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Y.カーシュの肖像写真展を見て
いま東京六本木ミッドタウンの富士フィルムフォトサロンでユーサフ・カーシュの肖像写真展が開催されています。(2011.9.1~10.31)

Y.カーシュの名前を有名にしたのは写真雑誌「ライフ」の表紙に載ったウィンストン・チャーチルのポートレイトでした。その後、肖像写真家として世界的に名声を博し、カーシュに肖像写真を撮られることが有名人の証しとまで言われたそうです。

そのカーシュの肖像写真18枚が FUJIFILM SQUARE に展示されています。18人の個性溢れる偉人達の特徴を、カーシュのカメラは一瞬のうちに捉えて見事です。鋭い目つき、手の仕草、傾く頭、皮膚の皺などを見つめていると、彼らが眼前に居るかのような錯覚に陥ります。

以下に順不同で感じたままの感想を述べてみます。

会場の最初に掲げられていたのはチャーチルの写真です。この写真は撮影直前にカーシュが撮影に邪魔な葉巻をチャーチルの口から引き抜いた直後に撮影したという、曰く付きのものです。

むっとしたチャーチルがカーシュを睨み付けるその表情は、第二世界大戦でナチスのロンドン爆撃にも屈せず、英国を勝利に導いたチャーチルの根性そのものが顕れています。人間はちょっとした事件にも思わず本性を現すもので、カーシュのカメラ・ショットの鋭さは流石です。

マルク・シャガールの肖像写真は、チャーチルのそれとは全く違って、自らの作品をバックに配して、シャガールは夢見るような幸せな表情をしています。

ユダヤ人のシャガールは革命で故郷のベラルーシ(ロシア)を追われ、アメリカ、フランスと移り住みますが、空中に浮いて恋人のベラとキッスしている絵「誕生日」が語るように、常に愛の画家でした。故郷への愛を回想的に表現した作品の多いシャガールの内面を捉えた写真だと思います。

意外だったのは、男性的で逞しいアーネスト・ヘミングウェイの肖像写真が優しいまなざしであったことです。

撮影のためヘミングウェイの家に泊めてもらったカーシュが、翌朝ヘミングウェイの愛飲していたダイキリ(ラムのカクテル)を所望すると、体に良くないと気遣った話をカーシュは披露していましたが、ヘミングウェイは本当は優しい性質なのでしょう。それが優しい目に現れた瞬間をカーシュは見逃さなかったわけです。

アイルランドの劇作家、バーナード・ショーの肖像写真は、性格描写に徹した鋭い写真です。ショーは多くの戯曲を書きましたが、他方では皮肉な警世家として一世を風靡しました。常に時代の先を読み、鋭いレトリックで相手を論破していました。斜に構えた写真のショーは「君に何が分かるかね?」と言っているようです。

医者であり且つキリスト教の伝道者としてアフリカで活躍したアルベルト・シュバイツアーの肖像写真は、シュバイツアーの業績を映像化すると、かくの如しという写真です。片手を口に当て、俯いて目を瞑り、瞑想している額には、苦悩の皺が寄っています。演出したかのよう完璧な肖像写真です。

アルベルト・アインシュタインの肖像写真は、眼前で両手を組み、気楽に一点を見つめているものです。アインシュタインは相対性理論や量子論で革命的理論を展開した20世紀最大の物理学者ですが、個人的には偉ぶらない、気さくな人柄であったと言われています。写真のアインシュタインは、リラックスして目元は涼しげです。

肖像画においても肖像写真においても、対象物に肉迫してその内部にあるものを把握して表現するという点では同じだと思います。違うのは、絵画では把握したものを反芻する時間的余裕がありますが、写真にはそれがありません。

ただし、写真には、多くの瞬間から一つの瞬間を選択できるという利点はあります。即ち、何枚も写真を撮って、その中から良いものを選択すると言う時間的余裕はあります。

しかし、撮られた複数の瞬間もまた、無限の瞬間の中から選択されたものです。肖像写真では、写される者と写す者とが対峙している間に、決定的瞬間というものが在る筈です。無数にある瞬間に潜む決定的瞬間を捉えることが、選択の全てであって、後から選択することは本当は選択とは言えないでしょう。

そのように考えると、カーシュがチャーチルを捉えた決定的な肖像写真は、これ一枚しかあり得ず、それ以前やその後に何枚もの写真を撮っていても、それらは選択の対象にはなり得ないのです。

上に取り上げた偉人達の外にも、パブロ・ピカソ、パブロ・カザルス、ジョアン・ミロ、ヘレン・ケラー、ジョージア・オキーフ、ジャック・クストー、ジャン・シベリウスなどの肖像写真がありましたが、それらも皆、内面を表出した決定的瞬間をカーシュが捉えたものでした。
(以上)
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【2011/10/04 23:36】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展 Wild Life を見て
                     パンフレット:マイケル・ニコルズ写真展-01D 1103qt

いま、KONICA MINOLTA PLAZA でマイケル・ニコルズの写真展 Wild Life が開催されています。(2011.3.5~3.22)

写真家マイケル・ニコルズは National Geographic 誌の記者として活躍する動物写真家です。その撮影の現場では、象に追いかけられたり、ゴリラに投げ飛ばされたりと、命がけの撮影ぶりから写真界の「インディ・ジョーンズ」と呼ばれています。

それだけに普通の写真家には撮れない野生動物たちの生態や表情を捉えた写真が沢山あります。今回の写真展では展示作品数は少ないですが、それでも滅多に見られないシーンが幾つもあります。

中でも泥浴する数匹の巨象たちの一匹が、泥を浴びながら小さな目でチラリとカメラマンを見ている大画面の写真、ベンガル虎が両前足を左右の岩に突っ張って、腹だけを水に浸して涼んでいる場面を正面から撮った写真、セコイアの森から西アメリカフクロウが両翼を拡げて眼前に飛び出してくる写真など、印象に残るものでした。

スナップ写真の名手であるカルティエ・ブレッソンは、嘗て絵画は瞑想であり、写真は射撃であると言いました。

シャッターを押すことを、射撃と同じくショットと言います。写真機から弾丸は出ませんが、正に野山に狩りに出かけて、獲物を見つけ、狙いをつけて猟銃の引き金を引くときの心境と同じ心境を動物写真家は味わいます。

動物に遭遇して引き金を引く瞬間は、写真家も猟師も同じです。目と目が合い、今だ!という瞬間があるはずです。写真家がシャッターを押した瞬間に動物は倒れませんが、熟達した写真家は、狩人のように獲物を捕ったという手応えを感するのでしょう。

マイケル・ニコルズの写真を見ていると、そう感じます。
(以上)
【2011/03/11 20:11】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
決定的瞬間の意味 木村とブレッソンの違い
東京都写真美術館では「東洋と西洋のまなざし」という副題で、スナップの名手、木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソンの大規模な写真展が開かれています。(2009.11.28~2010.2.7)

今回は、同じく決定的瞬間を求めた二人の写真家の作品を鑑賞しながら、両者の違いを述べてみたいと思います。

写真家木村伊兵衛は初めて渡欧した時(1954)、カルティエ=ブレッソンに会い、大いに共鳴した云います。カルティエ=ブレッソンには「決定的瞬間」という著書がありますが、そこで述べている写真哲学は、撮影対象には最適な構図の決定的瞬間があり、その瞬間を逃さず撮影するのだというものです。

他方、木村伊兵衛も出会いの瞬間を大事にする写真家です。写真家協会会長の田沼武能氏は、ある雑誌で木村伊兵衛の写真哲学と撮影方法を次のように述べていました。

「向こうから”被写体としていいな”と思う人物がやってくる。すると木村は、その人物がどの地点まで来たときに背景がどうなっているか、構図や写角を瞬間的に計算する。そしてシャッターを切る。撮ってもせいぜい二、三枚。すれ違ったらもう終わり。撮り損なっても追いかけてまた撮るというような真似は、絶対にしなかった。まさに瞬間の勝負である。木村の撮影は、傑出した感性と経験に裏打ちされた”居合抜き”のようだった」と。

このように二人の写真家は、写真哲学でも撮影手法でも、大いに似ていますから、今回の写真展は両巨匠の作品を見比べられる貴重な機会です。そして展示作品は、木村伊兵衛91点、カルティエ=ブレッソン62点展示されていますから、数に不足はありません。

先ず、木村伊兵衛の写真で気が付くのは、写す人物の目を強く意識していることです。即ち、主題の人物は木村のカメラを鋭い視線で凝視しているケースが多いことです。「那覇の市場」(作品1、2)「大曲、秋田」(38)、「人民公社、北京」(73)などです。

