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シルエットの表現

シルエットは輪郭だけで対象を表現する方法です。画面にシルエットを用いると、省略と強調が同時に表現できます。シルエットのある写真を見るとき、省略された部分では想像力が働き、他方、黒い影は明るい部分を引き立てます。これがシルエット効果です。

絵画の世界では、レンブランド、フェルメールなどオランダ派の画家は陰影で光を描写しましたが、これもシルエットの効果を巧みに利用した描き方です。

写真表現では、物事を暗示したり、画面にアクセントを付けるとき、シルエットを用います。そうすることによって、写真の画面にリズムが生まれます。単に状況を説明する観光写真とはならず、見る人に感動を与える写真となります。

シルエットを用いる場合に、シルエットそのものに重点を置く場合と、シルエットを手段として用いる場合とがあります。前者ではシルエット以外の部分はシルエットの意味を強めるためにあり、後者ではシルエットはシルエット以外の部分に注意を向けさせるためにあります。

つたない実例ですが、私が試みた二つのシルエット効果を二枚の写真でご覧に入れます。函館湾の残照はご婦人たちの名残惜しさを強めます。風光明媚な芦ノ湖は紳士たちの影で引き立ちます。
(以上)

夕暮れの海-03P 99Q

函館湾残映
                    芦ノ湖-16P 95

                    芦ノ湖俯瞰

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【2006/07/31 07:59】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
形態と連想について

評論家スーザン・ソンタグは「写真は説明しない。写真は認識するだけである」と云います。写真は一つの断片で以て、森羅万象にひとつの解釈を示します。写真は、解釈した被写体の形態で、観る人々に働きかけます。何を連想しますかと。

私は、それに答えず逆に問いかけます。
撮影者は、森羅万象の中から何に興味を以てこの写真を撮ったのですかと。
更に問いかけます。
撮影者は、被写体を見てシャッターを切ろうとするとき、何を連想したのですかと。

造園の世界では、「写し」と「見立て」ということが言われます。
「写し」の例としては、ヨーロッパ諸国の間で庭園様式が他国へ伝播したことが指摘されています。その一例としてイタリア式庭園はヴェルサイユ宮殿へ写されたと云われます。

「見立て」とは、水を落として滝とし、流して川とすることです。各地にある「何々富士」「何々銀座」も「見立て」です。「見立て」とは、人工的なものから自然を、本物の世界を想像させるのです。造園には高級な連想ゲームの要素があります。

写真にも、連想が連想を生む面白さがあります。
写真撮影というのは、三次元世界を二次元世界に「写す」行為ですから、造園のような「写し」は問題ではなく、写真では被写体を何に「見立て」たかが大事です。

撮影者が何を被写体に選ぶか、被写体の何処に焦点を合わすか、ここに写真の「見立て」作業の上手、下手が現れます。また、写真の「見立て」は、写真を見る人々によって、いろいろに広がります。写真鑑賞は「見立て」の連想の力のあるなしで、深くもなれば浅くもなりなす。

さて、「見立て」は、撮影された断片から別の世界を想像させるのですが、下に掲げた二枚の写真で、皆様は何を連想されますか?

私なら、屋根の写真は、「左前に着る着物を右前に着るなんてだらしがない」と感じます。配電線の写真は、「人の会話を立ち聞きしている行儀の悪い人がいる」と読みます。
(以上)


抽象-04P 99h

                    壁に電線-03Phrqc

【2006/07/28 10:11】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
木目の造形 
木目-05Phq

                    木目-03Pq



ここに掲げる写真は、風雨にさらされて庭先に放置されていた木の板を撮影したものです。板やフィルムに着色などの加工は一切行っておりません。自然が創り出した色合いです。

前回は生きている木の外面を撮影しましたが、今回は加工された木の内面を写しました。木目(もくめ)の直線と節目(ふしめ)の曲線は微妙な均衡を保っています。木目の線と線との間には、日光と風雨にさらされて、なだらかに変化する色彩のグラデーションが見られます。

ここに現れた造形は、年々の木の成長の痕跡であり、枝が分岐して成長した痕跡です。節目が作る紋様が規則的な直線の年輪を変形させている部分は誠に魅力的です。いずれも木の生命活動の痕跡です。そこには木の生命のリズムが刻まれています。

