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木陰の憩いから仏教を考える
山下公園-01D

お釈迦様が悟りを開いたのは菩提樹の木陰だと言われます。菩提樹の元の名前はピパラと言ったそうで、その樹の下でお釈迦様が悟りの知恵を授かったので、「知恵の樹」という意味の「菩提樹」となったそうです。

お釈迦様は裕福な王子の地位を捨てて、人が生きていく上で最大の悩みである「老と死」を如何に克服するかの答えを求めて修行の旅に出ます。6年もの長い苦行の末に、苦行が悟りの道ではないと気付きます。その後、涼しい菩提樹の樹の下で座禅に打ち込み、遂に悟りを開きます。

ご存じのように、仏教では、神という超越的存在の力によることなく、各人はこの世の実生活の中で老死の苦悩から脱することが出来ることを教えています。実生活での諸々の欲望を捨て去り、誘惑を退けて生きていく内に、悟りが得られると言うのです。

お釈迦様は、現世の欲望に囚われている間は人は「無明」の状態にあり、禽獣に等しい生活を強いられていると言います。日常の生活で心の修行に励めば、「無明」の状態から覚醒し、「老と死」の苦悩から解放されると、お釈迦様は説きます。

仏教は元々自力救済の宗教です。実践の人生哲学です。イスラム教では、釈迦は人間であって神ではないと批判します。更に仏教は宗教ではないとまで言います。何よりも仏教には一神教でいう神は存在しないのですから、彼らの理解の外にあります。

仏教は、宗教の中では珍しく理性に訴える宗教です。礼拝するよりも実践せよと教えます。日本には神代の昔から神道という信仰がありました。その後、仏教が中国経由で伝来し、神道と折合いを付けて日本に定着します。

日本の仏教は、神道や土着の信仰と融合してお釈迦様が説いた元々の仏教とは異なった内容になりましたが、思想の基本はお釈迦様が説いたところと同じです。江戸時代以来、キリスト教は日本で熱心に布教しましたが、余り広がりません。それに対し、仏教が深く日本社会に根を下ろしたのは、仏教が説く人生哲学が日本人の肌に合ったのでしょう。

厳しい怒りの神との契約よりも、穏やかな木陰が産んだ菩提の知恵が、日本人には好まれたからです。
(以上)
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【2020/07/04 18:08】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
老人の喜びは語り合い
1.六郷町の老婆-01P 97qt
写真1 秋田県にて
2.老人-04P 88q
写真2 香川県にて

何時の頃からか老人を高齢者と呼ぶようになりました。名前を変えても老人は老人であり、年老いた人々のことです。老人という言葉が嫌われたのは、老人ボケと言うようにボケと結びついているからでしょう。

西鶴は老いれば恥多しと言いましたが、荘子にも「寿(いのちながければ)辱め多し」と述べています。更に、徒然草で兼好法師は「四十路にならぬほどにて死ぬのが程よい」とまで言いました。古人は、それ程までにボケを嫌ったのです。ボケが何故嫌われるか言うと、他人に迷惑をかけながら迷惑をかけたことが分からなくなるからです。

その意味では、若年にも壮年にもボケた人は結構います。ボケは他人に迷惑を掛けるだけでなく、本人も不幸です。ボケた人には人生の喜びが分からないからです。ボケても自分は幸せだと思う人は単なる独りよがりで、本当の幸せな人ではありません。

幸せな生活とは、毎日喜びを感じられる生活です。仕事をしている人は仕事をする中で喜びを発見しますし、仕事から引退した人でも仕事以外の趣味や社会奉仕に喜びを発見します。

更には、仕事や趣味や社会奉仕を離れても、人々は友達や知合いと語り合い、自分の経験を分かち合い、互いに勇気づけ、慰め合うことで喜びを感じることができます。人生経験の豊かな高齢者は、互いに語り合うことによって、これまでの経験を分かち合えるのです。

元気で働いていたとき、一人で趣味に打ち込んでいたときも喜びはありましたが、年老いて親しい友や知人と語り合うことは、他人の体験や考えを共有できる良い機会であり、一人では到底達成できない、もう一つの人生を生きることになります。

