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人間が神になる国 日本
1.東郷神社-04D 1811qr
写真1 東郷神社

2.乃木神社-02D 1811qc
写真2 乃木神社

キリスト教やイスラム教の一神教では、神は人間を支配し、人間は神の許しを求めるという関係が絶対的なものです。一神教の世界では、人間が神様になることなど、とんでもないことです。しかし、多神教の日本では、古来、人間は神様の仲間入りをしてきました。

日本の神話では、自然神(太陽)を人格神(天照大神)とし、天照大神は皇室の祖神(皇祖神)であるとしています。そして神話では神と天皇の境界線は曖昧になっています。人間が神になる素地は、この辺にあるのかも知れません。

菅原道真は死後、天神様になりました。讒訴で左遷された道真が死後に祟りをもたらすと恐れた政敵達は、道真の怨念を鎮めるために京都に天神社を設けて道真を祭りました。菅原道真は政敵によって死後、神様にされたのです。

しかし、生前から自らを神にしようとする者も現れます。豊臣秀吉は死後、豊国大明神となり、京都に豊国神社を建てました。徳川家康も東照大権現となり、日光に東照宮を建てました。彼らは生前から死んだら神になることを求めていました。その外にも日本の歴史上、人が死後に神になった例は幾つもあります。

日本人だけでなく外国人も日本では神様になれます。江戸時代に盛んになった七福神巡りの神様の一柱、布袋様(ほていさま)は唐の時代の中国の僧侶で、後に仙人になった人です。

戦前の一時期、軍国主義者は天皇陛下を現人神(あらひとがみ)と云って神様にしましたが、戦後は人間宣言で天皇は人間に戻り、日本民族を象徴することなりました。歴史を振り返ってみても、天皇陛下が自ら神と名乗った天皇は有史以来ひとかたも居られませんで、有史以来、天皇は人間天皇であったのです。

貴族政治の時代、天皇は貴族の権力闘争に巻き込まれたことはありますが、闘争の当事者になったことは希でした。源平以来の武家政治の時代になって、政治的実権を武士階級が握るようになってからは、天皇が行う政治行為は、征夷大将軍のような官職を与えるだけで、政治的権力闘争から超越していました。

西洋でも、日本と同じように皇室と同じ王室は存続しますし、君臨すれども統治しない君主がいる国はあります。しかし西欧の君主は国を超えて屡々入れ替わりましたから、その国の民族の長(おさ)というわけではありません。しかし、日本では創国以来万世一系の君主は日本民族の長(おさ)なのです。天皇は神様ではありませんが、日本民族にとって神様以上の存在なのです。

仏教国日本では人は死ねば皆仏(ほとけ)になります。中には神様になって神社に祀られる人もいます。戦国時代には天下と統一した武将達は豊国神社(豊臣秀吉)や日光東照宮(徳川家康)に祀られました。明治時代には日露戦争でロシアの支配から日本を護った軍人達は東郷神社(東郷平八郎)、乃木神社(乃木希典)に祀られました。もし太平洋戦争に勝利してアメリカの支配から日本を護っていれば、山本神社(山五十六)や東条神社(東条英機)が建立されたかも知れません。

八百万の神々が全土で平和共存している日本では、人が死んで神になっても不思議ではないのです。

写真1は東郷神社、写真2は乃木神社です。
(以上)
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【2018/11/21 12:56】 | 文明 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
暗い谷間でもみじは輝く
1.芝公園:もみじ谷-07D 1612q

2.芝公園:もみじ谷-17D 1612q

2.芝公園:もみじ谷-17D 1612q

4.芝公園:もみじ谷-11D 1612q

5.芝公園:もみじ谷-26D 1612q

鬱蒼と茂る芝公園のもみじ谷
太陽の光は谷間の奥まで届かない

しかし、小さな谷の流れはキラキラと光り
谷間の紅葉は僅かな木漏れ日に映えて
うす暗い林の中で明るく輝く

秋のもみじは静かに輝く

(以上)
【2018/11/11 20:25】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ギンナン拾いの季節
1.ぎんなん-04D
写真1 路上に落ちて散乱したギンナンの実

