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写真と浮世絵
1.オーケストラの楽士たち ドガtcq
写真1
2.叫び エドワルド・ムンクq
写真2
               3.冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎q
               写真3
                     4.四谷内藤新宿 歌川広重q
                     写真4
                                   5.名所江戸百景 亀戸梅屋舗敷 歌川広重q
                                   写真5
                                   6.名所江戸百景 大はしあたけの夕立 歌川広重q
                                   写真6

19世紀の写真の出現は、西洋絵画に大きな影響を与えましたが、同じく浮世絵の日本からの伝達も19世紀の西洋絵画に大きな影響を与えました。

写真の出現と浮世絵の伝達はほぼ同じ時期に発生しましたが、西洋絵画に与えた夫々の影響についての共通点や相違点を探ってみるのも面白いことです。

写真機は立体(三次元)を平面(二次元)に置換える道具ですが、絵画も本質的に三次元を二次元に変える作業です。絵画には絵の具の凹凸、筆のタッチなどの表現があると言っても、彫刻ほどの違いを主張出来ません。他方、写真は二次元化の中で遠近法や陰影を用いて立体感を表現しますから、絵画と同じ効果を上げる事が出来ます。

こうして、写真は景色や人物の映像をあるがままに再現するという点で、写実を目的とした絵画を圧倒しました。映像の再現性という点では、絵画は写真に敵わないことは歴然としました。

それでも、写真が出現した当初、画家は写真を見て学んだ形跡があります。印象派の絵画を展示するオルセー美術館の作品は、大部分がカイユボットの収集品と言われますが、カイユボットは印象派の画家達の擁護者であると同時に彼自身も画家でした。

そのカイユボットが描いた「床を削る人々」は画面の広さが目立つ絵です。その広さは人間が一瞥して得る視野を遙かに超える広さです。カイユボットの視野は広角レンズの写真からヒントを得たものと言われます。

当時のカメラのレンズの多くは広角だったので、この頃の印象派の画家たちの絵には広角レンズの眼で絵の構図を着想したものが現れます。例えば、ドガの「踊り子」は俯瞰した構図の斬新さで評判の絵ですが、この絵の強調された遠近感は明らかに広角レンズのカメラアングルを連想させます。同じくドガの「オーケストラの楽士たち」も明らかに広角レンズの目です。(写真1)

推測だけで写真の影響だと決めつけるわけではありません。当時、パリの街々を撮影していた写真家アジェのアパートのドアには「芸術家のため資料」を売りますという看板が掲げられ、写真の購入者には多くの印象派の画家達がいたそうです。

絵画が写真の長所を取り入れることは良いことですが、それだけでは絵画は限界に達します。写実主義の絵画は写真にその席を譲って、新しい絵画はやがて物質の写実から精神の描写へと発展していきます。ムンクの「叫び」(写真2)は心の叫びを描写した好例です。後期印象派からフォーヴィスム、表現主義、キュビスムへの発展は写実主義からの決別の動きでした。

浮世絵は、江戸末期に町民の間で人気のあった絵画です。浮世絵は日本画の伝統を受継いだ絵ですから、西洋画のように陰影で立体感を表現することは少なく、線描で平面的に描き、余白は意味あるものとして残します。

平面的という意味で浮世絵は写真的ですが、もともと浮世絵は写真の写実性とは対極にある絵でした。葛飾北斎、歌川広重の風景画も、また喜多川歌麿、東洲斎写楽の人物画も、現実を忠実に描こうという意図はありません。その共通の特色は写実性とはほど遠い象徴性にあります。

浮世絵の象徴性は、西洋画が求めた理念とか思想という類の象徴性ではなく、大胆な遠近法を用いたり、繊細な部分を拡大したりして、見る人の関心を其処に惹き付ける手法でした。

葛飾北斎の富嶽三十六景の中の「神奈川沖浪裏」(写真3)では大波の合間に富士山を小さく見せて大波に翻弄される小舟の危うさを描いています。歌川広重の名所江戸百景の中の「四ッ谷内藤新宿」(写真4)では旅に出る馬の股ぐらから宿場町の風景を覗いて見せています。また同じ広重の「亀戸梅屋舗」(写真5)では梅の太い根幹を前面に押出して梅園や花そのものはを小さく描いています。

これらの絵では、浮世絵師たちは現実の風景を写生するわけではなく、己が心に描く心象を絵の形で表現ています。その意味で彼らは写実を求めた写真の世界とは無縁の人達でした。

