈さに比べてサルスベリの樹幹は繊細で妖艶です。ご存じのようにサルスベリは幹が成長すると樹皮のコルク層がはげ落ちて新しい木肌が現れます。この木肌が古くなってまたコルク状になると、再びはげ落ちてすべすべの木肌になります。

やがて花の盛りが過ぎて秋深くなると、サスルベリは乳白色の木肌を誇示します。花も葉も落として幹だけになったサルスベリは、寂しくなった林の中にヌードのように立ち並びます。人影も少なくなった夕方、ヌードの林を歩くと神秘的な気持にさえなります。

写真は神代植物公園のサルスベリの林です。
(以上)
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【2008/10/25 11:02】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真は夢を写せるか
今年の春、オーストラリアの原住民アボリジニの天才画家エミリ-・ウングワレ-の絵画展が東京の国立新美術館(六本木)で開催されていました。同じ頃テレビでも何回か紹介されていたので彼女の絵画を見た人は多いでしょう。

「アルハルクラ 私の故郷」という題の彼女の絵画は現代抽象画として傑作だと評価されています。本格的な絵画の教育を受けていない彼女が、晩年の78歳で絵筆をとり、8年間で3000点ほどの絵画を描きました。それらは今までに見たこともない絵画で、現代抽象画の世界に衝撃を与えました。

彼女は夢に見た光景を描いたのだと言います。そして、絵画ではドリーミングが大事だと言います。

夢を描いた作品にはアクション・ペインティングのように不思議なリズムがあり、色彩のグラデーションだけで構成されている晩年の作品は正に夢見る光景です。

私は偶に写真を撮っている情景を夢に見ることがあります。それは大抵、素晴らしい光景に遭遇したときの情景です。

こんな素晴らしい光景はめったに見られない。光の条件が変わらない内に速く撮ろう。夢の中で気はせきます。どのように撮れば美しく撮れるか、何処から撮れば良いのか、夢の中で思いめぐらします。

そして遂に滅多に撮れないシ-ンを撮ったと満足して夢がさめる時があります。勿論、写真は撮れていません。当たり前です。寝ているときにカメラは操作できないからです。

それでも、目が覚めた後も夢に見た光景が記憶に残っていることがあります。夢に見た光景と似たような光景に現実で遭遇できれば良いのになと思うのです。エミリ-・ウングワレ-が絵筆を持って夢の記憶を描くように、写真機を手にして夢の光景に遭遇しないかと淡い望みを抱くのです。

ここが絵画と写真の基本的に違うところなのでしょう。そして画家は羨ましいな、写真家は辛いなと思うところです。

でも、西洋人は「美」を人工的に創造し、日本人は「美」を存在から発見すると云われます。現実の存在から美を発見する撮影の行為は日本的なのでしょう。画家を羨ましがることはないのです。
(以上)
【2008/10/16 21:57】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅と写真と俳句と
旅行すると写真をやたらに撮りたくなります。旅に出ると目新しいものに遭遇することが多いからです。見たものを記憶に留めたいので写真で記録するからです。

興味を持ったから撮ったのか、記憶に留めたいから撮ったのか、余り意識せずに撮っていますが、旅から帰って写真を整理するとき気づくずくのです。興味を持ったから撮った写真は、同時に記録として保存したい写真です。

撮影してから数年経って経って、再びその写真を見たとき、何故このシーンに興味を持ったかを忘れてしまっても、記録としての写真が独立した重みで語りかけてくることがあります。その写真を見ていると経緯を忘れて感動することがあるのです。

よく写真で撮るものが見つからなくなったら旅に出ろと言われます。しかし、旅は被写体を探索するためだけに終わったらいけません。感動を覚える写真を撮ることが目的です。

記録としての写真は、それだけで独立した回想の世界を作り、時には撮影時には思いも依らなかった感動を呼び起こすのです。旅には不思議な力があります。

芭蕉は生涯に何度か旅をしています。高齢の芭蕉にとって命の危険を伴う旅でしたが、当時の俳諧のあり方に満足しない芭蕉は、命懸けで旅に俳句の奥義を求めたと言われます。

当時の俳諧は字義通り知識階級が諧謔を楽しむ遊技でしたが、芭蕉は旅の中で俳句は心に受けた感動を表現するものだと悟るのです。

日常生活では周辺は見慣れたものばかりです。しかし旅に出ると新規なものに出会います。新規なものは好奇心をそそり、探求心を揺さぶります。今まで日常生活で感じてきたこととは異なる感情を揺り動かします。

平板な人の心に波紋が起き、その波紋は心に深く広がります。外界の事象に心が敏感になります。新しい感動を受けやすくなります。俳句はそれを直裁に文字に表しますが、写真は映像でとらえます。

人が何に感動を覚え、どれだけ深く感動するかは、その人の生きてきた人生により異なるでしょう。そして、それらをどう表現するか、即ち他人にどう伝えるか、それが俳人と写真家の技量なのです。

ここに掲げた写真は、地方を旅していたとき撮ったということだけのものですが、そして感動を呼ぶというには程遠いものですが、平凡な情景の中に人の生活を感じる写真は、なかなか捨てがたいものがあり保存していたものです。
(以上)


