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世間を歌った演歌は世間の喪失と共に消える
                      ポスター-01D 06

多くの歌謡曲を作詞した阿久悠は、その著書「歌謡曲の時代」で次のように書いています。
「歌謡曲という言葉が使われなくなってから久しい・・・・俗説では、昭和の終わりとともに、平成の始まりと同時に消えたということになっている。」

そして続けて書いています。
「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。それを「私の時代」と言うのかもしれないが、ぼくは、「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。」

歌謡曲の内容が「世間」から「私」に変わったと言う阿久悠の指摘は、歌謡曲の変化を述べながら、社会の変化を語っているのです。人と人との関係を「世間」と言いますが、世間の人情が変わったのです。

日本人は昔から演歌が大好きでした。演歌と言えば、誰でも古賀メロディを思い出し、歌姫は美空ひばりを挙げます。その演歌には大衆の日常生活での人と人との間に流れる感情が表現されていて、聴いても唱っても、感動を呼び起こし、感傷にふけることができます。

演歌に唱われる日常生活は、「私」という個人だけの世界ではなく、「世間」という場で営まれるものです。演歌は個人の感情表現であっても、必ず世間が前提であり、世間の中で生まれる「人情」の表現が演歌のテーマなのです。

「世間」の人情を描いて評判の映画に「男はつらいよ」という寅さん映画がありました。寅さんが愛されるのは、渡世家業のなかで世間との付き合いの中で奮闘する寅さんが発揮する人間性を多くの日本人が愛したからです。

そう言えば、「男はつらいよ」の主題歌は、演歌作詞の星野哲郎の作品です。星野哲郎は戦後の歌謡界で数多くの歌謡曲を作詞していますが、「演歌」を「縁歌」と称していたそうです。星野哲郎は、人との出会いから詩藻を思いつき、やがて詩想に育て挙げ、「演歌」を完成したのです。

平成の時代も終わりを迎えようとしています。平成の始まりとともに消えていった「歌謡曲」や「演歌」は、平成の終わりとともに、更に遠い存在になっていくのでしょうか。
(以上)
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【2017/11/27 19:17】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
落書きに芸術性は求められない
1.壁の落書き-14D 0812q
写真1

2.壁の落書き-54D 1608qr
写真2

3.壁の落書き-55D 1610qr
写真3

4.壁の落書き-28D 1105qt
写真4

5.壁の落書き-24D 1001qt
写真5

6.高田馬場ガード下:落書き-04D 1610qt
写真6

公共物の壁や電車などにスプレーやフェルトペンなどで落書きをする行為が最初に現れたのは、ニューヨーク市でした。最初は不思議さもあって非難の対象とはなりませんでしたが、その後、出来映えの良い落書きは、公共の場での前衛芸術などともてはやされました。所謂グラフィック・アートの登場です。

その先駆けは、ニューヨークの地下鉄の空白の広告板に描いて、通勤客の間で評判となったキース・ヘリングでした。もう一つ有名なグラフィック・アートはベルリンの壁の落書きで、イーストサイド・ギャラリーと呼ばれました。

しかし、ベルリンの壁の落書きは、東西に分裂したドイツの統合を願う政治的メッセージです。このベルリンの壁の一部は、米ソ冷戦の象徴的証拠として今も保存されているのであって、藝術的だからではありません。

芸術性という点から言うと、アフロ・アメリカンのヒップホップ・カルチュアーの一要素として、グラフィック・ライターが描いた繪で用いられて有名になった文字があります。文字幅を極端に広げて、うねるような曲線で書かれた文字です。
(写真1)

このストリート系アートのアルファベット文字で書かれた悪戯書きを東京の街でよく見かけますが、ヒップホップ・カルチュアーで用いた文字で書いたから藝術性が出るわけではありません。他人の器物の上に描いたり、非常識なのには公共の地図案内板の上に書いたりするのは犯罪です。
(写真2、3)

悪戯落書きを軽微な犯罪だと見なして、これを放置しておくと凶悪な犯罪を産む温床になるという「割れ窓理論」と言うのがあります。

建物の窓が一つ二つ割れているだけだと放置していると、建物の維持管理に誰も注意を払っていないと思われて、やがて他の窓も全て壊されてしまうと「割れ窓理論」は言います。秩序の破壊は些細なことから始まる、だから些細な秩序破壊も許してはいけないというのが、環境犯罪学でいう「割れ窓理論」です。

嘗て、ニューヨーク市の検事出身のジュリアーニ市長は、この「割れ窓理論」を採用して、それまで乱れていたニューヨークの秩序を取り戻し、犯罪発生率を劇的に引き下げたことで有名になりました。

そうは言っても、時たま思わず足を止めてしまう悪戯書きに出会うことがあります。消さないで欲しいと眺めてしまう悪戯書きもあります。ご同意いただけるか、その数点を掲げます。
(写真4、5、6)
(以上)
【2016/10/13 17:12】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
真昼に夜が来る シュルレアリスムの写真
1.仲通り高層ビル-12D 1512qr

3.仲通り高層ビル-10D 1512q

2.仲通り高層ビル-09D 1512qt

4.仲通り高層ビル-04D 1512q

写真は目に見える世界を撮るものですから、光のない暗闇では撮れません。
それでは、太陽の光が降り注ぐ快晴の日が撮影に最も良いかというと、そうとも限りません。
写真を撮る人は、太陽が最も明るく輝く、晴れた真夏の正午の時間帯を、ピーカンと言って嫌います。
と言うのは、太陽が頭の真上にあると、物の影が小さくなってしまうからです。
陰影があるから風景に立体感が現れるので、ピーカンでは平板な写真になってしまいます。

真昼に大手町の超高層ビル街を歩いていましたら、突然、ビル街の半分が夜の様に暗くなりました。
陽の当たる明るい道路やビルを見ていて、急に陽の当たらない反対側のビルに目を転ずると巨大な黒い塊に見えました。
しかし直ぐに、その黒い塊に窓があり、ビルであることが分かりました。

