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令和最初のお花見は諦めて
平成最後の千鳥ヶ淵の桜
1.皇居の花見:千鳥ヶ淵-82D 1904q
          2.皇居の花見:千鳥ヶ淵-121D 1904q
                    3.皇居の花見:千鳥ヶ淵-95D 1904q

平成最後の上野公園の桜
4.上野花見-78D 1904qt
          5.上野花見:人物-13D 1604qt
                    6.不忍池:櫻-18D 1904qt

二月の梅園では混雑は嫌われますが、四月の櫻並木では人出の賑わいが好まれます。しかし、今年は新型ウイルスの蔓延で花の下のブルーシートの宴会は禁止になりました。それでも、東京の櫻の名所には、かなりの花見の人出はありました。

外出を自粛するようにとの要請に従って、令和最初の花見は諦めて、平成最後の花見を昨年撮影した写真で一人楽しみました。密室ではありますが密集と密着ではない、一人静かな花見でした。訪ねた場所は、皇居の千鳥ヶ淵と上野公園です。
(以上)
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【2020/03/26 18:35】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
切り株に芽生える命
1.喰違見附跡(紀之国坂)-12N 1904q
2.喰違見附跡(紀之国坂)-14N 1904qt
3.喰違見附跡(紀之国坂)-18N 1904q

都会は樹木には棲みにくいところ
枝葉を自由に伸ばせない

せっかく涼しい日陰をつくっても
街が暗くなると苦情を言う

それではと秋に葉を落すと
落ち葉が街路を汚すと嫌われる

伸びた枝は無機質なビル街の飾りなのに
それも邪魔だと丸坊主に

無骨な幹だけにされた樹木は
春には切り株に芽を葺く
逞しい街路樹にエールを送ろう
(以上)
【2020/03/21 20:48】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
富士の高嶺の雪
1.富士山-26P 93 tq
写真1
2.富士山-28P 93qt
写真2
3.富士山-34P 93 qt
写真3
4.富士山-13P 93qt
写真4
5.富士山-14P 93q
写真5

地球温暖化の影響なのでしょうか、この頃は富士山全体がが真っ白な雪に覆われた姿をみることは少なくなりました。
(写真1、2)

お座敷小唄では「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ」と歌われますが、高嶺に降る雪と街に降る雪では、雪の利用価値に大きな差があります。

高嶺の雪は低温のため暫く雪の状態でいて、暖かくなると徐々に融けて水となります。高山の雪は水の貯蔵庫ですから、この貯蔵庫を失えば、それに頼って生きてきた動植物の生存が危ぶまれます。

地球温暖化は海面の上昇をもたらし、南太平洋の珊瑚礁の島、ツバルやキリバスは水没の危険があると騒がれていますが、被害は山岳地帯の高地にも襲いかかります。

世界の高山のアルプスやヒマラヤの雪が次第に消えつつあり、ヒマラやでは2000年に入って雪解け水で氷河湖が拡大しており、下流の山間にある200程の氷河湖の堤防が決壊しているとの報告があります。赤道直下のアフリカ大陸の山、キリマンジェロでも頂上の万年雪が今世紀前半には消えると外電は伝えていました。

日本列島の日本海側には雪積が多いことで有名な地域が沢山あります。雪深いことは、そこに住む人々にとっては不便なので嫌われますが、雪が水の貯蔵庫だとすると、実は恵みの雪でもあります。

その恵みの雪が日本列島に降るようになったのは、実は一万年以上前の縄文時代に遡るとのことです。この時代は氷河期が終わり地球は温暖な気候が続いていました。その結果、大海の海面が上昇して、日本列島に沿って太平洋側を北上していた黒潮の一部が枝分かれして、対馬海峡を通過して日本海に流入して日本海側にも流れ込みました。

冬期、日本海を渡って日本に吹きつけるシベリア寒風は、暖かくなった日本海の海面に触れて大量の水蒸気を発生させ、日本列島に吹き寄せました。水蒸気は日本列島を縦断する山脈に突き当たり上昇して雪となりました。

