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白黒の写真

評論家スーザン・ソンタグは云います。
「多くの写真家達が依然として白黒の映像を好む本当の根拠は、絵画との暗黙の比較があるからである」と。

そのことは否定しませんが、それは西欧人の感覚であって東洋人、中でも日本人は絵画との比較で白黒写真を好む訳ではなく、日本の文化的背景とそれを生んだ自然環境の所為だと思います。

文化的背景として、日本には長い日本画の歴史があり、その中心は水墨画でした。勿論、日本の水墨画は、中国から伝来した水墨画を学んで発達したのですが、その後、室町時代の画家、雪舟は3年間ほど明(みん)に渡り絵を学んで帰国し、そこには求める師はいなかったと述懐しています。この時期には、中国伝来の水墨画は日本で独特の発展を遂げ、日本の伝統に組み込まれていたのです。

日本の水墨画では、描く対象は当然日本の自然であり風物です。日本は温暖多湿な亜熱帯モンスーン地帯に属し、空気は年間を通して湿潤です。春の霞、秋の霧が風景を柔和にします。色彩はグラデーションのある中間色が支配します。これは鮮明な色彩感覚よりもモノクロームの世界に馴染むのです。

日本人が撮影した近代写真の作品では、シャープさよりソフトな形態を求め、白黒やモノトーンの色彩が好まれました。この感性あるいは好みは、日本列島に住み着いた日本人が自然から学んだ美感なのです。

日本人の感性を別にしても、冒頭のスーザン・ソンタグの意見に対して次のようなことが言えます。白黒の映像は、絵画に対する写真の自己主張に止まらず、それ以上の美的表現を含んでいます。白黒写真には色彩を捨てた単純化の迫力があります。それは光と影と捉えることに関して完璧な写真は、白黒だけでものの本質を描き出す力があるからです。

掲載した写真は、バルセロナの街を散歩していたとき路傍で見つけた、水を処理するマンホールの蓋ですが、何の変哲もない光景でも、モノトーンの写真は別の世界に作り変える力があります。
(以上)


バルセロナ-02Phtq


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【2006/08/29 08:50】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
絵と文字との境界線

書道の本家は中国ですが、書道が日本に入ってきて、日本独自の造形芸術に発展しました。一言で言えば、それは文字の美しさを表現することを越えて、線の美しさを表現する芸術に変貌したのです。

線の表現は、絵画の世界でも日本の得意とするところです。西欧人は浮世絵で日本の線の美しさを知りました。同じことは書道の世界でも云えます。中国が発明した漢字の書よりも日本人が発明した仮名の書は、線の美を表現するのに適しています。

漢字を発明したのは古代国家シナであり、紀元前
11世紀の殷王朝の頃だと云われています。漢字は象形文字であり、一つの漢字は一つの事物に対応して考案されます。ですから漢字は一字、一字がそれぞれの意味を持ちます。即ち、漢字は意味のイメージを持ちます。

漢字は、意味のイメージと共に、造形イメージも併せ持ちます。視覚に訴える造形イメージは、絵画の世界に通じます。日本を代表するグラフィックデザイナー田中一光氏は、長年に亘り世界の文字を収集し、文字をデザイン化したポスターを制作しています。

標準的に使われている漢字の書体「明朝体」の変形に「光朝体」というのがあります。これは田中一光明朝体の略称で、田中一光の発明になるものです。彼は「光朝体」の漢字を用いた優れたポスターを数多く作成しています。

絵と文字との間の境界線は消えつつあります。文字は絵画化しています。漢字は、視覚的イメージだけでなく、意味のイメージをも持つので、絵画化したとき発するメッセージは、漢字以外の文字に比べて強いものがあります。

ここに掲げた写真は、絵と文字の関係を写真で示すのに未消化なものです。しかし意図しているところは汲んで頂けるでしょうか?
(以上)


