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隠れた美
          1.高速道路造形-02D 0703q
          写真1
                         2.隅田川:橋下-10P 03r
                         写真2
先に、「巧まざる秩序」(10.07.07)で説明したように、建築家の芦原義信氏は、「隠れた秩序」と言う著書で、無秩序に発展したと見られる都会にも「隠れた秩序」があると主張しました。

しかし、「隠れた秩序」を感知し、他人にそれを説明し、これがそれだと納得して貰うのは難しいことです。何故なら、「隠れた秩序」は一見しただけでは、なかなか分からない場合が多いからです。

同じく、「隠れた美」も、見ていて美だと分からないものの一つです。美は理屈抜きに一瞬にして人に伝わると言いますが、「隠れた美」は見ていても見えないのですから、一瞬にして伝わるという訳にはいきません。それが美だと分かるには時間がかかるので、とても一瞬とは云えません。

「隠れた美」は、漫然と眺めていては見つかりませんが、さりとて、鵜の目鷹の目で探しても見つかるとは限りません。

撮影していたある日、「隠れた美」は突然、予期せぬ場所に現れました。渋谷の首都高速道路の裏側と、隅田川の蔵前橋の裏側でした。(写真1、2)

正直に言うと両者とも見た瞬間は、奇妙な形の物体と言う印象でした。渋谷で見たものは、コンクリート製の巨大な鯨のようでした。蔵前橋で見たものは、黄色い鋼材製の肋骨を内側から覗いた思いでした。

それらが構造美であると理解するには、少しばかりの時間が必要でした。「隠れた美」は、先ず既存の類似品を連想させます。その類似品は、醜いと考えられていたものでした。素材としてのコンクリートと鉄は、もともと美を連想させるものではありませんから。

機械文明の評論家であるルイス・マンフォードは、「キュビズムは、醜いものと機械との連想を克服した最初の流派であろう。」と言いましたが、確かにキュビズムは醜いものを美しいものに変えることに成功しました。

打ち放したコンクリートの単純な輪郭と、組み合わされた鉄骨の力強い構造には、自然の植物や風景が持つ美しさとは異質の美があります。

発見されることを待ちながら隠れている美は、まだまだ私達の周辺に沢山あると思います。
(以上)
【2010/07/13 10:01】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本人の美感は何処から来たのか
古来、人類は美を表現してきました。洞窟画から始まって数々の壁画があり、彫刻、塑像で人間や動物を造形し、民謡、弦楽器、管楽器で音楽表現をしてきました。そして、現代に至まで人類は、その美的表現の営みを続けています。

絵画、造形、音楽の表現には、人種、民族、国民により特色があることは誰でも知っています。そして表現に違いがあり、個性的でありことによって、人類の美の世界は豊かになっています。しかし、そのような個性的な特色が何故生まれてくるかについては、分からないことが多いです。

日本人の美的表現は、世界のそれに比べて穏やかであり、中庸を得ており、細やかであり、精緻です。これは民族の素質にもよりますが、それよりも、海に囲まれた日本列島の穏やかな自然が、そこに住む日本人の素質を育ててきたからだと思います。特に緩やかな四季の変化は、日本人に細やかな美の変化を教えたのでしょう。

ギリシャの哲学者は人間が求める究極のものは真善美であると言いましたが、日本人は美が真や善より重要であると考えてきました。戦前の日本史学者である津田左右吉は、その著書「文学に現われたる我が国民思想の研究」で、古来、日本人は美に最高の価値を与えていたと述べています。これも日本の自然が日本人に教えてくれた価値観だと思います。

日本人の美観は、芸術的な分野だけでなく、社会の秩序や武士の作法にまで及びます。社会の中で「和を尊ぶ」のは、日本人の美観から生まれたものであり、武士道の核心にある「名を惜しむ心」は、日本人の美観の現れなのです。

西欧社会では意見が異なると討論によって合意を求めますが、日本では事前の根回しで合意に達する方を良しとします。論理で勝負するよりも、談合で納得し、調和することを好みます。