縄文時代以降、北海道を除く列島の大部分が落葉広葉樹林と照葉樹林で覆われるようになったのは、このシベリア寒風が造る雪のお陰なのです。今は東北の白神山地だけに存在するブナ林は、昔は日本本土全部を覆っていたと言います。ブナ林は雪解けの大量の水で成長し、それを樹中に保持し、徐々に放出しましたから、ブナ山林は豊饒の地となりました。

地球温暖化すれば日本海側への黒潮の流入は増えるだけで、シベリア寒風が吹き続ける限り、日本海側の冬の気象構造は基本的に変化しないでしょうから、暖冬で一部のスキー場が閉鎖されても、日本列島への雪の恵みは今後も続くでしょう。

富士山は、一際高い独立峰ですから、冬になると黒々とした周囲の山々の中に真っ白にな姿ですっくと立っているのが見られます。富士山の白雪は、日本列島に冬の恵みが訪れていることを告げているのです。そう思うと白い富士山は益々神々しく見えてきます。
(写真3.4、5)
(以上)

【2020/02/08 16:19】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夕暮れ時のシルエット演劇
1.喰違見附跡q

2.喰違見附跡(紀之国坂)-20N 1904q

冬の夕暮れは足早に来る
明るかった空が陰り出すと
木々の姿態がシルエットで浮かび上がる

葉が落ちた大木は
梢を軽やかに空に延ばして
小木は自慢げなポーズをとって
土手の斜面に一列に並ぶ

大木たちは梢で囁やきかける
小木は離れて傍耳を立てる
喰違見附跡の土手上の
だれも見ない一幕の芝居
(以上)
【2019/12/28 13:37】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夕陽に映える枯れすすき
1.すすき-04P 89t
写真1
2.すすき-05P 89t
写真2
3.すすき-20P 89t
写真3
4.すすき-19P 89t
写真4

戦後ヒットした演歌「昭和枯れすすき」は、映画の主題歌にもなり、多くの有名歌手に歌い継がれました。演歌の歌い出しは「貧しさに負けた」で始まり「花の咲かない二人は枯れすすき」で終わります。

ですから枯れすすきには寂しさのイメージが付きまといます。しかし、群生する枯れすすきの原野は、落ちぶれた寂寞とした景色ではなく、生命が最後に見せる深遠な自然の摂理を造形化したものに映ることがあります。

それを目にしたとき厳粛な気持ちになり、すすきの原野は美しくも神々しい光景に変じるのです。初冬の霞ヶ浦へドライブに出かけたとき、湖畔の水辺に群生する枯れすすき野に出会いました。

遠くの水中に佇むす枯れすすきは寒そうで寂しく感じましたが、手前の枯れすすきの溜まり場は、僅かに薄日を浴びて、穂がしらを揃えて幾重にも並び、大勢で楽しそうでした。
(写真1、2)

残照の一瞬の輝きに照らされて、すすき野は田園の夕べのハイライトになります。水溜まりの反射の光がアップライトになって、身を躍らせるすすきの穂は得意げに背伸びします。
(写真3)

ふと目を遠くに転ずると、夕空に光り輝く電線の束が波状に走り、その下を土手の団子状のすすきが珠々つなぎに延びています。薄暗い田園風景をバックにして夕日に映える電線とすすきだけが浮かび上がる光景に、一瞬息をのみました。
(写真4)

手前を見ると、すすき野は足許まで続いていました。すべてのすすきの穂は、暖かいオレンジ色の光を確りと捉えて精一杯反射しています。足許から丘の彼方まですすき野の原野は、光の夕景を謳歌していました。
(以上)
【2019/12/17 14:46】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
晩秋の農村を彩る美しい稲田
1.白馬~扇沢-13D 1410q
写真1
2.立山駅~富山市-08D 1410q
写真2
3.白馬~扇沢-08D 1410q
写真3
4.長野~上越-20D 1409q
写真4
5.長野~上越-22D 1409q
写真5
6.長野~上越-28D 1409q
写真6
7.長野~上越-41D 1409q
写真7

深緑というより濃紺に近い、くすんだ色の重厚な山塊に囲まれた農村が、旧盆過ぎた秋のひととき、明るい金色に輝きます。
それは稲田が色づく時です。
(写真1、2)