伊豆-01P 92


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【2006/08/25 19:03】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
決定的瞬間の意味

先日、東京都写真美術館で上映された「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」というドキュメンタリー映画を鑑賞しました。

カルティエ=ブレッソンは初め画家を志し、一時、ジャン・ルノアール監督の下で助監督をしたこともある、多才な写真家ですが、この映画は、彼の死の少し前、彼自身が主演し、彼の作品を回顧する形式で進められるドキュメンタリー映画です。

写真に関心がある人達には一度は見たことのある彼の作品が、次から次へと画面に登場し、彼自身の意見や感想が述べられたり、彼と親交のあった写真家(エリオット・アーウィット、ジョセフ・クーデルカ)、作家(アーサー・ミラー)、女優(イザベル・ユペール)、その他大勢の関係者達がカルティエ=ブレッソンの人と作品を批評してます。

被写体はメキシコ、インド、中国、ソ連、日本など世界各地で撮られたものですが、なんと言っても母国のパリでの作品は多く、更に画家、文学者、詩人、実業家などの有名人のポートレートは、カルティエ=ブレッソンならではの絶妙なチャンスを捉えた写真で満ちています。

世間ではカルティエ=ブレッソンと言うと「決定的瞬間」を撮った写真家というように云われますが、映画の中で彼自身と批評家達は、その意味を次のように云います。

カルティエ=ブレッソンは、眼前の光景がバランス取れた瞬間が決定的瞬間なのだと、簡明に説明します。一枚一枚の自作の写真を彼は「これは事物や人物の配置が良い」という言い方でバランスの意味を解説します。

続けて、ジョセフ・クーデルカは云います。一枚の写真でも彼の写真には多くの物語が含まれると。バランスの取れた写真とは、見る人によって異なる物語がある写真になると云うのです。

目に見える光景は絶えず変化しますし彼自身の目も移動しますが、その中で背景も対象も、全てが一つの均衡ある関係になった時が決定的瞬間だと云うのです。

ですから、カルティエ=ブレッソンの云う「決定的瞬間」とは「事件」などの決定的瞬間を意味しているのではなく、変動して止まない日常の出来事に「情況」のバランスを発見したときなのだと理解しました。

そう考えれば、決定的瞬間は身の回りに幾らでもあるのです。ですから、カルティエ=ブレッソンは写真集の序文で「決定的瞬間を持たないものなど、この世に存在しない」と云っています。

彼の名前を「決定的瞬間」と結びつけた1952年出版の写真集「The Decisive Moment(決定的瞬間)」の原著は「Image a la sauvette(逃げ去るイメージ)」というタイトルであることも、決定的瞬間の意味を物語っています。

決定的瞬間は常に身の回りに生起しているから、これを一瞬のうちにフィルムに固定しなければ逃げ去ってしまうのです。カルティエ=ブレッソンは、そのような瞬間を認識する才能と、それを瞬時に固定する技術を兼ね備えた希なる写真家でした。

マン・レイは何処かで述べています。「写真とは、現在を過去に結ぶものであり、絵画は現在から未来への過程を示すものである」と。
しかし、現在を確実に、そして十分に理解するためには、逃げ去る過去を固定して良く知ることが大事なことだと、カルティエ=ブレッソンは考えていたのでしょう。
(以上)
【2006/08/22 10:09】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
西欧の都市美は古さにある

江戸から東京までの都市空間の変化は本当にものすごいものです。それは、近代化という名の劣悪化でした。東京オリンピックに備えて市街地中心部に高速道路を張り巡らしたとき、劣悪化の頂点に達しました。空から東京を見た外国人はまるでスパゲッティを撒き散らしたような街だと評しました。

日本より早く工業化が進み人口集中が起こった西欧諸国の首都でも、19世紀に河川は汚染され街路はごみ捨て場になり伝染病が流行るという経験をしています。
しかし、パリやロンドンでは、百数十年も前に都市構造の改革と都市環境の整備を完了し、今日の整然とした都市に変えました。この間の西欧主要都市の変貌はすざましいものであったと想像します。