政治の世界で行われる談合を良くないと言いますが、それは談合の内容が汚れているからで、談合という合意方式そのものは良いのです。武士は武力で決着を付ける職業ですが、それでも相互に名誉を重んじ、敵にも惻隠の情を示します。敵とあらば完膚無きまで叩きのめす中国の歴史を見ると、つくづく日本は恵まれた国だと思います。

これからも、先祖伝来培ってきたこの美観を、あらゆる分野で維持発展させていくのが、現代の私達の責務だと思います。
(以上)
【2010/04/29 21:09】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
落書きとパブリックアートの境界
     1.壁の落書き-07D 06.05q
     写真1
     2.壁の落書き-03D 06.05q
     写真2
                  3.壁の落書き-16D 0812qt
                  写真3
                                   4.壁の落書き-21D 0904qc
                                   写真4
                                   5.壁の落書き-25D 1001qt
                                   写真5
パブリックアートについては、嘗てこのブログで三回に亘り論じたことがあります。何を以てパブリックアートと云うのか、公共の場にパブリックアートなるものを展示することの可否について論じました。

その趣旨は次のようなことでした(2008年9月15日)。
「日本の都市空間を眺めてみると、全体としてのバランス、色彩と形態の調和ということに関して、殆ど無頓着であり、夫々の地権者が経済性を優先した土地利用を主張し、周囲との調和に配慮せずに建築している。そのような街路に彫刻や芸術品を飾ってみても殆ど美的感動を呼ぶ余地はない」と。

今回のテーマは、公共の場に描かれた「落書き」がパブリックアートたり得るかです。ということはその「落書き」が先ずアートとして認められなければなりません。そして後でパブリックアートとして、その公共の場に相応しいか、と言うことになります。

街路を歩いていて偶々目についた、気になる落書きを5点掲げました。これらの落書きを見ると、ただ出鱈目に描いたのではなく、何らかの造形を試みていることは分かります。

絵画は理性にではなく、情感に訴えるものです。ですから通りすがりの人々が、これらの落書きを見て、最低でも何らかの感情を刺激されなければ、アートとは云えません。

最初の写真1は厚塗りの抽象画のようであり、次の写真2は細石と張紙のコラージュのようです。立派な絵画展に飾られていたら、鑑賞者は真面目な顔で暫く眺めていても可笑しくありません。

写真3は、ショーウインドウの窓に描かれたスプレーによるいたずら描きです。楕円形を重ね合わせた単純な図形で出来ていて、落書きとしては街でよく見かける平凡なものです。

写真では夕陽に反射したスプレー文字だけが、背後の薄暗い写り込みに浮いて見えて、非現実的な情景になりましたが、これは落書きの腕前というよりも写真の手柄です。

写真4は、ニューヨークの Street Graphics を真似たような、ビル壁面への落書きです。パイプ、窓などの構造物の凹凸と、同系統の色彩のグラデーションを用いて、抽象絵画もどき様相を呈しています。

写真5は、1950年代に米英で始まったポプアートとサブカルチュアー漫画が混ざったような落書きです。画面に隙間を作らず、無数の絵を無秩序に並べ、線描は明確だけれども画面全体は混沌としている、現代社会の絵画表現とでも云えます。

公共的空間での落書きとして話題になるものには、社会政治的落書き(ベルリンの壁)、歴史的建造物への落書き(古代遺跡)、街路装飾的落書き(商店街シャッター面)など、色々の分野がありますが、これらは社会的現象として取り上げられてもアートとは縁遠いものです。

アート的な上記の落書きが、公共の広場で果たしてパブリクアートとして受け入れられているか否か知りません。それは道行く人々によって決められることでしょう。パブリクアートであるか否かの境界は、人々の心の中にあります。
(以上)
【2010/03/19 11:45】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美が本当に分かると言う意味
孔子は「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と言ったと論語に書かれています。この言葉は「道」の意味をどう理解するかによって、二通りの違う解釈があるそうです。

政治に「徳」が実現したら、即ち「道」が行われたら、自分は死んでもよいという意味だという説と、「真理の道」が何たるかを悟れば、自分は死んでもよいと言う意味だという説の二つです。