人間の目は瞳孔が明暗を調整する仕組みになっていますが、カメラの目は最初に機械的に露光を捉えたままです。
ですから写真の映像では、真昼なのに夜の暗闇が同時に存在するように見えます。
この写真を見た人は、都会のオフィス街に、昼と夜が同居していて、異変が起きたかと思います。

シュルレアリスム絵画の巨匠、ルネ・マグリットの繪に「光の帝国」があります。
繪の下半分が夜の路で、上半分が昼の青空という矛盾した構図の繪です。
ルネ・マグリットは、昼と夜を一枚の絵に同居させると、魅惑が産まれると言います。
自然に潜む神秘を考察して、その思想を目に見える形で表現すると魅惑が産まれると言うのです。

このような難しいシュルレアリスム理論を知らなくても、写真機は「光の帝国」を無意識のうちに簡単に描いてしまいました。
(以上)
【2016/06/24 21:49】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
江戸城 櫓の美
1.巽櫓:桔梗濠-01D 1001q
写真1 桔梗濠の畔の櫻田巽櫓 左端に見えるのは内桜田門(桔梗門)
2.巽櫓:桔梗濠-05D 1211qt
写真2 櫻田巽櫓の正面
3.富士見櫓-04D 1507qr
写真3 富士見櫓 天守台跡の石塁より高い石塁の上に建つ。
4.富士見櫓-09D 1507qt
写真4 富士見櫓 石塁の角に立って四方八方をにらむ。
5.二重橋-09P 96t
写真5 皇居前広場から見た伏見櫓 手前の橋は正門鉄橋の二重橋
6.伏見櫓-01D 1507qt
写真6 正門鉄橋の上から見た伏見櫓 二重橋濠は深く、伏見櫓は高い。

江戸城は徳川幕府300年の居城でしたから、広大な敷地の中に膨大な建造物が建てられました。江戸城明け渡しの時には、木造建築物は殆ど焼失してしまいましたが、石造りの構築物の大半が残りました。

最大の天守閣は、造成後間もなく明暦の大火で消失し、その後再建されませんでしたが、高層の建造物として今も残っているものには、櫻田巽櫓、富士見櫓、伏見櫓の三つの櫓があります。その他には江戸城を囲む長大な濠と、内濠、外濠に設けられた数多くの城門があります。

その江戸城跡の半分以上は、現在、皇居東御苑、北の丸公園、皇居外苑として一般に公開されていて、誰でも外濠、内濠や城門などを眺めることが出来ます。

江戸城は軍事的に建造されたものですから、城壁、城門などを建造するとき、美的な配慮は必要なかった筈ですが、残された遺跡には随所に美しさを表現する工夫が施されています。

この写真随想では、これから江戸城の遺跡について、櫓の美、天守台の美、濠の美、城門の美、石垣の美、花と樹の美という順序で、何回かに分けて江戸城の美の観賞を行います。

(なお江戸城の歴史物語については、別のブログ「東京今昔物語」
http://plaza.rakuten.co.jp/wakow/diary/201504250000/
以下で書きましたので、ご興味ある方は、そちらも訪問して下さい。)

先ず、江戸城の三つの櫓の美を眺めましょう。
櫓(やぐら)とは、呼び名の通り、矢の蔵のことです。矢は鉄砲では弾(たま)のことですから、今様に言うなら櫓は弾薬庫に当たります。勿論、江戸時代には鉄砲も普及していましたから、鉄砲も弾薬も、この櫓に貯蔵されていたのでしょう。

江戸城の櫓(弾薬庫)は、どれも誠に優美です。残された三つの櫓は、小粒ながら城の要所要所の護りの拠点でしたから、寄せ手の敵を監視し、反撃する矢狭間(やざま)や石落しの造作を備えていました。

櫻田巽櫓(たつみやぐら)は三の丸の東南の隅に建っているので、辰巳=巽と名付けられ、昔は辰見櫓と書かれていました。造りは二重櫓でして、場所は桔梗濠に面しており、東京駅から行幸通りを抜けると直ぐに目に付きます。
(写真1,2)

富士見櫓は、本丸の南端の隅にあり蛤濠に面しています。本丸の北端には天守閣がありましたから、富士見櫓は本丸の南を見張る櫓でした。

富士見櫓は、高い石塁の上に聳えているところから「八方正面の櫓」と言われ、天守閣が焼失した後は、天守閣の代わりの役目を果たしました。富士見櫓は、その防衛上の機能から重要でしたが、同時に、その三重櫓の姿の美しさで江戸城のシンボル的な存在でした。
(写真3,4)

伏見櫓は西の丸の中にあり、西の丸は現在は皇居の敷地となっていますから一般人は近づくことが出来ませんが、伏見櫓が建っている場所が二重橋濠の濠端の高台の上ですので、皇居前広場の二重橋付近から、その全貌を眺めることが出来ます。

伏見櫓は二層からなる櫓ですが、その両袖に長屋造りの多聞櫓が左右に長く延びていて、櫻田巽櫓や富士見櫓よりも大きく見えて、その容姿は重厚です。伏見櫓は、その前にある二重橋と共に、今では皇居を代表する最も美しい建物となっています。

なお伏見櫓と言う名称には、第三代将軍家光の頃に京都の伏見城の櫓を江戸城に移築したからという、言い伝えがあります。それだけ伏見櫓は伝統的な由緒ある櫓なのでしょう。
(写真5,6)
(以上)
【2016/01/20 21:13】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
街の抽象画か、単なる落書きか
1.壁の落書き:幾何学-23D 1512q
写真1 曲線と円で幾何学形態の非対象性絵画はロシア構成主義を思わせる。
2.壁の落書き:幾何学-25D 1512q
写真2 直線だけの組み合わせはオランダのモンドリアンの十八番
3.壁の落書き:幾何学-35D 1512q
写真3 繪の上部に草の影が入ったのはご愛敬
4.壁の落書き:幾何学-11D 1512qc
写真4 コンクリート壁の割れ目も抽象画の一部
5.壁の落書き:幾何学-21D 1512q
写真5 遠近感を出してダイナミックな抽象画になる。
6.壁の落書き:幾何学-40D 1512q
写真6 壁画の前は細い小道なので、全貌を見るにはこのようになる。