しかし、彼らが用いた技法は写真の技法と酷似しています。「神奈川沖浪裏」「四谷内藤新宿」「亀戸梅屋舗」に用いられた極端な遠近法はカメラの広角レンズを思わせます。しかし、当時の浮世絵師たちはオランダ経由で持ち込まれた西洋画で遠近法を学んでいたかも知れませんが、未だカメラの存在は知りませんでした。

また、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」では襲いかかる大波の波頭は、大波と相似形の夥しい小波で構成されています。この描写は、カメラを知らない北斎がマクロレンズの眼で観察していることを示しています。

更に、歌川広重の名所江戸百景の中の「大はしあたけの夕立」(写真6)では、雨脚が線で描かれています。これは正にカメラのレンズが捉えた雨の姿です。これを見たヨーロッパ画家は、雨はこのように線で描くのかと驚いたそうです。

19世紀の西洋の画家達は、写真の出現で圧倒され、浮世絵の伝達で驚愕しました。この二つの現象が、20世紀西洋絵画の発展に大きく寄与したことは紛れもないことです。特に浮世絵は、その構図と色彩と手法のいずれの点でも、今までに見たことのないものだったのです。
(以上)
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【2008/05/31 13:28】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真家の活躍のピーク 森山大道展を見て

今、東京都写真美術館で「森山大道展」が開催されています。(2008.5.13~6.29)
作品展は二部に分かれていて、第一部レトロスペクティヴ、第二部ハワイです。

ここでは、1965年から2005年の40年間を総括して回顧する形の第一部レトロスペクティヴの中で、印象に強く残った作品について感想を述べてみます。作品名は「 」の中に、その後に記した( )の数字は作品番号です。

レトロスペクティヴは、5つのパートに分かれています。
第一のパートは1960年代に森山大道のデビュー作である「にっぽん劇場写真帳」が中心となって展示されていますが、なぜこれらの写真が森山の写真界への挑戦と評価されたのか私には分かりません。それよりも、冒頭に展示された初期の作品「無言劇」(1、2)の二枚は、生命の闇を暗示したものとして不気味さを秘めていて、後に森山が北海道で見出した写真の世界を予想させるものです。

第二のパートは、1968~70年のプロヴォーグの時代です。
「青山」(25)は、デザイン誌に発表されたときの説明文「エロスあるいはエロスでない何か」は言葉として意味不明ですが、女の顔の一部を切り取って情念の世界を描いています。見た瞬間に意味するものが伝わり、忘れられない力を持っています。
「東京インターチェンジ」(32、33)は、高速道路を疾走する心理を表現したものとして、速さはこのように表現するのかと感心しました。それ以上に深読みして異次元世界への爽快なる飛翔と見るか、あの世への旅立ちとみるか、人それぞれです。

この時代に森山大道は「アレ、ブレ、ボケ」の手法を用いて写真界で注目を集めましたが、今改めて眺めてみると、必ずしも評価された手法に依存していない「無言劇」「青山」「東京インターチェンジ」の方が印象に残りました。

第三のパートは1970年代の何かへの旅です。
夜の函館地峡に霧が襲う「函館」(103)、一匹の野良犬がさまよう農村の風景「木古内」(120)、夜更けの市電「函館」(102)、煙突から煙を吐く停泊中の小さな客船「留萌」(116)、単線鉄路の貨物列車「夕張」(93)、寂しげな村落の道の「釧路」(88)、荒海の彼方に見える工場地帯「室蘭」(126)が強く印象に残る作品です。

森山大道が1970年代に北海道で撮影したこれらの写真には、プロヴォーグの時代に試みた「アレ、ブレ、ボケ」の手法は姿を消しています。そして、北海道の荒涼たる風景と対峙することで、行き詰まった孤独な心境を描写することに成功しています。技巧だけでは掴めなかった自分の心象を映像化し
たと言えます。

第四のパートは1980年代の光と蔭です。
写真美術館のパンフレットでは、この時代の「光と蔭シリーズ」で森山大道は長いスランプから抜け出したと解説していますが、これらの写真には70年代の北海道の旅の写真ほどの力は感じられません。僅かに「バケツ」(130)、「帽子」(132)、「タイヤ」(139)に光と蔭の面白さを発見するだけです。

第五のパートは1990年代のヒステリック、2000年代の新宿、ブエノスアイレスです。
80年代の「光と蔭シリーズ」でスランプを脱したと言うなら、森山大道は90年代以降に更なる新境地を開拓した筈ですが、この時代の作品には、それ以前の森山大道の作品にあったような印象的な作品を見いだせませんでした。

