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写真と考現学

考古学があるなら考現学なるものもあります。考現学とは現代の都市住民の行動などについて研究する学問だそうでして、早稲田大学の今和次郎教授が大正末期に提唱したと聞きました。

考現学では、現代の社会現象すべてが研究の対象になります。考現学の研究者は街に出て現実を観察することが大事ですが、雑誌や新聞に掲載された写真も二次的資料として、観察の対象になります。

観察の対象となる写真は、報道、娯楽、商売などのため撮られたものですから、撮られた目的が違えば強調する箇所も異なりますが、それでも十分に考現学の資料になります。撮影の動機を斟酌して読めば良いのですから。

それでは、写真家が何かを表現しようとして撮影した写真はどうかと言えば、これも考現学の研究対象になり得ます。考現学者から見れば、写真家の芸術的写真も現代社会の研究対象として取り上げられるのです。

考現学が写真に求めることは、写真が撮られた目的とは関係なく、撮られた事実そのものです。写真家アジェは画家のための資料として写真をとりましたが、そしてそれら写真は芸術的価値を持ちましたが、考現学者は社会研究の資料としてアジェの写真を観察します。

考現学が向き合う現実は刻々変化して止みません。写真は、その変化を刻みます。刻まれた現実は次の瞬間にはこの世に存在しませんが、写真には残っています。その意味で、写真は考現学の宝庫なのです。

考古学は限られた遺蹟や古文書で過去を想像するのですが、考現学は写真のお陰で豊富な研究資料を用いることが出来ます。それでは、貧弱な資料の考古学より、豊富な資料の考現学が研究し易いかと言えば、必ずしもそうとは言えないようです。資料が多すぎると想像力を働かす領域が少なくなり、逆に情報の氾濫のため何が本質か分からなくなるからです。

写真家木村伊兵衛は、五十年後、百年後に見て貰える写真を撮りたいと言いました。それは芸術的意味で言ったのですが、同時に社会の本質を見抜いた写真を撮ると言う意味でもありますから、考現学的視点にも適っています。

その意味で、写真家は考現学者でもあるのです。
(以上)
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【2007/06/29 08:36】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
フォトジャーナリズム・シンポジウムに出席して

朝日新聞社のシンポジウム「事件や戦争をどう伝えるかー現場の目撃者として」(07.6.22)に出席してフォトジャーナリズムが抱える問題を改めて学ぶことが出来ました。

シンポジウムは、「人権と報道」および「国益と報道」と言う二つのテーマについて、写真報道のあり方を問うものでした。参加者は、ジャーナリズム界から社長、エディター、フォトジャーナリストが参加し、それに現代美術作家と政治家が加わりました。

先ず、「人権と報道」について、米ロッキーマウンテン・ニューズ社のジョン・テンプル社長は、コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件の写真報道を取り上げて、如何に被害者の人権問題に取り組んだかを語りました。事件が発生したとき、被害者の救済と保護を優先すべきか、事実を皆に知らしめる報道を優先すべきかは、繰り返し議論されてきましたが、未だに社会的合意が得られていない問題です。彼は取材対象である被害者の人格と立場を尊重し、被害者から信頼されるよう努力し、最後には感謝された経験を披露しました。

次に、「国益と報道」について、米ニューヨーク・タイムズ紙のフォトジャーナリスト、トッド・ヘイスラー氏は、イラク戦争で戦死した米海兵隊員の遺族の世話をして回る海軍少佐を1年近く取材した写真集「最後の敬礼」(ピュリツァー賞受賞)を題材にして、戦場の外で起こる人間的悲しみと苦悩を、写真という形で捉えた話をしました。戦争報道は国益と強く結びつくものですが、戦死をテーマにしながら、反戦を煽るのでもなく、さりとて美化するのでもなく、戦争を繰り返す人間の「業」の姿を映像化するのに成功していました。

二人の基調講演のあと、それぞれのテーマでパネルディスカッションが行われました。

事件の報道には常に人権問題が絡みます。報道写真家は目撃者として事実をありのまま伝えることが任務だとしても、報道される被害者の人間的感情に配慮しなくては、報道そのものの目的も達成出来なくなると言う指摘は重要だと思いました。

戦争の報道は深く国益に関わりますから、自国の軍事的機密を敵国に知らすような報道は制限されることには皆が同意しましたが、政府発表と異なる事実がある時は、たとえ自国に不利益でも自国民に対してしっかりと報道すべきであるとの意見が大勢を占めました。それこそが自国民の国益に叶う報道であるとの意見でした。