街なかの落書きは人々の嫌われものです。何故なら落書きという小さな犯罪を放置しておくと、多少の悪事は咎められないとの空気を生み、犯罪の増加に繋がるという「割れ窓理論」があるからです。

「割れ窓理論」の応用例として、嘗てニューヨークのジュリアーニ市長が、地下鉄の落書きを徹底的に消した結果、数年後には市内の兇悪犯罪が激減したという事実は有名な話です。

しかし、この「割れ窓理論」の前提は、落書きが割れた窓のように不完全なもの、無秩序なものという場合です。落書きではありますが、人々の美的感情を喚起するするものであれば、パブリック・アートと同じ効果があり、害毒どころか逆に社会を明るくします。

ここに掲げた写真は、都内を走るバスの中から見つけた落書きです。走るバスの車窓から見る度に気になっていましたので、一度、バスを途中下車してじゅっくり眺め、写真を撮りました。

コンクリートの壁に、どぎつい色彩のペンキで描かれた、曲線と直線を組み合わせた、一見モダンな抽象画です。落書きですから、どなたが描いたのか分かりませんが、描くのに結構時間が掛かったでしょうから、描いた人は誰か、見たひとはいるでしょうが、立派な落書きなので止めはしなかったでしょう。

この落書きを撮影している男を不思議に思ったのでしょう。撮影中に若い女性が横を通り過ぎたと思いましたら引き返してきて、「何を撮っているのですか?」と聞かれました。

「ご覧と通り、これは綺麗で力強い抽象画ですよ。」と答えると、それには異を唱えませんでしたが、不思議そうに「何に使うのですか?」と問われました。

その答えがこのブログです。ご覧になってみて、やはり抽象画ではなくて、落書きでしょうか?
(以上)
【2015/12/11 12:48】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
水藻のアート
     4.不忍池:水藻-06D 1408qt
               1.不忍池:水藻-02D 1408qt
                         3.不忍池:水藻-05D 1408qt
                                   5.不忍池:水藻-08D 1408qt

カップに注いだコーヒーの表面に絵や紋様を描くことをラテ・アートと言いますが、自然界でも、池や川の表面に流れた浮遊物が絵や紋様を描くことがあります。

写真は、大きな蓮池の水面に水藻が描いた紋様です。

蓮池は大きな蓮の葉っぱで覆われていて、直接大気の流れが水面に当たりません。葉っぱの隙間を抜ける僅かな風が、水藻を動かして微妙な模様を描いていきます。

ラテ・アートのように、ミルクを注ぐ水圧で表面の水藻を動かした訳でもなく、蓮の茎で表面の水藻をひっかいた訳でもありません。

池には流れがありませんから、蓮の葉っぱの隙間から入り込む少しの空気だけが、巧まざる水藻のアートを描くのです。

蓮池の僅かな風は、ラテ・アートの元祖かも知れません。
(以上)
【2014/09/08 10:35】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
早川克己展「盆栽都市と蜃気楼」を観賞して
                    1.蜃気楼-05D 1405q
                    写真1 蜃気楼
                    2.盆栽都市-04D 1405qr
                    写真2 盆栽都市
                    3.透過・反射・反復-05D 1405qt
                    写真3 透過・反射・反復

早川克己作品展については、このブログで一昨年「現代美術の工芸的展開」2012.08.07というテーマでご紹介致しました。その際、「蜃気楼」という作品が、近代都市の高層ビル群のように頼りなく中空に漂うよう様相を連想させる不思議な表現であると申しました。

今回、GALLERY MoMo 両国で開催(平成26.4.6~5.6)された早川克己作品展では、前回の作品展「PHASE Ⅲ -構造と形態- 」を更に発展させて、より具象化させた、多面性のある作品が追加されています。

現代では、世界のどこの国でも首都への一局集中が極端に進んでいて、その集中度を高めるため超高層ビルが林立する都市風景が続出しています。近世に欧州諸国が都市を建設した時代には、都市建築の立体化にバランスが保たれていましたが、現代の諸都市では、先進国も途上国も、経済性が優先されて、都市としての全体のバランスが無視されています。(写真1)

前回の「蜃気楼」という作品には、内実が乏しく徒に増殖していく現代都市は、大地に足の付かない頼りないものだと言う批判が含まれていましたが、今回新たに追加された「盆栽都市」では、都市について具体的なイメージが湧くヒントが各所にばらまかれています。(写真2)

更に、壁に展示されている「透過・反射・反復」という作品は、立体と平面とを交差させて万華鏡のような映像効果を現す作品です。これが「盆栽都市」の中に生かされて、素通しだった巨大な蜃気楼都市が、縮小されて盆栽のように変化します。(写真3)

盆栽は、盆景として中国から渡来し、平安時代の日本で盛んとなり、江戸時代に発展を遂げた樹木の造形工芸の一種です。世界各国では、盆栽は日本発の趣味藝術として知れ渡っており、「ボンサイ」という言葉が世界共通語になっています。

その盆栽を、現代都市の構造の変化に喩えた発想は新鮮であり、そのネーミングは巧みです。国際的に活躍されている早川克己氏ならではの現代工芸展でした。
(以上)
【2014/05/09 15:14】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ハチャトゥリアン生誕百十周年記念コンサートを聴いて
                   王子ホール演奏会場-02D 1310qr
                   王子ホール演奏会場
                   三愛-08D 1310q
                   大型台風襲来直前の銀座四丁目交差点

ハチャトゥリアンと言っても西洋音楽に興味ある人以外は知らないでしょう。ハチャトゥリアンがアルメニア人だと言っても日本人でアルメニアと言う国を知る人は少ないでしょう。

