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郷愁を覚える商店の商品たち
盛岡市内にて

商店は店先で商品を展示して販売するのが普通でしたが、最近はテレビで広告したり、インターネットに映像を載せて販売する方法が圧倒的に多くなっています。

高級な自動車や家屋までインターネットで閲覧して購入する人達もいるそうですから、これからは商品を店先に展示して販売する方法は少数派になっていくのかも知れません。

写真は、ある地方都市で見かけた荒物屋の光景です。店先に掃除道具が丁寧に並べてありました。熊手や高箒(たかぼうき)は郷愁を覚える道具です。また、荒物屋の店構えにも懐かしさを覚えます。

この商店の店先に並べられた商品の姿から、この地方の人々の日常生活を想像することができます。この地方では、毎年同じ行事が繰り返され、ゆっくりと時間は流れて、安心できる生活が営まれているのです。

何でもデジタル化する時代に、ここだけはアナログの世界が残っていたので気が安らぎました。でも、このような光景はいずれは消えていくのでしょう。
(以上)
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【2020/05/02 13:31】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
下町に未だラウ屋さんが居た頃
湯島天神-01N.jpg
湯島天神-02N

これも旧い話ですが、江戸時代から続く珍しい商売が昭和30年代の東京に未だ残っていた話です。

江戸時代に喫煙の習慣が始まると、下町に煙管(キセル)を修理する行商人のラウ屋が出現しましたが、そのラウ屋が戦後の昭和にも修理器具を備えた屋台車を曳いて営業していました。

煙管で煙草を吸っていると管の中に脂(やに)が溜まり吸いにくくなります。ラウ屋はその脂を取り除くのが仕事です。煙管の吸口と雁首との間にある竹の管を新しいのに取り替え、吸口と雁首の内側の脂を蒸気で溶かし掃除します。取り替える竹の管はラオスから輸入していましたので、修理屋の名前がラオ屋になった次第です。

今では煙草は殆ど両切りの紙たばこですが、昔は煙草の葉を刻んだキザミという煙草が売られていて、これを指で小さく丸めて煙管の口に詰め込み吸いました。今でも歌舞伎や時代劇で、旦那や女将さんが長火鉢の脇で煙管をふかす様を舞台で見ることがありますが、両切りの紙たばこを口にくわえるより、ずっと粋な姿です。

ところで汽車や電車の不正乗車する方法に嘗て「キセル」と称する方法がありました。改札を入るときの一区間と出るときの一区間だけカネ(煙管の金属部分)を払い、中間を無賃乗車する方法でしたが、今はスイカやパスモの時代なので「キセル」は出来ず「キセル」という言葉も消えました。

もう60年以上も前、梅が咲く頃、湯島天神で営業しているラウ屋さんを見かけました。時々、煙管の掃除用の蒸気で汽笛を鳴らして存在を周囲に知らせていたので気付きました。甘酒で一服しているラウ屋さんの屋台の箱には沢山の煙管が並んでいました。その当時でも既に珍しい姿でしたので写真に収めておきました。
(以上)
【2020/04/14 12:42】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
畑の紋様はランド・アート
1.畑-24P 89 qr
写真1
2.畑-03P 95q
写真2
3.畑-16P 85qr
写真3
4.畑-04P 95q
写真4
5.畑-09P 90q
写真5
6.畑-20P 93q
写真6
7.畑-19P 92qt
写真7
8.畑-14P 90q
写真8
9.畑-22P 85qr
写真9

畑は畠とも書きますが、両方とも意味も読み方も同じで、水田以外の農地を意味します。しかし、元々は「畑」は焼き畑を意味し、「畠」は白田(はくでん)と書いて焼き畑以外の農地を指しました。

畑には畝(うね)があります。蒔いた種や、出た芽を風による被害から守るのが畝の役目です。同時に、畝は作物の種類を区分して、農作業をし易くする整理整頓箱のようなものです。
(写真1)

その整理整頓箱の姿は、作物の生長に応じて変化します。畝の線をなぞらえて、芽生えは真っ直ぐに延びたり、或いは微妙にうねりながら延びています。真っ直ぐな畝は機械耕作の畑であり、うねる畝は手作業の畑でしょう。
(写真2、3)

ビニールの衣装を纏って芽を出す畝もあります。
衣装には、白いものもあり、黒光するものもあります。
全身に衣装をすっぽり被る畝もあり、片肌脱いだ畝もあります。
縁取り縫いのステッチのある衣装を纏うお洒落な畝もあります。
決められた場所に二列に整列して芽を出した行儀の良い畝がありました。
(写真4、5、6、7)