前者は「善」の問題であり、後者は「真」の問題です。春秋戦国時代の為政者に自説が受け入れられなかったことを嘆いた孔子ですから、「道」の解釈は当然前者だと思いますが、「真」でも「善」でも実現すれば死に価する程の価値がある言っていることには変わりありません。

西洋ではギリシャ以来、人間が求める価値は真善美の三つだといわれていますが、日本の伝統的文芸思想では、美は真や善を包含したものと考えていて、美の価値を真や善の価値より上位に置いています。正に美しいことは良いことでした。

それでは「美」を実現した者は、或いは「美」を堪能した者は、死んでもよいと思うでしょうか。19世紀、ヨーロッパでは美の創造に最高の価値を置く耽美主義が起こります。それより早く、ドイツの詩人、プラーテンは次のような詩で美は死に価すると詠っています。

眼もて美を観たる者は
既に死の手に落ちたるなれば、
もはやこの世のわざに適(かな)はざるべし

美を識って死んだと言う人の話は聞きません。美を本当に分かることは誠に難しいことなのでしょう。
(以上)
【2010/03/07 20:56】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
造形美を誇る教会建築
     1.東京カテドラル大聖堂-03D 1002q
     写真1 教会正面
                                   2.東京カテドラル大聖堂-04D 1002q
                                   写真2 教会側面
     3.東京カテドラル大聖堂-07D 1002q
     写真3 教会斜面
                                   4.東京カテドラル大聖堂-09D 1002q
                                   写真4 教会斜面
     5.東京カテドラル大聖堂-06D 1002q
     写真5 教会部分
                                   6.東京カテドラル大聖堂-12D 1002q
                                   写真6 教会部分

信仰の儀式が執り行われる神社、寺院がそうであるように、信仰の場である教会もその建物には荘厳さと厳粛さを備えています。

しかし日本の寺社建築が大抵同じような形態と様式を持っているのに対し、教会建築の場合は、時々個性的な形態や様式のものを見ることがあります。

今回取り上げた東京カテドラル聖マリア大聖堂は、東京文京区の椿山荘前にある教会ですが、極めて個性的な、と言うよりも芸術的な教会建築だと思います。(写真1)

この教会は建築家丹下健三の設計によるものです。丹下健三は広島平和記念公園(慰霊碑と原爆ドームを配置した)の設計で有名であり、代々木の東京オリンピック国立屋内総合競技場(吊り構造)の設計でも国際的に高い評価を得た建築家です。

この東京カテドラル大聖堂は、オリンピック総合競技場とほぼ同じ時期(1964年)に建設され、その外観もよく似ている云われます。しかし、上空から見るとオリンピック総合競技場は渦巻き状であるのに対し、東京カテドラル大聖堂は十字架の形です。(写真2)

丹下健三はフランスの近代建築家ル・コルビュジエに憧れて建築家になったと云われますが、他方、若い頃には日本の社寺建築を研究していて、彼の建築作品には西洋的な要素と東洋的な要素の二つが混ざっているようです。

東京カテドラル大聖堂は、外観は大きな直線と曲線で象られ、表面はステンレス・スティールで外装されているので、モダンなキリスト教会建築ですが、それでいて天井部の大きな十字架の部分にはどこか神社建築の切妻と千木を連想させるものがあります。(写真3、4)

近寄って建物の部分を見ると、空に向けての直線と囲むような曲線が交差して、美しさは細部に及んでいます。(写真5、6)

大空に向けて開く大胆な構図の教会建築は、何処から見ても一つの芸術作品です。流れる雲を背景にし建物を見ていて暫く時間の経つのも忘れました。
(以上)
【2010/02/14 10:41】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
波のリズムは複雑で繊細
1.冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 q
写真1
               2.浜の模様-01D 0909q
               写真2
                              3.浜の模様-02D 0909q
                              写真3

葛飾北斎の冨嶽三十六景の中の一枚、「神奈川沖浪裏」の描写をよく見ると、大波の先端は大波と相似形の小波が沢山描かれています。これは北斎の自然観察眼の精緻さを示している例です。(写真1)