木の生命のリズムは、同じく生きている私たちの感覚が持つリズムと何処かで共鳴するのでしょう。だから、私たちは、この木の断面を見て美しいと感ずるのです。
(以上)


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【2006/07/25 08:45】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
樹皮の造形
樹皮-02Phq


                    樹皮-06P 05q


「この世にあるすべての物はデザインされています。この世に生まれ出るとき、すべてのものは既にデザインされているからです」と云いました。(デザインする心 06.05.28)
「自然界にはあらゆる形態が存在します」とも云いました。(虫の形の自動車 06.06.01)

この写真は大木の樹皮を写したものです。その紋様はパッチワークの布のようでもあり、パズル玩具のコマのようでもあります。誠に自然は造形の名人です。

デザナーが独創的な発想を得るには、先ず自然に学べば良いのです。自然の造形に含まれる魅力的な部分を抽出して、自分の発想の原点に据えるのです。それを更にどう発展させるかはデザイナーの能力です。その気になって身辺を見渡せば、自然界には発想の原点はいくらでも存在します。

写真家エルンスト・ハースは言っています。「写真家は森羅万象の空間から、自分の絵柄を引き出す」と。写真家は画家や彫刻家のように美の創作はしませんが、美の発見はします。人々が気づかない美を求めて探索する能力にかけては、写真家は彼らより優れています。

それにしても、人間の創作活動が、自然の造形活動を超えることはなかなか難しいようです。
(以上)


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【2006/07/22 07:20】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
畑をデザインする
畑-21P 90q


                      畑-13P 90q


当然のことながら、人間がデザインするときは意識的です。デザインする対象物が器物、建物、都市、更には景色であっても、デザインすると云う意図を以て働きかけています。しかし、人間はデザインする意図なく、無意識でデザインしていることがあります。

人間が住んでいる自然は、人間の営みによりその姿を変えます。この世の風景は、殆どが自然と人間の共同産物です。都会は人間の活動の塊みたいなものであり人工的なものが大部分ですが、地方の山村と云えども人間の手が入らないものはありません。

風景の中にあるデザインは、純粋に自然のものは存在しません。しかも、風景は意図してデザインされるよりも、意図しないでデザインされるものが多いのです。しかも、意図せずにデザインされた風景には、素晴らしいものが沢山あります。

ここに掲げる畑の写真は、近頃盛んになっているビニール栽培の様子を撮ったものです。農民は農地に何かの模様を描こうとしたわけではありません。しかし、冬の畑に見事なアートが出現しました。

近年、アメリカの芸術家の中には、パブリック・アートと称して、大きな公園を幟(のぼり)で飾り立てたり、小さな島の周りを布で囲んでみたり、自然相手に大規模の装飾芸術を試みています。しかし、これら畑の農園アートが、彼らのパブリック・アートアートと何処が違うのか訊ねてみたいものです。
(以上)


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【2006/07/19 10:47】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
イザベル・ユペール展

今、珍しい形式の写真展が東京都写真美術館で開催されています。(開催期間 2006.7.1~8.6) それは、大勢の写真家が一人の女優を撮影したポートレート写真を一ヶ所に集めた写真展です。

一人の写真家が或るテーマで撮影した写真を展示するのが普通ですが、今回のように被写体は一つでありながら、写す人が大勢という方式ですと、否応なく写真家の表現力が比較されます。更に、被写体がイザベル・ユペールという有名な性格女優であることも、大いに写真展を盛り上げています。

この写真展の副題が ”Woman of Many Faces ”とあるように、会場のどの写真を見ても女優の表情と姿態は大きく異なります。女優の演技力と写真家の演出力で創り出す表情と姿態の変容は、誠に多彩です。

以下に印象に残った写真について、写真家別に感想を述べてみます。

Peter Lindbergh
二枚の写真は全く異なる性格をイザベルに与えています。
1.2002(数字は撮影年、以下同じ)
体の力を抜き椅子に腰掛けるイザベルは、何を沈思するのか項垂れて悲しげです。比較的広い面積をもつ黒いバックは、その悲しみを深めています。
2.2001
胸から下のワンピースに身を包み、両腕を組み、顎を突き出して立つイザベルは、蔑むような視線を送ります。知的ではありますが、どこか高慢な性格を表現しています。