広がる畑を見渡せば、畝は畑の絵柄となります。
或る畑の大地は、時にはきめ細かな小紋の着物を纏い、時には艶やかな絞り染めの着物を纏います。

ランド・アートはナスカの地上絵だけではありません。零細農業の日本の農地には、無数のランド・アートが、誰にも観賞されること無く、描かれては消えていきます。それを発見するのは農村散策の楽しみです。
(以上)
【2020/01/31 14:15】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夏に小笠原諸島を訪ねて
1.三日月山中腹より:二見港-01D 1409q
写真1  父島の二見港

2.おがさわら丸-01D 1409q
写真2 父島の二見港に停泊する連絡船おがさわら丸

3.三日月山展望台-04D 1409q
写真3 父島の三日月山展望台

4.三日月山展望台より-02D 1409q
写真4 父島の三日月山展望台から見た島々

5.小港海岸-14D 1409qr
写真5 父島の小港海岸

6.父島大通り-05D 1409qr
写真6 父島の大通り

7.父島裏通り-09D 1409q
写真7 裏通りのみやげもの屋に掲げられた日章旗と旭日旗

8.父島:花-04D 1409q
写真8 ブーゲンビリアは南国の花

9.花飾り-01D 1409q
写真9 芝生にも花のアート

10.父島二見港:漁船-03D 1409q
写真10 父島を背景に出帆を待つ漁船たち

11.扇浦海岸:飛鳥Ⅱ-01D 1409qr
写真11 豪華客船 飛鳥

12.青灯台岸壁-14D 1409qt
写真12 民族衣装で観光客歓迎のダンス

13.父島二見港出航-02D 1409q
写真13 離島する飛鳥に漁船は送別のパレード

14.父島二見港出航-25D 1409q
写真14 船で追走しながら送別の挨拶を送る島民達

15.父島二見港:沿岸風景-10D 1409q
写真15 夕焼け空に父島の島影が浮かぶ。

16.小笠原父島:落日-10D 1409q
写真16 雲の隙間から輝きを放つ落日

小笠原諸島は東京都の島です。
1000キロメートル離れた南太平洋に浮かぶ30余りの島です。

人が住んでいるのは父島と母島の2島だけです。
飛行場が無いので島の玄関は父島の二見港です。
東京港から連絡船で一昼夜の航海になります。
(写真1、2)

父島の高台から見る近くの島影は父島の自画像でしょう。
海面からそそり立つ緑濃い島々です。
広大な太平洋の水色の背景に、くっきりと浮かび上がります。
(写真3、4)

小笠原の自然は独自の生態系なので、植物、昆虫など珍しい発見があります。
世界遺産に登録(2011年)されてから訪問者は増えています。
(写真5)

父島の大通りは整然とした街並みで、バスも走ります。
みやげもの屋に日章旗と旭日旗がはためいていました。
小笠原諸島は最南端の日本の領土です。
(写真6、7)

小笠原の家並みには南国の花、ブーゲンビリアが似合います。
足許の芝生にも可愛い花飾りがありました。
(写真8、9)

小笠原諸島は観光が主要産業ですが、漁業も盛んです。
小型の漁船で南太平洋の彼方にまで出かけます。
(写真10)

偶々、豪華客船の飛鳥が小笠原島に寄港していました。
島民は民族衣装で大歓迎です。
(写真11、12)

去りゆく豪華客船に漁船は全力疾走のパレードで見送ります。
島民達は海上まで出かけて見送りの挨拶を送ります。
飛鳥の船縁からも有り難うと挨拶を交わします。
(写真13、14)

やがて、水平線に沈む太陽は小笠原の空を橙色に染め上げます。
父島の島影を浮かび上がらせて、落日と雲のドラマは尚続いていました。
(写真15、16)
(以上)
【2019/08/31 16:01】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高層ビル群を繋ぐ巨大な跨線橋は歩く広場に
1.新宿南口:高島屋への跨線橋-10D 161qrc

2.新宿南口:高島屋への跨線橋-03D 0701q

3.新宿南口:高島屋への跨線橋-06D 1611q

激動の昭和時代に続く平成の時代も終わった
去りゆく平成を顧みて人は停滞の20年と言う

しかし
昭和時代には超高層ビル群は新宿西口だけだった
今や都心部のどの核都市にも超高層ビル群が聳えている
都内の街に超高層ビル群が建ち並んだのは平成の時代だったのだ