立秋を過ぎれば稲刈りが始まります。
刈取りが済んだ茶色の稲田と、未だ残っている金色の稲田と、その背後に黒々と控える山塊と、その山塊の裾野に並ぶ農家が夕陽に映える光景は、日本が誇る田舎の景色です。
(写真3)

近くに目を転ずると刈り終わった稲田には切り株が整然と並んでいます。
早くも春の作物が、これまた整然と出番を待っています。
その奥に建つ端正な立ち姿の農家にとっては、整然たる稲田は広い裏庭です。
(写真4、5)

しかし、中には稲刈り作業でかき乱された稲田もあります。
稲刈耕耘機の軌跡でしょうか。
畝(うね)の並びは不規則に断ち切られて、稲の刈取跡は斜めに切り結ばれています。
不協和音のように縦横のリズムは乱されています。
それが又、稲田が見せる新しい造形美です。
(写真6、7)
(以上)
【2019/10/13 17:45】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
代々木八幡宮の例大祭
1.代々木八幡:初詣-38D 1901qr
写真1 代々木八幡宮の森 元旦の初詣風景

2.代々木八幡古代住居跡-03D 1701q
写真2 代々木八幡古代住居跡

3.代々木八幡神社:例大祭-05N 1909q
写真3 代々木八幡宮例大祭 参道口

4.代々木八幡神社:例大祭-08N 1909q
写真4 代々木八幡宮例大祭 参道の賑わい

5.代々木八幡神社:例大祭-10N 1909q
写真5 代々木八幡宮例大祭 参道の賑わい

6.代々木八幡神社:例大祭-14N 1909qt
写真6 代々木八幡宮例大祭 参道の賑わい

7.代々木八幡神社:例大祭-25N 1909qr
写真7 代々木八幡宮例大祭 境内は参拝者で埋まる。

8.代々木八幡神社:例大祭-20N 1909q
写真8 代々木八幡宮例大祭 宮入りした神輿

9.代々木八幡神社:例大祭-31N 1909q
写真9 代々木八幡宮例大祭 本殿前の参拝風景

私の鎮守様は代々木八幡宮です。
代々木八幡宮は、その創建が鎌倉時代に遡る古い由緒ある神社です。
頼朝の長男、頼家が修善寺で暗殺された(1204年)後、武蔵野国の代々木の野に隠遁していた頼家の家来の荒井外記智明は、鶴岡八幡宮の託宣を受ける夢を見て、建暦2年(1212年)9月23日、この地に小祠を建て鶴岡八幡宮より勧請を受けて代々木八幡宮としたのです。

鶴岡八幡宮は鎌倉八幡宮とも呼ばれ、鎌倉武士の守護神であり、鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として関東方面では知名度が高かった神社でした。代々木八幡宮は創設の経緯からみて、その鎌倉八幡宮の直系の神社のひとつです。

代々木八幡宮の境内は、小高い丘の上にあり、鬱蒼とした木々に囲まれていて、都市化が進む都内では珍しく神社らしい雰囲気に満ちた神社です。正面の鳥居がある山手通り側から見ると、小山の上にある境内はこんもりした森に包まれていることが分かります。
(写真)1)

時代を遡りますと、縄文時代にはこの高台に縄文人が定住していました。戦後に発掘調査が行われて、縄文時代の竪穴式住居跡が発見され、「代々木八幡遺跡」として境内に保存されています。
(写真2)

代々木八幡宮の例大祭は、現在でも創建日と同じ9月23日に毎年盛大に執り行われます。新年の初詣の三元日は、長い参道にも拘わらず、参拝者の列が境内の外にまで延びて、神社の前の山手通りにまで行列ができますが、、例大祭の日は境内の中に人が溢れて、身動きが出来ない程になります。長い参道の両側には参拝者相手の屋台が隙間なく店を張ります。参拝者は大人も子供も屋台での買い物を楽しんでいます。
(写真3、4、5、6、7)

参拝するため本殿に近づいたとき、丁度、町内の神輿が一つ宮入したときに遭遇しました。神社本殿の前は神輿を担ぐ人とそれを見る人が集まっていて動きがとれない程でした。一般の参拝者は、神輿が神主からお祓いを受けて本殿前を立ち去るまで、立ち往生でした。お祭りの日の神社の境内は、また特別の熱気に溢れる場所になります。
(写真8、9)