そして私たちが最も感心するのは、都市の改革と整備を進めるなかで、彼らが伝統と文化の維持に大変な努力をしたことです。便利さを求めて古いものを壊し新しいものを建てるということは極力避けています。

現在でも、由緒ある歴史的建造物は用途を終えたあとでもその姿を残し、それを再利用する努力を彼らは怠りません。古い建築物の改修は建て替えより費用がかかりますが、それでも都市の記憶を表現するために残すのです。

パリのオルセー美術館は駅舎を改装したものであり、ロンドンのテート・モダンは火力発電所を改装したものです。共に建物は原型をとどめて既存の機能も生かしています。そのような大型建築物だけでなく、ロンドンのイーストエンド地域では、嘗て産業革命の担い手だったドッグ、倉庫、煙草取引所などが、そのままの姿でヨットハーバー、商店街、スーパーとして使われています。

一世紀余りの隔たりはありますが、西欧首都の都市美回復の百年余の歴史と、東京の都市美崩壊の百年余の歴史とを比較して、これは石の文化と木の文化の違いだとして片づけられないものです。

東京の都市美の回復には、江戸時代の東京の姿を思い浮かべ、百年の計をたてる必要があります。
(以上)
【2006/08/19 10:27】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
生け花の造形美

生け花は、今や日本の伝統的芸術として国際的に認められていますが、もともとは日常生活のなかで、四季の花々を楽しむ行為でした。

花を家に飾る行為は、自然に先祖に供える行為になり、「供華」は仏教の儀式となりました。生け花が美的表現の対象として意識的に取り上げられるのは、室町時代の「立花(たてばな)」の様式が生まれたときです。

今も有名な生け花の家元の先祖である池坊(いけのぼう)は、その名の通り寺の住職であり、佛に花を供える僧でした。その子孫が16世紀に立花の理論と技術を集大成し、室町時代の古典立華(たてばな)が確立したのです。

同じ頃、千利休たち茶人によって簡素な「投げ入れ花」がもてはやされ、定型化した立華様式に対抗する動きも出てきました。

江戸時代中期に、生け花の理念や様式をそれぞれ主張する流派が生まれ、今日の池坊流派の源流が出来上がります。

その後も、明治時代には剣山(けんざん)で花を固定して盛り上げる「盛り花」様式が生まれ、現代ではオブジェを混ぜた生け花が現れました。

長い歴史のある生け花の世界には、流派と共に、色々な様式があります。生花(しょうか)、立花(りっか)、自由花(じゆうか)、盛花(もりばな)、投入(なげいれ)などです。

生け花では、花と心の対話を大事にします。それは花を活ける人、また活けた花を見る人、いずれの場合も人々の精神性が大切だと云います。流派は異なっても精神性を重視することで変わりはなく、様式や花器などは二次的な問題だと思います。

かつて、庭園植物記展という展覧会で、写真家の土門拳、石元泰博、篠山紀信が勅使河原蒼風の生け花を撮った写真をみた時、伝統ある生け花には、確かな造形美があることを知りました。生け花は、彫刻、絵画、写真のように永久的に保存できないが故に、その造形美に一種の切なさがあります。

造形美の切なさを和らぐためにも、庭の片隅に地植えした生け花でも、生け花に仲間入りさせて下さい。欧米では庭にハーブ園などを造ります。写真は、カナダで見たある家庭のハーブ園だと思いますが、これも新しい生け花だと思います。
(以上)


カナダ・ワイナリー-01Pqct


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【2006/08/13 10:21】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
近代において日本人が忘れた都市の美観とは何でしょうか?