文学、絵画、音楽など、いずれの分野でも芸術家の活動には山もあれば谷もあります。スランプから脱したとしてもピークが訪れるわけでもありません。

芸術家にとっての本当のピークは一生に一度訪れると言われています。そのピークが若いときに来るか晩年に来るかは人によりけりです。森山大道の写真のピークは、今までの所1970年代だったというのが観賞後の印象でした。
(以上)
【2008/05/27 00:22】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
苔の魅力
          烏山寺町:多聞院-03D 0805qc


                              三千院-07D 0710qc


苔(こけ)は温暖で湿度の高い地方に生育する植物です。生育する場所も、地表に広がるもの、樹皮に這い上がるもの、岩の上を覆うものなどがあります。ただし苔は、強い太陽の光と熱を嫌います。

種子で誕生する樹木は根と茎と葉が分かれて発育するのが普通ですが、苔はその一部が退化したか未発達の植物だと言われています。しかし、よく見ると可愛い小人のように木の姿をしている苔もあります。

苔が生育する場所は大抵日当たりが良くないところですが、苔が生えている所には暖かさと潤いを感じます。日本庭園では茶室や居間の付近の庭によく苔を植えますが、これも苔が持つ暖かさと潤いの雰囲気のためでしょう。

京都の西芳寺は別名「苔寺」と言われるように、寺の庭は一面苔で覆われています。庭木の間の苔は厚く盛り上がり、その生命力は逞しくすら見えます。

しかし、苔は意外に繊細な植物で、最適な環境が壊されると忽ち消滅します。そして一旦消滅すると再生するのに時間がかかる植物です。

日本の国歌では「君が代は 千代に八千代に 細石(さざれいし)の 巌となりて 苔の生(む)すまで」と歌われますが、苔がむすには長い年月を要します。そのためには自然環境が良好に維持されることが条件です。

大地や岩の上にビロードの絨毯を敷き詰めたように生える苔を眺めていると、暖かさと潤いだけでなく、永遠の時間まで感じるのは、その所為かも知れません。
(以上)
【2008/05/20 20:51】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
60年代は如何なる時代だったか? 熊切圭介写真展より
「揺れ動いた60年代の光と蔭」という題で熊切圭介写真展が品川のCANON GALLERYで開催されています(2008.5.9~6.17)。

熊切圭介氏は、1960年代の日本の社会を色々な視点からモノクロの大判の写真で丹念に報道しています。

ダービーに熱狂する大衆から始まって、屋上ビヤホールに集まる人々など、豊になった大衆が社会の各方面に現れます。他方、北海道や山陰の地方では、まだ豊かさが届かずに厳しい生活をしている人々もいることも伝えています。

激動する高度成長の姿を眼に見える形で表現したのが新産業都市の建設であり、重厚長大産業の発展でした。製鉄所、石油化学基地などの建設で地域は活況を呈しますが、その蔭では四日市コンビナートでの公害や水俣病の発生が社会をむしばみ始めます。東京の隅田川にも白い泡が流れます。

経済の発展は社会の秩序を変更する働きでもありますから、政治も流動化します。60年代初めに安保反対闘争が始まり、60年代末には東大学園紛争で安田講堂の攻防戦がありました。激動の時代には政治的闘争も暴力化しました。

しかし、一方では昭和元禄と言われたように人々の生活は豊かになります。家電製品が普及し、自動車が増え始め、路面電車の多くが廃止され、都市の近代化が加速します。それに拍車をかけたのが東京オリンピックの開催です。新幹線が運行を開始し、首都高速道路が急造されました。

熊切圭介氏の写真には、今は見るみることの出来ない淀橋浄水所や、市電の走る永代橋の工事現場が写されています。このことで、東京オリンピックを堺に東京の風景は大きく変わる様子が分かります。

60年代が終わるとき、その最後を飾るかのように大阪万博が開催されます。高度成長の成果を世界に示す格好の場でした。しかし、この十年間について報道する熊切氏の写真には、光より蔭の部分が多いように見えます。

家電製品に囲まれた楽しい家庭生活、新幹線に乗って遠くに旅する喜び、当時のモダンな型の自動車に得意になって乗る人々など、今より元気のいい日本人は沢山いた筈です。今振り返ると60年代は日本の輝かしい十年だったと思います。

アメリカは50年代に輝かしい十年を過ごし、それに続く60年代になると、キング牧師による市民権運動、婦人権拡張運動、ベトナム反戦運動、ヒッピー運動などが燃えさかる分裂の時代に入りました。

アメリカから十年遅れの日本では、輝かしい60年代が終わると間もなく、オイルショック、低成長、社会不安と低迷の十年を迎えます。時代認識は比較することでその特性がはっきりします。70年代と比較して60年代の写真報道をピックアップしたら、なお良かったと思いました。