波は風が作った水のリズムですが、そのリズムは波の外面だけではなく、内面にも生じており、波のリズムは波の大小に関わりなく同じなので、自己相似形が形成されていることを北斎は見抜いたのです。

戦後、数学者ブノワ・マンデルブロが考案したフラクタル幾何学は、図形の全体とその部分とが自己相似形になっていることに着眼して、単純に見えるものの内に実は複雑さを抱えており、複雑に見えるものも本質は単純であることを説きましたが、北斎は江戸時代に既にその手法で大波の謎を描いて見せたとも云えます。

湾や入江の静かな浜辺を歩いていると、潮の退いた砂浜の上に細かな波の紋様を見ることがあります。それは、静かに寄せては返す細波(さざなみ)のリズムの足跡です。足跡の一つ一つは似た形ですが、よく観察すると微妙な変化を伴った足跡です。

寄せる波も返す波も、浅瀬になると浜の底からの反動で波形が変わり一律ではなくなります。その波の力が浜の底の砂や土を押上げたり削ったりします。潮が退いた後に砂浜に残る軌跡は、細波の複雑な運動の足跡なのです。それが時には大きく変形することもあります。

教育哲学者として有名な J.デュウイーはその著書「経験としての芸術」で美的秩序を次のように説明しています。
「律動(rhythm)は常に変差(variation)を伴っている。なぜなら律動とは力(energy)が秩序立った変差を以って現われたものだからである。この変差は秩序と同様に重要であるばかりでなく、美的秩序に必ず件う不可欠の要素である。秩序が維持されている眼り、変差が大きければ大きいほどその結果は面白い」と。

写真2と3は東京湾の内奥の葛西海浜公園で見つけた海砂の紋様です。波の律動は微妙な変化を伴いながらも足跡に秩序を維持しています(写真2)。しかし、場合によっては細波の律動が足跡の形を大きく変えることもあります(写真3)。

葛飾北斎が見た波の律動は複雑で力強いものですが、浜の細波の律動は複雑で繊細です。北斎は動いている水の状態で見届けましたが、私は砂浜にプリントされた状態で発見しました。
(以上)
【2009/11/14 12:59】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美醜は相対化する
  1.建物-31D 0909q
  写真1
  2.建物-32D 0909q
  写真2
                    3.シンガポール-16P 79
                    写真3
                    4.シンガポール-16P 79tc
                    写真4
                                        5.風化模様-02D 0702q
                                        写真5
                                        6.風化模様-03D 0702qr
                                        写真6

美しいと思われていたものが急に醜く見えたり、醜いと思っていたものが急に美しく見えたりすることがあります。

それは、見る人の見方が変化した場合に起きることもありますし、見る場所、見る角度、見る範囲が変わったときにも起きます。

前者は、いわゆる心境の変化とでもいうもので、人間関係で好きだった人と嫌いだった人が、今は逆転していると言うケースに似ています。これは極めて主観的な変化です。

後者は、対象物の何処に着目するかによって、その対象物が美しく見えたり、醜く見えたりする場合です。これは心境の変化ではなく、観察という客観的な行為によって生まれます。

ここに掲げた写真は、全体としては平凡で何の感興も湧かないのですが、その一部に注目すると面白いとか美しいとか感じます(私だけかも知れませんが)。写真1と2、3と4、5と6が夫々全体と部分を対比して眺めたものです。

マンションや朽ちかけた木は以前にも見ていたものですが、ある日その部分が美しいと感じたのです。見ていて見ていなかったのか、見ていても感じなかったのか分かりませんが、いずれにしても以前は少しも感興を呼ばなかったのは事実です。

今回改めて美しいと感じたのは、部分の美を発見したためか、心境の変化のためか分からないままでいますが、いずれにしても美醜は相対化するものだと思いました。
(以上)
【2009/09/15 17:55】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
韓国の陶磁器
   焼き物-07D 0908q
                   李朝青磁-05D 0908qt
                                     焼き物-06D 0908q