江戸時代の250年の間に、日本人は江戸の街を日本風の完成された美しい街並みに造り上げていました。江戸末期に来日した西欧人は、愛戸山頂から瓦屋根と白壁が織りなす江戸の町を見て、その美しさに感嘆したと云います。

残された写真で当時の江戸の景色を見ますと、大名屋敷や武家屋敷が連なる江戸の街は壁と瓦がリズミカルに連なり、白と黒のモノトーンの風景はまるで墨絵を見るようです。

江戸時代に今風の都市美という観念はなかったでしょうが、江戸の日本人は当時の建築技術と建築材料で、西洋人も驚く秩序ある景観を作り上げました。

その後の日本人は、江戸の町を明治維新で壊し、関東大震災と東京大空襲で壊され、残された江戸と明治の町を、戦前戦後の昭和は、経済発展の名の下に壊し続けてきました。

しかし、破壊し続けた本当の原因は、明治以降の日本人が都市の美観というものを忘れてしまったことにあります。いま大事なのは、忘れてしまった美観を取り戻すことなのでしょう。

過去の復興再建の過程で、東京という都市を美しさという観点から造り変えようと言った話は寡聞にして知りません。また、再建計画は作りましたが、それを実現できませんでした。都市の建設は、ひたすら規模の拡大と効率の向上を求めて行われました。

施主や建築家が個々の建物を美的に建築しようとする努力はありましたが、それは東京という都市全体を美的に見直すことではありませんでした。美しい都市景観は個人の感性とか趣味からではなく、歴史とか伝統に根ざした美感から生まれてくるものと思います。

都市景観は、そこに住む人達の美的感性の総合表現なのです。
現状から判断して、美的感性の回復には、かなりの年月がかかりそうです。
(以上)
【2006/08/08 11:03】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
都市をデザインする難しさ

人々が熱中するデザインと言えば、身の回りの服装であり、住宅や室内であり、乗物です。パリコレクションや自動車ショーに夢中になる気持ちは良く分かります。

しかし、デザインの対象は個別のものだけでなく、集団や地域と云った総合的デザインもあります。更に、国や社会の組織もデザインの対象になります。

ここでは対象を都市のデザインに絞って考えてみます。

昨年(平成17年)、景観法が施行されてから、多くの地方自治体で伝統的景観を守り、復活しようという動きが盛んになっています。都市をデザインの力でより美しいもの、豊かなものにしようという動きです。

戦後の経済成長期には、都市景観というものに人々の関心は低かったのですが、やっと効率一点張りから都市の美観という方向に国民の関心が向いてきた証拠です。

衣服や身の回り品の場合は、デザインの良し悪しで商品の売れ行きが決まりますから、どの様なデザインが優れているかは客観的に容易に市場で評価されます。

しかし、都市は、私達が住み、働き、楽しみ、憩う場所ですから、都市に関わる多数の人々の利便、要求、願望などは多種多様な要素を含みます。都市のデザインでは、これらの複雑な要素を全て考慮に入れて検討しなければまりません。商品デザインのように簡単にはいきません。

既存の都市の景観は、今日まで住人たちが築いてきた人々の文化の集積です。人々の思い出が沢山詰まった歴史的景観なのです。

人々の思い出や思い入れは夫々違いますから、都市景観に対する価値観の統合や調整は大変難しいものがあります。また、過去の文化遺産を現在生きている人達だけの都合で変更して良いものなのか、という疑問もあります。先祖達の思いに対して現在の私達が思いを寄せる度合いも、人それぞれなのです。

他方、土地や建物への既存の権利が強大であり、その変更を伴う都市デザインの改革は極めて難しいものがあります。商品のデザインでは会社という一組織内で決定できますが、都市のデザイン改革では利害関係を調整することが大変難しいのです。

景観法は成立ましたが、今後、どの町、どの地域が景観の改善に成功するか分かりませんが、誰もが住みたい町にするため、今、各地で新しい景観競争が始まっていると思います。
(以上)


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【2006/08/04 07:04】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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