久しぶりに大型台風26号が首都東京を直撃した前日、ハチャトゥリアン生誕百十周年記念コンサートが銀座の王子ホールで開催されました。

アラム・ハチャトゥリアンは、旧ソ連邦時代に活躍した作曲家で、同時代にソ連の音楽界で有名をはせたショスタコーヴィッチ、プロコイエフと共に三大作曲家のひとりです。

しかし日本ではハチャトゥリアンの音楽は滅多に上演されません。バレー音楽「ガイーヌ」の中でクルド人が剣を持って戦う場面の「剣の舞」と言う舞踏曲が知られている位です。「剣の舞」の激しくも野性的なリズムは、ハチャトゥリアン音楽の真髄を良く顕しており、祖国アルメニアの民族音楽の一面を示すものです。

アルメニアの歴史は古く、国は紀元前に興り、西暦2世紀には世界で初めてのキリスト教国になりますが、ローマ帝国とペルシア帝国との間に挟まれ苦難の連続でした。その後もモンゴル、チムールからの侵略を受けて10世紀には多くのアルメニア人が故国を捨てて、世界各地に分散することになります。

従って、現在でもアルメニア人の7割はアルメニア共和国の外に住んでいますが、本国がオスマントルコ、ムガール帝国の支配下にあった時代でも民族の結束は揺るがず、商才に秀でた民族だったので早くからグローバルな活動をしていました。

ハチャトゥリアンの音楽は、アルメニア民族の伝統色が濃厚な曲風と、他方では国際的で開放的な曲風を兼ね備えたもので、聴く人々の心をとらえます。ハチャトゥリアンのどの音楽にも、傑作「剣の舞」が発したと同じような強烈な印象を聴衆に与える力があります。

ハチャトゥリアン生誕百十周年記念コンサートでは、チェロとピアノの小曲及びバレー音楽「スパルタクス」をテーマとしたピアノ曲が演奏されました。いずれの演奏も、おそらくコーカサス地方の多様な民族音楽を取り入れた超近代的な響きがあり、同じロシアの作曲家、ショスタコーヴィッチやプロコイエフの音楽が西洋的であるのとは対照的でした。

中でも、当日「スパルタクス」のピアノ・ソロを演奏したピアニスト Armen Babakhanian の演奏は、緩急強弱を駆使した名演奏で聴衆を魅了し、拍手が鳴り止みませんでした。

ハチャトゥリアンの名曲、名演奏に酔いしれた聴衆が王子ホールを退場すると、大型台風の雨風が銀座四丁目交差点を吹き荒れており、嵐のようなハチャトゥリアンの音楽の世界を映像で描いたようにに鮮やかに見えました。
(以上)
【2013/10/18 22:11】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ビルマの竪琴
                    ビルマの竪琴-03D 0908q

今はミャンマーと云う国名ですが、嘗て英国の植民地であった頃はビルマと呼ばれた国が東南アジアにあることは大抵の日本人は知っています。古い名前のビルマの方が日本人に馴染みが深いのは、竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」が二度も映画化されたことが大きいでしょう。

日本は第二次世界大戦でビルマまで進撃し、多大の損害を被って敗退しましたが、小説「ビルマの竪琴」の舞台は敗退後のビルマです。一人の日本軍兵士が、戦死した戦友たちの霊を慰めるため僧侶になってビルマの地に残る物語です。

出版当時、自国の兵士への追悼に力点が置かれていて戦争への反省がない小説だと、見当違いの批判が加えられましたが、竹山道雄はファンタジー童話として書いたので、完全なフィクションなのです。

映画では、帰国を促す部隊員と残留する一兵士との対話が音楽を通じてなされる場面が評判になり、そこで使われた楽器がビルマの竪琴でした。

竹山道雄は、音楽が心を通わせる会話の手段となり得ること、それが同一民族内に止まらず、民族を越えて通じ合えることを描こうとしたと言われます。

この作品の映画化で有名になったビルマの竪琴は、写真にあるように舟型の共鳴胴の先端に一本の弓棹が伸びていて、その弓棹から共鳴胴に16本の弦が張ってあります。弦をはじいて音を奏でるものです。

弦をはじいて音を奏でる楽器は、世界でも最も古い楽器の一つで、最初に出現したのは西アジア(中東)だと云われています。そこから西に伝わって西洋音楽のハープとなり、東に伝わって日本では琴となり、ビルマではこの竪琴になったのです。

管楽器がおしなべて音量が大きく音程も広いのに対して、弦をはじく楽器は静かでもの悲しいものです。ビルマの竪琴も、もの悲しい音を発し、姿形も優雅な楽器です。
(以上)
【2013/09/12 10:22】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
葉っぱの群れに美を観る
                                   1.いろいろの葉-01D 1206q
                                   写真1
                             2.いろいろの葉-03D 1206q
                             写真2
                   3.ハゲイトウ-01D 1011q
                   写真3
         4.ハゲイトウ-02D 1011q
         写真4
5.ハラン-02D 1206qt
写真5

草花というと花が主役で葉っぱは脇役です。脇役は主役の陰で目立たないものです。ですから余り話題になりません。

しかし、花が咲いていない時期に葉っぱを眺めると、葉っぱは誠に味わいのある姿なのが分かります。一枚一枚の葉っぱの形も面白いですが、群れをなした葉っぱの塊の姿は、複雑にして巧みな造形の成果です。

その造形の美を鑑賞するには、斜めや横からではなく、正面から或いは真上から見ることです。隙間無く重なり合う葉の相互関係は太陽の光を求めて競った結果ですが、その至る所に人間業ではない見事な美を見出します。形だけでなく色のグラデーションの組み合わせも味わいがあります。(写真1、2)

鋭角な形状と鮮やかな色彩で迫ってくる葉っぱの群れからは、観る者にある種の律動が伝わって来ます。黒ずんだ赤色の群れから黄色い花と緑の葉が覗くと、その律動は乱れて変動が始まり、見事な動的造形美を創り出しています。
(写真3,4)