日本に広く知られている韓国の陶磁器には、高麗青磁と李朝白磁があります。その名の通り、高麗青磁とは高麗時代の薄緑色の陶器であり、李朝白磁とは李朝時代の白色の磁器です。

陶磁器はチャイナと言われる位ですから、その本場は中国です。従って洋の東西を問わず、各国に伝わる陶磁器の製法は、多かれ少なかれ中国から伝わったとものと言えましょう。

当然、韓国の陶磁器は隣国中国から強い影響を受けましたが、高麗時代に韓国の陶磁器は独自の発展を遂げます。高麗青磁は宝石の翡翠(ひすい)に似た淡い薄緑色をしています。中国人は翡翠を玉(ぎょく)として愛好しましたから、高麗の青磁は中国でも大いに愛好され逆輸入されました。

中国の陶磁器は唐三彩のように色彩は豊かであり、形態も大きくて力強いものが多いですが、韓国の高麗青磁は、色は翡色一色であり、形態は流麗であり、陶象嵌で描かれる絵柄は繊細です。高麗青磁は日本人の美感に強く訴えるものがあり、日本にも数多く輸入されました。

李朝時代に入りますと、高麗青磁より高温で焼く李朝白磁が生まれます。磁器は陶器より硬いので制作は難しくなりますが、薄く繊細に仕上げることが可能になります。また白磁の色彩も翡色一色から微妙に変化する白色に変わりました。日本の民芸運動家の柳宗悦は、その李朝白磁が持つ親しさと暖かさを讃えて、その美を日本人に教えた人として有名です。

三十数年前、私はソウルに滞在していましたが、そのとき高麗青磁と李朝白磁の再現を試みている陶芸家を何度かその登り窯に訪ねたことがあります。高麗青磁は柳海剛氏、李朝白磁は安東吾氏の窯でした。

二人の陶芸家たちは、夫々高麗時代、李朝時代の陶磁器を再現することに心血を注いでいましたが、同時に同じ素材でより現代的なデザインや絵柄の作品もつくっていました。

そのとき購入した高麗青磁と李朝白磁を写真でご覧に入れます。高価なものは買えませんでしたが、それでも手許で楽しむには十分な作品です。
(以上)
【2009/08/30 09:11】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
書道はコンセプチュアル・アートの先輩芸術
ニューヨーク近代美術館(MoMA)は、近・現代美術の美術館です。収集し展示している美術品は、後期印象派の作品から始まって最新の現代作家の作品までです。

近・現代芸術の時代区分の始まりを、後期印象派の画家達としたことには重要な意味があります。それは彼らが伝統的な絵画から決別した初めて画家達だからです。ここで伝統的とは、遠近法による写実主義と言ってもよいです。

19世紀の写真機の出現は、それまでの伝統的な写実主義の画家達にとって脅威でした。画家達が写真機を廃絶せよとデモ行進したとの話があるくらいです。写真家は画家が苦労して習得する遠近法の技術を、いとも簡単に実現したからです。

後期印象派の巨匠と言われるセザンヌ、マチス、ピカソたちは、目で見た外観を描かず、心と頭で会得したものを描きました。ですから、彼らが描く絵画には、あるがままの形態や色彩はありません。そこでは遠近法という技法も不要でした。

それに続く抽象画家達やシュールレアリズムの画家達は、後期印象派が企てた絵画を更に徹底させます。アクション・ペインティングで有名なジャクソン・ポロックは、抽象表現主義を代表する画家ですが、物の形は全く消えてしまいました。

逆に、ポップアートで有名なウォーホルは、見慣れた缶詰や女優の写真を平面的に羅列して、人々の日常生活の風景を意識させる絵画を描きます。具象を用いながら写実を試みていないところが、伝統的絵画と根本的に違うのです。

更に絵画の抽象化は進み、言葉を重視するコンセプチュアル・アートなるものが現れます。絵画に於ける観念または概念を重視し、それらは言葉でしか暗示できないと主張するのです。そして、文字を描いた「絵」が生まれます。