嘗て、宗教哲学者の中沢新一と動物写真家の岩合光昭が、写真と狩猟の類似点を論じていたことを思い出しました。
そこで中沢はスティル写真家を狩人に喩えて
「カメラマンは、動物を殺ましませんけど、動いていくものを瞬問的にカシャッと止めていく」と述べています。
これに対して、動物写真家の岩合光昭は
「ハンターと写真家の共通点は、どっちも嘘をつけないことですよ」と応えています。

狩人が獲物を射止めようと構えるとき動物の目を見るそうですが、写真家が被写体の人物と目線を合わせるのは、どこか狩人の精神に似ているのです。

田沼武能氏が木村伊兵衛の写真は「居合抜き」のようだったといい、撮り損なっても追いかけてまた撮るというような真似は絶対にしなかったと言うのも、狩人精神の現れでしょう。

しかし、構図の点では、木村はカルティエ=ブレッソンのような厳格さを求めていないようです。例えば「本郷森川町」(13)や浅草寺の仲見世にコウモリ傘を持って現れた永井荷風を撮った「浅草寺境内」(29)などは、構図的に余り整理されておらず、被写体との出会い、間合いを重視した作品です。

次にカルティエ=ブレッソンの写真ですが、流石に構図の取り方が決まっています。その構図は遠近法を駆使した画家の構図のように気持ちよい位に実にしっかりと決まっている写真が多いのです。例えば「マルヌ河畔で、フランス」(18)、「シエナ、イタリア」(5)、「ラクイラ・デーリ・アプルッツィ、イタリア」(40)などです。

しかしながら、これらの写真は特定の場所から俯瞰した写真です。この構図なら予め想定して決めることが出来たとも云えます。想定された構図の中に人物が入ってくるのを待って撮ることも出来ます。必ずしも不意に現れた場面を瞬時に構図を計算しなくても可能です。

しかし、カルティエ=ブレッソンはその構図を瞬時に計算して撮ると主張しているのですから、そう言う写真もあるのでしょう。例えば、大勢の子供達が群れて遊んでいる場面を撮った「マドリード、スペイン」(13)、「セビーリア、スペイン」(14)は、背景のビル壁面の小窓や、崩壊した瓦礫の情況からして、とっさの判断で構図が出来たと思います。

「決定的瞬間」という言葉を絵にしたような写真は「サン・ラザール駅裏、パリ」(8)です。一人の男が水溜まりを飛び越えようとジャンプしたが失敗して、靴先が水溜まりの水面にまさに着水しようとしている場面です。

時間的な決定的瞬間と共に、この写真には構図の面白さがあると云われています。それは三角形、円形、長方形の形が對(つい)となって一枚の写真内に取り込まれていると云うのです。

この全ての要素が、男のジャンプの瞬間に計算されたというなら、正に天才的な写真家のなせる業となります。しかし、或る研究者の話によりますと、カルティエ=ブレッソンは物陰に隠れて、この構図の中に人が飛び込んでくるのを待っていたと云います。

やはりそうでしたかと思ますが、それでも「サン・ラザール駅裏、パリ」の作品の魅力は少しも減じないことに変わりはありません。彼は獲物を狙う優れた狩人に違いはないのですから。
(以上)
【2009/12/16 21:28】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅のコレクション展 第三部「異邦へ」
東京都写真美術館で旅のシリーズ展第三部「異邦へ」が開催されていました(2009.9.29~11.23)。 遅ればせながらその感想を述べてみます。

第一部「東方へ」、第二部「異郷へ」に続く最終編の第三部は「異邦へ」という題名です。「東方へ」「異郷へ」という前二部の題名が作品のくくり方として曖昧であったのに対して、今回の「異邦」は明快です。日本人の写真家が外国に出かけて撮った写真という意味で間違いはなく「異邦」だからです。しかし、それは「場所の異邦」に止まらず、「心の異邦」にまで及ぶのかどうかも興味あるところでした。

作家18人、作品165点という大規模な写真展であり、東京都写真美術館所蔵の作品から選んだと云います。作品の撮影年も1931年から1994年と60余年に亘るので、海外撮影を試みない写真家は少ないですから、戦前戦後の有名な写真家を殆ど網羅した作品展ということになります。

作家の展示数を平均すれば一人9点ですが、美術館の所蔵数などに多寡があるので、展示数は作家によりかなりばらつきがあります。しかし、これだけ多くの日本の一流作家の写真をいちどきに比較鑑賞出来るのは滅多にないことで大変有り難いことでした。

それにしても作家数が余りに多いので、ここでは私が展示場を一回りした後、もう一度戻って見直した作家の作品に限って感想を述べることにします。

先ず、木村伊兵衛が1954~55年にギリシャ、ドイツ、フランスで撮ったスナップ写真です。このとき木村伊兵衛はカルティエ・ブレッソンに会っていますからから、スナップ写真なら自分にもこのように撮れるぞ、という意気込みで撮ったのでしょう。

ロンドンの銀行街で撮った、こうもり傘を持った紳士が足早に駆け抜ける様の写真(展示番号19、以下同じ)などダイナミクで印象的です。その木村伊兵衛がパリのコンコルド広場の夕景を撮った写真(13)は、遠景のエッフェル塔と中景のビル群と近景の人物のシルエットがモンタージュされて、ムード写真も得意なところを見せます。

次に、渡辺義雄のヨーロパでの写真です。建築物の構成美を引き出すことにかけて第一人者の渡辺義雄は、人物まで構成美の中に取り込んでしまいます。数人の人が降り行く螺旋階段を俯瞰して撮ったヴァチカン市国(33)がそれです。また、フィレンツェの美術館で彫刻像を見上げる男女(28)を上方から撮影した写真は、建築物撮影のときのアングルを思わせます。

そうかと思うと街のスナップ写真までも構造的です。二本の街路に挟まれた街区を背景に老婆と走る自動車撮った写真(29)は、予め構図を想定してチャンスを待っていたのでしょう。とっさに撮れるものではありません。ミラノ(34)、サルディーニア(39)も画面構成が意識されたスナップ写真です。渡辺義雄は建築物の場合だけでなく、常に構成美を追究する写真家だと思います。

最後に、奈良原一高の「消滅した時間」ですが、今回の展示作品の中で他の作品にない異質なものを感じました。異邦という「場所」を表現するのに「時間」という次元で応えているところが異質なる所以です。

展示された「消滅した時間」の写真は、いずれも1970~71年にアメリカ大陸で撮られた写真です。確かに写っている風景はアメリカですが、これらの作品にとって場所はどこでもいいし、対象物は何でもいいのです。

全く関係のない二つのもの、即ち岩に刻まれた矢印とそらの積乱雲を組み合わせて運命を想像させる写真「刻まれた矢印」(71)、自動車の上の一片の雪で車の来し方を想像させる写真「ロッキー残雪」(73)などは、一部を示したり、又は隠したりして、その背後にある世界を描こうとしています。

人は奈良原一高の「消滅した時間」を超現実主義の作品だと云いますが、近代写真の始祖のマン・レイの作品「アングルのヴァイオリン」のシュルリアリズムとも違うように思います。

それは現実から時間を抜き去ったとき、そこに事実とは異次元の世界が暗示されると云う類のものです。暗示が成功するためには、被写体は何処でも、何でもよい訳ではありません。奈良原はアメリカという異邦でそれを発見したのでしょう。

最後に一点だけ「静止した時間」の「ヴェネツィア」が展示されていました。
「静止した時間」は「消滅した時間」より7年程前に撮影された写真集ですが、奈良原は写真における時間の要素が重要なことを既に意識していたことを示しています。

この「ヴェネツィア」(72)は、戸口に通じる狭い道路上に、空飛ぶ5羽の鳥の影が写っている写真です。鳥の影は一列になってこちらに向かって飛んできます。それは突き当たりの家の扉が開いたとき、そこから飛び出してきたようです。その扉の上には男の顔の像が載っています。男は鳥たちを見送っているかのようです。(下に掲げたパンフレットの写真)

スーザン・ソンタグはその著書「写真論」の中で「写真を撮ることは、存在の瞬間を薄切りにして凍らせることだ」と云っています。奈良原が薄切りにして凍らせたこの場面は、そのとき静止したのです。

同じ著書でソンタグは云います。「写真は絵画と同じく、世界についての一つの解釈である」と。それでは、この静止した時間が意味するものは何でしょう。拘束からの解放、解放の喜び、解放者の慈悲等々、それは鑑賞する人にお任せします。
(以上)