二枚の写真は、第一は秋田県の農村で、第二は香川県の高松城で見かけた情景です。楽しい会話が聞こえてくるようです。
(以上)
【2020/02/24 10:41】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
来世への輝ける道か
1.六本木表通り-63N 逆光の反射-06D 1712q

2.六本木表通り-63N 逆光の反射-07D 1712q

3.六本木表通り-63N 逆光の反射-08D 1712q

明るさを求めて
虫のように進んで行くが
行けども行けども何も見えない

光は反射して初めて目に見える
反射しない光線は横を通り過ぎるだけ

光のトンネルの中は輝くばかり明るい
明るすぎて何も見えない
来世への輝ける道は何も見えない

以上
【2018/01/23 09:58】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
仏陀の教えと蓮のことなど
                       1.不忍池:蓮-39D 1408q
                       写真1
             2.不忍池:蓮-42D 1408q
             写真2
                                    3.不忍池:蓮-34D 1408q
                                    写真3
                       4.田-09P 92(茨城県 85~98P)
                       写真4

インド古来の宗教はバラモン教で、お釈迦様もバラモン教徒でしたが、そのカースト制度に疑問を抱き、王位を捨てて出家し厳しい修行の道に入り、悟りを開いて仏教の開祖になりました。

お釈迦様は、現世では誰もが遭遇する病気、老い、死の苦しみから逃れる道を求め、現世での執念を捨てることが悟りの境地に入る道だと悟るのです。執念を捨てることを解脱と言い、悟りの境地を涅槃(ねはん)と云います。涅槃では煩悩が統御され、心は寂静に浸れます。

蓮の葉で覆われた池は暗くて泥沼の底は見えません。その泥沼から一本の蓮の茎が伸びて水面の顔を出し、一輪の花を咲かせます。しかし蓮の花は、密集して咲くことはなく、散在して一輪ずつ咲きます。その様は、鬱蒼と繁る蓮の波間に、一灯づつ明かりを点しているようです。(写真1)

泥沼の池の底を現世に喩えれば、そこは欲望や苦しみと言う人間の煩悩が渦巻くところです。欲望を捨て去り、苦しみを乗り越えた人だけが泥沼から這い出して、悟りの境地に達することが出来るのです。蓮の池に咲く一輪の花は、解脱した一人の人間であり、涅槃での喜びに浸る姿です。(写真2)

蓮の花は、仏教徒の日本人には特別の感情を抱かせる花です。それは、お釈迦様を連想させ、高貴で神聖な花だと感じるからです。
(写真3)

その仏教徒の多い日本では蓮の根、即ち蓮根を食べます。世界でも蓮根を食べる民族は少なく、日本人の外は中国人くらいだと言います。何故多くの国では蓮根を食べないのかと言うと、蓮は高貴な花だから食料の対象にはならないと言うのです。

蓮を高貴な花だと見るのは、仏教国に限りません。インド以西の国々、即ちギリシャ、エジプトでも蓮の花は古来、尊敬の対象でした。それは西欧の古代建築の建物や柱に蓮の花の装飾が施されているのを見ても分かります。蓮の花を尊敬する伝統は、ギリシャ文明を受け継いだヨーロッパ世界にもあるのです。

明治初期に来日し、東北地方を旅行した英国人女性紀行家イザベラ・バードは、その旅行記のなかで「あの壮麗な花の蓮が、食用!というけしからぬ目的のために栽培されている。」と痛烈に批判していますが、これはヨーロッパ人の蓮に対する共通の観念でした。

蓮という植物が日本で食物として栽培されたのは稲作と関係があります。今でもそうですが、茨城県や千葉県では田圃にするには深過ぎる沼地を蓮田にしています。弥生時代のあるとき、蓮の根を太く改良して沼地で食用に栽培し始めたのだそうです。(写真4)

外来の宗教を在来の宗教と両立させることが出来た日本人には、花の崇高性と根の実用性を両立させることなどは簡単なことでした。
(以上)
【2014/09/29 09:20】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
嫉妬の毒は凄まじい
                     宝石-01D 0910q

他人の境遇を羨むのは嫉妬の始まりですが、自分より他人が良い境遇にあるだけでは、羨むことはあっても、普通は嫉妬心を持たないものです。

しかし、その境遇の相違が不当な理由や納得できない事情で生じていると思ったとき、人は嫉妬心を抱くのです。その理由や事情が事実でなくても、本人が主観的にそう思うだけで嫉妬心が生まれます。

