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稲田が作る風景
バンコク-06Ptc
(写真1)タイの水田農村風景
                              アユタヤ浮稲-07P 80c
                              (写真2)アユタヤの浮稲の田
五能線:車窓-01P 00c
(写真3)秋田の収穫時の稲田
                              水田-09P 99q
                              (写真4)福島の田植時の稲田

稲作は、弥生時代に日本列島に広がったと言われてきましたが、最近では、それより前の縄文末期には既に栽培されていた証拠が見つかっています。稲は古くから広く日本人の食料として重要な作物でした。江戸時代には米は貨幣の代わりをしました。米は食料としてだけでなく経済社会の基礎であった時期もありました。

稲は中国の長江下流から海を渡って日本に伝わったもので、稲はもともと温暖で湿潤な気候を好む植物です。日本では稲の品種改良が進んで、寒冷地の東北、北海道まで全国隅々で栽培されるようになりました。

日本は山地の多い地形ですから、傾斜地に田んぼを作ると、あぜ道は不規則な曲線を描きます。山間部や丘陵地帯に作られた田んぼは、巧まずして造形の美を生み出しています。それが稲の生育に応じて色々に表情を変えます。これは食文化が生んだ日本の風景美です。

食文化が生んだ風景美は、何も日本に限った現象ではありません。同じ稲作文化を持つモンスーン地帯のタイでも、田園風景は固有の美しさを持っています。

灌漑用水路に沿って樹木が植えられ、その中に農家があり、水路から長い田が直角に伸びています。タイでは浮稲(うきいね)と言って池のような深い田で栽培される米もあります。農民達は舟で稲穂だけをつみ取る稲刈りをします。これらは食文化が造り出した風物の美です(写真1、2)。

今、世界的に食料の自由貿易が進展しています。農業分野のグローバル化は、間違いなく世界の食料生産の効率を高めるのですが、同時にそれは食料輸入国の農村を疲弊させ農村風景を破壊します。安い食料を得るために、長年親しんできた農村風景が壊れていくのを人々は受け入れるでしょうか?

そうでなくとも、日本では戦後の食生活の変化と米価政策の失敗から、稲田が次第に消えつつあります。生産性の低い山間部の田んぼは既に牧草地になっています。

風土が民族の精神構造を決めるように、水田風景が日本人の精神文化を養ってきたことも事実です。ダムや護岸で国土を守る発想は満ちあふれていますが、農業の営みを維持することで水田風景を守る発想は生まれないのでしょうか?

私は水田風景が好きです。黄金色の穂を下げた田んぼが好きです。更に収穫時の稲田が好きです(写真3)。早苗が少しばかり水面に顔を出した田んぼも好きです。それも複雑な地形に作られた水田が好きです(写真4)。

水田風景への情緒的愛着の力が、瑞穂の国の伝統を残す力になることを願います。
(以上)
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【2007/11/26 11:57】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
オイルショックからバブルの時代の写真史

昭和の写真、第三部「高度成長期」(「高度成長期の写真史」07.10.9)の続きものとして、第四部「オイルショックからバブルへ」が東京都写真美術館で開催されています(開催期間07.10.20~12.9)。

昭和47年(1973)に起きたオイルショックは世界経済に大打撃を与え、日本経済の高度成長にとどめを刺しました。その後、長く低成長を続けた日本経済は、昭和61年(1986)から平成3年(1991)までの約5年間、土地投機による未曾有の好景気に沸きます。世に言うバブル経済の時代です。

今回の写真展では、ドラマティックに下降し上昇する日本の社会を、多彩な写真で語っています。写真展のテーマは「崩れゆく風景」「内向する風景」「変容する風景」に分かれています。第一と第二のテーマは昭和50年代を、第三のテーマは昭和60年代を取り上げています。

先ず昭和50年代について述べますと、突然襲ったオイルショックは、高度成長で長く走り続け、疲れが溜まった社会と人々を一気に突き落とします。それに取り残された寂しい姿は、社会のあちこちにありました。