文字には表音文字と表意文字がありますが、表意文字の漢字は物の形に似せて造られたものです。漢字は意思伝達の手段として中国で発明されましたが、その製造工程は森羅万象を抽象することでした。

アルファベトのような表音文字がコンセプチュアル・アートの素材になるなら、形態のあるものを抽象した漢字はコンセプチュアル・アートアートにぴったりの素材です。漢字をコンセプチュアル・アートの観点から見直してみたら面白いと思います。

しかし、日本では書道は近代芸術として既に認知されています。書道はコンセプチュアル・アートが生まれる前から芸術でした。漢字は中国から伝わったものですが、書道は日本で独自に発展を遂げました。

漢字は具象を抽象化したしっぽを残していますが、日本で生まれた仮名は具象の痕跡すら残しません。コンセプチュアル・アートは日本の書道から学ぶ所が多いでしょう。
(以上)
【2009/06/01 10:09】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風神雷神絵にみる写真の視角
「風神雷神」の絵には俵屋宗達の絵とそれを模写した尾形光琳の絵があります。模写ですから二つの絵は似ているのですが、大きな違いは画面における風神雷神の位置にあります。

模写した光琳の両神は画面の中に程よく収まっていますが、宗達の絵では両神は画面からはみ出さんばかりに左右の上隅に張り付いています。宗達の絵では、それだけ両神の対峙する空間は広がり、激突する激しさを強く表していると云われます。

間合いを広く取ったため、雷神の一部は画面の外にはみ出して描かれていません。このような描き方は、近現代絵画では例外的なことです。特にモティ-フとなる対象物は、全体を画面の中に描き込むのが普通です。

近代絵画では印象派の画家たちが、人物を半分しか描かず、あと半分はキャンバスの外に押し出していますが、これは当時デッサンの参考に使われ出した写真からヒントを得て描いたと言われています。

ご存じのように写真では瞬時にフレーミングを決めます。特にスナップ撮影では予め写真撮影の枠組みを決めることは困難です。枠組みを考えているうちに被写体の条件は変わってしまいます。

絵画では描き直しができますから余分なものは消すことができますが、写真では一部に余分なものが入ってきても、それを消せません。むしろその余分なものに意味を見いだして画面構成します。一部しか写っていない対象物から想像を働かせて、画面の中からだけでなく、画面の外を中に取り込もうとするのです。

少ないスペ-スにより多くの内容を盛り込む手法と言っても良いでしょう。写真家は、やむを得ず対象物を切り裂いたのかも知れませんが、それで想像力を働かすと広い画面を作り出すことになると知りました。

そのような観点から光琳の風神雷神絵を見ますと、光琳は写真家の眼をもった初めての日本画家であったと言えましょう。絵画の力を発揮させるために対象物の一部を意識的に画面の外に出したのですから。
(以上)
【2009/02/05 12:02】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
バウハウス・デッサウ展を見て
1.バウハウス・デッサウ展-01D 0806q


        2.バウハウス・デッサウ展-08D 0806q


                        3.バウハウス・デッサウ展-04D 0806q


                                   4.バウハウス・デッサウ展-05D 0806q


いま、東京藝術大学大学美術館でバウハウス・デッサウ展が開かれています。(2008.4.26~7.21)

これまで私は、バウハウスとはモダニズム建築に大きな影響を与えた芸術運動と理解していましたが、この展覧会を見て、これは新しい芸術を創造する芸術運動という言うよりも、時代の要請を受けて、新しい芸術・技術の人材を養成する画期的にして希なる運動であったと認識するようになりました。

最初の設立地ヴァイマールを追われてデッサウに移転した事実は、そのことを象徴しているように思えます。当時のデッサウには、航空機という世界でも最先端産業が成長していました。航空機は自然の論理に逆らって巨大な重い物体を空中に飛ばす産業です。優れた技術とともに芸術的センスのある技術者が求められる産業だからです。