新宿南口では
道路の跨線橋は拡幅された
歩道の跨線橋も新設された
鉄路で二つに分断されていた高層ビル群の街は跨線橋で繋がった

跨線橋の両側の超高層ビル群は急接近する
超高層ビル群の端と端が繋がれば端は中央になる
そして、巨大な跨線橋は歩く広場になった
(以上)
【2019/07/18 18:52】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小塚原回向院と日本近代化
小塚原回向院-02D 0702qr
写真1
小塚原回向院-08D 0702q
写真2

日本の近代医学は、幕末に杉田玄白たちがオランダ語の医学書を「解体新書」として翻訳したことに始まります。当時(1773~4年)、オランダ語の辞書はありませんし、西洋医学が対象とした人体の器官の名称も日本語にはありませんでした。ですからオランダ語の医学書を日本語に翻訳することは大変な難事業でした。(因みに神経、軟骨、動脈などの熟語はこの翻訳で作られたのです)

小塚原の処刑場で刑死者の腑分けに立ち会った杉田玄白たちは、原著「「ターヘル・アナトミア」の記述が詳細にして正確なことに感銘して、困難な翻訳に着手しました。「解体新書」は医学の専門書でしたが、その社会的影響は大きく、その影響で江戸末期には蘭学が盛んとなり、明治時代になって西洋の近代科学を日本が受け入れる素地を作ったとも言われています。

小塚原処刑場跡の近くにある回向院は、寛文7年(1667年)刑死者を弔うため両国回向院の別院として設立された寺です。幕末には幕府の鎖国政策に反対して命を落とした吉田松陰などの憂国の志士たちが多数ここに埋葬されました。日本の近代化を成功させた明治維新は、江戸末期に命を賭して戦った彼ら志士たちの存在なくして成就できなかったでしょう。(写真1)

その志士達のお墓の入り口に「蘭学を生んだ解体の記念に」という一文を刻んだ石碑が建ててあります。その石碑には日本医師学会、日本医学会、日本医師会の連名で、「解体新書」は日本の近代文化が芽生えるきっかけとなったと記しています。回向院は日本の近代化と深い縁で結ばれている寺です。(写真2)

小塚原回向院は、荒川区の南千住駅近くにある小さな寺ですが、政治的にも、文化的にも、西欧の衝撃を受けた日本が鋭く反応したときの記憶を留める寺です。志士たちと医学者たちを結びつける不思議な縁(えにし)の寺です。私たちは彼らのお陰で今日を生きていることに思いを致すためにも、小塚原回向院に一度お参りしては如何ですか。
(以上)
【2019/03/21 11:29】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
樹木の美しいプロフィール
1.樹木-55D 1712q
写真1
2.樹木-71D 1712q
写真2
3.樹木-52D 1712qr
写真3
4.樹木-82D 1712q
写真4

紅葉した樹木は夕日に映えて鮮やかに
すっくと揃って立った清々しい姿(写真1)

シルエットは枝葉の模様を浮き彫りに
整列した荘厳な姿(写真2)

落葉の巨木は骨格を露わにして
鎮座する盤石な姿(写真3)

秋空の夕雲を背景に
髭もじゃの大木は仁王立ちする姿(写真4)

樹木のプロフィールは全て美しい

(以上)
【2019/02/07 12:11】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ギンナン拾いの季節
1.ぎんなん-04D
写真1 路上に落ちて散乱したギンナンの実

2.銀杏:人物-14D 05
写真2 黄落しきりの銀杏の木の下でギンナンを拾う人

ギンナン拾いの季節は10月から11月です。この頃になりますとイチョウの木の下でギンナン拾いをする人々をよく見かけます。

ギンナンの果実は、木から落ちるときには既にかなり熟していています。橙色の腐れかかった果実は独特の異臭を発します。その果実の上にイチョウの葉が落ちてギンナンを覆います。
(写真1)

イチョウの枯れ落葉の下に隠れた果実は、果肉を脱いで堅い殻の実になります。ギンナンを探すには、その臭いが手がかりになります。臭いのある付近のイチョウの落ち葉を踏みしめながら、足でその所在を確認します。

ギンナンは果肉を食べるのではなく、果肉に覆われた堅い殻の中にある実を食べるのですが、果肉を取り除く時かぶれるので注意をしなければなりません。それに、固い殻を割って中の実を取り出すのも結構手間がかかります。

それまでしてギンナンを食べようと、ギンナン拾いをする人が絶えないのは、ギンナンの実は、やや渋みのある独特の美味だからです。それに高血圧と動脈硬化の予防に良いそうです。

地上のものを拾って食べるという行為は、汚さや貧しさをイメージするので、見苦しい行為に見られる筈ですか、何故かギンナン拾いに関しては、秋の風景として抵抗感はありません。
(写真2)