                       パンフレット:写真展旅異邦へ第三部-02D 0911qt
                       奈良原一高「ヴェネツィア」

【2009/12/03 22:30】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展「アフリカ」を見て
いま東京都写真美術館でセバスチャン・サルガドの写真展「アフリカ」が開催されています。(2009.10.24~12.13)

写真展会場に入ると、次から次へと大画面のカラー写真でアフリカの様々な現状が、これでもかこれでもかと迫ってきます。これ程強烈な迫力のある写真展を最近見たことがありません。

サルガドは経済学者から報道写真家になった変わり種ですが、それだけにアフリカ社会が持つ病弊への関心が強く、また着眼点も鋭いのです。この作品展も彼がいま挑戦中の最大のプロジェクト「GENESIS(起源)」の作品群から選んだ100点を展示したものです。

戦争と饑餓に苦しむ人々の大画面の写真の前に立つと、アフリカ(主としてザンビア)が直面している悲惨さに、観客の心は占領されてしまいます。写真の殆どは、その悲惨さを正面から見据えたもので、斜に構えたり思わせぶりの写真はありません。

写真の持つリアリズムというのはこれ程までに厳しいのか、と立ちすくみます。言葉では表現できない様を「筆舌に尽くし難し」と云いますが、これらの写真は正に文章や言葉では表現しようもありません。

報道写真というと兎角告発型やセンセーショナルな写真になるのですが、サルガドの写真は事実を事実として克明に描写するだけです。それでいて、画面構成が美的にも優れているので、写真を通して厳しい現実を見る人に与える印象が尚のこと強いのです。

例えば展示会場で配られた解説ペーパー(下に掲載)に載っている写真をご覧になれば分かるように牛の巨大な二本の角は、左端の人が立てている二本の棒に対応して画面にリズムを持たせています。

このようにサルガドが単なるドキュメンタリー写真家でないことは、展示された写真の中に砂漠の美しさを捉えた数枚の写真を見れば良く分かります。厳しいアフリカの撮影現場にいても、砂丘と太陽光が造り出す造形美を見逃さないのです。

見終わってからも、興奮がさめやらぬ写真展です。
(以上)

                         パンフレット:写真展アフリカ-01D 0911qc
【2009/11/20 20:19】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
心の眼 稲越功一の写真
東京都写真美術館で「心の眼」といテーマで稲越功一の写真展が開かれていました。(2009.8.20~10.2)
写真展を見てから少し時間が経ちましたが、私が生きてきた同時代の身近な場所が撮られているので、感想を書き留めてみました。

写真家稲越功一は広告写真家、肖像写真家として有名ですが、今回はテーマ「心の眼」にあるように、商業用ではなく自分自身のために心の眼で撮影した写真展です。

本人は惜しくも今年春他界しましたが、個展の準備は本人が丹念に進めていたとのことで、この個展は文字通り「心の眼」を伝える遺展となりました。

作品は制作年代順に展示されており、「Maybe,maybe」「meet again」「記憶都市」「Ailleurs」「Out of Season」「未だ見ぬ中国」「芭蕉景」の中から124点が選ばれています。

「Maybe,maybe」は1971年のアメリカ社会を撮影したものです。その頃のアメリカは、ベトナム戦争に疲れて国民は苦しんでいた時代であり、社会全般に焦りと無気力が広まっていました。

中でも孤独で寂しいアメリカ人を捉えた作品14、19、25、30は、写真家稲越が早い時期からシリアス写真に並々ならぬ意欲を以て取り組んでいたことを示します。

「meet again」はボケを使ったイメージを描いた写真ですが、正直のところ私にはよく分かりませんでした。

それに対して、「記憶都市」は1987年(昭和62年)の東京という都市の、何気ない風景を記録した写真ですが、当時の私の記憶を鮮明に呼び起こしてくれる作品です。

この年は丁度バブルが発生した年です。その後1990年代の始めにかけて土地と株の急上昇が始まり、地上げ屋が横行し、それまでの都市の形が大きく変わる直前でした。「記憶都市」に撮られた東京は数年後には消えて無くなりました。

森下町(作品47)、代々木(同48)、千住(同53)、向島(同80)の木造古屋や裏露地のような景色を今は見るのが珍しくなりました。向島3丁目(同55、63)の工場煙突、足立新田(同69)、吾妻橋付近(同70)の町工場は市街地から追出されました。他方、大久保(同51)には早くも新宿西口の高層ビル群が見えています。

失われた都市の記憶を、これ程多く撮り留めた写真集は珍しいです。神社仏閣のように公的でハレの舞台となる施設や建物は容易に消えませんが、日常の平凡な民家や露地は、時代の流れと共に消え去ります。写真家稲越は、うつろい易い平凡な風景の中に保存すべき歴史を発見することに鋭い感性を持っていたと思います。

「Ailleurs」と「Out of Season」は、写真家が1993年に世界各地を旅したとき目にしたの光景です。「未だ見ぬ中国」と「芭蕉景」は2008~2009年の写真です。写真家は晩年には風景写真をカラーで撮っています。まだまだ「心の眼」で撮りたい光景が海外に沢山あったと思います。

歴史に残すべき光景を、現在の光景の中から発見することは難しいことですが、稲越功一は「記憶都市」で見事にそれを成し遂げていると思いました。
(以上)
【2009/11/02 14:41】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅のコレクション展 第二部「異郷へ」
東京都写真美術館では、「旅」をテーマに三回シリーズでコレクション展を開いています。第二回は「異郷へ」という題名で、1970~80年頃に発表された戦後世代の日本の写真家達の作品が展示されています。

展示されている写真家は、内藤正俊、秋山亮二、土田ヒロミ、牛腸茂雄、荒木経惟、森山大道、須田一政、柳沢信、北井一夫の9人です。これらの写真家の作品は、旅して撮った写真という意味でくくられていますが、内容的は同時代という年代でくくった作品展です。

「異郷へ」というテーマも地理的異郷から心理的異郷までを含み、作家毎には纏まりはありますが、9人の写真家の作品が「異郷」という意味で共通点がある訳ではありません。「旅」「異郷」という意味での共通した批評は無理です。展示会の題名の付け方に無理があったと思います。

従って、以下では個性的な作家の、興味ある作品について鑑賞し、感想を述べることにします。

先ず、牛腸茂雄の写真に惹かれました。普通は見過ごしてしまう日常生活の何気ない風景の中に、一瞬、人間の情感を表出した情景を捉えた写真に惹かれるのです。

一本の立て看板を支える母とその棒に抱きつく子供が居て、その横では地面に横たわる看板をかがみ込んで読む男が居る写真(作品52)、及び飛行機に乗ろうと大きな花束を抱えて機首に走る一人の男と、同時にその遠方には機尾から乗ろうと急ぐ三人の女を写した写真(作品56)は、作品の焦点が鮮明です。

次に注目したのは、森山大道の北海道旅行の写真です。これらは、撮影に行き詰まって旅に出た森山大道が、新境地を開いたと言われる写真集です。アレ、ブレ、ボケの手法も有効に使われていて、絶望と孤独の心境を北海道の風景に託した写真です。

鉄路に向かって走る二人の少年(作品77)、ローカル線の停車場で乗り降りする乗客達(作品80)、地面の雪を掃き散らしながら走る函館の路面電車(作品82)、廃墟と化した石狩の冬の海水浴場(作品87)、一本道を振り返りながら歩く野良犬一匹(作品89)などが印象に残りました。

その他の作家たちも当代一流の写真家ですから、優れた作品が数多く展示されていました。しかし私の個人的な趣味ですが、作意や仕掛けのある作品よりは、自然の人間の営みの中に思わず発見する人情や情感の表出を捉えた作品に惹かれました。
(以上)
【2009/08/07 11:25】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅のコレクション展 第一部「東方へ」

東京都写真美術館では、「旅」をテーマに三回シリーズでコレクション展を開いています。第一回は「東方へ」ということで19世紀にアジアを旅した写真家達の記録写真を展示していました。(2009.5.16~7.12)

19世紀に西洋の上流社会では、自らのルーツである地中海文明を子弟たちに実地体験させる旅行を奨励していました。その内の一人、カルヴァート・リチャード・ジョーンズが当時のカメラでイタリア各地を撮影した写真が展示されていました。

写されたフィレンツェのヴェッキオ橋、ローマのコロシアム、サン・アンジェロ城などは、今見る姿と殆ど変わりはありません。石の建造物が百年や二百年で変る訳がないので驚くことはないのですが、続いて見た日本の江戸から明治にかけての風景の変わりようには驚きました。