最後に、直木賞作家の平岩弓枝氏は代々木八幡宮の一人娘であることは文学好きの人の間では知られていますが、平岩弓枝氏のお嬢様が代々木八幡宮で神職に従いておられることは、知る人は少ないでしょう。氏子の私は、神主のお嬢様に新年のお祓いをして頂いた事があります。
(以上)
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【2019/10/02 10:55】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
晩夏の上高地散策
1.上高地:梓川-24D 1410qr
写真1 梓川
2.上高地:梓川-12D 1410q
写真2 梓川
3.上高地:河童橋-02D 1410q
写真3 河童橋
4.上高地:河童橋-03D 1410q
写真4 河童橋
5.上高地:大正池-02D 1410qr
写真5 大正池
6.上高地:涸沢カール-03D 1410q
写真6 涸沢カール
7.上高地:前穂高-01D 1410qr
写真7 前穂高
8.上高地:東側山岳-04D 1410q
写真8 上高地の東側山脈
9.上高地:猿-01D 1410q
写真9 森の小径を歩く野生の猿
10.上高地:猿-03D 1410q
写真10 木に登り餌を求める野生の猿 
 
晩夏の上高地は登山者と避暑の人々で賑わいます。
梓川の清流は透き通って冷たく流れています。
川辺に立つ枯れ木に冷水の冷気を感じます。
(写真1、2)

上高地の賑わうところは河童橋です。
山を登る人と下りてきた人は橋で出会います。
避暑に訪れた人は橋に集います。
(写真3、4)

河童橋から梓川の下流に大正池が見えます。
焼岳の噴火で梓川が堰き止められて誕生した池です。
池に浸かった多くの立木は枯木となって上高地のオブジェになりました。
しかし、そのオブジェも今は倒れて数少なくなりました。
(写真5)

河童橋から梓川の上流を見ますと涸沢カールが見えます。
氷河が削った幅広い北アルプスの渓谷です。
スポットライトを浴びた涸れ沢カールは壁画のようです。
(写真6)

正面の前穂高は高い屏風のように立ちはだかり
横に連なる山脈は囲い塀のように聳え立ち
河童橋と梓川は巨大な箱庭の一景となります。
(写真7、8)

上高地の森の小径に入ると野生の猿に出会いました。
小径を堂々と歩き、木に登り餌を探します。
彼等は人を恐れず、人に馴染まず、自然のままでした。
(写真9、10)
(以上)


参考:大正池
大正池は大正4年(1915)年の焼岳の大噴火で生じた火山泥土流が梓川が堰き止められて出来た池です。池に林立する枯れ木は上高地の特色ある景観でしたが、時の経過と共に枯れ木も倒れて残り少なくなりました。

参考: 涸沢カール
涸沢カールは穂高連峰の東側に氷河によって削り取られた深い谷です。涸沢の雪解け水は、涸沢出合で横尾本谷と合流し、屏風岩の北側を横尾谷となって流れ、横尾で槍沢の水と合して梓川となります。

【2019/09/16 15:57】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本一小さな漁港の今は
1.鰹水揚げ-03P 99
写真1 朝靄に包まれる漁船

2.鰹水揚げ-04P 99qt
写真2 ベルトコンベアーでカツオが荷揚げgされる。

3.塩屋灯台-03P 99q
写真3 塩屋埼灯台

4.久ノ浜-01P 01t
写真4 荒れる浜辺

 5.小良ヶ浜-01P 98
写真5 小良ヶ浜漁港

6.小良ヶ浜-02P 98q
写真6 小良ヶ浜漁港

福島県のいわき市の沿岸は、北から南下する親潮と、南から北上する黒潮がぶつかり合うところですから、魚種も豊富で漁獲量も多く、昔から漁業が盛んなところです。いわき市の小名浜漁港は、漁場に近く、初カツオや秋サンマの水揚げで全国的に有名です。
(写真1、2)


