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写真は演奏する

嘗て、写真家アンセル・アダムズは「ネガは楽譜であり、プリントは演奏である」と言ったと伝えられます。その意味は、写真家が撮ったネガフィルムは、プリントする時その表現を様々に変えることが可能だということです。

音楽では作曲者はメロディとリズムで一つの曲を作ります。作曲者は演奏の方法を楽譜に指定する場合もあります。しかし、演奏家はその曲を自分流に解釈して演奏することが出来ます。同じ曲でも演奏家が違うと、その曲はかなり違った音楽に変わります。音楽会で有名な演奏家や歌手に人々が夢中になるのはそのためです。

写真でも、同じ一つのネガフィルムから色々に異なったプリントをして、色々な「写真」が生まれます。撮影した人が撮影した時期にプリントした「写真」を「ヴィンテージ写真」と言います。撮影した人が撮影した意図(気持ち)を忠実に表現していると考えられて「ヴィンテージ写真」は珍重されます。

撮影した写真家は、ネガフィルムを自分で保有していて、自分でプリントするのが普通ですが、他人にプリントを頼むこともあります。撮影者が他界していれば、その弟子や後継者がプリントします。

アメリカ東海岸のヨセミテ渓谷を旅したとき、アンセル・アダムズの写真を売っている土産物屋(美術館と称していました)で、私はアンセル・アダムズの後継者がプリントした「月とハーフ・ドーム」という写真を購入しました。そこに同じ写真の「ヴィンテージ写真」が置いてありましたので値段を見たら、私が買った写真の10倍以上の値段が付いていました。

アンセル・アダムズの写真がオークションにかけられ、ある一枚の写真に一千万円以上の値段が付いたと聞いたアンセル・アダムズは、「自分は未だ生きているのだよ」と苦笑したとのことです。こうなると骨董品の評価の世界であって、芸術の価値の話ではなくなります。

アンセル・アダムスは、「月とハーフ・ドーム」以外にもヨセミテ国立公園の雄大な自然を沢山撮影しています。 ですからヨセミテ国立公園の存在はアンセル・アダムズの写真によって世界に知られたとも言われています。

音楽の世界では、後世に勝れた演奏家が現れます。そして作曲家の知らない素晴らしい演奏をします。写真の世界でも同じネガフィルムから、撮影した写真家が知らない素晴らしいプリント写真が生まれることを期待します。

最後に、アンセル・アダムズのプリント写真を買った旅で、私が写したヨセミテ渓谷のハーフ・ドームを載せてみました。
(以上)


ヨセミテ-10Pc


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【2007/01/31 10:16】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
細江英公の世界

19世紀に写真が登場すると写実的な描写は写真の仕事となり、写実的な絵画は変化を遂げて抽象的あるいは心理的描写に専念することになりました。逆説的に言えば、写真は絵画を写実から開放したのです。

しかし、その後の写真の発展は、写真も絵画の後を追って、抽象的、心理的描写に進んでいます。日本の写真家の中で、この方面に最も積極的な写真家は細江英公ではないかと思います。

東京都写真美術館では写真家細江英公の写真展が年末から年初にかけて開かれていました。「球体写真二元論 細江英公の世界」と題して細江英公の写真を多面的に紹介していました。展示された写真を見て感じたことは、やはり細江英公は「写真の抽象化は何処まで可能か」を追求した写真家だと思います。

少し写真に興味のある人なら、小説家三島由紀夫を被写体として撮った細江英公の「薔薇刑」という写真集をご存じだと思います。この写真集で細江英公はエロスとタナトス(生と死)を表現したと言われます。荒い粒子のモンタージュ写真は、人間の心の奥底に潜む欲望を、暗喩と象徴で表現しています。

展示場に入ると、先ず、細江英公の最初の写真集「おとこと女」が展示されていました。すべて荒い粒子の象徴的な写真です。細江英公は、ここで性を生の原点と捉えていて、やがてその生と死を結びつけて「薔薇刑」が生まれたのだと理解しました。

同じ頃に発表された写真集「鎌鼬(かまいたち)」は、東北農村の土俗信仰に伝わる妖怪の伝説を映像化したものです。細江英公は、農村の色々な所で舞台俳優の土方巽を使って鎌鼬を演じさせて、人々の目に見えないものを見せるという写真を撮っています。それは空想の世界が現実の世界に現れる情景です。