1960年代は平成生まれの若者には歴史ですが、戦前生まれの者にとっては生活史です。日本の60年代は「揺れ動いた」というより「激動」の良き時代でした。そして良くも悪くも今日の日本の経済社会を形作った時代でした。
(以上)
【2008/05/14 23:21】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真家と写真屋
パスポートや運転免許を取得するときの写真は、証拠写真ですから簡便な場所で撮影を済ましますが、お見合いの写真とか結婚式での写真は、殆どの人は写真館で撮影します。そこの写真技師はライトを調整し、写される人の身なりを整えてやり、姿勢や配置を丹念にチェックします。

出来上がった写真を見ると、自分とは思えないほど美しく立派な顔と姿に撮れているのに驚かされます。他人の写真と取り違えたのかと訝って、しげしげと眺めても、そこには間違いなく自分が居ます。これが「写真屋」の写真なのです。

しかし、「写真家」は違います。人物写真を撮影するとき、写真家はその人物の本質を表現するのだ、内面を捉えるのだと言います。写真家が有名人のポートレイトを撮ったときの後日談で、その有名人の内面が表出する瞬間を如何に見出すかに腐心したと述べていました。

写真で人物の内面を切取るという発想は、絵画の肖像画の解釈から生まれたのだと思います。絵画では、一枚の肖像画を描くのに十分時間をかけることができます。相手の人物について集めた情報を画家の頭脳で咀嚼する余裕もありますし、映像に投影する技術的自由度もあります。

しかし、写真家には画家が持つ程の時間的余裕もなければ、技術的自由もありません。殆どの場合、事前に調べる時間はあっても有名人に会う時間は限られています。有名人に会っている間に何百度シャッターを切っても、画家に比べたら余りにも不利な条件で仕事をすることになります。

それでも写真家が有名人の本質や内面を捉えたとしましょう。そうして捉えたものが有名人にとって気に入るか否かは分かりません。更に、撮影の際、被写体である有名人に意識的な表情や態度を取られてしまえば、写真は演技を撮ることになってしまいます。

依頼者であるお客さんに喜ばれるため、お客さんの中に美しい点、立派な点を発見することに専念する「写真屋」は、真実を求める「写真家」より世間では低く見られてますが、果たしてそうでしょうか?

写真家は真実を求めるのに対し、写真屋は美を求めると割り切って考えたら如何でしょうか。私達が花を撮るとき、花の何処が美しいか発見しようとする態度は、「写真家」ではなく「写真屋」の態度だと考えられるのです。
(以上)
【2008/05/09 20:48】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
若葉で森は甦る
1.樹木-36P 91q
写真1
          2.湯河原-10D 0804qc
          写真2
                           3.新緑-18P 91qtc
                           写真3
                                     4.新緑-16P 91q
                                     写真4

新緑の季節になると森の色が俄に賑やかになります。秋の紅葉のように赤と黄の派手やかさはありませんが、初夏の山野は緑の濃淡が次々に変わり、人々の眼を楽しませてくれます。

初夏は、森が生きていることを如実に示す時期です。春がきて樹木の枝先に僅かに若芽が出た頃は、注意しないと木の膨らみと色合いには気付かないでしょう。(写真1)

4月から5月にかけて森は新緑の時期を迎えます。一見して新緑はみずみずしいと感じます。みずみずしいのは、字義通り新緑には水が満ちているからです。日本は、瑞穂の国と言うように水に恵まれた国です。木々の新緑の色も外国に比べて一際みずみずしいのです。

この色に見慣れている日本人は、新緑とはこういうものだと思っていますが、降雨量の少ない国や四季の截然としない国では、若葉の季節でも日本の初夏に見る新緑の色を見ることはありません。人は新緑を見て目の覚めるような緑と言いますが、そこには多量の水を含んだ穏やかさと暖かさがあるからです。(写真2)

植林した山では同じ緑の色調で統一されますが、複数の樹種が混在する自然の山では緑の色調は複雑になります。複雑な緑の色が織りなす山の紋様は、自然が創る芸術です。そして、山の緑の諧調は滑らかであり、かつ、その諧調は日一日と変化していきます。(写真2)

植林の結果、一つの山に常緑樹と落葉樹が混ざっている場合は、それらの樹木の若葉に濃淡の差が歴然と現れます。初夏の山は大きな絵柄で身を纏い、晴着を着たようです。(写真3)

若葉が萌え出るとき、力瘤を膨らませるように森は全身に力を漲らせます。初夏の森林は、色彩だけでなく姿形でも活動を誇示します。この時期の森林は恰も入道雲のようにエネルギッシュです。(写真4)

初夏の森林の美しさと力強さをご覧下さい。
(以上)
【2008/05/02 17:40】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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