これからの季節、寺や神社の境内のイチョウの木の下に来たら、足でギンナンを探ってみてはいかがですか?
(以上)
【2018/10/31 16:56】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初秋の空に雲の妖怪現る
1.雲-14D 0910qt

2.雲-12D 0910qt

猛暑、酷暑と言われた夏も過ぎ、朝夕は秋の風が吹き始めました。
初秋の夕方、空を見上げると、住宅地の真上に雲の妖怪が現れました。
ねぐらに帰るカラスは怯えて飛び去ります。

雲は造形の魔術師です。
秋空に色々の雲が現れます。
いわし雲、ひつじ雲、わた雲
真夏の入道雲に比べると、秋の雲はみんな優しい雲たちです。

でも、目、鼻、口がある妖怪雲は不気味です。
カラスでなくても逃げ出します。
秋風が急に冷たく感じました。
(以上)
【2018/10/09 21:24】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
銀杏並木の幾何学的造形美
写真1
1.神宮外苑銀杏並木-45D
写真2
神宮外苑銀杏並木-36D
写真3
3.神宮外苑銀杏並木-27D
写真4
4.神宮外苑銀杏並木-29D 1805q
写真5
5.神宮外苑銀杏並木-35D 1805qt
写真6
6.神宮外苑銀杏並木-26D 1805qt

庭園の美しさは日本と欧米では違います。日本では、庭園に自然の美しさを表現しようとしますが、西欧では庭園に人工的な美しさを表現しようとします。

京都の桂離宮は、自然から不自然なものを取り除いて完成したと云われます。ヴェルサイユ宮殿の噴水庭園は、自然を改造して建設しました。

庭園内の樹木や草花も、日本庭園では自然のままに似せて植えますが、西欧庭園では整形した樹木を整然と植栽します。枝振りの良い梅や松の木を西洋庭園に植えた景色を想像すれば、両者の違いは歴然とします。

ところで、東京にも明治神宮外苑と言う西洋式庭園があります。聖徳紀念絵画館とその前の庭園と、そこに至る参道のような壮大な銀杏並木は、日本では珍しく大規模の西洋式庭園です。

この神宮外苑の銀杏並木は、秋の黄葉のときが大変有名です。人々は歩道に敷き詰めた黄落の絨毯を踏みしめながら、頭上の銀杏並木を観賞するのです。

しかし、新緑の初夏、この銀杏並木を訪れる人は数えるほどしか居ません。歩道には子供連れの家族が散歩し、車道には若いカップルが座り込んでいます。そそり立つ新緑の銀杏並木を見上げる人は誰も居ません。
(写真1、2)

そこで銀杏並木を見上げると、右も左も円錐形の銀杏の木が一列縦隊で整列しています。まるで銀杏の木を一本づつ同じ形に刈り込んで並べたようです。幾何学的に刈り込んだフランス庭園を見ているようです。
(写真3、4)

車道の真ん中に立って正面を見ると、視線は透視図法によって描かれた透視図を見ているようです。振り返って見ても同じように目は焦点に吸い込まれます。銀杏並木の行列は幾何学的美しさで直線で続いているのです。
(写真5、6)

思わぬところで思わぬ季節に、西洋庭園の幾何学的美を発見した次第です。
(以上)
【2018/07/20 12:16】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅雨の晴れ間に緑和らぐ山肌
1.熱海邸より-03D 1705q

2.熱海邸より-33D 1705q

3.熱海邸より-26D 1705q

4.熱海邸より-23D 1705q

5.熱海邸より-14D 1705q

梅雨空の晴れ間
太陽が顔を出す
春霞のように辺りに漂う湿気を帯びた空気
雲間から山の稜線が浮かび上がる

山肌のまだら模様は樹種の違い
針葉樹は色濃く力強く
闊葉樹は淡く綿布団のよう柔らかく
自然劇場の幕間の一瞬<
以上
【2018/07/06 11:45】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
地味だけど美しい初夏のモミジ
1.主屋とモミジ-03D 1804q
写真1
2.主屋のモミジ-01D 1804q
写真2
3.主屋のモミジ-03D 1804q
写真3

初夏のモミジは、柔らかく明るく美しい葉で身繕いします。

その葉は、暖かい藁葺き屋根よりも軽やかで、羽布団の様に柔らかです。

陽の光は、淡く薄い葉を通してモミジの樹幹を照らします。

葉越しの間接照明は、屈曲するモミジの美しい枝振りを浮き上がらせます。

初夏のモミジには秋にない地味な美しさがあります。

(以上)
【2018/06/16 09:01】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ビルの窓拭きは粋な仕事
1.日比谷通り:窓拭き作業-02D
写真1
2.日比谷通り:窓拭き作業-04D
写真2
3.日比谷通り:窓拭き作業-05D
写真3
4.やもり-01Pt
写真4