いわき市の平薄磯の岬には、美空ひばりの演歌で有名になった塩屋埼の灯台があります。荒々しい太平洋に突き出た塩屋埼には、「髪の乱れに手をやれば 赤い蹴出しが風に舞う・・」という演歌の文句のように、冬は絶えず強い海風が吹きつけます。航海の難所でもありますから、常に海と風は荒々しいのです。
(写真3、4)

塩屋崎から程近いところに、滅多に人も訪れない小良ヶ浜漁港があります。小さな釣り舟が二三艘で港が一杯になる「日本一小さな漁港」です。切り立った断崖に囲まれて、その奥に隠れるように、ひっそりとしています。訪れたときには、辺りに人影はなく、一艘の漁舟が砂浜に引き上げられていました。
(写真5、6)

平成5年に開港したとのことですが、平成23年(2011)3月の東日本大震災の大津波に襲われたと聞きます。震災後に撮られた写真で見ると、湾口にあった柱状の小島は尖塔のように細く削られて、岸辺の岩盤は割れ、太い流木が二本横たわっていたのが印象的でした。
(以上)
【2019/08/01 17:20】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
見る位置で変わる灯台
1.大黒海釣り公園-01D 1904q
写真1
2.大黒海釣り公園-04D 1904q
写真2
3.大黒海釣り公園-17D 1904q
写真3
狭い隙間から見ると
灯台は実際より高く見える
(写真1)

丘の上に聳える灯台は
ひときわ高く見える
(写真2)

丘一面が花で覆われると
灯台は優しく見える
(写真3)
【2019/06/25 16:48】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
百合の樹が芽生える頃
1.内堀通り:半蔵門交差点-08D 1904q
写真1
2.迎賓館前ゆりの樹公園-08D 1904qt
写真2
3.迎賓館前ゆりの樹公園-24D 1904q
写真3
4.迎賓館前ゆりの樹公園-13D 1904q
写真4
5.迎賓館前ゆりの樹公園-19D 1904qt
写真5
6.迎賓館前ゆりの樹公園-18D 1904qt
写真6
木々が芽生える春先
百合の樹も一斉に芽吹く
大柄で樹形も整っている百合の樹の街路樹
百合の樹の並木道に緑の風が吹き抜ける
(写真1)

赤坂離宮の正門には百合の樹の公園がある
百合の樹が芽をふくと公園は明るくなる
百合の樹越しに見るビル街も爽やかだ
(写真2)

後光に映える百合の樹は堂々としている
身を反り返したり
両手を挙げたり
誇らしげだ
(写真3、4)

芽生えて嬉しくて踊り出す百合の樹たち
葉が大きくなる前の身軽なうちに
五月の青空の下で大いに踊れ
(写真5、6)
(以上)
【2019/06/08 09:42】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
平成最後の櫻 千鳥ヶ淵
1.皇居の花見:千鳥ヶ淵-82D 1904q
写真1
2.皇居の花見:千鳥ヶ淵-121D 1904q
写真2
3.皇居の花見:千鳥ヶ淵の行列-03D 1904q
写真3
4.皇居の花見:千鳥ヶ淵-127D 1904q
写真4
5.皇居の花見:千鳥ヶ淵-95D 1904q
写真5
昭和のバブル崩壊の付けの後始末に加えて、大災害に見舞われた平成時代が終わり、年号は令和に代わりました。

しかし、櫻の花は改元と関係なく、例年のように見事に咲いていました。今年は花冷えが続いたので、平成との別れを惜しむかのように、櫻の花は例年より長く咲きました。特に、皇居千鳥ヶ淵の櫻は平成の見納めか、花見の人々は例年より多かったようです。
(以上)

【2019/06/02 18:43】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
饗宴の終わり
1.皇居の花見:千鳥ヶ淵-20D 1204q
写真1
2.桜-03PY3(事項:花と樹 P)
写真2
3.桜-13P(事項:花と樹 P)(写真随想2)
写真3
4.桜-05P(事項:花と樹 P)
写真4
5.さくら花びら石畳-02D 1204q
写真5
6.さくら花びら-14D 1204q
写真6
櫻は咲き始めると一斉に満開となり、散り始めると忽ち紙吹雪のように散ります。櫻の花は、訪れるのも立ち去るのも、その足は俊足です。俊足と言えば、日本列島を南から北へ駆け上がる足も速いものです。