「崩れゆく風景」のテーマに忠実なのは、外壁をセメント塗りした古びた安アパート(石内都)、消えゆく農村のスナップ(大島洋)です。正に崩れゆく風景で、時代の変化を記録しています。
ここで「風姿花伝」(須田一政)を取り上げたのは場所違いのように思います。伝統様式は崩れずに伝わります。
しかし、崩れゆく風景には当たりませんが、生まれくる風景を写した群衆「砂を数える」(土田ヒロミ)は、この時代の社会状況の変化を的確に捉えています。

「内向する風景」は、急激な下降を続ける昭和50年代に、写真家が内なる風景に何を見たかがテーマです。ここに展示された写真は多岐にわたり、この時代に写真家たちが各自の関心あるもの撮影したものです。しかし、これらの写真が何故50年代の心象風景と言えるのか、私には理解できませんでした。原因は写真家にあるよりも編集者にあるのかも知れません。
ただ一つ、街行く人々の顔をクローズアップしてスナップした「東京」「人へ」「街」の所謂ストリートスナップ(山内道夫)は、背景と併せて人々の顔の表情に時代を反映していて大変面白かったと思います。

昭和60年代のバブルを捉えた「変容する風景」は、テーマにピタリの素晴らしい写真が沢山ありました。

「ランドスケープ」(小林のりお)は、郊外に開発される大規模な住宅地を大画面で捉えて、バブルを具象化して見せました。大規模開発はバブル以前から行われていたのですが、時期は問題ではありません。バブルを映像にしたことが新鮮です。このような風景写真は写真ではないと考えていた観念をひくり返した所が手柄です。

「IN TOKYO」(伊奈英次)の視点も新鮮です。これらの作品は、六本木、水道橋という既存の都市中心部が高層ビル群の谷間に沈没して行く様を描いて秀逸です。これがバブルの都市現象であると教えてくれます。

「建築の黙示録」(宮本隆司)はバブルの裏側で生起していること記録した写真です。バブルは、人々が慣れ親しんだ建物を壊していきます。バブルで破壊されるのは、劇場、体育館、刑務所など、使われなくなる古いものです。災害による突然の破壊でなく、人手による計画的な破壊は、消えゆくものへの哀惜を一入強く感じさせます。

更に、バブルは、遠いところで自然を破壊しています。「ライムヒルズ」(畠山直哉)はセメントの原料である石灰岩の採掘現場を大画面で捉えています。バブルはビルを建て街を造りかえますが、その建設の裏にもう一つの破壊があることを示す写真です。

最後に、「軍艦島ー捨てられた島の風景ー」(雑賀雄二)は素晴らしい写真ですが、バブルが廃墟をもたらした例としては不適切です。軍艦島が廃墟となった原因は、エネルギー源が石炭から石油に変わったためであり、バブル発生のずっと前、昭和49年に炭坑は閉鎖されました。連想としても繋がりません。

写真展で時代史を編集することは、かなり難しい仕事だと思います。写真家たちは夫々の関心と感性で撮影します。時代史の編集は、その中から時代区分に相応しい作品を発見し分類するのですが、その際、写真の素晴らしさに負けて時代史とはかけ離れた解釈をすることがあります。

それでも、個々の作家を越えて時代に共通する潮流を見定めて、作品を評価する作業は大いに意味あることですし、観賞する人達にも写真への理解を容易にする役割を果たします。
大変勉強になりました。
(以上)
【2007/11/20 10:32】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美を感ずる時
コペンハーゲン-13Phq


           トタン屋根-07Pq


                         流砂-01P 95qc


                                   流木-01Pqtc



写真を見て、この写真は美しいな、欲しいなと感ずる時は、どのような場合でしょうか?

普通は、その写真の全体から受ける最初の印象、即ち第一印象が決め手になると思います。第一印象は、形態と色彩の全体としてのバランスの印象だと思います。写真の一部分ではなく、全貌への「直感的な美感」です。

しかし、第一印象は時間と共に変化するものです。そのものを眺めている内に、最初の感動が消えていくこともあります。第一印象では見落とした部分が重要になり、最初の感動とは異なった美しさや意味を発見することもあります。

第一印象の感覚を重視する人がいる一方、鑑賞の吟味を経て得た感覚こそが優れていると言う人もいます。最初は感心した作品が、後になると平凡に見える、或いは最初はなんとも思わなかった作品が次第に気に入るようになる、という経験は誰でも持っています。これは「批評的な美感」です。