19世紀に生まれたイギリスの「アーツ・アンド・クラフト運動」やドイツの「ドイツ工作連盟」について、人々は芸術面に着目して論じますが、産業革命が先ずイギリスで起こり、ドイツがその後を追った産業史の進展の観点から眺めると、モダニズム芸術の流れも違った角度から理解できます。

ですから、バウハウスの基本理念は芸術の為の芸術でなく、未来の人間社会の生活に相応しい造形を産み出すことである、とのグロビウスの主張は核心を得ていると思います。そして、造形の対象を、身の回りの家具調度品に始まって家屋、ビル、更には都市形態にまで広げたことは、その主張を余すところなく説明しています。

次に、バウハウスが技術と芸術の融合をはかる「教育活動」に力を入れた先見性には感嘆します。これから始まる産業発展と人間生活の将来を描くのは、一芸術家のよくする所ではありません。この困難で壮大な課題に挑むのに、多くの若い世代を育てて、その解決を彼らに託そうとしたのです。

不幸にして当時の政治的事情でバウハウスの活動は短期に終わりましたが、バウハウスの有力な指導者やそこで成長した人材が広く世界に分散して、バウハウスの哲学と実践を伝えました。考え方によれば、バウハウスの短命だったことは、逆に世界への普及拡散の促進に役立ったとも言えます。

ドイツの伝統的手工業の職人気質を大切にしながら、カンディンスキー、クレー、モホイ=ナジなど当時の新進気鋭の芸術家が指導する芸術・技術集団が生まれたことは、いま考えると夢のような出来事です。このように歴史は時々奇跡を起こし、次の道を示すのです。

蛇足になりますが、写真家でもあるモホイ=ナジが、このバウハウスの一員として輝かしい業績を残したことを知り、写真を趣味とする私にとっても嬉しい事でした。モホイ=ナジは造形の世界で人間を統一的に把握するのに光の効果を用いることの大切さにいち早く気付き、写真メディアを用いた人です。

写真が事実の記録、記憶の保存、美感の伝達などに果たしている役割は、人々が想像している以上に大きいものです。バウハウスの活動がもう少し長続きし、モホイ=ナジがその中で活躍できたら、彼はどんな作品を残したかと考えながら展覧会場を去りました。
(以上)
【2008/06/26 22:18】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コラージュとフォトモンタージュ展

東京都写真美術館で「コラージュとフォトモンタージュ展」(06.11.3~12.17)が開催されています。

違う分野の美術品を組合わせて、更に美しい装飾品にする手法は昔から存在していましたが、これを芸術の一分野として意図的に創作しようとしたのが20世紀初頭の「コラージュ」作品です。コラージュとはフランス語の「糊付け」と言う意味で、紙や布の切れ端を一枚の画面に貼り付けて表現する手法です。

フォトモンタージュは、プリントした写真をコラージュして(貼合わせて)社会的メッセージを伝えようとして始まった手法ですが、その後、写真家マン・レイは、複数の写真映像を「一枚の写真」に写し込んだ写真(モンタージュ写真)を創作して芸術的メッセージを表現します。

複数の映像を一枚の画面に合成することによって、一枚の映像では表現できない世界を表現しようとするのがコラージュの本質ですが、フォトモンタージュも意図するところは全く同じです。フォトモンタージュがコラージュと違うのは、素材として写真映像だけを用いて「一枚の写真」として纏めることにあります。

展示会は「コラージュとフォトモンタージュ展」と称していますが、作品の名前が「コラージュ」となっていても、大部分は「フォトモンタージュ」でした。フォトモンタージュには難解なものが多く、以下では私が理解できた作品についてのみ感想を述べてみます。

「前衛美術との関係」の部

やはり近代写真の始祖マン・レイの「アングルのヴァイオリン」がフォトモンタージュの典型を示しています。モデルのキキの背中に英語のアルファベット「f」を二つ写し込んで女体をヴァイオリンにイメージさせました。二つの映像(キキの背中と「f」の文字)を組み合わせて、全く違う第三の映像を生み出すのがフォトモンタージュの手法です。