Karin Rochall 1990
煙草をくわえて力なく向けるイザベルの流し目には、何処か退廃的な雰囲気が漂います。

Robert Doisneau
三枚の写真はそれぞれ表情が異なり興味ある作品です。
1.1985
酒場で一人椅子に座り、振り向きながら視線をあらぬ方向に向けているイザベルには男の気をひく色気があります。
2.1985
路上を歩きながら何かを見詰めているイザベルの顔には幼い蔭があり、少女のようです。
3.1985
酒場のカウンターでマスターに酒を注がせながら、マスターの顔を凝視するイザベルの目には中年女性のあざとさがあります。

Henri Cartier-Bresson 1994
黒い長袖のブラウスを着て、腕を頭の後ろで組み、視線をこちらに向けるイザベルは、放心した表情です。イザベルの上半身は黒い長方形にまとまっており、彼女が座るソファー、入り口の扉、壁にかかる額などはすべて大小の長方形で対応しており、画面にリズムを与えています。写真の構図を重視する決定的瞬間の写真家ブレッソンらしい写真です。

Juergen Teller 2001
短パンと袖無しブラウスのイザベルは、ソファーの上で片膝を曲げ、その上にもう一方の脚を載せています。片手を自分の太ももの間に、もう一方の手でクッションを抱えたイザベルは、妖艶な視線をこちらに向けています。姿態とまなざしは挑戦的です。

Patrick Faigenbaum 2005
二枚のポートレイトは、両方共に虚脱した表情のイザベルです。これが彼女の地の顔と思えるような自然の表情で、よく言えば人生を達観した顔、悪く云えば全てを否定する虚無的な顔です。

Philip-Lorca DiCorcia 2004
一枚は男とは別の明るい部屋にいるイザベル、もう一枚は大きな花々が映るガラス戸の前に立つイザベル、この二枚の写真は、明暗の違いはありますが、共に別の世界から来たイザベラを表現しています。そうすることでイザベラの持つ神秘性を表現しています。

まだ外にもRichard Avedon,Helmut Newton,Robert Franc,Herb Ritts などの有名写真家の作品が沢山出品されています。

この写真展は2005年11月ニューヨークを皮切りにパリ、ベルリン、マドリード、東京と巡回していて、これからも世界巡回は続くという人気のある写真展です。一度に多くの世界的写真家に巡り会える珍しい写真展です。
(以上)


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【2006/07/16 10:32】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コントラストによる表現
プリンス・ホテル-01PAq

                    佃-24P 02


人々に働きかけるとき、強いコントラストを用いるのは重要な表現方法です。それは映像の場合だけでなく、文章や音楽の表現でも言えることです。文章作成で起承転結を用いるのもコントラスト表現の一つであり、音楽で楽章に緩急があるのもコントラストの表現の一つです。

映像芸術の写真でもコントラストは重視されます。画面の中で何を表現するかでコントラストの用い方が違うのは当然です。明るさと暗さを強調したいのか、新しさと古さを意識させたいのか、大きさや緻密さを表現したいのかなど色々な方法を用います。

ここに掲げた二枚の写真は、コントラストを意識して撮影したものです。いずれも橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の目から見た風景です。前者では擬宝珠は小さな影であり、その背後に超近代的なホテルが聳えています。被写体の大小と明暗を用いて都市の急激な変化を表現したつもりです。

後者では画面のかなりの部分を擬宝珠が占めており、遠くに沢山の超高層マンションが立ち並んでいます。擬宝珠を文化の伝統に喩えて、伝統は偉大なものであり、それから見たら沢山の巨大な近代ビルは矮小なものだ、と表現したつもりです。

表現の成否は皆様のご判断に仰ぎたいと思います。
(以上)


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【2006/07/13 06:54】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
幾何学模様の階段とスロープ
大桟橋-04N 04q

                    大桟橋:構造-02D 05q

                              大桟橋:構造-07D 05q


世界を周航する豪華客船が停泊する横浜大桟橋は、極めて独特の形態をしています。

船が横付けできるだけで良いのなら、桟橋はただ細長い堤防のような形で良いのですが、横浜港は国際港ですから、船客のための税関、検疫などの施設が必要であり、多数の船客を歓送迎するので大きな駐車場も必要です。

横浜大桟橋では、船客の便宜のため、これらの施設を桟橋の中に設けました。その結果、二階建てのような巨大な桟橋が出来上がりました。乗客と歓送迎客の流れは、上下に分かれて回転するように設計されています。