更に、舞台俳優の土方巽と大野一雄と言う人物を撮った写真は、人物を撮ったのではなく、人物を手段として人間の心理の深層を描こうとしたものだと思います。特に、大野一雄の裸体に刺青したかのように動物や人影を多重露光した写真は、人間の霊魂を撮影しているようです。

絵画は見えるものを容易に超越して抽象の世界を描いて行きました。しかし写真が見えるものを超越して抽象の世界を描くことは絵画ほど容易ではありません。かつて、リアリズム写真は、時間的、場所的に特定の事実に拘泥して行き詰まりましたが、逆に抽象写真では、物質感を表現すると言う写真の固有の機能を軽視する危険があります。

絵画で描ける同じ抽象の世界を、写真機を使って描く必要はありません。細江英公が「たかちゃんとぼく」「おかあさんのばか」と言う写真絵本を作成しているのは、写真による抽象や象徴の表現に限界があることを感じているのでしょう。これらの写真集を見ていると、写真はあくまでも事実を直視し、その事実から人間の精神性を引き出すことが本道だと、細江英公は考えているのだと思います。
(以上)
【2007/01/18 10:03】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
現代建築の挑戦 
MIKIMOTO Ginza2ビル-06D 0612qc
MIKIMOTO Ginza2ビル

                    表参道:夜景-26D 0701q
                    表参道のTOD'Sビル                                     
                               
 表参道:青山通り東側-39D 0612qc
プラダ青山店ビル

現代建築で世界からも注目されている建築家、伊東豊雄氏の作品展示会が昨年(平成18年)東京オペラシティのアートギャラリーで開催されていました。「建築 新しいリアル」題された展示会では、伝統的な建築物とはまるで違った未来的建築が、どのようにして生まれてきたかを模型と映像を使って分かり易く説明していました。

建築には門外漢の私がこの展示会に行くきっかけは、街中で銀座のMIKIMOTO Ginza2ビルと、表参道のTOD'Sビルを見たからです。MIKIMOTO Ginza2ビルはビルの外壁全面に異様な形の窓が不規則に張り付いたビルです。TOD'Sビルはビルの外壁全面が斜めの線で不規則に区切られていて、その結果生まれた窓には同じ形の窓は一つもありません。

MIKIMOTO Ginza2ビルの窓の形は三角形を組合わせて作ったものであり、夫々の窓の位置も三角形をベースにして規則的に配置された言います。窓の形もまちまちであり、その配置場所も不規則に見えますが、その背後には三角形という統一原理で纏められています。それが一見アンバランスに見えるビルに対して、奇妙なバランス感を与えています。

TOD'Sビルの壁面は複数の樹木を重ね合わせた形で構成されたものであり、重ね合わせた樹木の隙間が入口と窓を形成する形となっています。従って、このビルは四角形の入口と窓を持った従来の建築物とは大きく異なった姿です。見る人にビル全体が樹木で覆われたイメージを与えて、人工物に自然を取り入れたため見る人に安らぎを与えています。

MIKIMOTO Ginza2ビルには幾何学的な秩序を、TOD'Sビルには生物学的な秩序を、密かに仕込むことによって、これらの不規則で異様な形のビルは見る人に知的刺激と安心感を与えているとも言えるでしょう。

しかし、伊東豊雄の作品より早く、従来の規則的で直線的形態から不規則で曲線的形態を基軸としたビルが東京にも既に出現していました。それはコーン・ペダーセン・フォックス設計の六本木ヒルズ、シーザー・ペリ設計の愛宕グリーンヒルズです。これらは流線型の超高層ビルとして、東京に新しいスカイラインを生み出しました。

また、表参道から青山通り横切って入ったところにジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロン設計のプラダ青山店ビルがあります。ビル全面が菱形のガラス窓で覆われた姿をしています。現代版ガラスの城です。このプラダ青山店ビルには、今まで私たちが持っていたビルの既成概念を根底から問い直す力があります。

世界の都市に眼を向けると、数年前にロンドンに胡瓜(きゅうり)型の高いビルが建設されました。建築家ノーマン・フォスターの設計になるもので、彼の哲学は人類は洞窟を出て家を建てたが、常に高い家を求めて建てると言うものです。