フェリーチェ・ベアトが撮影した江戸の薩摩屋敷や細川屋敷の立派な長い塀、王子の三階建ての大きな茶屋、神奈川辺りの東海道沿道に並ぶ藁葺き屋根の家々、箱根町の街道の家並み、東海道の巨木の松並木などは、今はその片鱗も残っていません。

ベアトより新しい明治時代を撮った日下部金兵衛、内田九一の写真でも、蓮が繁茂した東京城(皇居)の濠、町屋造りの京都の祇園町通り、家々が建つ上野の不忍池、長崎市の俯瞰写真など、おおよその形は残っていますが風情は今と大分違っています。

これらの記録写真は、形が持続するという点で、やはり西洋の石の文化と日本の木の文化は違うということを如実に示しています。分かり切ったこととは云え、映像で見せられると、改めて日本の変化の早さに気付きます。

それでも、伊勢神宮、鎌倉の大仏など神社仏閣の写真は今と殆ど変わりません。非日常的な場、即ちハレの場の風景は日本でも持続します。写真による記録は素早く消える日常的な風景はを撮ることが面白いと思いました。

写真展のテーマは、内容に則して云えば、「東方へ」というよりも、「変わる風景、変わらない風景」と云うことになります。
(以上)
【2009/07/30 10:09】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
報道は言葉より映像で
報道関係者は、記事を書いて更に「絵が欲しい」と云います。くどくどと言葉で語るよりも映像を見れば直ぐ事実が分かると云うのです。

その意味では、年一回、東京都写真美術館で開催される「世界報道写真展」は一瞥して世界で発生した重要事件が分かる便利な企画です。これまでの一年間で何が人々の関心事だったかが直ぐ分かるからです。

事実の報道ですから事実を的確に把握しているか、見た人が容易に事実が理解できるかが大事です。写真の出来映えは二の次です。但し、報道写真でもスポーツ写真は別です。ダンスやバレーのような美しさが求められます。

報道写真は事実を的確に伝達すれば十分なのですが、コンテストではセンセイショナルな写真が選ばれるようです。色彩も、大きさも、誇張されたものが選ばれるようです。その方が見る人に訴える力が強いと考えるからです。

しかし、報道写真で大事なのは、感情に訴えるのではなく、理性に働きかける力です。その意味で、戦争、事故、貧困などをどぎつく捉えた写真よりも、今回の写真展ではサブプライムローンの悲劇を捉えたアンソニー・スアウの写真が印象的でした。

世界報道写真大賞を得た一枚と、上位入賞した三枚組の組写真二組、都合七枚の写真は、世界金融恐慌の始まりを見事に捉えています。これこそ言葉では表現しきれない社会現象を絵にして見せた写真です。

写真を言葉で説明しても意味がないので、是非写真展で現物をご覧下さい。展示会は8月9日迄開催されています。
(以上)

注:「世界報道写真展」については東京都写真美術館のサイト「写美」
http://www.syabi.com/details/wwp2009.htmlをご覧下さい。
【2009/07/13 10:35】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展「イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」を見て
東京都写真美術館では、いま意欲的な企画展が開催されています。その一つに「イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」があります。(2008.12.20~2009.2.15)

この展示会は、色々な映像表現を訪ねてその神秘を解く旅に喩えられます。展示内容は極めて多岐に亘りますので、ここでは不思議な動画の展示物1点だけを取り上げます。それは、牧野貴氏の作品「Still in Cosmos」です。

その動画には、私達が日常見ている映像は一つもありません。作者は流れ続ける「混沌(chaos)」が「宇宙(cosmos)」であると主張するのです。

哲学や宗教などでは宇宙とは秩序をもつ完結した世界体系のことですから、動画のタイトルが「Still in Cosmos」というのは、「私達はずっと以前から秩序ある世界にいる」という意味です。

作者の説明を詳しく述べる前に、動画の印象を述べましょう。その映像は、喩えて云えば、水の流れる表面のような映像、無数の小鳥たちが群舞するような映像、洞窟から無数のコウモリが湧き出してくるような映像です。

猛烈な速さで、大きな粒子、小さな粒子が入り乱れて流れています。その粒子はグレー、緑、青、黄などの薄い色彩を帯びて飛び交います。時々、鋭い直線の閃光が流れてアクセントを付けます。小鳥の鳴き声のような音声が時々鳴ります。

これで何を意味するのか?
作者は次のように解説します。

カオスとは混沌ではなく、「もの」それ自体に名前がない無の状態を指す。
駕籠から出た鳥にとって外界はカオスである。
地球上に存在する生物は自らの意志により生まれるのではなく、気付いたらカオスの中にいる。存在は cosmos を造り出すことにより無意味、恐怖を克服する。

熱力学の理論にエントロピー増大の法則と云うのがありますが、この法則を社会に適用すると、社会は手当てをしないで放置しておくと乱雑になり秩序を失っていく、即ち混沌に近づいていきます。そのことをエントロピーは増大すると云います。

牧野貴氏は、宇宙には最初から厳然たる秩序が存在するのだが、未熟な私達はその秩序を認識できない。宇宙を学び親しんでいけば、やがて宇宙の秩序が見えてくると。私達の意識が目覚めるに連れて、宇宙のエントロピーは減少すると云うのです。熱力学とは正に逆の現象が起きると云うのです。

評論家の立花隆は、「臨死体験」という著書で一旦死んだとされた人が蘇生して意識を回復したとき語った記録を書いています。臨死体験者は暗いトンネルと潜ると、その先にまぶしいばかりの明るい世界が広がっているが、それは形容しがたい景色であると云っています。

死者が最初に見る死後の世界の映像は正に混沌としているのでしょう。それは未知の世界だからです。この世に生まれた赤子の目に映る物質の世界も又混沌としているでしょう。それらの混沌は、やがて赤子の目にも秩序だった世界に変わっていきます。

牧野貴氏の動画は、この世とあの世の、あの世とこの世の境界線の光景を描いているのです。
(以上)
【2009/01/22 11:44】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展 甦る中山岩太
東京都写真美術館で「甦る中山岩太」という写真展が開催されています。(2008.12.13~2009.2.8)

中山岩太という写真家は大正から戦前の昭和にかけて活躍した人です。戦後も活躍していますが、主たる作品は戦前までに発表されたものです。

展示会は「東京からニューヨーク/パリへ」「モダニズムの光彩」「モダニズムの影」「甦る中山岩太」の4部に分かれていますが、大まかな時代区分として大正ロマンの時代に対応するのが「モダニズムの光彩」の部であり、戦前の昭和時代に対応するのが「モダニズムの影」の部です。

最後の「甦る中山岩太」の部は、昭和初期の作品のオリジナル・ネガからのニュー・プリントを作成し展示しただけで、必ずしも中山岩太の作品全体を現代的視点で再評価すると云う意味ではありません。

しかし、この展示会は、そのような技術的な再生という狭い視点ではなく、戦前までの中山岩太の全作品の現代的意義を問うという形で「甦る」ものは何かを示しています。

中山岩太は、写真家としての活動をニューヨーク、パリで始めました。日本人としては一番早く海外の前衛的な写真技術、フォトグラム、フォトモンタージュなどを会得して日本写真界の近代化に貢献しました。「東京からニューヨーク/パリへ」の部の写真では、まだモダニズムの写真は少ないですが、「ダンサー」(作品36、37)「座席」(作品39)ではその片鱗を見せています。

「モダニズムの光彩」の部では、モンタージュ手法を駆使したモダニズムの作品が数多く展示されています。ネガと陰影を同じ画面で対比した「パイプとマッチ」(作品43)は虚と実を結びつけて人の想像力を刺激します。同じく「巴里の夜」(作品44)もモンタージュの効果で想像力を広げます。

ここでは多くのコンポジション作品(複数の素材を組立て構成した作品)が展示されています。「無題」(作品60)は、4枚の写真を素材として、それらをモンタージュして一枚の写真を構成しています。見る人によって色々に感じ取れる作品です。

コンポジション(ヌードとガラス)(作品74)は、「無題」と並んでモンタージュの効果を最高に高めた作品です。音楽に喩えるなら複雑微妙な交響曲を聴いているような感じの作品です。

転じて、「神戸みなと祭り」シリーズは簡明なモンタージュの作品です。作品75は裏と表を、作品77は部分拡大と大局遠望を組み合わせたものです。一枚の写真で多面的な実相を表現した作品です。

モダニズム(近代主義)とは20世紀に文学、芸術の世界で始まった、伝統に反逆する前衛的な運動一般を指します。その中で写真芸術は絵画のモダニズム、即ち、未来派、キュビズム、シュールレアリズムの作品に大きな影響を受けました。近代写真の始祖、マン・レイがいち早く発表したシュールレアリズム写真はその証拠です。

日本の大正時代は、19世紀のロマン主義と20世紀のモダニズムが同じ時期に重なって現れた時代です。個人の解放と理想主義を求めるロマン主義が流行ると同時に、近代的合理主義が賞揚されました。大正ロマンには二つの要素が入り混じっていますが、共通しているのは明快さです。

しかし「上海から来た女」(作品80、81)は、古き良き時代としての大正ロマンを表現していると云うよりも、昭和初期の暗さを湛えています。「モダニズムの影」の部に属する作品でしょう。

それでは次の「モダニズムの影」とは何を指すのでしょうか?
ここでは中山岩太の被写体は、植物、昆虫、海中、足許、静物などです。この傾向を大震災と大恐慌で社会が暗くなりつつあった時代に、モダニズムも沈鬱になったと捉える解説は正しいでしょうか?