従って、嫉妬心の解消は理性的な説得では難しいのです。嫉妬する人は、大抵自分を客観的に見ることが出来ないのです。それが出来れば、他人との相違の由来を理解し、嫉妬心など起こさないでしょう。

世間ではよく女は嫉妬深いと云いますが、男も女に劣らず嫉妬深いのです。ただ、嫉妬心を抱く対象が男と女で違うだけです。自分を客観的にみることが出来ない点では、男女の差はありません。

嘗て、自由主義の経済学者、小泉信三は「社会主義は労働者の資本家に対する体系化された嫉妬の情である」と云いましたが、それを逆に表現すれば「民主主義は嫉妬心を政治的に解消する優れた制度である」と云えます。

民主主義制度には色々な欠陥があって衆愚政治になると批判されます。それに対して、第二次世界大戦を勝利に導いた英国のチャーチル元首相は、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と民主主義を弁護しました。

しかし、このチャーチルの弁護は「より悪くない」と言っているだけです。民主主義を積極的に弁護するなら、「民主主義は人々の嫉妬心の発生源となる差別感を無くすからよい」と言うべきです。民主主義はみんなの嫉妬心を満足させるから、衆愚政治と言われても好まれているのです。

日本の政治家の古老は云っていました。国内政治は利害ではなく怨念で動いていると。怨念の核は嫉妬心です。とすれば政治家の多くは強い嫉妬心で動いていると言えます。

鉄の宰相と言われた英国のサッチャー元首相は経験を振り返って「嫉妬は危険で破壊的で、分裂を生む感情である」と云っています。このことから、日本だけでなく英国の政治も嫉妬心の害毒に悩まされていることを知ります。

嫉妬が有害なのは、何も政治の世界ばかりではありません。個人の心の内面の問題としても嫉妬心は有害なのです。キリスト教の七つの大罪では、罪の重さを、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲と並べていますが、なんと罪の重さとしては嫉妬は傲慢に次いで第二位です。    

傲慢でない人は、他人の傲慢を感じることはないそうです。他人を傲慢だと感じる人は、自分も傲慢であると知るべきだと言います。同じ論法で、他人を嫉妬深いと感じたときは、自分も嫉妬心を抱いているときかも知れません。或いは、嫉妬心は嫉妬心を呼ぶとでも云うべきかも知れません。

嘗てトルコを旅してトルコ石を買い求めた店で、これを常に身につけなさいと写真にある石を貰いました。これをお守札として身につけていると、他人から発せられる嫉妬心から身を守ることが出来ると云うのです。トルコ人も身に覚えのない他人からの嫉妬の毒に随分悩まされてきたのでしょう。
(以上)
【2014/04/03 21:51】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
読書は充実した人間を創る
人々の活字離れが進んでいると言われて久しくなります。最初はテレビを見る人が増えたためでしたが、最近はインターネットの普及で、印刷された書物や雑誌は益々読まれなくなったのです。

しかし、考えてみれば大衆が読書をするようになったのは、20世紀に入ってからです。それ以前は、読書はインテリやエリートたちに限られていました。大衆にとって書籍は高価でしたし、彼らに読書する時間的余裕もありませんでした。

日本では、大正時代の後期から昭和に掛けて書籍の出版が盛んになり、容易に書物が人々の手に届くようになりました。と言うことは、日本では読書の習慣が人々の習慣に根付いてから未だ百年も経っていないのです。

でも、高学歴の普及で読書人口も当然増えて良い筈です。それなのに活字離れは彼らの間でも進行していると嘆く声を聞きます。しかし、それは元々読書人たり得ない人々までが高学歴を求めた結果であって、本当の読書人は学歴に関係なく限られているのです。

戦後の日本の出版界では、もう一つの新しい運動が起きています。それは漫画本の隆盛です。漫画を読む人が活字を読む人より幼稚だと言う訳ではありません。伝達する文化の高さは形式より内容にありますから、漫画本を読むのも立派な読書となり得ます。