そうかと思うと、一枚一枚の葉っぱは色も形も同じであって変化に乏しい葉っぱの塊ですが、全ての葉っぱが四方に向かって走っています。その姿は中心から溢れ出るエネルギーの律動を現しているようです。(写真5)

ありふれた草花の葉っぱを観ていて美とは何かと考えてみました。

美を哲学的に定義したカントは、美しいとは快感の一種であると云い、その快感は実用性とか利益などの打算から導かれる快感ではなく、純粋な観照から得られる快感だと云います。また、実用の目的から解放された、目的なき快感を人間に与えるのは自然であるともカントは云います。

芸術品は人工的なものですが、自然は存在そのものが美術品なのです。逆説的に云えば、人間が創り出す芸術は、自然に近づき、自然の性質を持つと、益々美しく見えるのです。
(以上)
【2012/08/14 20:57】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
街角の張紙芸術 コラージュと言えるか
                       1.貼り紙-05D 1104qc
                       写真1
                       2.貼り紙-07D 1104qc
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                       3.貼り紙-10D 1104qc
                       写真3
                      4.オペラシティビルからの眺望-05D 1201qr
                      写真4
新聞や布きれ、その他の印刷物、壁紙の一部、プリンント写真などを「切り貼り」することによって作られる近代的アートを「コラージュ」と言います。コラージュとはフランス語で「糊づけ」の意味です。

コラージュという芸術は、表現方法ではなく制作手法のことですから、貼り付ける物は立体的な物まで含まれます。従って、コラージュは絵画と彫刻の境界を消滅させたと言われます。

山下清は「ちぎり紙細工」から「貼り絵」画家になりましたが、山下清の貼り絵は制作手法としてはコラージュですが、世間ではコラージュとは言いません。と言うことは、コラージュは「貼り絵」ではないので具象を描くのは難しく、表現する内容は抽象的内容になるからからです。

コラージュで表現する中身は千差万別で何でも有りに見えますが、貼り付けられたものの部分と部分の構成に意味を持たせて、全体としての構図に感動や興味を感じさせるのがコラージュ作品なので、何でも有りとは参りません。

そう言えば抽象画に「コンポジション」という名前をつけた絵がありますが、これらは具象の形態のエッセンスだけ取り出して見せると言う手法で、より強い感動を与えました。コラージュの表現方法をいち早く実践したのはキュビスム時代のパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックであったと言うのは頷けます。

正直言って、抽象画が分かり難いように、コラージュも鑑賞の仕方が難しいです。コラージュ作品を見て風景画や美人画のように一瞥して引き入れられることはありません。美術館でコラージュを見て一体全体何を表現しようとしているのか首をかしげながら眺めることが多いです。

コラージュに対する私の理解はその程度ですから、ふと街角で目にした落書きのコラージュは、子供還りするカオスの好きな大人達の遊び心と見て写真に撮りました。(写真1、2、3)

そしてふと思ったのです。新宿のオペラシティ・ビルの高層階から俯瞰した東京の街は見事なコラージュ作品ではないかと。(写真4)
(以上)
【2012/02/24 21:22】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
都市空間の造形 横浜みなと未来のケース
                   MM21-29D 1201q

都市空間を体系的に整備する試みとしては、かつて19世紀にオスマンにより断行されたパリ大改造計画が有名です。

このパリ大改造は、複雑で非衛生的となった街を、近代的で快適な都市に造り替えることが目的でしたが、そのために造った放射線状に伸びる幅広い街路と、それに面して立ち並ぶ建物の高さを統一したことで、そのパリの都市空間に画期的な美しさを与えました。

しかし、パリのように人工的に改造した都市に限らず、西洋の主要都市は、自然発生的に誕生した都市でも市庁舎や教会を中心にして都市が建設され、その建物の形態と色彩は統一されていて、美しい都市空間を形成しているケースが多いです。

そのような伝統的な西欧の都市の内部にも、最近は逐次高層ビルが建つようになり、都市の立体的空間の程よいバランス、即ち秩序感が失われつつあります。これは業務機能が増大する都市に顕著に現れます。よく言えばダイナミックに、悪く言えば無秩序に都市は発展しているのです。

特に日本の大都市、東京や大阪では、経済性や利便性が優先されて、狭い土地を目いっぱい利用するので、林立する都市ビルが構成する都市空間は無秩序そのものになります。もともと日本には都市空間を美的に整備するという意識が少ないのですから、これも仕方がないことです。

ところが例外があります。横浜みなと未来地区の都市開発は、都市の立体的空間を造形しようとする、濃厚な意識のもとに実現した、日本では珍しいケースです。

横浜みなと未来地区は、開発前は三菱重工横浜造船所と国鉄高島線の操車場などのあったところで、広大な用地が一括開発できるという幸運にも恵まれましたが、それだけでなく「21世紀にふさわしい未来型都市」という基本構想のもと、電力・通信の地下埋設、上下水道の共同化、建物の色彩の調和などを図り、新しい統一した都市空間を実現しようと努力したからです。

それは建設されたビル群の形態と構成に顕著に現れています。海上から横浜みなと未来地区の都市景観を一望すると、高層ビル群が形成するスカイラインが統一したコンセプトで形成されていることに気づきます。

横浜ランドマークタワーを帆船の帆柱に見立てれば、インタコンチネンタル・ホテルは船の帆になり、両者の間にある三つの高層ビルは波頭を表しています。(写真)

横浜は港町であり、何よりも海の息吹で生まれ育った都市です。個々の建築物でその都市を表現するケースは海外にも良くありますが、街全体のスカイラインを海のイメージで統一して描いた都市造りは、世界のどこにもありません。