昔は、街を歩いていると、時々一本の縄につり下がってビルの窓拭きをしている人を見かけましたが、今はビルが高層化しましたので、ビルの屋上から細長いゴンドラを吊り下げて、それに複数人が乗って窓拭きをしています。更に、超高層化ビルではゴンドラは風に煽られて危険だというので、今では無人の機械で窓掃除をしています。

ですから、今は一本縄の曲芸的窓拭き光景は滅多に見かけませんが、最近、日比谷通りで昔ながらの一本縄窓拭きの現場に出会いました。中層階のビルでは、今でも昔ながらの窓拭き作業は行われているのです。
(写真1)

屋上からつり下がった長いロープに身を託して、下降しながら巧みに窓から窓へと左右に渡り歩き、手際よく窓の拭き掃除をしていました。新年の消防出初式で行われる梯子乗りより高い所で、長時間作業するのですから、さぞかし大変な仕事だろうと思いました。
(写真2、3)

昔見たビルの窓拭き掃除は、四人の拭き手が、足並みならぬ手並みを揃えて、見事な連携プレーをしていました。遠くから見ると、拭き手はビルに張り付いたオブジェのようです。いや、動いていますからオブジェではなく、壁面に張り付いている大きなヤモリのように見えました。窓拭きは家を守るのですから家守り(ヤモリ)に違いありません。
(写真4)

高層建築や橋梁建設を組み立てる高所で働く鳶職人は現場の華と言われ、粋な職業だそうですが、一本縄の曲芸的窓拭きも粋な仕事なのです。
(以上)
【2018/06/02 18:08】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
あれは何でしょう?
1.船内の人物
写真1
2.東京湾アクアライン:風の塔-07D
写真2
3.東京湾アクアライン:風の塔-01D
写真3
4.東京湾アクアライン:風の塔-11D
写真4

船旅に出るとき、東京湾を航行していると川崎沖辺りで不思議なものを見かけました。
遠くから逆光で見ると、大きな帆を膨らませて船が一艘迫ってきます。
船体を見ると、だるま船のような幅広の大きな船です。
荷物を満載しているのか、船縁が極端に浅い船です。
(写真1、2)

乗っている船が回り込みますと、大きな帆船の正体が分かりました。
帆に見えたのは換気のための塔でした。
それも大小二つの換気塔が背中合わせに建っていました。
それは東京湾アクアラインの海底トンネルの通気口でして「風の塔」と云います。
(写真3)

大きな塔が吸気口、小さな塔が排気口です。
船体に見えた島は「川崎人工島」と云います。
それにしても海抜の低い島です。
羽田空港に近いので航空機の離着陸に邪魔にならないよう配慮したのです。
それでも、高い波が寄せてくると海水がトンネル内に入らないかと心配です。

東京湾上を渡る風は年間を通じて南北方向です。
換気口と排気口の二本の風の塔の隙間には周囲より強い風が吹くそうです。
すると、周囲の風は二本の塔に引き寄せられるのだそうです。
この現象を物理学でベルヌーイの定理というそうです。
電車のホーム際に立っていると、通過する電車に吸い寄せられる原理と同じです。

でも変ですね、
ベルヌーイの定理は吸気にはプラスですが、排気にはマイナスじゃないかと。
安心して下さい、
二本の塔は長い吸気口の塔の方に傾いています。
ベルヌーイの定理が働く力は排気口より吸気口により強く働くのですから。
(写真4)

船旅に出るときに学んだ物理学でした。
(以上)
【2018/05/02 18:58】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
登山電車は省エネ技術の元祖だった
1.箱根登山ケーブルカー-02D 0703q

1973年に石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げたときは世界経済は大混乱に陥りました。中東石油に依存していた日本は油断大敵でして、政府は大慌てて産油国詣でに奔走し、庶民は生活物資の買い占めに走りました。

石油ショックでエネルギー資源が大切なことを思い知らされて、改めて地球上のエネルギー資源を並べてみますと、木材、石炭、石油、天然ガスなど、すべて太陽からの熱と光りが造り出したものと分かります。人間は太陽からの贈り物を使うだけで、自ら新しいエネルギーそのものを創造することは出来ないのだと知るのです。

人間の手で産み出したエネルギーと言えるのは、核分裂で発生させる熱エネルギーだけです。その核分裂エネルギーも、原子力発電所の将来性に疑義を持たれている現在、人類は未だ自前のエネルギーを安全に確保いていないのです。将来、核融合で発生するエネルギー開発に成功すれば、人類は太陽を我が物にしたと自慢できるのですが、今のところ、その見通しは立っていません。