人類が地球上に現れてこの方、外界の情報を得るのは殆どが外界の映像を見ることによってでした。現代でも活字より映像によって得る情報の割合は、圧倒的に大きいのです。漫画の画面は見た瞬間に理解され、ストーリーも間違いなく伝わります。

印刷媒体の世界でも漫画本が盛んになるのは自然の現象なのです。その漫画本が日本のサブカルチャーとして世界に広く受け入れられているのも、自然の流れなのでしょう。

それにも拘わらず、伝統的な書物を取り扱う古本屋さんは、減っていないようです。それどころか、インターネットの普及で古書探しは便利になり、売買の規模は増えているそうです。

世界一の規模と言われる神田の古書店街では、老舗の店舗は健在です。扱う書籍の専門化が進んで特定の分野の書籍に特化する本屋も増えました。新手の書店も増えています。神田の古書店街は縮小していませんし、定期的に開かれる神田の古本市には、今でも沢山の人が集まります。(写真1、2)

1.神保町古書街-18D 0910qt
写真1
2.神保町古書街-22D 1211qt
写真2

テレビやインターネットの普及にも拘わらず、活字を通して知識や情報を獲得する人々が減らないのは、読書には隠された効用があるからです。その効用は映像を使う漫画本では得られず、文字を使う書物を読むことで得られます。

文字を読む(この点ではインターネットも読書と同じです)と言う行為は、単に知識を獲得するだけでなく、人間の頭脳に抽象的な概念操作を要求するのです。人間の脳は、読書の過程で概念操作を繰り返しているのです。(写真3)
3.書物-01D 0612qt
写真3

人間の知性と感性は、具象を認識するだけでは十分発達せず、抽象を理解することで大いに発達するのです。人間は文字という抽象表現を使うことによって、概念操作を活発に行い知性と感性を磨いているのです。(写真4)
4.図書館-09D 0905q
写真4

シェイクスピアと同時代の哲学者、フランシス・ベーコンは、「知は力なり」と言ったことで有名ですが、同時につぎのようにも言っています。「会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間をつくるが、読書は充実した人間を作る」と。
(以上) 
【2013/10/12 22:50】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
死生観 西洋人と日本人との違い
                     外人墓地-04P 99r

西洋人と日本人とは物事の考え方に違いがありますが、人生の最大事、死についての見方の違いも大きいものがあります。

それでは、死についての西洋人はどう見ているでしょうか?

フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコオは辛辣な人間観察者として有名ですが、彼はその箴言集で死を次のように言います。
「じっと見つめてはいられないものがある、太陽と死と。」

太陽は明るすぎるためですが、死は恐怖のためです。
ラ・ロシュフコオは言います。死を識る者は甚だ稀である。人は普通、覚悟して死ぬのではなくて、茫然として、しかも慣習によつて死ぬのである。そして、恐怖のため人間は死を直視することが出来ない、と言うのです。

自分自身の死でなくても、愛する人に死が訪れたとき、人は恐れ、悲しみ、死を呪います。このような死に対する否定的な態度は、感情的なものであり、論理的ではありません。

人が感情的に否定する死を、冷静に、論理的に観察した人が居ます。ガリヴァー旅行記で有名な風刺作家ジョナサン・スウィフトです。

彼は次のように言っています。
「死ほどに自然で、不可欠で、普遍なものが、神の摂理によって、人間への災いとして目論まれたなどということはあり得ないことである。」

ジョナサン・スウィフトの死への理知的な理解は、人々が抱いている神秘的な感情を解きほぐしてくれます。死の無い人生は耐えられないほど悲惨なものになり、死の無い社会は不健全になることは、少し冷静に考えれば分かることです。西洋人は死を現実として受け入れるのに、このような論理を用います。

それでは東洋人は死をどのように受け入れているでしょうか?