その関連で、上記のジョン・テンプル社長は面白い逸話を紹介しました。
これは戦争報道一般の話であって写真報道だけに限ったことではありませんが、アメリカのニュースキャスター達の討論で、敵軍に従軍記者として随行しているとき、味方軍への攻撃計画を知ったら、それを味方軍に通報するかと問うたところ、報道関係者の答えは二つに分かれたと言います。

愛国的な記者は当然味方軍に知らせると言いましたが、他の報道関係者は事実の報道に徹し、身の危険を冒してまで自国軍への通報はしないという意見でした。その理屈は、報道関係者自身が戦争をしているのではなく、報道するために戦場にいるのだからと言うのでしょう。これを「人権と報道」に当てはめれば、報道関係者は、報道するため現場に来たのだから、目前の人命救助を差し置いても先ず報道を優先するとの意見に通じます。

しかし、ここで人権と国益は次元が異なるという主張が出てきます。人権は普遍的だが、国益は相対的だと言うわけです。人権に関しては報道は用心深く振る舞うべきだが、国益に関しては国籍を離れて遠慮無く報道しても構わないという主張です。

私は、そこまでスパット割り切れる報道記者は、ある意味で幸せだと思います。しかし、報道記者に徹することの出来る人は、人間的な暖かみに欠ける人かもしれません。自らの報道が、究極の国益に叶うか否か判断できないことに悩むのが普通のジャーナリストだと思います。

こう考えてくると、フォトジャーナリストの仕事は、誠に難しくも厳しいものだと思いました。
(以上)
【2007/06/23 20:40】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
反転する映像
カッパドキア-32Pt

                  モンタージュ:梅-06P 92tc

                                   階段-11D 0706qc


写真を撮る人達は、「映像の反転」というと、ポジフィルムをネガフィルムに替えることとか、鏡に映ったものが左右逆転することなどを思い浮かべます。

しかし、ここではそれとは違う「映像の反転」を取り上げます。

絵を見る場合、輪郭線で切り取った形(陽の部分)を見るのではなく、切り取られ捨てられた形(陰の部分)を見ると面白い現象を発見します。モチーフの連鎖するデザインを描くと、そのモチーフで描かれていない余白の部分は、別の連鎖するデザインを作り上げています。そして見ている内に、突然モチーフの主客が逆転することがあります。

また、人物を描いた絵を逆さまにして見ると動物の絵に見えたり、個体を組合わせて集合して描くと全体が別の映像に見えたり(騙し絵と言います)します。そのようにして私達の目を錯覚させることも一種の「映像の反転」に加えてもよいでしょう。

このような目の錯覚は、反復したリズムを含む映像を見るときにも起きることもあります。そのリズムの所為で、曲がっていない道が曲がっているように見えたり、凹凸が逆に見えることがあります。

ゲシュタルト心理学では、人間は個々の知覚が集合して全体像の把握に至るのではなく、全体像を把握する力があって個々のものを知覚すると言います。全体像を把握する力は過去の知覚経験で左右されるものと思われます。「映像の反転」を容易に起こす人と、なかなか起きない人がいるのも、過去の映像経験に左右されるのでしょう。

写真を撮っていて、時々不思議な「映像の反転」に遭遇します。例示した三枚の写真は、土の山が窪んで見えたり、石垣が凹んで見えたり、階段を上るのか降りるのか分からなくなったり、誠に不思議な気持ちにさせてくれた写真です。
(以上)
【2007/06/15 14:37】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
記念写真について

結婚記念日や還暦祝などに記念撮影することは、その良き日を映像として将来に残すことになります。遠足の集合写真や卒業式の記念写真は、多くの良き友との友情を末永く残す記録となります。

思い出は、言葉で語られるより映像で見せられる方が、人々に強い印象を与えます。思いの籠もった写真を見ると、一気にその当時の気持ちに還ります。

小学校や中学校の同窓会に出席して、長らく会わなかった友と会うと、その当時の気持ちに戻る経験をした人は多いと思います。お互いに顔はしわくちゃになっていても、会えば心の中は忽ち少年少女に戻ります。