そこで、エネルギー資源に関して人間に出来る事と言えば、太陽から与えられたエネルギー資源を無駄なく使うこと、無駄を出したらそれを回収して再利用すること位です。そのような分野で、省エネルギーの技術を開発することは大事なことで、既に色々な工夫と発明が為されています。

例えば、平地を走る電車は、減速するとき電気ブレーキを使って運動エネルギーを電力に変換して回収しています。これを回収ブレーキと言うのですが、今急速に普及している電気自動車でも同じく回収ブレーキが使われています。回収ブレーキの利点は、エネルギーの面だけでなく、摩擦による部品のロスを少なくする働きもあります。

エネルギーの無駄を省くという意味では、揚水発電所があります。これは電力エネルギーの場合は、需要(消費)と供給(発電)とは同時に同量であることが求められますが、原子力発電所は、その需給の変化に合わせて発電量を調節することが難しい発電所です。

夜間には電力需要は低下するので、過剰となった原子力発電所の電力を使って、水力発電所の水をダム下の貯水池からダム上の貯水池へ汲み上げておくのです。無駄になる電力を位置のエネルギーに変換して貯蔵しておくのです。

そう言えば、もっと単純なもので登山ケーブルカー(鋼索鉄道)があります。上り下りの車両を一本のワイヤーロープで繋いで、交互に山の斜面を上下しています。登る車両は下る車両の重力を利用して登ります。下る車両の重力を無駄にせず、登る車両が再利用しているわけです。登山ケーブルカーは、車両に動力を積まないので推進効率がよく、それも省エネになります。
(写真)

揚水発電所では水が上下する、登山ケーブルカーでは車両が上下するので似ているのですが、前者が位置のエネルギーであり、後者は慣性のエネルギーですから、原理は違うのです。しかし共に優れた省エネ技術です。
(以上)
【2018/02/21 17:49】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
岩に散るモミジは再び美しい
1.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-03D 1612q

2.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-04D 1612qt

3.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-07D 1612qt

4.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-05D 1612qt

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」という俳句があります。

これは良寛和尚の俳句ですが、弟子の尼僧の貞心尼が良寛の死を予感して嘆いたとき良寛が自らの心境を詠んだものだそうです。

美しく夕日に映えたモミジは、散るときには美しかった葉の表も、醜かった葉の裏も、全て見せて散る、自分も死ぬときは隠し立て無く全てをさらけ出して死のうとの気持ちを語ったとの解説を読んだことがあります。

しかし、夕日を浴びるモミジは、裏側から見るのが一番美しいのです。太陽光線の反映は柔らかくなり、葉脈も浮いて模様となり、表側から見るモミジより一段と美しさに深みが増します。

そのモミジの葉が、はらはらと散り落ちるときは、それこそ表と裏を交互に見せて瞬間の美を見せつけるのです。

それだけではありません。モミジの葉は散った後も岩の上で、裏と表を見せて再び美しくなります。
(以上)
【2017/12/18 21:28】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
護摩供養は修行僧だけが山中で密かに厳かに行うもの
1.柴燈護摩供:高尾山仏舎利奉安塔-01D 1004qr

2.柴燈護摩供:高尾山仏舎利奉安塔-04D 1004qt

3.柴燈護摩供:高尾山仏舎利奉安塔-08D 1004qt

4.柴燈護摩供:高尾山仏舎利奉安塔-09D 1004qt

成田山新勝寺と言えば、初詣の参拝者の数が毎年300万人を越えるという、全国的に超人気のお寺ですが、その人気の秘密は、初護摩を焚くからだそうです。

護摩とは木を燃やして仏に祈る仏教の儀式ですが、人の悩みや災難を木に喩え、智慧や真理を火に喩え、人生の悩みから人々を開放することを祈る儀式です。

護摩を焚く儀式は仏教の一派である密教で執り行われていましたが、その密教は平安時代に空海によって中国から伝えられました。空海はそれ以前の奈良仏教に対して真言宗を創始し、布教のため日本全国を行脚して、弘法大師として大衆に親しまれた宗教家でした。

しかし密教は、大衆相手にお釈迦様の教えを説くのではなく、常人では理解し得ない、言葉では表現できない、仏陀の悟りを伝える宗派であり、従って、その資格のある特定の僧侶の集団の間でだけ伝達される性格の宗教でした。その意味で秘密の宗教「密教」と呼ばれたのです。

ですから密教の行う護摩焚きという儀式には、本来は善男善女が参加するものではなく、灌頂を受けた特定の修行僧の間で執り行われるものです。しかし、大衆性のある弘法大師の教えということで、今では多くの善男善女が護摩供養に参加しています。