パリの大改造は、光と風を市の中心部に導入することで、世界の「花の都パリ」を誕生させたと言われます。横浜の大改造は、海の潮風を街中に呼び込んで、世界の「港町ヨコハマ」にリニューアルしたと思います。
(以上) 
【2012/01/23 16:21】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モンドリアンの抽象画と菜の花畑
                   3.ドイツ上空:往路-08D 1105qr
                   写真1 菜の花を栽培するドイツの農村
                   4.ドイツ上空:往路-07D 1105qtc
                   写真2 菜の花を栽培するドイツの農村              
                      1.モンセラー-03Pt
                       写真3 モンセラーの岩山
                      2.サクラダファミリア-01D 0610qc
                       写真4 サグラダ・ファミリア
ピエト・モンドリアンは、ワシリー・カンディンスキーと共に草創期の抽象画家として有名ですが、二人は他の画家達とは違う極めてユニークな作品を描きました。二人の画家には「コンポジション」という同じ名前を付けた作品もありますが、同じ抽象画家でも二人の作品はまた余りにも異なっています。

カンディンスキーはロシアに生まれ、ドイツで絵画を学び、外界の印象ではなく、画家の内面感情を表現する表現主義を唱え、絵画に音楽的な表現を試みた画家です。他方、モンドリアンはオランダに生まれ、フランスでキュビズムを学び、キュビズムの先にある純粋造形を目指した画家です。

両者は同じく抽象画家と言われていますが、その作風は余りに対蹠的なので、人はカンディンスキーを熱い抽象画家、モンドリアンを冷たい抽象画家と言いました。カンデインスキーの抽象画は、曲線を多用してダイナミックな構図に豊かな色彩のグラデーションを駆使して「動的」ですが、モンドリアンの抽象画は、直線を多用し色彩も三原色に限定し、平面的に描くので「静的」です。

初夏の頃、ヨーロパ内陸部の上空を飛行機で飛ぶと、眼下に菜の花畑が散在しているのを見ることが出来ます。それは大地に黄色い四角形や長方形の布がパッチワークのように張り付けたかのような風景です。これを見たとき、モンドリアンの絵画「灰色の輪郭をもつ色面のコンポジション」「グレイとライト・ブラウンのコンポジション」を思い出しました。(写真1、2)

若い頃モンドリアンは具象画を描いていましたし、カンディンスキーもデッサンは具象のスケッチから始めていたと言われています。ですから、抽象画家と雖も、現実の具体的な風景や事物から抽象へのインスピレーションを得ていると思います。

また、人工的な造形を目指す建築の世界でも、構想の段階で具象から基本形を抽象すると言います。サグラダ・ファミリア教会を設計したアントニ・ガウディは、その原型をバルセロナ郊外のモンセラーにある岩山に見たと言われます。円錐形の塔を何本も纏めた教会の構造は、石柱を重ね合わせたようなモンセラーの自然の岩山に似ています。(写真3、4)

ヨーロッパで菜の花の栽培が盛んになったのは、オイルショクのあと菜種油を増産するためですから、モンドリアンはこのような菜の花畑の風景は見ていないでしょう。しかし彼の生国オランダは国土の大半を干拓で造成した国ですから、果てしなく続く水平の大地は、モンドリアンの幼い時から見慣れた風景でした。その原風景を基にモンドリアンが、あの独特の抽象画を産み出したと考えても間違いではないでしょう。
(以上)
【2011/10/22 10:48】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
色は威嚇し誘惑する
                     自由が丘看板-08D 1101qt
                        自由が丘看板-06D 1101qtc
                     自由が丘看板-12D 1101q

色彩感覚は民族により異なります。熱帯地方の人々は原色を好み、太陽光の少ない北欧の人々は淡いモノトーンを好み、四季がほぼ均等の長さで穏やかに気温が変化する日本の人々は、中間色を好みます。

人々が住む自然の環境と人々の色彩感覚との間には、一定の法則があるようですが、それはあくまでも生得的な色彩感覚であり、民族でも個人でも学習することで第一次的な色彩感覚を変えることもあります。

フランス革命を題材にした絵画「民衆を導く自由の女神」で有名なウジェーヌ・ドラクロワは、若い頃北アフリカを旅して、そこで見た強烈な原色の風景に打たれ、その後描いた絵画で印象派の画家達に大きな影響を与えました。

若くしてパリに学んだ画家岡本太郎は、帰国後、縄文時代の土器の芸術性に触発されて、それまでの日本芸術にはない強烈な色彩を駆使した絵画を描きました。中間色を好む日本人の意識の基層に潜むもう一つの色彩感覚を掘り起こしたのでしょう。

写真は、街中で見かけた二階建ての家の外観です。原色を塗り分けた誠に無骨な外観ですが、この家が道行く人々の注目を引くことは間違いありません。

昆虫や両棲類は、時々派手な原色で他の動物を威嚇します。それは弱さを隠すものですが、その原色で逆に利用すべき他の動物を誘惑する場合もあります。

この建物は威嚇しているのでしょうか、誘惑しているのでしょうか、見る人々にお任せいたします。
(以上)
【2011/02/06 15:28】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
 「行動展」に招かれて
1.柿色の季節(堀 研)qt
写真1 柿色の季節(堀 研)
                              2.Cat's Eye(伊藤信義)qr
                              写真2 Cat's Eye(伊藤信義)
3.幹(坂根巧)qt
写真3 幹(坂根 巧)
                              4.形状10-8(藤墳博一)qt
                              写真4 形状10-8(藤墳博一)
5.おれは生きている(池田茂雄)qt
写真5 おれは生きている(池田茂雄)
                              6.国立新美術館-02D 0802q
                              写真6 国立新美術館

秋は芸術の季節です。毎年秋になると上野の美術館に絵画や陶芸や工芸を鑑賞しに行っていた時代がありましたが、最近は途絶えていました。しかし、中学時代の友人から出展したので観に来ないかと誘われて、第65回「行動展」の鑑賞に行きました。「行動展」も初めてですが、展示場の国立新美術館に入るのも初めてでした。

「行動展」は行動美術協会が主宰しています。行動美術協会は敗戦の年(昭和20年)に創設された歴史のある団体で、「二科展」を主宰している二科会と同じく、、在野の画家達が参加して誕生しました。従って、「行動展」も「二科展」も、政府が主導している日本美術展覧会(日展)とは別に開催されています。