直感的美感と批評的美感は時間の経過によって変わることもありますが、変わったとしても両者の美感には共通の原則があるように思えます。

共通の原則とは、画面のなかの形態と色彩のリズムです。リズムは反復で表現されます。しかし単純な反復の連続では美感を喚起しません。反復には変化が必要です。反復に変化が含まれると、反復が生きてくるのです。それは形態においても色彩においても生じることです。

美感を呼び起こすリズムは自然の中にあります。自然は、形態と色彩のリズムで満ちています。撮影で美を表現するとは、自然のなかのリズムをフィルムの画面に再現するすることです。その場合、人間も自然の一部と見なしてよいでしょう。

完成して全てがバランスの取れた画面に人は関心を示しません。逆に全てが乱れていて混沌とした画面にも人は関心を示しません。人々が興味を持つのは混沌から完成へ進む過程です。静止状態ではなく、動態のなかに美しさを感じるのです。

動態を造り出すのがリズムと言えます。そして変化を伴ったリズムが美感を呼び起こすのです。このような理屈は何とでも言えるのですが、その作例を示せと言われると途端に困って仕舞います。理屈に適うかどうか分かりませんが、思い当たる写真を並べてみます。ご賢察を願うだけです。
(以上)
【2007/11/14 08:37】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
裏磐梯の五色沼
                                   裏磐梯-01P 96c

五色沼-18P 99qtc

                                   五色沼-07P 99q

五色沼-19P 99q



海を見ていますと、水は深さにより色を変えます。湖水を見ていますと、周囲の森が色を変えます。池を見ていますと、水草が色を変えます。裏磐梯の五色沼は、火山の溶岩が色を付けました。

明治21年(1888)に磐梯山は大噴火を起こして、山の姿を変えるほどの火山岩を周辺に吹き飛ばしました。幾つかの河川が溶岩で堰き止められて沢山の湖沼が生まれました。五色沼は、その湖沼群のなかの一群です。

火山の噴火口の池の水は、しばしば鮮やかな色で人々を驚かします。火山に含まれる化合物が水に溶けて自然にはない鮮やかな色を出しているからです。蔵王や阿蘇山に登って噴火口を見下ろすと、暗い山肌の中に巨大な宝石を置いたかのように青緑の池を見ることが出来ます。

五色沼の場合は、噴火口ほどの色の激しさはありませんが、沼から沼へ歩くと濃淡のある青、緑、茶、黄などの色鮮やかな水面が目を楽しませてくれます。新緑の頃、紅葉の頃、いずれの時期でも良いですが、山野に色が無くなった冬、雪深い中で見るのが一番良いと聞きました。

残念ながら雪深い裏磐梯には行けませんでした。ここでは秋の五色沼の色を写真で見て頂きます。
(以上)
【2007/11/07 11:09】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真と詩

写真と俳句の類似性について多くの人が既に指摘しています。俳句は森羅万象への感懐を短い言葉で凝縮して表現する芸術です。写真も森羅万象から受け取る心象を一瞬で切り取る芸術です。

近代俳句の始祖、正岡子規は写生を重視します。その影響で、俳句では詠んで光景が目に浮かぶ句を良しとします。そのような俳句は映像的ですが、写生した映像の背後に深い感懐を潜ませるのが俳句の醍醐味です。

他方、写真は、あくまでも写真に写った映像だけで表現します。展覧会でキャプションを付けたり、また作品に言葉を添える写真家もいますが、言葉は二次的な付属品で、写真は映像がすべてです。しかし、映像が表現するものの内奥を読み取るのは観る人の感性です。

批評家スーザン・ソンタグは言います。(スーザン・ソンタグ「写真論」より)
「モダニズム運動では、絵画は次第に概念的になるのに、詩は次第に視覚的になる」と。

その意味は、近代詩では思辨的であるよりも物事を凝視することを重視すると言うことです。写真の世界では、もともと物事を凝視するのが基本でしたから、近代詩は写真に近づきつつある、とでも言えるわけです。スーザン・ソンタグはそれ以上のことは言っていませんが、彼女の論法を進めていけば、写真家は詩人の心を持てと言うことになるのでしょう。
(以上)
【2007/11/02 09:36】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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