戦後、桐山靖雄により創始された密教の阿含宗(あごんしゅう)では、毎年、京都で大規模な護摩法要を行っています。阿含宗は、海外でもニューヨーク、パリ、アウシュビッツ、ガダルカナルなどで国際的な護摩焚きイヴェントを開催しており、大柴燈護摩供(だいさいとうごまく)として国際的にも広く知られています。

しかし、一般人が参加したり、国際的に開放された密教の儀式は、密教のもつ神秘性が失われてしまいます。ですから密教本来の護摩焚きの儀式は、今でも山奥の真言宗の寺院で密かに厳かに行われています。

東京の奥座敷、高尾山に真言宗智山派の大本山高尾山薬王院があります。お参りに登山したとき、偶々、山中で修行者達だけで行われていた柴燈護摩供の現場を見学することができました。偶々居合わせた見学者は少数でしたが、儀式は厳粛に執り行われていました。
(以上)
【2017/04/21 21:06】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
海で泳ぐ魚たちの生態
1.葛西臨海水族園-34D 1609q
写真1
2.葛西臨海水族園-32D 1609q
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3.葛西臨海水族園-11D 1609q
写真3
4.葛西臨海水族園-12D 1609q
写真4
5.葛西臨海水族園-13D 1609q
写真5
6.葛西臨海水族園-16D 1609q
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7.葛西臨海水族園-18D 1609q
写真7
8.葛西臨海水族園-21D 1609q
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9.葛西臨海水族園-24D 1609q
写真9
10.葛西臨海水族園-26D 1609q
写真10
11.葛西臨海水族園-29D 1609q
写真11

真夏に涼しさを求めて、葛西臨海水族園で海で泳ぐ魚たちの生態を観察しました。この水族館では一昨年(平成26年)マグロなどの回遊魚が全滅したとの報道がありましたが、今は沢山の新しいマグロが元気よく巨大な水槽で泳いでいました。

マグロは大洋を回遊する魚で、休むことなく四六時中泳いでいる習性があります。体型は紡錘形で高速で遊泳します。最高時速80キロも出すと言います。フラッシュの使えない水族館では、スピードの速いマグロは写真撮影すると皆ブレてしまいました。
(写真1、2)

水族館での次の大型魚はサメです。性質は獰猛ですがスタイルの良さは満点です。長くて滑らかな体をくねらせて餌を求めて悠然と泳いでいました。満腹なのでしょうか、小魚の群れを横目に見て、襲う気配を見せませんでした。
(写真3、4)

サメに追われる小魚の群れは上下左右に逃げ惑いますが、群れの集団が崩れることはありません。しかし群れが水面近くに浮き上がると水面を波立たせるので、今度は空から鳥の攻撃を受けます。陸上より海中の動物の生存競争は厳しいものです。
(写真5)

見物人は、追いつ追われつの水中ドラマに夢中になって水槽ガラスに釘付けになっていました。
(写真6)

ダイナミックな魚類の生態は見飽きませんでしたが、岩陰などの静かな海で、変わった魚、美しい魚が、ゆっくりと泳いでいる生態も見飽きませんでした。

流線型のマグロの水槽とは違って、こちらの水槽では泳ぐ魚は形も色も変わっています。おでこちゃんで、つののある魚、おちょぼ口の魚など、表情豊かな魚たちを見ていると、おかめひょっとこを連想して思わず笑いそうになります。
(写真7)

更に魚の美しい色彩と紋様には魅了されます。地上に色とりどりの花が咲くように、海中には色鮮やかな動く花が咲いています。水槽の一ヶに留まって眺めていても、美しい海の花は、移動しながら角度を変えて、ポーズをとって、見る人を楽しませてくれます。
(写真8、9、10、11)
(以上)
【2016/10/27 19:18】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
亜熱帯から熱帯の国に近づいた日本
1.シオサイト:シティセンター前景-02D 1607q
写真1 汐留シオサイトを新橋駅側から見る。

2.勝鬨:浜離宮を見る-02D 1003qt
写真2 汐留シオサイトを浜離宮側から見ると超高層ビルが屏風のように建ち並ぶ。

3.代々木4丁目-08D 1608qrc
写真3 新宿駅付近から見た積乱雲が頭をもたげる。

4.雲-61D 1309qt
写真4 積乱雲の一部が都心部に近づく。

6.雲-51D 1209q
写真5 新宿駅から遠方を見ると鼠色の雷雲が現れる。

5.雲-66D 1309qt
写真6 俄に雷雲は都心部に近づき辺りは暗くなる。 

今年の夏も暑い日が続いています。勢力の強い太平洋高気圧のため、その暑さは本州全体に及びました。最高気温が30度以上を真夏日と言い、35度以上を猛暑日と言いますが、今年の夏も全国的に猛暑日が続いています。