米沢-03P 95t
米沢にて

               盛岡市内-07P 98
               盛岡にて

                         燕三条-01P 97
                         燕三条にて

                                   農家-16P 90r
                                   茨城土浦にて
【2008/10/10 10:12】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展ヴィジョンズ・オブ・アメリカ第二部「わが祖国」を見て
第一部「星条旗 1839~1917」に続く第二部「わが祖国 1918~1961」は、第一次世界大戦に勝利したアメリカが、その勝利を背景にして経済的にも欧州諸国を凌駕した時代から、第二次世界大戦にも西欧諸国の盟主として戦い、戦後は米ソの冷戦を続けた時代までの間です。近代アメリカ史上、激動の期間です。

第一次世界大戦後、欧州の疲弊を尻目にアメリカ産業は大いに発展を遂げ、世界の資本主義経済の牽引者となりますが、1929年に起きた世界大恐慌で、産業は崩壊し、経済は大混乱に陥ります。景気回復のため採った需要喚起政策、ニューディール政策もなかなか効果が上がらないうちに、第二次世界大戦が始まり、さすがの大恐慌の傷跡も戦争のお陰で癒えます。1945年に第二次世界大戦が終わるや、間もなく米ソの間に対立が生じて冷戦と言われる軍事的対立が1989年まで続きます。

今回の写真展「わが祖国」は、この約40年間のアメリカの激動を撮り続けた写真家たちの記録です。第一部「星条旗」が建国の苦難を描いたところに強い印象を受けましたが、「わが祖国」は激動の時代を描くアメリカ写真の表現力に注目しました。

展示は三編に分かれています。第一編はアメリカのモダニズム、第二編はグラフ誌の黄金時代、第三編はドキュメンタリ写真です。

第一編アメリカのモダニズムの写真では、アメリカの写真家が写真表現で独自の道を切り開いていく様子が分かります。それは、アメリカ近代写真の父と言われるスティーグリッツが主導した、ピクトリアリズムから離れて、対象物に迫るストレート写真へと歩む道です。

ベレニス・アボットの「変わりゆくニューヨーク」には、1930年代のニューヨーク市街には未だ高層ビルと低層ビルが混在している様が克明に写されています。人工的なビルの街もストレートに撮ると美しく見えます。
また、エドワード・ウェストンの「ジュニパー、テナヤ湖」は樹木の肌を細密に描写すると共に造形の本質に迫る写真です。同じ作家の有名な「ピーマン」も日常見慣れた食物に造形の美を発見する写真です。
アンセル・アダムズのヨセミテ渓谷の写真「月の出」「月とハーフドム」などは、ストレート手法を大自然に向けたものです。普通に見ていては見えない美を発見した写真です。

第二編グラフ誌の黄金時代は、1936年「ライフ」誌の創刊に始まります。アメリカ写真がその真価を発揮した分野であり、写真界に新しい世界を開いた時代です。更に云えばフォトジャーナリズムを芸術にまで引き上げた時代です。

有名なロバート・キャパの「ノルマンディ海岸」は偶然、ブレ、アレ、ボケの表現になりましたが、如何なる状況でも写し留める写真の本性を示すものです。
カール・マイダンスの「法廷で証言する東条英機元首相」、ユージン・スミスの「ハリー・トルーマン」などの人物写真の性格描写も写真だけが出来る表現力です。裁かれる東条英機は堂々としており、裁く側のトルーマンが卑しく見えるのは、私が日本人だからでしょうか?

第三編ドキュメンタリ写真はアメリカ報道写真の始まりとなりました。それが大不況から脱却するニューディール政策を推進していた連邦政府からの依頼によって始まったということが面白いところです。

ウオーカー・エヴァンスの「小作人 アラバマ」、ベン・シャーンの「マルホーク家 小作農」「堤防を築く労働者たち ルイジアナ」、ドロシア・ラングの「重量を量るために畑の縁に並ぶ豆摘み労働者たち カリフォルニア」「プランテーションへ向かう綿摘み労働者たち」は、大恐慌で苦しむ農民たちの生活を写したものです。1930年代の中西部のアメリカ農村の荒廃を描いたジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」を絵にして見せたような写真です。

以上取り上げた写真以外にも、産業化する社会を直視した工場や機械を対象とした写真、拡大する消費経済の一面を広告という形で捉えたファッションの写真など、「わが祖国」が対象とした40年間には新しい分野の写真が沢山生まれました。歴史の短い東京都写真美術館が、これだけ厖大な写真を収集していることに改めて感心しました。

最後に苦言ですが、確か第二部「わが祖国」第三編のアメリカ・ソシアル・ドキュメンタリーの写真は、第一部「星条旗」でも取り上げていたと思います。展示された写真に重複はないと思いますが、同じ時期のものは同じ展示会に括って欲しいものです。同じ疑問はアンセル・アダムズのヨセミテ渓谷の写真展示についてもあります。

これが展示方法のミスでないなら、同じ時代の同類の写真を第一部と第二部にわけた理由を知りたいと思います。
(以上)
【2008/10/02 10:07】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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