ここでは、私は二つの作品群に注目します。一つは第二次世界大戦開戦直前の1940年の作品群と、もう一つは敗戦直後の1947~8年の作品群です。

開戦直前の「冬眠」(作品109)、「コンポジション(海の生物)」(作品110)、「アダム」(作品111)、「イーブ」(作品112)では抽象された造形美を見せます。敗戦直後の「コンポジション(ミモザ)」(作品121)、「静物(あじさい)」(作品122)、「静物」(作品123)では、花瓶と花を用いて造形美を更に単純化して表現し、「静物(ひまわり)」(作品124)には凄みがあります。

「モダニズムの光彩」にはモンタージュ手法が持つ隠蔽や飛躍といった難解さがありましたが、この「モダニズムの影」ではその難解さが消えて、簡明にして力強いものがあります。それはアメリカの写真家メイプルソープが表現した造形美に通じるものがあります。

「モダニズムの影」の部に属する中山岩太の写真には、完成度の高さを示す作品が数多くあり、モダニズムが沈鬱になったとばかりは云えません。混迷する戦前戦後のリアリズム写真運動の中で、中山岩太は孤立したのではなく、孤高を保ったのです。沈鬱にならず昂然としていたのです。

「甦る」とは、中山岩太が求めたモダニズムの美を再評価することではないでしょうか?

最後に、東京都写真美術館の意欲的な三つの企画展、柴田敏雄、中山岩太、イマジネーションのポスターを掲げておきます。
(以上)


                              東京都写真美術館-01D 0902q
【2009/01/10 21:31】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ランドスケープ 柴田敏雄展
東京都写真美術館で写真家柴田敏雄の最初の個展「ランドスケープ」が開催されています。(2008.12.13~2009.2.8)

柴田敏雄氏は色々な意味で異色の写真家です。
先ず、写真の被写体の多くがコンクリート製のダムや擁壁であることです。このような人工物は、それが社会経済的に何らかの意味を持つものとして被写体となることはあっても、それだけを写真の主題として登場させ、その存在を考えさせた写真家は今までありませんでした。

次に、展示される写真が全て大画面であることです。大自然や大都会を一望する写真を撮るなら大画面も必要ですが、コンクリート工作物の一部を切り取るのに大画面を用いる必要はないのに、敢えてそれに拘っています。

最近の写真展で内容よりも画面の大きさで写真を強調しようとして空騒ぎに終わっているケースをよく見かけますが、柴田氏の写真にはそのような空虚さはありません。それはディテールに拘る故の大画面だからです。

第三に、柴田氏は最近でこそカラーの作品を発表していますが、それ以前の写真は全てモノクロです。自然が対象のときはカラー表現が有効ですが、人工的工作物が被写体のときはモノクロ表現の方が雄弁です。

柴田氏は東京芸大で油絵を学び、海外留学で写真に転じ、現代美術の世界に入りました。その転進の理由を問われて「写真は手で描かずともイメージが創れるから」と答えています。近代写真の始祖マン・レイが写真機を絵筆にして「美」を求めたのと同じです。

以下に興味を持った作品について論評していきます。

何故コンクリートに注目したかと問われて、山肌のコンクリート・カバーが有機的に見えたからと答えました。最初の写真ではガードレールまでも造形化しています(作品1)。

コンクリートだけでなくブリキのガードレールまでも積極的に被写体の取り入れた写真は、この外にもあります(作品2、15)。自然の中に人工物が入ると自然が破壊されたと感じるのが普通ですが、柴田氏は自然の中の人工物でも有益、有用なものなら、そこに形の美を求めています。

今回の写真展には展示されていませんが、嘗て柴田氏は多摩ニュータウンの開発段階の光景を撮影していました。住宅団地として多摩丘陵が切り刻まれ、地形が変わり赤土の土壌が露わになった写真を見て、当時の写真評論家達は自然破壊を告発する写真だと論じていました。

しかし、有用な存在に価値を認める柴田氏は、逆に、この風景の変わりゆく大地に生命の息吹を感じて撮影したのだと思います。環境論者のような特定の価値観に煩わされることなく、自然の中に構築される人工物を美的観点から撮影する態度は全ての作品に共通しています。

自然論者や環境論者は観念でものを云いますが、柴田氏は美醜の感性で判断します。評論家は屡々観念が先行して、感性は観念に左右されて美醜の感性が働きません。柴田氏は廃墟より今生きているもの、古いものより出来たばかりのものに興味があると云います。

山の斜面に造られた土砂止めの擁壁には色々な形態があり、その表面には多様な紋様ができています。柴田氏は、巧まずして築かれた造形の美しさを発見し、切り取り、構成する作業を丹念に進めています(作品13、15、46)。ダム・シリーズでもダムの造形美を捉えています(作品47、48、49、50、51)。

柴田氏の造形美の追求は、やがて抽象画のような作品に至ります。ジグザクした水路(作品60)、ワシントン州のグランドクーリーダム(作品64、65、66)にその意図が強く表れます。ワシントン州クーリジダムの部分を撮影した写真は抽象画そのものです。

絵画の世界では具象を追求していくと抽象に至ると云われますが、写真でもそれが可能かと思いました。

最後に、柴田氏はモノクロの諧調では表現できない被写体には積極的にカラーで撮影していくとのことですが、やはり人工物の表現にはモノクロが魅力的です。但し、自然の色彩がコンクリートの白と響き合うときにはカラー写真も威力を発揮します。

その好例を青森県黒岩市のダム建設現場(作品2)に見ます。ねずみ色の砂礫と茶色の土と黒っぽい水面との中で、真っ白なコンクリート擁壁が映えています。

展示会に行かない人に長々と作品批評しても余り興味が湧かないです。さりとて許可無く作者の作品を掲載することも出来ません。展示会の作品に比すべくもない稚拙な写真ですが、偶々私が撮影したコンクリート擁護壁の写真をご参考までに掲げます。
(以上)

                         雪紋様:車窓-03P 99qt
【2008/12/22 11:17】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展ヴィジョンズ・オブ・アメリカ第三部「アメリカン・メガミックス」を見て
東京都写真美術館が企画した大規模なアメリカ写真展も、今回の第三部「アメリカン・メガミックス」で終結します。

第一部「星条旗を見て」(08.08.12掲載)第二部「わが祖国」(08.10.02掲載)と比べて第三部は、その名のとおり「メガミックス」で纏まりの悪い展示会でした。悪く云えば、第一部と第二部から洩れた作品全部お目にかけようとするかのような写真展でした。

体系的に表示するために「路上」「砂漠」「戦場」「家」「メディア」の五部に分けていますが、手持ちの作品を並べるために五つの場所を設けた印象で、この五部の意義が分かりませんし、五部の相互関係もありません。場所で分けるよりも作家の個性で分類して展示すべきでした。

第二次大戦を終えてから今日までのアメリカ写真は、広範な分野で革新的な活動をしました。それを前回までの「星条旗を見て」「わが祖国」のように焦点合わせをすることは難しいです。そうであれば、アメリカ写真が提示した現代的課題を個別に展示した方が良かったと思います。

その意味で「路上」の部門にウィリアム・クラインとロバート・フランクの写真家を取り上げたことは成功しました。クラインの「ブルクリンのダンス」は荒れた街角で二人の子供が無邪気に踊っているものです。フランクの「トロリーバス、ニューオリンズ」はバスの窓から外を覗く白人と黒人と子供達を撮ったものです。

いずれも日常的で特に気に留めないアメリカ社会の断面を切り取ったものです。報道する情景ではないが、これがアメリカなのだと気付かせる写真です。アメリカ現代写真はこうして始まったのです。両者の違いは、クラインが感情移入しているのに対し、フランクはクールに突き放しています。