近年、日本近海では海水温度が上昇しており、南洋の海のように暖かくなっています。それは、地球温暖化で暖められた空気中の熱エネルギーの80%以上を海が吸収しているからです。海水温度は大気に比べて変化しにくいので、海水温度が一旦上がると、その状態は長く続きます。

東太平洋の赤道付近の海水温を上下させるエルニーニョ現象やラニーニャ現象が起きると、日本で猛暑になったり冷夏になったりしますが、トレンドとして気温を上昇させる原因ではありません。また、高温の原因は、偏西風が日本付近で北に大きく蛇行したため南からの暖気が入り易かったためとか、太平洋高気圧が偏西風に阻止されて長期間日本上空に居座ったためとか言われますが、これも2~3年ごとに変化する現象です。

20世紀には日本はむしろ冷夏が続きましたが、21世紀に入る少し前(1990)から真夏日や猛暑日が頻発するようになりました。そして2010年以降は毎年のように高温の夏になりました。その原因は、やはり日本周辺の海水の温度が、徐々ですが上昇しているからなのです。そうだとすると、この熱帯化現象は恒常的なものであり、日本は亜熱帯から熱帯の国になった考えざるをえません。

それにしても東京の夏は特に暑くなったように思いませんか?
都市化は地表をコンクリートで覆うことで、更には高層ビルが風を遮ることで、都市の熱帯化が増幅されます。それは都市部におけるヒートアイランド現象のことです。

最近、都市の中心部に沢山の超高層ビルが建設されています。そのビルの表面に太陽の熱が当たり輻射熱となり周囲の空気を暖めます。暖められた空気は高いビルに囲まれて都市内部に滞留します。都心部では日中暖められた熱気が対流して分散せず、都市圏だけが一段と温度の高い空気団に包まれるのです。このようにして都市部の熱帯化は増幅されるのです。

一例を挙げると、東京に汐留という場所があります。汐留とは、東京湾の海水がここで留められたと云う意味であり、ここへは海水と共に潮風も入ってきていました。しかし、平成7年(1995)、ここに汐留シオサイトと言う超高層ビル群が建設されると、東京湾からの潮風は封鎖されました。都心部の気温を冷やす海風は入らなくなると、汐留のの背後地に当たる虎ノ門付近では、夏の平均気温が約2度上昇したと言われます。
(写真1、2)

都内に居てもここ数年、真夏に山や海で見るような大きな入道雲が立ち昇るのを見ることがあります。また都心部で、急に鼠色の雷雲が発生して、局所的な豪雨に見舞われることもあります。これも、熱帯国となった東京のヒートアイランド現象の一つかも知れません。
(写真3、4、5、6)
(以上)
【2016/08/13 13:23】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雨傘は梅雨に咲く花である
1.明治神宮-05P 86Y10

2.明治神宮-04P 86t

3.傘-01D 1606q

4.雨降り-02P 96

日本では雨期は年に二度あります。6月の梅雨(つゆ)と10月の秋雨(あきさめ)です。

昔の梅雨は最初はしとしと降り、夏に入る直前に強く降りましたが、この頃は最初から特定の場所に集中して大雨を降らすようになりました。それでも、梅雨の季節が蒸し蒸しして薄暗く憂鬱です。

秋雨は、最初の頃はかなり強く降りますが、後半に入ると秋の長雨と言われるようにダラダラと降るので、なかなか終わらず寒々として憂鬱な日が続きます。

日本では春夏秋冬の四季の長さがほぼ等間隔にあるので、それぞれの季節に咲く花の種類が多いのですが、二回もある雨期には、それらの自然の花に加えて、人工の花も咲きます。それは雨傘の花です。

昔の雨傘は黒いものと決まっていましたが、最近では日傘のように色彩豊かで艶やかな絵柄の雨傘が多くなっています。そのお陰で街には明るい雨傘の花が咲いています。

梅雨どきは雨雲で街は薄暗いのですが、そして秋雨のしとしと降るとき寒々するのですが、雨傘の明るい花が街路に咲き乱れると、暗さや寒さを和らげます。

梅雨でも秋雨でも、家に引き籠もらず、明るく綺麗な雨傘をさして、街に出てみましょう。雨の街に咲く花々を愛でながら、自分も一輪の花を咲かせるのです。
(以上)
【2016/07/08 10:02】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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