お釈迦様は、死もまた「苦」(思うに任せぬこと)であり、自分には自由にならないと語っています。人間は生まれるときが自分の意志でなかったように、死ぬときも自分の意志では決められないと言うのです。

また、仏僧でもあった兼好法師は、徒然草で「死期(しご)はついでを待たず」言って、死には順番など無いと言っています。人間にとっては「死に方」も「死ぬ時期」も、そのときの「巡り合わせ」によるのだと言うのです。

理知的に死を理解したジョナサン・スウィフトに対して、兼好法師は情感的に死を理解します。
「世は定めなきこそいみじけれ(世は無常だからこそ、すばらしいのだ)」と。

人間は他の動物に比べて寿命は長いけれども永遠に生き続けるわけにはいきません。もし終わりがなく生きながらえるとすれば、人間は「ものの哀れ」を解することも出来ない情けない存在になってしまう、と言うのです。

また、西行や芭蕉は、自然との結びつきの中に生きる意味を見出して詩歌を詠った放浪の詩人でした。彼らは、感情移入する自然に自らを没入して一体となります。その自然は、彼らにとって現世であると同時に、あの世でもありました。

西洋人は死を論理で受け入れるのに対して、日本人は死を自然なものとして情感のまま受け入れているようです。

人間が死に対して意識的に対峙するのに対して、動物の死は自然体です。巨体にも拘わらずその死体を人に見せない像、街中で無数に生息するのに滅多にその死体を人に見せない雀がいます。彼らどうして跡形もなく消え去るのでしょうか? 彼らは「死に方」と「死ぬ時期」を知っているのです。

写真は函館郊外の外人墓地です。そこでは西洋人も日本人も仲良く同居しています。
(以上)
【2013/04/18 16:10】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東洋人と西洋人の孤独感と幸福感
                     1.アーハウス-03Pr

人は皆、老いて一人で死んでいきます。その時、若いときには感じたことのない孤独感にさいなまれると云いますが、東洋人と西洋人ではその孤独感は大分異なるようです。

心理学者で文化庁長官でもあった河合隼雄氏は云います。
西洋人の孤独感は独立峰の頂上に一人置かれて感じるものであり、東洋人の孤独感は深い谷間に閉じこもって感じるものであると。

西洋人が見る死の際の光景は、独立峰の頂上で見渡す限り空を見るだけで、過ごしてきた世界は遙か彼方の下界にあります。頼るのは自分だけであり、ここで神と一人で対峙する不安は極限に達するでしょう。教会の尖塔は天を目指す信仰心を表すと云いますが、死の際での人々の心境をも示します。(写真)

東洋人が見る死の際の光景には、人々と別れる寂しさはありますが、自然に還る安らぎがあります。深い谷間は母の胎内を連想し、生まれ出たところへ戻る気持ちになります。

理想郷と言うものに対する東洋人と西洋人のイメージはかなり違います。理想とする最後の世界を東洋人は桃源郷と言いますが、西洋人はユートピアと云います。ユートピアは人工的に完成された理想的な場所であり、桃源郷は森林草木が造り出す自然界です。

幸福感を感じる場所も、孤独感を味わう場所も、東洋と西洋ではかなり違うようです。個人主義思想はキリスト教と深く結びついていると言いますから、このような東西の差異が生じたのは、キリスト教が普及したローマ帝国の末期からかも知れません。

司馬遼太郎は「この国のかたち」で次のように書いています。
「(日本では)村落も谷にできた。近世の城下町も、谷か、河口の低湿地にできた。」
「中国の場合、揚子江流域は稲作地帯で、谷を好んできた。「老子」にいう”谷神ハ死セズ”の谷である。」

東洋では山や丘に囲まれた低地こそ人々の住む所であり、豊穣の恵みをもたらす場所でした。桃源郷は、山奥の穴をくぐると草木と樹木が茂り、花が咲き乱れ、小鳥が啼く平穏な農村として、陶淵明の詩に描かれています。

輪廻再生を説く東洋の仏教には楽観を感じますが、神の裁きを待つ西洋のキリスト教には悲観が漂います。自然と同化することが幸せと捉えた東洋思想の桃源郷には連帯感がありますが、汝の隣人を愛せと説いた西欧思想のユートピアには孤独感があります。
(以上)
【2012/12/27 13:23】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高齢化の時代の微笑ましい光景
                   1.銀座通り-006D 05.6qt
                   写真1
                 2.老人-04P 88r
                 写真2
                 3.ボストン-02Pr
                 写真3

日本は高齢化の時代に入ったと言われます。
高齢者が病気になって通院したり入院したりすれば、本人が苦痛であるだけでなく、医療保険の公的負担も大きくなるので、高齢者は病気に罹らず元気でいるだけで社会貢献していることになります。