専門語ではこれをトポロジカル構造と云うのだそうですが、階段とスロープを巧みに組み合わせて、それを可能にしています。その結果、幾つかの階段はよじれるように造られており、思わぬ造形美を見せています。

うねるようなウッドデッキと、ねじれる階段を組み合わせて見ると、横浜大桟橋全体が、パブリック・アートとなっています。これは実用上の必要性が産んだ美です。

この設計は外国人の手になるものだと云うことが、少し残念ですが。
(以上)


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【2006/07/10 11:37】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
感性とデザイン

以前、「アートの世界は論理では動かず、感性で動きます。デザインの核心には感性がありますから、デザイナーはアーティストでなければならないのです」と書きました。(「デザインはアートです」06.05.29参照)

いかし、現実に商品をデザインするとき、利便性が優先されます。それに安全さが求められます。その上で美しさや格好良さが追求されます。

利便性や安全性は論理的発想だけで十分達成できますが、美しさや格好良さはアーティストの感性なしには実現できません。

もの作りでは論理性と感性が共に必要ですが、どうしても感性の働きは低く見られがちでした。これからのデザインの世界では、むしろ感性が主役になりたい位です。

ドナルド・ノーマン氏は、その著書「エモーショナル・デザイン」で云います。
「デザインでは実用面より情動面が重要である。デザインは愛、愛着、幸福など、強いポジティブな情動を引き起こす」と。

更に云います。
「芸術性、魅力、美しさの重要性にも注目しなければならない。使い易いデザインでも、魅力的な形でなければ楽しくなくなり、使いにくくなる」と。

ここで私達は、デザインの根本問題に行き着くのです。

デザインの発展の歴史は、利便性と美観との調和を図るものでした。美的センスだけを求めては、不便なものとして利用者に見捨てられます、さりとて便利さだけでも直ぐに厭きられ、嫌われ、不便になるというのです。

モダン・アートでは論理が優先しましたが、論理でデザインを追求していけば便利さと安全性は得られるでしょうが、やがて限界に達すると、ノーマン氏は指摘したのです。

氏は「エモーショナル・デザイン」で、利用者の感性を見抜き、その感性に合ったデザインを考案することを推奨しました。

人々の感性の発見とそれを満たす様式の実現には難しいものがありますが、そこには限りないデザインの世界が広がります。
(以上)


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【2006/07/07 11:53】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
調和がデザインを生む

「芸術は爆発だ」と岡本太郎氏は云いました。調和は馴れ合いであり、芸術には有害無用だとも云いました。

確かに、芸術には燃えるような情念が必要です。一方、デザインには感性が不可欠ですが、その感性は情念と繋がっています。その意味で、デザインにも情念が必要なのです。

しかし、調和は馴れ合いであると云われると、そこまでは受け入れられません。いや、むしろデザインは調和の産物なのです。実用性と美観との調和の産物です。

デザインの発展の歴史は、使いやすさと美しさを、如何にして一つの作品に調和してまとめるかの歴史でありました。

工業デザイナーとして高名な川崎和男氏(名古屋市立大学教授)は云っています。
デザインの特性は、部分の機能や性能から考えるのではなく、全体の形から考えるところにあると。
例えば、人工心臓を考案するとき、医学者は肉体の個々の部品の機能の研究から入るが、デザイナーは全体として人体に合うデバイスの望ましいモデルをイメージすることから入ると。

科学技術者のアプローチは、機能的条件を満たしてから、後で形態を整えようとします。機能の充足が優先されるから、形態は機能により強く規制されます。

デザイナーのアプローチは、先ず形態で考えます。その形態に埋め込まれる機能については、後から工学的に考案しようとします。従って形態のイメージが、それに合った技術開発を促進することになります。

人工心臓であれ、電気製品であれ、新しいものを創造する仕事は、現実には両方のアプローチで遂行されています。実用性と美観を調和させるデザインの創造は、対象物の構造が複雑になるだけ難しくなっています。

デザイン創作で発揮される調和は、馴れ合いではなく、二つのアプローチの激しい衝突の産物なのです。
(以上)


                    大阪万博-03P S45tc

          大阪万博のランドマークになった岡本太郎氏の作品「太陽の塔」です。
          縄文時代の情念を表現したと云われます。

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【2006/07/04 09:02】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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