先ず、建物の国立新美術館ですが、これは黒川紀章の設計になるもので、ガラス張りの曲線を多用した明るくモダンな美術館です。ただ、海外のナショナル・ギャラリーは、美術館自らが多数の美術品を所蔵していて、研究員などの多様な専門スタッフが働いているのですが、この国立新美術館はそれらがなく、展示場の場所貸しをする美術館です。(写真6)

「行動展」の第一印象は、見慣れた写真展に比べて全ての絵画作品が余りにも大きいことです。これは「行動展」に限らず、「日展」や「二科展」も同じです。数多い出展作品を狭い展示場に展示するので、鑑賞する人にとって大きすぎるのは却って不便です。

出展者が大画面の絵画を描くのは、誤魔化しのない描写力を示すためか、ヴォリュームで迫力を出すためか、門外漢の私には分かりませんが、壁画を描くわけではないので、また、作品の多くは本来は個人が室内で鑑賞するためですから、出展作品の大きさに制限を加えたらよいと思いました。

大きな絵画を間近で鑑賞すると、具象画の場合は近すぎて観にくく感じましたが、抽象画は余り気になりませんでした。抽象画の鑑賞は画面の大きさに余り左右されないためかも知れません。

そんな訳で、抽象的な絵画を中心に鑑賞し、中でも気に入った作品を発見しましたので掲示致します。

写真1 柿色の季節(堀 研)
写真2 Cat's Eye(伊藤信義)
写真3 幹(坂根 巧) 
写真4 形状10-8(藤墳博一)
写真5 おれは生きている(池田茂雄)

柿色の季節(写真1)とCat's Eye(写真2)は題名が内容と一致しているので、それに沿ったイメージを広げることが出来ます。

幹(写真3)と形状10-8(写真4)は、赤の色彩と繰返す形状で、溢れ出る生命力を表現したように感じました。それと対称的なのは、おれは生きている(写真5)でして、原色を複雑な形状で包み込んだところは、人間の呻吟と苦悩を表現しているようです。
(以上)
【2010/09/18 16:36】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
パブリック・アート化する都市ビル その二
          1.日生劇場-01D 05q
          写真1 日生劇場ビル
                         2.中央郵便局01N 06r
                         写真2 東京中央郵便局ビル

前回の写真でご紹介したパブリック・アート化した三つのビルは、全て日本人建築家による設計です。三つのうち、De BeersビルとTOD'Sビルは施主は外国資本ですから、日本人建築家は国際的に高く評価されていると言うことです。

しかし、個々のビルが芸術的に優れていて、その周辺の街路の雰囲気を盛り上げる力があっても、その周囲の街の美的環境が劣悪では、掃き溜めに鶴ということにもなりかねません。優れた建築物は、隣接する建築物との相関関係で活きてくるのです。

例えば、日生劇場のビルは外観はかなり装飾的なビルです。建設当時は隣の帝国ホテルはフランク・ロイド・ライトの設計になる旧館だったそうで、日生劇場の設計者はその旧館を意識したと、ある建築家から聞きました。
(写真1)

また、東京駅前にある東京中央郵便局は、高層化するため解体しようとしたら、当時の鳩山邦夫総務大臣から重要文化財として保存せよとクレームをつけられました。確かにブルーノ・タウト設計になるモダニズム建築の傑作と言われた建築物ですが、この建物の丸みのある外観は、既に解体された二つの旧丸ビルの丸みのあった外観と対応していたのです。(写真2)

日生劇場ビルも東京中央郵便局ビルも単独で市街地空間を形成しているわけではなく、隣接ビルと相い呼応して市街地の美的空間を形づくっていたのです。都市ビルのパブリック・アート化を志向するなら、そこまで行かなければ本物とは云えないでしょう。

と言うのは、パブリック・アートは、個別のビルのデザインを問うのではなく、もともと街区の品格や風格を醸成するために工夫されて始まったものだからです。

しかし、これは本当に難しい問題です。そう言う目で改めてここ十数年間に急速に起ち上がっている東京の超高層ビル群を眺めると、失望することの方が多いのです。

東京駅周辺、品川駅東側、汐留操車場跡地に超高層ビル群が起ち上がるとき、本当は全体の都市空間の景観を予め検討する組織があったらよかったのです。或いは、地権者や開発当事者が、夫々に良識を以て総合的な景観をよくするため、相互に調整する自発的行動を取れば良かったのです。
(以上)
【2010/09/04 12:34】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
パブリック・アート化する都市ビル その一
De Beersビル-06D 0907q
銀座 De Beersビル
               MIKIMOTO Ginza2ビル-11D 0907q
               銀座 MIKIMOTO Ginza2ビル
                              表参道:TOD'Sビル-02D 0612q
                              表参道 TOD'Sビル


街路の歩道に彫刻などを並べたものにパブリック・アートと言うものがあります。パブリック・アートとは、道行く人に芸術を鑑賞して貰うというよりも、芸術作品で街の雰囲気を演出しようとするものと私は考えています。

この頃はパブリック・アートについて余り熱い議論を聞きませんが、初めの頃は賛否両論が起きて賑やかでした。今静かなのは、それを社会が受け入れたと言うことか、或いは議論を巻きおこす程の優れた作品がが展示されていないか、どちらかでしょう。

それ以外の理由としては、街路の両側に並ぶビルそのものがアート化したので、そのビルの前に殊更にアート作品を展示して雰囲気を醸成しなくても良くなったのかも知れません。下手に街路にアート作品を並べると、却ってアート化したビルの美が失われると言う意見です。

もともとパブリック・アートは街路の一定空間を装飾する物として展示されました。その場所は、ビルの出入口にある、ちょっとした空間とか、人々の歩く道端とか、人々が集う街角の空き地でした。