多くの地方自治体で高齢者にシルバーパスを発行して足代を安くしたり、映画館、美術館、博物館、庭園などの入場料を割引しているのは、高齢者への感謝に気持ちをあらわすことでもありますが、元気な高齢者には家に閉じこもらず戸外に出で益々元気になって欲しいとの配慮だと言われます。

私も高齢者の一人なので、シルバーパスを購入して、暇さえあればカメラを片手に散歩に出かけて、写真撮影を楽しんでいます。

ここに掲げた最初の写真は、散歩の途中で銀座で見かけた光景です。高齢のご夫婦が甘味処で何を食べようか相談しています。後ろ姿には老夫婦の仲睦まじい雰囲気が良く出ています。お若い頃デートで会ったお店でしょうか、それとも家族連れで入ったお店でしょうか。そんなことまで想像しながらスナップしました。(写真1)

次の写真は、四国の高松城址公園で、ベレー帽をかぶった老人二人が、暖かい日差しを浴びて語り合っているところを撮ったものです。同じ職場の同僚だった仲間なのか、或いは若い頃の学友なのか、昔を語り合えば話は尽きない仲と想像しました。(写真2)

三枚目の写真は、家内とアメリカ旅行をした際、ボストン港の波止場でベンチに座り語り合う老夫婦を撮影したものです。港は船が大海へ出て行く場所ですが、海洋での仕事を終えて帰ってくる場所でもあります。人生にも門出の場所と終着の場所があるとすれば、港ほどそれに相応しい場所は外にないでしょう。老夫婦は、人生の終着駅で懐かしい過去を語り合っているのかも知れません。(写真3)

高齢化時代の微笑ましい光景を見て、人生が終わる頃にも充実した楽しい時間があることを知りました。
(以上)
【2012/11/18 21:45】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本人の死生観と美観
 「太陽と死はじっと見つめることができない」とはフランスのモラリスト、ラ・ロシュフコーの言った言葉ですが、ノーベル文学賞作家川端康成は、友人や知人の葬儀に参列すると、死者の顔をじっと見つめ、暫くその場を立ち去らなかったと言われます。

それは他者の死であって自分の死ではないから当たり前と云ってしまえばそれまでで、川端の意図は分かりません。それでは親しかった人の死顔をじっと見つめる川端康成は何を見ていたのでしょうか。

その理由は、幼いときに両親を亡くし祖父母に育てられた孤独な生い立ちと、そしてノーベル賞受賞記念講演で語った「美しい日本の私」の中に、それを見出す鍵があるように思います。

川端康成の名作「雪国」は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」で始まります。

長いトンネルはこの世とあの世の境界線であり、その後の物語はあの世のことを暗示しています。後に川端自身が「雪国」はあの世のことを書いたと言っています。

日本人の生活は常に自然に深く結びつき、その自然はあの世から続いていると川端は考えていたようです。川端が自然について語るとき、常に自然の向こうにある黄泉の国を見つめていたのではなでしょうか。

古来からの日本人の自然崇拝は、自然に対しての恐怖と言うよりも感謝の念であった思います。その感謝の念は、自然は美しいものと言う感覚を日本人に与えました。文学に現われ国民思想を研究した津田左右吉は、日本人は真・善・美の中で最高の価値を美に与えていたと云います。

川端が「美しい日本」というとき、それは日本の自然は美しいと云うことであり、自分はその美の中に居るとの意識です。

古来日本ではこの世の汚いものは穢らわしいものとして忌み嫌いました。西洋流では罪は懺悔で解消されますが、日本流では穢れは禊ぎで解消されます。不潔は悪であり、汚れていないことが美観の前提条件でした。その意味で美の対極は醜ではなくて悪でした。

一般には死は忌むべきものというのが社会の通念です。死は悪である筈です。しかし川端は、死は人間が自然に還る門出であると見ていたのでしょう。美しい日本は自然の中にあります。その美しい自然に還ることが悪である筈がありません。

川端は死者の顔をじっと見詰めて祝福していたのかも知れません。
(以上)
 