同じように、記念写真を見る時、人は旧友と久しぶりに巡り逢ったのと同じ感慨に浸ることが出来ます。写真の旧友は顔がしわくちゃになっていませんし、自分のしわくちゃの顔を旧友に見せることもないので、同窓会より容易に、そして気楽に昔の気持ちに入り込めます。

記念写真は古いもの程、貴重です。戻る時間が長い程、感慨は深くなりますから。また、記念写真は大勢写っている方が貴重です。あの友この友と、思い出すことは広がりますから。

下に掲載した一枚は数十年前の記念写真、もう一枚は今撮られようとしている記念写真です。どちらも大切な記念写真です。写真を発明した人に感謝する二枚の写真です。
(以上)


02 観音崎灯台 中B(身辺事情 31(S06)~56(S31)Nqt
観音崎灯台への遠足

                              靖国神社-08D 0705qt
                              靖国神社参拝記念
【2007/06/08 22:30】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
占領下の昭和写真史

いま東京都写真美術館では写真展「昭和-写真の1945~1989-」が開催されています(07.5.12~6.24)。
展示されている125点の写真は、すべて占領下の日本を写した写真です。敗戦後の占領下に生きた者にとって、これらの写真は映像で見る同時代史です。

第一に、日本にとって敗戦の年、昭和20年(1945)は、非戦闘員が多数焼死し、国土が焦土と化した年です。昭和20年に撮影された「東京大空襲(石川光陽)」「焼死体の脇に茫然と立ちつくす若い女性(山端庸介)」「防空壕に避難して助かった女性(山端庸介)」の3枚の写真は、東京と長崎の街が、焼夷弾と原子爆弾で焼き尽くされた様子を、焼死した人と焼け出された人の姿を写し込んで強烈に物語っています。

第二に、国土が焦土と化した写真としては、「東京大空襲後の銀座4丁目交差点(師岡宏次)」「大空襲後の虎ノ門付近(師岡宏次)」「上野広小路付近の焼け跡(師岡宏次)」の3枚が印象的です。敗戦直後の銀座、虎ノ門、上野の街にあるのは、僅かなコンクリート造りの焼けたビルだけです。その中で、見覚えのあるビルは銀座では服部時計店、虎ノ門では旧文部省くらいです。

第三に、戦後間もなく、大陸から大勢の日本人が帰国しました。「復員(林忠彦)」の復員兵には笑顔がありましたが、「引き上げ(林忠彦)」の、父の遺骨と共に帰国した母と子の表情は暗いものでした。

第四に、戦後直ぐ、街路も鉄道も駅も、標識は全て横文字になりました。「四谷見附(木村伊兵衛)」「戸越公園駅(中村立行)」「英語標識のある有楽町駅(林忠彦)」の3枚の写真では、日本語の表示は一字もなく、英語だけで表示されています。占領下にあることを人々に突きつけます。

第五に、戦後の数年間、人々は厳しい経済状態に置かれます。衣食住の全てが何もかも不足でした。その中で、育ち盛りの子供達が最大の犠牲者でしたが、彼らはけなげでした。「敗戦、饑餓の島より(福島菊次郎)」「浮浪記(田村茂)」「敗戦の素顔(田村茂)」「山の兄弟(白井薫)」「橋の上(土門拳)」「子守の少女、浅草(田沼武能)」の6枚の写真は逞しく生きる子供達の姿と表情を捉えています。

第六に、戦後6~7年経って敗戦の混乱が収まり始めた頃の写真に、面白いものを見つけました。写真「新宿聚楽前、新宿区(薗部澄)」には、高級洋装店”東京スタイル”という商店の前の広場に、100個以上の肥桶(こいおけ)が二段に積まれて写っています。当時は人糞が大切な肥料でした。街でくみ取られた人糞は肥桶に詰められて近郊の農家に売られていきました。

第七に興味を持ったのは、焦土と化した東京の街が整備されていく過程を示す写真「土橋付近、有楽町~新橋間の車窓より(薗部澄)」です。この写真では、山手線に沿っ続くお濠が、焦土の瓦礫で幅半分ほど埋められていました。東京は江戸時代から水路の発達した街でしたが、関東大震災と東京大空襲で発生した大量の瓦礫を水路に投げ込んだため、水の都が台無しになったと言われます。この写真はその証拠写真です。

以上の写真の外にも、写真的に優れたものが数多く展示されていました。しかし、今回は時代史としての写真に焦点を合わせて感想を述べた次第です。
(以上)
【2007/06/01 22:01】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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