彼は、従来の箱のような四角のビルではなく円形のビルを、それも既成概念にない弾丸のようなビルを建てます。そして地面周囲には空間を、上層階にはプライベートな空間を作ります。ビルの周囲に螺旋状の吹き抜けを作り、空気の自然換気を図ります。胡瓜型のビルは丸い形の故に、高いビルではあるが四角のビルのような威圧感を周囲に与えないと言います。

昨年、バルセロナを訪問したとき、バスの窓からロケットの形をしたビルを見かけました。市の水道局のビルだそうで、公的機関がこのような未来型のビルを建てるのを見て、さすがは芸術の街だと感心しました。

現代建築界は今、大きく変わろうとして、未来志向の奇抜な建築物が世界で次々と建てられているようです。これも構造計算がコンピューターにより容易になったこと、建築資材が丈夫で軽くなったこと、建築施工の技術が発達したことなど技術革新のお陰です。

技術を用いた近代化は、伝統的美を壊してきましたが、逆に新しい美を創造することもあるのです。
(以上)
【2007/01/12 12:24】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雪の造形と脚色
角館-44P 99c
実は人間

               積雪-04P 95qc
               老人の皺
                                   帯広:雪景色
                                   畑がこんなに美しい

水は方円に従うと言いますが、雪は全ての色を消して世界を白一色に変えます。夜は闇で色を消し、更に形まで見えなくして仕舞いますが、雪は形を残します。

雪は全てを覆い隠すと言いますが、実は雪は原型をなぞり、原型を露わにします。色彩が着いていると分からなかった景色の原型を雪は見せてくれるのです。更に景色が内部に含んでいる原型を雪は表に出すのです。

雪が原型を露わにすると言っても、雪は景色を裸にして見せるのではなく、ある種の脚色を行うのです。その脚色によって景色が潜在的に持っていた形態が巧みに表現されるのです。雪で脚色された原型には思わずこんなに美しい、こんなに面白いと感じる時もあれば、こんなに醜かったのかと驚く時もあります。

雪は光に鋭く反応します。海水が青いのは太陽の光の所為です。雪も元は水ですから太陽の光に当たると青くなります。ですから晴天の日に雪を撮影すると青みがかります。

雪は全てを白一色に変えると言いましたが、白にも色々の白があるのです。ほのかな青みを添えた雪景色は暖かく見えます。雪は景色の造形家であると同時に脚色家です。だから雪景色はロマンティックです。
(以上)


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【2007/01/06 10:34】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
水の造形
噴水-05Pqtc


                    噴水-04Pqc



水は方円の器に従うと言います。融通無碍の変化を示すのが水の性質です。従って、水の造形は千変万化です。池の静水にもさざ波が立ち、川の流れにも緩急があり、流れ落ちる滝、噴き上げる噴水、海の波浪など、見飽きることはありません。

葛飾北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」は波浪が崩れ落ちる瞬間を見事に捉えた傑作です。襲いかかる大波の尖端には相似形の夥しい微細な波が克明に描かれています。北斎は水が造り出す造形を、このように正確に見て描いたのです。

絵画、彫刻で有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、科学技術の分野でも活躍しました。彼は、流体学のため水の性質を研究し、水の流れをスケッチしています。これらのスケッチには、流れが造り出す波紋を克明に美しく描いています。巨匠の手になると科学も美術になります。

浮世絵では雨の降る様を線で表します。雨は水滴ですから点ですが、降るときは細長い線に見えるのです。雨を線で表す浮世絵を見て、西洋の画家たちは表現の斬新さに驚いたと言います。雨は点でもあり、線でもあります。見る者の視点を変えればどちらにも見えるのです。

量子力学の世界では光は波動であり粒子であり、ふたつの性質を持っていると言います。光が測定装置に到達する前は、光が波動なのか粒子なのか分からないのだそうです。測定装置によって、波にもなり粒にもなります。降る雨を見る人の目が測定装置ですから、二通りに見えても可笑しくありません。

写真機はいとも簡単に粒と波、即ち水滴と線を写し分けます。それはシャッタースピードを早くすれば水滴に、遅くすれば線になるからです。このことは写真を扱う人は誰でも知っていることです。シャッタースピードを変えて噴水を撮影した二枚の写真で、その様子をご覧下さい。
(以上)


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【2007/01/01 09:36】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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