リー・フリードランダーの写真集「アメリカン・モニメント」の「ニューヨーク・シティ1974」は、銅像とコカコーラの広告板を一枚の写真に納めて、アメリカの街を突き放して撮影しています。同じ写真家は写真集「セルフ・ポートレイト」では自己の影を被写体に落として「ニューヨーク・シティ1966」、或いはバクミラーに写して「ルート9W、New York」、或いはシルエットにして「ニューオリンズ1968」と、強烈な感情移入を行っています。

距離を置きながら共感を表している写真は、ゲリー・ウィノグランドが広角レンズを用いて街行く人々を撮影した「ロスアンジェルス、カリフォルニア1969」、道路に伏せる傷痍軍人と無関心に空を見上げる人、通り過ぎる人を捉えた「退役軍人全国大会、ダラス、テキサス」にみることができます。

以上の写真を見てアメリカ現代写真を見終わった気持ちになりましたが、アメリカ現代写真には全く違った新しい分野が広がったと云われます。一つは大自然の中に心象的な風景を描く写真であり、もう一つは写真を材料とした美術を企てるものです。

今回の写真展では奈良原一高が西部で写した写真集「消滅した時間」は、ウィリアム・エグルストンのシュ-ル・レアリズムのイメ-ジを連想させるものです。

「砂漠を走る車の影」は幻想的であり、「インディアンの村の二つのゴミ缶」は空想的であり、「月夜のエアストリーム」は霊感的です。それでありながら、廃屋とそっぽを向く犬二匹を写した「ゴールドラッシュ時代の家」は現実感を備えています。

1960年代以降、写真で美術を企てる分野のコンセプチュアル・フォトグラフ、さらにコンストラクテッド・フォトグラフがアメリカで盛んになりました。これらの写真家達は従来の写真の世界と考えられていた境界線から一歩外に出た芸術を目指したものです。しかし、それらの作品は今回は展示されていませんでした。

最後に展示されていた森村泰昌の「なにものかへのレクエイム(VIETNAM WAR)」はベトナム戦争で捉えられた捕虜が公開処刑される悲惨なドキュメンタリー写真に作者が登場した戯画ですが、何を意味するものか理解に苦しみます。
(以上)
【2008/12/10 22:08】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モノクローム写真展を見て・・・ゾーンシステムとは何か・・・
11月末からモノクローム写真展がコンタックスクラブ展示場(東京交通会館7階)で開催されています。ゾーンシステム研究会というプロ写真家グループの写真展です。

この頃はカラー写真が全盛でして、モノクロ写真を見る機会は写真雑誌などで昔の芸術写真集を見る時くらいですが、この写真展を見て、今も熱心なモノクロ写真家が活発に活動していることを知りました。

私はモノクロ写真というと黒と白の二色の写真であり、その濃淡の変化で被写体を表現するものと理解していました。濃淡は光の蔭であり、蔭によって対象の形態や遠近を表すものと考えていました。

しかし、この写真展はモノクロで色彩までを表現しようとしているかのようです。この研究会が主張しているゾーンシステムというのは、白から黒までのグレー系のグラデーションを9段階に等分して、その9段階の組み合わせで画面を構成する手法です。

このゾーンシステムは、ヨセミテ渓谷の美を世界に知らしめた写真家アンセル・アダムズが提唱した手法だそうです。素晴らしい作品を創造する芸術家は原理から追求することが分かります。

アンリ・マチスの絵は色彩の交響楽と云われています。その意味はマチスが色彩の相互作用が醸成する緊張感で絵を描いているからです。このゾーンシステムでは9等分された白と黒を互いに緊張するように組み合わせて画面を構成しようと云うのです。

色彩の有無を度外視すれば、ゾーンシステムが画面構成に緊張感をもたらしていることは色彩の画家マチスの場合と同じです。白と黒のグラデーションを感覚だけで捉えず、そこに理論を持ち込んだことがゾーンシステムの手柄です。

その点は、ゾーンシステム研究会の代表者、中島秀雄氏の「Bridgeport Community Church,Clif.」(木造の教会建築)を見ると良く分かります。更に、同氏の「Screw Propeller,Ariake」は、なだらかなグラデーションで、腐食したスクリュー断片を生物の肌のように見せています。

20人余りの写真家が40点余りの作品を展示していますので、特に注目した作品についてのみ感想を述べてみます。

北野龍一氏の「海の堆朱」は、荒波に研がれた堆積岩の表面に描かれた紋様を撮影したものです。紋様は岩が生きてきた軌跡です。自然の造形は人工の及ばぬものです。微妙なトーンで造形された紋様はモノクロ写真だからこそ表現できたと思います。

宮岡貞英氏の二作品「黒い世界1、2」はハワイ島キラウエア火山の溶岩を撮影したものです。これらの写真では、幾つもの段階の黒色が複雑に絡み合って画面を構成しています。流れ出した溶岩の風景でありながら、抽象画を見るようです。モノクロ写真ならではの表現です。

ゾーンシステムはモノクロ写真に理論を導入しました。白は無地とか空白というように「存在の無」を表します。黒は光がない状態で「光の無」を表します。無から無への間にグレーの理論を展開したと云って良いでしょう。
(以上)
【2008/11/28 19:08】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
舞台写真の威力 写真展「永遠の越路吹雪」を見て
先月(10月)新宿のコニカミノルタプラザで松本徳彦氏の写真展「永遠の越路吹雪」が開催されていました。

ご存じの方も多いと思いますが、写真家松本氏は日本における舞台写真の第一人者です。戦前、戦後、新劇や新派劇に活躍した初代水谷八重子の舞台を撮影した写真集や、宝塚出身のシャンソン歌手にして舞台女優の越路吹雪の舞台を写した写真集は多くのファンに愛されました。

松本氏は、このような派手やかな舞台だけでなく、日生劇場や劇団四季の舞台をも撮影し続けている本格的な舞台写真家です。ですから舞台における演技者の決定的瞬間を捉える感性には素晴らしいものがあります。

評論家スーザン・ソンタグはその著「写真論」の中で「写真は時間の薄片であって流れではないから、動く映像より記憶に留められよう」と云っています。松本氏が切取った時間の薄片を見ると、どの一片も舞台で見た記憶が凝縮して思い出されるのです。

一般の撮影と違って舞台撮影には制約が多いです。
劇場は観客が一番大事にされる場所ですから撮影者の位置は限定されます。演技のストーリーは予想できますが、演技者は人間ですから何時も機械的に同じというわけにはいきません。その日のチャンスをミスすれば次の日に同じ表情の同じ演技が撮れる保証はありません。モデル撮影の場合のように巧く撮れなかったからもう一度演技してくれとは云えないのです。誠に厳しい条件の中での作業です。

写真展「永遠の越路吹雪」の会場に入って先ず感じたのは会場が立体的に見えたことです。会場の中程で部屋を仕切るように大きな写真が吊り下げてあり、そこには絶唱する越路吹雪がいました。その大きな写真は限られた展示場に奥行きを与えていました。さすが舞台写真家の展示場造りは一味違うものだと感じ入りました。

会場内には、松本氏が14年間撮り続けたという、歌い演技する越路吹雪の様々な姿態の写真が展示されていました。演奏会場のようにレイアウトされた数々の写真を見ていると、ここは正に歌う写真展であり、シャンソン好きのコーちゃんファンには堪らないと思いました。一枚一枚の写真が過去を現在に復活させる威力を見せつけます。

展示された最後の二枚の写真は、夫と並ぶ越路吹雪と普段着の越路吹雪でした。そこでは舞台とは違う穏やかで自然な表情がありました。これらは歌姫越路吹雪に対する写真家松本氏の敬愛の挨拶だと思いました。

舞台など写した経験のない私には掲げる写真は一枚もありません。偶々40年余り前にギリシャに行ったとき半円形劇場で古典劇を見たときの一枚を発見しましたのでここに掲げます。
(以上)


                         ギリシャ劇場-01N(海外:03.ギリシャ 66.7N)adbec


【2008/11/03 13:55】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展ヴィジョンズ・オブ・アメリカ第二部「わが祖国」を見て
第一部「星条旗 1839~1917」に続く第二部「わが祖国 1918~1961」は、第一次世界大戦に勝利したアメリカが、その勝利を背景にして経済的にも欧州諸国を凌駕した時代から、第二次世界大戦にも西欧諸国の盟主として戦い、戦後は米ソの冷戦を続けた時代までの間です。近代アメリカ史上、激動の期間です。