それらの空地は、よく言えば街のゆとりの空地であり、悪く言えば無駄な空地です。この頃建つ高層ビルや超高層ビルは、スペースを極力切りつめているので無駄がありません。と言うことは、パブリック・アートを展示するスペースを街中に残さなくなったと言うことでしょう。

本当はビルが高層化すれば反対に平地は広くする方が空間のバランスがとれて良いのですが、現代になるに従い、都市のスペースの効率化を求める要求が強すぎて、そうはなりません。

その代わりに、高層ビルそのものがパブリック・アート化しています。高層ビルの外観には、形や色に工夫をこらしたものが多く、街を歩くときは「上を向いて歩こう」と言う気持ちになります。

現今のパブリック・アートは、街の片隅を目線で見る彫刻ではなく、空を仰いで高いビルの美しさ眺めようということなのでしょう。
(以上)
【2010/08/29 12:17】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
リアリズムの限界と言うこと

20世紀初め、物理学者のハイゼンベルクは不確定性の原理という理論を唱えました。この原理を分かりやすく説明しますとと、極端に微細なものを測定するとき、測定する行為が測定される対象物に影響を与えて、正確な測定が出来ない、従って物事を確定できないということです。

量子力学の世界で発見されたこの原理は、自然科学の世界全般に深刻な影響を与えました。科学技術の研究はリアリズムそのものですが、分析を続けていけば何処までも新しい事実が分かってきて、際限なく進歩すると思っていたら、そうはいかないという事が分かったのです。

リアリズムに限界のあることを告げたこの思想は、哲学の世界では不可知論として知られていたものと同じです。神の存在を立証できないと言う不可知論と同じく、自然科学でも物質の本質を解明できなくなると言う警告は、人間の営みのあらゆる分野に影響を与えます。

将来を予見することに最も敏感な芸術は、この自然科学の世界で起きたリアリズムの限界の思想に鋭く反応します。印象派の画家達の間で起きた、従来からの写実リアリズムへの批判がその一つでした。

写真のように機械的にあるがままに描写するリアリズムとは違って、印象派の画家たちは、彼らの目に映ったものを映ったままに描くリアリズムを主張し始めたのです。常識的には緑に見える草が、画家の目に青く見えたら、目に映ったままに青い草を描くべきだと言うのが、印象派のリアリズム批判の始まりでした。

それ以後、絵画は心理の描写から精神の描写へ、精神の描写から抽象の描写へと、恰も先祖帰りするかのような変遷を遂げています。
(以上)
【2010/08/18 15:20】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美を創る方法に限界がある
科学は真理を探究することが課題です。自然科学は論理と修辞と実験を用いて真理へ迫ります。実験することが難しい社会科学でも論理と修辞を用いて真理に迫ります。

芸術は感動を探求することが課題です。芸術においても、論理と修辞と実験を重ねて作品を創作していると人は言います。

西洋音楽では数学的な手法を用いますし、西洋絵画は遠近法や黄金分割など理論的な手法を用います。セザンヌに至っては絵画を幾何学的に分析し造形理論を編み出しました。西洋芸術は論理と修辞と実験を用いること、自然科学のようです。

嘗て、東洋史の泰斗、内藤湖南氏はエッセイ集「涙珠睡珠」の中で次のように述べていました。
「詩人は眞理を発明し、理學者は真理を論證す。想像の力は無限なり、推理の力は涯あり。」

詩人を芸術家に、理学者を科学者に置き換えてみると、芸術家の創造力は無限であり、科学者の分析・推理力には限界があると言うことです。

内藤湖南氏に言わせれば、西洋芸術が自然科学のような手法で進んでいくと、いずれ限界に突き当たると言うことです。

そう言えば、19世紀と20世紀の西洋芸術を比べると、音楽でも絵画でもわくわくさせる作品が次第に少なくなっていることに気付きます。
(以上)
【2010/08/08 09:19】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
隠れた美
          1.高速道路造形-02D 0703q
          写真1
                         2.隅田川:橋下-10P 03r
                         写真2
先に、「巧まざる秩序」(10.07.07)で説明したように、建築家の芦原義信氏は、「隠れた秩序」と言う著書で、無秩序に発展したと見られる都会にも「隠れた秩序」があると主張しました。

しかし、「隠れた秩序」を感知し、他人にそれを説明し、これがそれだと納得して貰うのは難しいことです。何故なら、「隠れた秩序」は一見しただけでは、なかなか分からない場合が多いからです。

同じく、「隠れた美」も、見ていて美だと分からないものの一つです。美は理屈抜きに一瞬にして人に伝わると言いますが、「隠れた美」は見ていても見えないのですから、一瞬にして伝わるという訳にはいきません。それが美だと分かるには時間がかかるので、とても一瞬とは云えません。

「隠れた美」は、漫然と眺めていては見つかりませんが、さりとて、鵜の目鷹の目で探しても見つかるとは限りません。

撮影していたある日、「隠れた美」は突然、予期せぬ場所に現れました。渋谷の首都高速道路の裏側と、隅田川の蔵前橋の裏側でした。(写真1、2)

正直に言うと両者とも見た瞬間は、奇妙な形の物体と言う印象でした。渋谷で見たものは、コンクリート製の巨大な鯨のようでした。蔵前橋で見たものは、黄色い鋼材製の肋骨を内側から覗いた思いでした。

それらが構造美であると理解するには、少しばかりの時間が必要でした。「隠れた美」は、先ず既存の類似品を連想させます。その類似品は、醜いと考えられていたものでした。素材としてのコンクリートと鉄は、もともと美を連想させるものではありませんから。

機械文明の評論家であるルイス・マンフォードは、「キュビズムは、醜いものと機械との連想を克服した最初の流派であろう。」と言いましたが、確かにキュビズムは醜いものを美しいものに変えることに成功しました。

打ち放したコンクリートの単純な輪郭と、組み合わされた鉄骨の力強い構造には、自然の植物や風景が持つ美しさとは異質の美があります。

発見されることを待ちながら隠れている美は、まだまだ私達の周辺に沢山あると思います。
(以上)
【2010/07/13 10:01】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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