櫻の花の饗宴は終わりました。
櫻は咲いているときも美しいですが、散るときが最も美しいです。そして散った後も美しさの余韻を残します。

川に散って川面に浮かぶ花びらは、塊となり繋がりあって「花筏」になります。
(写真1)
池に散って岸に吹き寄せられて、花びらは池面を花模様の衣装で覆います。
(写真2)
道に散った花びらは、道の両端に溜まって「花道」を象ります。
(写真3)
庭に散った花びらは、「花毛氈」となって、思わず行く足を留めます。
(写真4)
散った花びらで縁取りされた道の石畳は、知らない造形美を表します。
(写真5)
櫻の根元に散った花びらは、力強い木の根の姿を浮き彫りにします。
(写真6)
(以上)
【2019/04/18 12:07】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本橋に櫻通りが二つある
1.中央通り:日本橋二丁目櫻通り-07D 1903qtc
写真1 
2.中央通り:日本橋二丁目櫻通り-01D 1903qt
写真2
3.日本橋:室町江戸さくら通り-12D 1903q
写真3
4.日本橋:室町江戸さくら通り-16D 1903q
写真4

八重洲北口から日本橋高島屋へ抜ける道路の街路樹は櫻です。
左右の桜木は道路を覆うように成育しています。
満開時には櫻のトンネルとなります。
(写真1、2)

三越前の室町江戸さくら通りの街路樹も櫻です。
植えられて未だ間もない桜木は若木です。
超高層ビルの谷間に楚々と咲いています。
(写真3、4)

上野の櫻は上野の山に行かねばなりません。
墨田の櫻は隅田川へ行かねばなりません。
でも、日本橋の櫻は仕事をしながら眺められます。
日本橋には素晴らしい櫻並木があります。
(以上)
【2019/04/05 22:03】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
犬橇は乗って楽しい、見ていて尚楽しい
オーロラ見物-006D 0902(オーロラ見物:恵理より)q

雪は柔らかく、時には深く、その上を移動するのが難しく、
嘗ては犬橇(いぬぞり)は雪国では欠かせない交通機関で
した。

今は雪が降っても道路は除雪されて自動車は走りますし、
除雪できない雪深い所ではスノーモービルという雪上自
動車で走れます。

犬橇と言えば第一次南極観測隊で働いて置き去りにされ
た樺太犬タロとジロが、越冬して生きていた話が感動を
呼び、樺太犬はそれ程までに生命力と生活力のある優れ
た犬だと、人々の記憶に残っています。

今は実用としての犬橇は北方僻地の原住民が使うだけで
しょうが、観光用やスポーツ観戦用としては今でも犬橇
は活躍しています。

北極圏に近い北欧の国々では、犬橇は冬期観光の目玉だ
そうです。写真はオーロラ見物にノールウェーを訪れた
とき乗った観光用犬橇の犬たちです。
(以上)

【2019/02/27 13:24】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
隅田川沿いの高層ビル群の一日
1.聖路加国際病院より晴海トリトン方向を見る-11D
写真1

2.聖路加国際病院より晴海トリトン方向を見る-04D 1811qr
写真2

3.聖路加国際病院より晴海トリトン方向を見る-02D 1811q
写真3

4.聖路加国際病院より晴海トリトン方向を見る-08D 1811qt
写真4

冬の朝日が顔を出すと
ビルに反射した光で寝室の窓が輝く
目が覚める
(写真1)

午前の陽は柔らかく昇る
窓枠に仕切られたビル群は
近景から遠景まで造られたように並ぶ
隅田川には遊覧船が行く
(写真2)

夕闇が迫る
黄昏の空に銀色に映える超高層ビルたち
点灯した窓の光はビルたちの飾り
隅田川の水面にもかすかな輝き
(写真3)

空の帷(とばり)が降りて
残照の明るさが僅かに空に残る
その空に浮かぶような高層ビル群のシルエットは美しい
消えゆくものは一層美しい
(写真4)
(以上)
【2018/12/30 09:12】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秋に山は燃える
河口湖畔もみじ回廊-01D 1711q