【2012/09/05 08:31】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
人間はよく生きているか?
                     黴-01D 1104q
                  黴-10D 1106qt
                   
ウイルス学者で、医の倫理についても造詣の深い、故川喜田愛郎千葉大学教授は、生物の生き方について、面白い分類をしておられます。

川喜田教授によれば、生物の「生きる」方法には異なる段階があると言います。それは「ひたすら生きる」「巧みに生きる」「弁(わきま)えて生きる」「良く生きる」と言う四段階があると言うのです。

ウイルスは生物と無生物の間の生きものですが、観察しているとウイルスはひたすら生きていると言うのです。それが動物になると巧みに生きるようになり、更に高等動物になると弁えて生きる術を憶えると言います。そして人類は、良く生きようとする動物だと言うのです。

これを私流に解釈すれば、弁えて生きる高等動物は身の程に合った生き方で留まるのですが、良く生きる人間は身の程を越えて理想を求めて生きる動物と言うことになります。近代科学の発達は、理想を求めて生きてきた人類の努力の賜でしょう。

他方、人は、理想を求めて躓き、悩み、悲しみ、怒りを経験します。しかし「良く生きる」とはこれらの全てを乗り越えた暁の心境でしょう。

孔子は論語で「われ、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)をこえず」と言いました。

そうすると、川喜田教授の言う「ひたすら生きる」「巧みに生きる」「弁えて生きる」「良く生きる」と言う四段階は、孔子の言う何歳の相当するのでしょうか?

十有五歳は「ひたすら生きる」であり、四十歳は「巧みに生きる」であり、五十歳は「弁えて生きる」であり、七十歳は「良く生きる」と言うことになります。

しかし、現実は高齢に達しても「良く生きる」ことは難しいもので、多くの高齢者は躓き、悩み、悲しみ、怒りを経験し続けています。

写真は、大きな岩に繁殖した黴(かび)の生態です。
彼らは「ひたすら生き」て来たのですが、岩石の表面を使って「巧みに生き」ており、岩石から飛び出すことなく「弁えて生き」ています。この状態では「良く生き」ているか否かはわかりませんが、少なくとも、その姿は芸術的ですらあります。
(以上)
【2011/07/09 21:11】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
恋は目より入る
                   千鳥が渕-04N 03c
                      恋人-01D 1104qt

アイルランドの詩人イェイツは「酒の歌」で詠みます。
  酒は口より入り、恋は目より入る
  われ杯を口にあげ、君を眺めて嘆息す

一目惚れという言葉がありますから、やはり恋は目から入るもののようです。

小説「若きウェルテルの悩み」は、ゲーテが少女ロッテに一目惚れし、彼女が親友の許嫁(いいなづけ)であることを知り、悩んだ体験をもとに書いた小説です。ゲーテは悩んだ末、少女のもとから去りますが、小説では一目惚れの激しさを主人公の自殺で締めくくりました。

画家シャガールは故郷ベラルーシのヴィテブスクで13才の少女ベラの瞳を一目見て、将来の伴侶と決めたと書いています。数年パリで絵の勉強をしたのち故郷に帰り、ベラと結婚します。二人が空中に浮いてキッスしている「誕生日」というシャガールの絵画は、一目惚れの心境を絵にしたものでしょう。

フランス語では一目惚れのことを「雷鳴の一撃」と言います。この言葉は、目と目が合い、火花が散り、一種の神憑り的な心境を表しています。

しかし、日本文学の古典、源氏物語では、確かに一目惚れが描かれていますが、光源氏の表情と行動は間接的であり慎重です。一目惚れの表現にも洋の東西で違いはあるようです。

文学作品の中や芸術家だけが一目惚れをするわけではありません。私達も若いときは一目惚れの経験はしています。恋は盲目と言いますが、人は分別がつくようになると一目惚れする機会は少なくなります。二人の生活環境を想像できる年頃になれば、高嶺の花だと諦めるからです。

でも、やはり分別のつかない頃の初恋はいいものです。鉄棒の留まって皇居のお濠を眺めている若い二人、神社にお参りしてお神籤を読んでいる若い二人は幸せです。目から入った恋を、相手の目の中に確認しなくても安心できる二人は幸せです。
(以上) 
【2011/07/01 12:40】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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