第一次世界大戦後、欧州の疲弊を尻目にアメリカ産業は大いに発展を遂げ、世界の資本主義経済の牽引者となりますが、1929年に起きた世界大恐慌で、産業は崩壊し、経済は大混乱に陥ります。景気回復のため採った需要喚起政策、ニューディール政策もなかなか効果が上がらないうちに、第二次世界大戦が始まり、さすがの大恐慌の傷跡も戦争のお陰で癒えます。1945年に第二次世界大戦が終わるや、間もなく米ソの間に対立が生じて冷戦と言われる軍事的対立が1989年まで続きます。

今回の写真展「わが祖国」は、この約40年間のアメリカの激動を撮り続けた写真家たちの記録です。第一部「星条旗」が建国の苦難を描いたところに強い印象を受けましたが、「わが祖国」は激動の時代を描くアメリカ写真の表現力に注目しました。

展示は三編に分かれています。第一編はアメリカのモダニズム、第二編はグラフ誌の黄金時代、第三編はドキュメンタリ写真です。

第一編アメリカのモダニズムの写真では、アメリカの写真家が写真表現で独自の道を切り開いていく様子が分かります。それは、アメリカ近代写真の父と言われるスティーグリッツが主導した、ピクトリアリズムから離れて、対象物に迫るストレート写真へと歩む道です。

ベレニス・アボットの「変わりゆくニューヨーク」には、1930年代のニューヨーク市街には未だ高層ビルと低層ビルが混在している様が克明に写されています。人工的なビルの街もストレートに撮ると美しく見えます。
また、エドワード・ウェストンの「ジュニパー、テナヤ湖」は樹木の肌を細密に描写すると共に造形の本質に迫る写真です。同じ作家の有名な「ピーマン」も日常見慣れた食物に造形の美を発見する写真です。
アンセル・アダムズのヨセミテ渓谷の写真「月の出」「月とハーフドム」などは、ストレート手法を大自然に向けたものです。普通に見ていては見えない美を発見した写真です。

第二編グラフ誌の黄金時代は、1936年「ライフ」誌の創刊に始まります。アメリカ写真がその真価を発揮した分野であり、写真界に新しい世界を開いた時代です。更に云えばフォトジャーナリズムを芸術にまで引き上げた時代です。

有名なロバート・キャパの「ノルマンディ海岸」は偶然、ブレ、アレ、ボケの表現になりましたが、如何なる状況でも写し留める写真の本性を示すものです。
カール・マイダンスの「法廷で証言する東条英機元首相」、ユージン・スミスの「ハリー・トルーマン」などの人物写真の性格描写も写真だけが出来る表現力です。裁かれる東条英機は堂々としており、裁く側のトルーマンが卑しく見えるのは、私が日本人だからでしょうか?

第三編ドキュメンタリ写真はアメリカ報道写真の始まりとなりました。それが大不況から脱却するニューディール政策を推進していた連邦政府からの依頼によって始まったということが面白いところです。

ウオーカー・エヴァンスの「小作人 アラバマ」、ベン・シャーンの「マルホーク家 小作農」「堤防を築く労働者たち ルイジアナ」、ドロシア・ラングの「重量を量るために畑の縁に並ぶ豆摘み労働者たち カリフォルニア」「プランテーションへ向かう綿摘み労働者たち」は、大恐慌で苦しむ農民たちの生活を写したものです。1930年代の中西部のアメリカ農村の荒廃を描いたジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」を絵にして見せたような写真です。

以上取り上げた写真以外にも、産業化する社会を直視した工場や機械を対象とした写真、拡大する消費経済の一面を広告という形で捉えたファッションの写真など、「わが祖国」が対象とした40年間には新しい分野の写真が沢山生まれました。歴史の短い東京都写真美術館が、これだけ厖大な写真を収集していることに改めて感心しました。

最後に苦言ですが、確か第二部「わが祖国」第三編のアメリカ・ソシアル・ドキュメンタリーの写真は、第一部「星条旗」でも取り上げていたと思います。展示された写真に重複はないと思いますが、同じ時期のものは同じ展示会に括って欲しいものです。同じ疑問はアンセル・アダムズのヨセミテ渓谷の写真展示についてもあります。

これが展示方法のミスでないなら、同じ時代の同類の写真を第一部と第二部にわけた理由を知りたいと思います。
(以上)
【2008/10/02 10:07】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
木目を美しいと感じるわけ
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生命のあるものは、動物でも植物でも皆美しい形を持っています。その形は生きるという行為が産み出した形だからです。

J.デュウイーは著書「経験としての芸術」の中で、自然には本来的に「律動(リズム)」があると言っています。生きるものの美しさは、その自然の律動の所為なのでしょう。それは人間が芸術で美を造り出す前から存在していたのです。

この自然の美しさは、その外形に止まらず、内面の構造に及びます。日本人は木材を切断したとき現れる木目(もくめ)の美しさに早くから気付いていました。木目を室内装飾に使うことは日本建築の伝統でした。

規則正しい幅をもつ木目だけでなく、幅が徐々に広がる木目、直線でなく曲線の木目、複雑に湾曲する木目などを巧みに組み合わせて、古来の建築家は日本間の美を創造してきました。

自然の律動は常に変容(ヴァリエーション)を伴って現れると、J.デュウイーは言います。そして律動の秩序が維持されている限り、変容は大きいほど面白いとも述べています。その関係は、音楽における変奏曲を想像して頂けば分かると思います。元になる旋律を維持しながらも大きく変化する変奏曲は人を魅了します。

樹木の成長は夏は大きく冬は小さくなります。その律動は年輪を刻みます。季節の寒暖に異常がなければ律動の軌跡である木目は規則正しい幅と形で刻まれる筈ですが、自然は不規則であり、生態は複雑です。樹木は成長の過程で、障害物にぶつかり、害虫に邪魔され、細菌に冒されます。

木目が変容する原因は自然界に無数にあります。J.デュウイーは変容は大きいほど面白いと言いましたが、変容が美しく感らえるのは、その大きさよりも微妙さとか意外性にあると思います。朽ちた木目にも意外な美を発見することがあります。

ここに木目の美を示す写真を掲げました。皆さんに美しいと感じて頂けるでしょうか?
(以上)
【2008/08/17 18:08】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展ヴィジョンズ・オブ・アメリカ第一部「星条旗」を見て
東京都写真美術館では「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ」写真展が開催されています。

第一部「星条旗 1839~1917」(開催期間 7.5~8.24)、第二部「我が祖国 1918~1961」(同8.30~10.19)、第三部「アメリカン・メガミックス 1957~1987」(同10.25~12.7)の三部からなる大規模な展覧会です。

この写真展は東京都写真美術館収蔵展と銘打っており、日本の写真美術館の写真収蔵力と展示表現力を示す格好の写真展となっています。

まだ第一部「星条旗」を見た第一印象ですが、開館(1995)して未だ日の浅い東京都写真美術館にしては、充実したアメリカ写真展を実現した思います。

ヨーロッパで発明された写真は、アメリカ社会の体質に合っていたのか逸早く受け入れられ、ヨーロパよりもダイナミックな発展を遂げたと思います。写真展「星条旗」を見ていると、そのアメリカ写真の歴史が良く分かります。

第一部の題名となった「星条旗」はアメリカの国旗であり、アメリカの国歌です。アメリカ国歌「星条旗」の歌詞は、アメリカがイギリスから独立した戦争の勝利を讃えたものです。

その後、アメリカの独立を脅かす危機が訪れます。それはアメリカを南北に分断する恐れのある南北戦争でした。独立して間もないアメリカが南北に分裂すれば、弱体化した南北アメリカは旧大陸からの内政干渉を受けて再び独立が危うくなります。

写真展第一部は、南北戦争のドキュメンタリー写真のスライド映写から始まります。これらのスライド写真は、北軍が25人の写真隊を従軍させて撮影したものです。軍の行動記録を撮る目的でしたが、写真は戦場の悲惨さを余すところなく伝えています。兵士の死体が戦場に散在している「死の収穫」(ゲティスバーク)は、これ一枚で61万人の戦死者を出した南北戦争のすべてを語っています。

南北戦争の英雄リンカーン大統領は、日本では奴隷解放で有名ですが、アメリカでは祖国の分断を防ぎ、国家統一を果たしたことで尊敬されています。その意味で、南北戦争は第二の独立戦争でした。これらのドキュメンタリー写真はアメリカ人に、独立の有り難さを思い起こさせる貴重な記録なのです。

アメリカは、西部へのフロンティア開拓のために地図を必要としました。オサリバン、ワトキンズ、ジャクソンなどの写真家は、地形や地質を記録するため盛んに西部の各地の写真を撮りました。