同じくマン・レイの「モンパルナスのキキ」は正面から撮ったキキの顔と、斜めから撮ったキキの顔を主従の関係で並べて、華やかな中に潜むキキの憂いを描写したものです。マン・レイはフォトモンタージュの作品でも、あくまで美を求めているので、一際その鮮やかさが目立つのです。

ラロス・モホイ=ナジの作品「ジェラシー」と「大物たち」は、共に知的構想力の産物という感じで分かり易い作品です。ナジの作品を見ていると、日本の個性的な写真家、植田正治はフォトモンタージュの手法を用いずに、被写体を構成することによって、フォトモンタージュと同じ効果を挙げた写真家だと思えます。

日本人の作品では、中山岩太の「ヌードとガラス」と「パイプとグラスと紙幣」は立体的な構図を用いて深層心理を表現したものです。フォトモンタージュの新しい分野を切り開いた作品だと思います。

「主観主義写真と現代美術との関係」の部

1978年ニューヨーク近代美術館で開かれた「鏡と窓」展は、個人の内面を表現した「鏡派」と社会の現実を表現した「窓派」の展示会と言われました。

この中では鏡派のジェリー・N・ユルズマンの作品「無題」2点が印象に残りました。第一の「無題」は、屋根のない部屋に雲間から太陽の光が注ぎ、部屋の中にある机の上の書物の上を一寸法師のように縮小された人物が歩く写真です。第二の「無題」は、池の中から大きな樹が一本、二本と根こそぎ空中に舞い上がり、遠くの山脈の方に飛んで行く写真です。

いずれの作品にも、あり得ない空想の空間を描いて、現代人の不安を表現しています。幻想としか思えないのに、これが現実になるかのような錯覚を覚えさせます。フォトモンタージュには、人々の内面心理を飛揚させて、未来を予感させる不思議な何かがあります。
(以上)


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【2006/12/01 10:27】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
生け花の造形美

生け花は、今や日本の伝統的芸術として国際的に認められていますが、もともとは日常生活のなかで、四季の花々を楽しむ行為でした。

花を家に飾る行為は、自然に先祖に供える行為になり、「供華」は仏教の儀式となりました。生け花が美的表現の対象として意識的に取り上げられるのは、室町時代の「立花(たてばな)」の様式が生まれたときです。

今も有名な生け花の家元の先祖である池坊(いけのぼう)は、その名の通り寺の住職であり、佛に花を供える僧でした。その子孫が16世紀に立花の理論と技術を集大成し、室町時代の古典立華(たてばな)が確立したのです。

同じ頃、千利休たち茶人によって簡素な「投げ入れ花」がもてはやされ、定型化した立華様式に対抗する動きも出てきました。

江戸時代中期に、生け花の理念や様式をそれぞれ主張する流派が生まれ、今日の池坊流派の源流が出来上がります。

その後も、明治時代には剣山(けんざん)で花を固定して盛り上げる「盛り花」様式が生まれ、現代ではオブジェを混ぜた生け花が現れました。

長い歴史のある生け花の世界には、流派と共に、色々な様式があります。生花(しょうか)、立花(りっか)、自由花(じゆうか)、盛花(もりばな)、投入(なげいれ)などです。

生け花では、花と心の対話を大事にします。それは花を活ける人、また活けた花を見る人、いずれの場合も人々の精神性が大切だと云います。流派は異なっても精神性を重視することで変わりはなく、様式や花器などは二次的な問題だと思います。

かつて、庭園植物記展という展覧会で、写真家の土門拳、石元泰博、篠山紀信が勅使河原蒼風の生け花を撮った写真をみた時、伝統ある生け花には、確かな造形美があることを知りました。生け花は、彫刻、絵画、写真のように永久的に保存できないが故に、その造形美に一種の切なさがあります。

造形美の切なさを和らぐためにも、庭の片隅に地植えした生け花でも、生け花に仲間入りさせて下さい。欧米では庭にハーブ園などを造ります。写真は、カナダで見たある家庭のハーブ園だと思いますが、これも新しい生け花だと思います。
(以上)


カナダ・ワイナリー-01Pqct


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【2006/08/13 10:21】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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