夏に木々はエネルギーを蓄える
秋には激しく燃え上がり燃え尽きる

赤い炎は山肌の青と混ざって黄色に変わる
黄色と赤色が混ざりオレンジ色に変わる

だが、自然は赤色と黄色と青色を決して混ぜはしない
三色が混合すると景色は一瞬にして真っ黒になるから
(以上)

【2018/12/17 20:15】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
暗い谷間でもみじは輝く
1.芝公園:もみじ谷-07D 1612q

2.芝公園:もみじ谷-17D 1612q

2.芝公園:もみじ谷-17D 1612q

4.芝公園:もみじ谷-11D 1612q

5.芝公園:もみじ谷-26D 1612q

鬱蒼と茂る芝公園のもみじ谷
太陽の光は谷間の奥まで届かない

しかし、小さな谷の流れはキラキラと光り
谷間の紅葉は僅かな木漏れ日に映えて
うす暗い林の中で明るく輝く

秋のもみじは静かに輝く

(以上)
【2018/11/11 20:25】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秋の浜辺の朝と夕
写真1
1.由比ヶ浜-11D 04
写真2
2.由比ヶ浜-07D 04
写真3
3.由比ヶ浜-09D 04
写真4
4.由比ヶ浜-15D 04
写真5
5.由比ヶ浜-16D 04

暑かった夏が過ぎて、静かになった秋の夕方、浜辺を散歩する。

夕凪の浜辺は、夏の喧噪が嘘のように静かだ。

秋の空は高いと言うが、海の空はひときわ高い。(写真1)

気が付くと、二人の人影が浜辺に現れて、波際に佇む。(写真2)

やがて上空の薄雲は、沈む太陽の最後の光を受けて明るく映える。

明るくなった海面を見ると、沖には未だ一層のボートが浮かんでいる。(写真3)

浜辺に打ち寄せるさざ波のように、静かな秋の海にも静かな動きがある。


翌日、朝早く起きて浜辺に出てみると、湾内は僅かに朝靄に霞んでいる。

既に数人の人影を見る。

犬と散歩する人、昨夜浜辺に届けられたお宝を探す人(写真4、5)

秋の海は朝早くから静かに動き出していた。
(以上)
【2018/10/24 16:21】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
江戸と東京の貯木場(木場)の変遷
1.猿江恩賜公園-08D 1202q
写真1
2.木場親水公園-11D 0908q
写真2
3.貯木場-04P 83q
写真3
4.新木場貯木場-07D 1501q
写真4

昔から日本では建設資材と言えば材木でした。材木しかなかったと言えます。

江戸は屡々大火に見舞われました。その都度、大量の木材を必要としましたので木材の貯蔵所、即ち貯木場が造られました。

江戸川区の猿江恩賜公園は徳川幕府の貯木場があったところです。
明治になって、そこは政府御用達の貯木場になりました。
戦後に、貯木場は廃止になって猿江恩賜公園になったのです。
写真の池は、木材を貯蔵したところで、保存のため木材は石材で沈下させていたそうです。
(写真1)

猿江恩賜公園から少し南に下ったところに木場公園があります。
ここも貯木場のあったところです。ここは建設当時は隅田川の河口でした。
紀伊国や木曽から伐り出された木材は海路運ばれて、ここに貯木されました。
写真は、貯水池内で木材を移動させる作業の「角乗」の実演を見せるために、貯木場跡地の一部水面を残してある場所です。
(写真2)

木場の地先が埋め立てられて手狭になったので、戦後、荒川の河口に移転して新木場となりました。
新木場には遠く南洋から外国産木材も運び込まれて、貯木場は南洋材の丸太でいっぱいになりました。
(写真3)

しかし、間もなく原木の輸出国は原木の丸太を自国で加工して製材品として輸出することになります。
そして新木場の貯木池は急速に空っぽになりました。
(写真4)

その結果、当初の新木場は丸太を製材加工する工場団地として活況を呈していましたが、今は静かな木材流通市場になりました。
(以上)
【2018/09/22 18:49】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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