写真家たちは、その中で風景としての美しさを捉えていきます。こうして、アメリカの風景写真は軍事的実用性の中から生まれてきたのです。後世、ヨセミテ渓谷の美しさを世界に伝えたアンセル・アダムズよりずっと昔に、ヨセミテのハーフドームは彼らのカメラに収まっています。

1929年の大恐慌の後アメリカの経済社会は混乱と疲弊を続けますが、連邦政府は写真を用いて社会政策の必要性を人々に説いていきます。政府の要請で社会の暗部を次々と撮影したのはアメリカ・ソシアル・ドキュメンタリーと言われる写真家達でした。

しかし、アメリカ・ソシアル・ドキュメンタリーの写真家たちは失業者、児童労働、貧民街、貧農などの悲惨な現象を撮影しながらも、L.W.ハインなどはその中に造形的な美しさを込めるようになります。そうすることで即物的な悲惨さは更に印象的になるからです。

こうして見てくると、アメリカの写真は常に軍事、開拓、社会問題という実社会と向き合って発展してきたことが分かります。その頃、ヨーロッパから帰米したスティーグリッツはアメリカ的な写真芸術を追究し、近代写真の父と言われますが、作品「三等船室」「駅馬車の終点」などに見るように、アメリカの現実社会を直視する姿勢は、アメリカ写真の伝統に忠実でした。

第一部を見て、第二部、第三部が待ち遠しくなる写真展でした。
(以上)
【2008/08/12 09:54】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
現代に残る江戸の匂い 木村恵一写真展より
品川のキャノンギャラリー S で、写真家木村恵一氏の「江戸東京・下町日和」という写真展が開かれています。(2008.6.20~7.31)

木村恵一氏は、震災と戦災で消されて行った東京の下町に残る江戸の匂い発見し、それを美しく映像として記録しています。展示された写真は、私達がいま何気なく見ている町にも江戸の遺産が生きていることを知らせてくれます。

江戸の文化は震災と戦災で壊される前に、明治の近代化で壊れ始めます。徳川時代の文化が明治の西欧化で破壊される様は、見方を変えれば文明が野蛮に浸食された過程でした。

その浸食は、徳川時代の古い建物や構築物が壊され、西洋風の建物や施設が生まれたという外見ばかりでなく、江戸町人の生活が消えていき、地方から上京した新しい東京人の生活がそれにに置き換えられると言う、街の内面の変化でもありました。

江戸の平和は250年余り続きました。この平和で醸成された下町の文化は、西欧世界からみると地球上で滅多に見られない存在なのだそうです。しかし、その中に住む日本人にとっては、これは当り前のことであり、それが消えゆくのも当り前でした。

この消えゆく江戸町民の生活の名残りを、現代の東京の街中に発見した写真としては、私は次の五点に注目します。

台東区谷中と台東区下谷の二階建て長屋を写した二枚の写真、及び文京区根津の日用雑貨屋の店先を写した写真、これらは下町の露地の生活感をを捉えています。また、台東区谷中で露地に水打つ男と男に挨拶する老女の写真、台東区池之端で屋台の主人が一服する場面の写真です。

ここに写された建物は昭和初期に建てられたものでしょうし、登場する人物は平成の人々ですが、江戸時代も斯くの如くありなんと思わせる雰囲気です。

次に、私は江戸の工芸技術を今に伝える職人たちの表情と、その仕事場を撮影した十数点の写真に注目します。

浮世絵木版彫師が作業している仕事場の情景は江戸時代の復元です。江戸提灯、江戸凧、江戸小紋などの作品を前にして誇らしげな職人たちの表情には、江戸文化の後継者としての誇りが窺えます。

これらの写真に写っている職人たちは殆ど既に亡くなられているそうですが、後継者はいても風貌までは後継できないと、撮影者の木村恵一氏は語っていました。彼らは江戸文化を体現した最後の人達でした。

江戸時代から続く神社の祭りや、朝顔市、鬼灯市などの町の行事を写した写真は、確かに江戸の伝統を写したものですが、これらハレの場面はこれからも同じようにくり返されるので、消え去ることはないでしょう。

神田川が隅田川に注ぐ河口に柳橋があります。柳橋は江戸時代から隅田川の花街として栄えたところで、明治以降も芸者を乗せて酒盛りをする舟遊びの拠点でありました。しかし、朝早くそこに係留してある小舟には釣竿を立てた釣人が乗り込んでいました。写真家木村恵一氏は、その変化を素早く一枚の写真で捉えています。

江戸は消えて明治になり、明治は遠くなって昭和になりました。平成の現代もやがて消えていきます。消えゆくものは江戸時代だけではないのです。現代の映像を将来に伝えることが写真の重要な役目だとすると、この出発前の釣船の情景も、柳橋の変貌として見過してはいけない貴重なものとなるでしょう。

その意味で、今眼前にあるがやがて消えていく光景で、後世に残すべき光景は何か難しい問題を投げかける一枚でした。
(以上)
【2008/07/08 10:24】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真家の活躍のピーク 森山大道展を見て

今、東京都写真美術館で「森山大道展」が開催されています。(2008.5.13~6.29)
作品展は二部に分かれていて、第一部レトロスペクティヴ、第二部ハワイです。

ここでは、1965年から2005年の40年間を総括して回顧する形の第一部レトロスペクティヴの中で、印象に強く残った作品について感想を述べてみます。作品名は「 」の中に、その後に記した( )の数字は作品番号です。

レトロスペクティヴは、5つのパートに分かれています。
第一のパートは1960年代に森山大道のデビュー作である「にっぽん劇場写真帳」が中心となって展示されていますが、なぜこれらの写真が森山の写真界への挑戦と評価されたのか私には分かりません。それよりも、冒頭に展示された初期の作品「無言劇」(1、2)の二枚は、生命の闇を暗示したものとして不気味さを秘めていて、後に森山が北海道で見出した写真の世界を予想させるものです。

第二のパートは、1968~70年のプロヴォーグの時代です。
「青山」(25)は、デザイン誌に発表されたときの説明文「エロスあるいはエロスでない何か」は言葉として意味不明ですが、女の顔の一部を切り取って情念の世界を描いています。見た瞬間に意味するものが伝わり、忘れられない力を持っています。
「東京インターチェンジ」(32、33)は、高速道路を疾走する心理を表現したものとして、速さはこのように表現するのかと感心しました。それ以上に深読みして異次元世界への爽快なる飛翔と見るか、あの世への旅立ちとみるか、人それぞれです。

この時代に森山大道は「アレ、ブレ、ボケ」の手法を用いて写真界で注目を集めましたが、今改めて眺めてみると、必ずしも評価された手法に依存していない「無言劇」「青山」「東京インターチェンジ」の方が印象に残りました。

第三のパートは1970年代の何かへの旅です。
夜の函館地峡に霧が襲う「函館」(103)、一匹の野良犬がさまよう農村の風景「木古内」(120)、夜更けの市電「函館」(102)、煙突から煙を吐く停泊中の小さな客船「留萌」(116)、単線鉄路の貨物列車「夕張」(93)、寂しげな村落の道の「釧路」(88)、荒海の彼方に見える工場地帯「室蘭」(126)が強く印象に残る作品です。

森山大道が1970年代に北海道で撮影したこれらの写真には、プロヴォーグの時代に試みた「アレ、ブレ、ボケ」の手法は姿を消しています。そして、北海道の荒涼たる風景と対峙することで、行き詰まった孤独な心境を描写することに成功しています。技巧だけでは掴めなかった自分の心象を映像化し
たと言えます。

第四のパートは1980年代の光と蔭です。
写真美術館のパンフレットでは、この時代の「光と蔭シリーズ」で森山大道は長いスランプから抜け出したと解説していますが、これらの写真には70年代の北海道の旅の写真ほどの力は感じられません。僅かに「バケツ」(130)、「帽子」(132)、「タイヤ」(139)に光と蔭の面白さを発見するだけです。

第五のパートは1990年代のヒステリック、2000年代の新宿、ブエノスアイレスです。
80年代の「光と蔭シリーズ」でスランプを脱したと言うなら、森山大道は90年代以降に更なる新境地を開拓した筈ですが、この時代の作品には、それ以前の森山大道の作品にあったような印象的な作品を見いだせませんでした。

文学、絵画、音楽など、いずれの分野でも芸術家の活動には山もあれば谷もあります。スランプから脱したとしてもピークが訪れるわけでもありません。

芸術家にとっての本当のピークは一生に一度訪れると言われています。そのピークが若いときに来るか晩年に来るかは人によりけりです。森山大道の写真のピークは、今までの所1970年代だったというのが観賞後の印象でした。
(以上)
【2008/05/27 00:22】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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