2.銀杏:人物-14D 05
写真2 黄落しきりの銀杏の木の下でギンナンを拾う人

ギンナン拾いの季節は10月から11月です。この頃になりますとイチョウの木の下でギンナン拾いをする人々をよく見かけます。

ギンナンの果実は、木から落ちるときには既にかなり熟していています。橙色の腐れかかった果実は独特の異臭を発します。その果実の上にイチョウの葉が落ちてギンナンを覆います。
(写真1)

イチョウの枯れ落葉の下に隠れた果実は、果肉を脱いで堅い殻の実になります。ギンナンを探すには、その臭いが手がかりになります。臭いのある付近のイチョウの落ち葉を踏みしめながら、足でその所在を確認します。

ギンナンは果肉を食べるのではなく、果肉に覆われた堅い殻の中にある実を食べるのですが、果肉を取り除く時かぶれるので注意をしなければなりません。それに、固い殻を割って中の実を取り出すのも結構手間がかかります。

それまでしてギンナンを食べようと、ギンナン拾いをする人が絶えないのは、ギンナンの実は、やや渋みのある独特の美味だからです。それに高血圧と動脈硬化の予防に良いそうです。

地上のものを拾って食べるという行為は、汚さや貧しさをイメージするので、見苦しい行為に見られる筈ですか、何故かギンナン拾いに関しては、秋の風景として抵抗感はありません。
(写真2)

これからの季節、寺や神社の境内のイチョウの木の下に来たら、足でギンナンを探ってみてはいかがですか?
(以上)
【2018/10/31 16:56】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秋の浜辺の朝と夕
写真1
1.由比ヶ浜-11D 04
写真2
2.由比ヶ浜-07D 04
写真3
3.由比ヶ浜-09D 04
写真4
4.由比ヶ浜-15D 04
写真5
5.由比ヶ浜-16D 04

暑かった夏が過ぎて、静かになった秋の夕方、浜辺を散歩する。

夕凪の浜辺は、夏の喧噪が嘘のように静かだ。

秋の空は高いと言うが、海の空はひときわ高い。(写真1)

気が付くと、二人の人影が浜辺に現れて、波際に佇む。(写真2)

やがて上空の薄雲は、沈む太陽の最後の光を受けて明るく映える。

明るくなった海面を見ると、沖には未だ一層のボートが浮かんでいる。(写真3)

浜辺に打ち寄せるさざ波のように、静かな秋の海にも静かな動きがある。


翌日、朝早く起きて浜辺に出てみると、湾内は僅かに朝靄に霞んでいる。

既に数人の人影を見る。

犬と散歩する人、昨夜浜辺に届けられたお宝を探す人(写真4、5)

秋の海は朝早くから静かに動き出していた。
(以上)
【2018/10/24 16:21】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初秋の空に雲の妖怪現る
1.雲-14D 0910qt

2.雲-12D 0910qt

猛暑、酷暑と言われた夏も過ぎ、朝夕は秋の風が吹き始めました。
初秋の夕方、空を見上げると、住宅地の真上に雲の妖怪が現れました。
ねぐらに帰るカラスは怯えて飛び去ります。

雲は造形の魔術師です。
秋空に色々の雲が現れます。
いわし雲、ひつじ雲、わた雲
真夏の入道雲に比べると、秋の雲はみんな優しい雲たちです。

でも、目、鼻、口がある妖怪雲は不気味です。
カラスでなくても逃げ出します。
秋風が急に冷たく感じました。
(以上)
【2018/10/09 21:24】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
江戸と東京の貯木場(木場)の変遷
1.猿江恩賜公園-08D 1202q
写真1
2.木場親水公園-11D 0908q
写真2
3.貯木場-04P 83q
写真3
4.新木場貯木場-07D 1501q
写真4

昔から日本では建設資材と言えば材木でした。材木しかなかったと言えます。

江戸は屡々大火に見舞われました。その都度、大量の木材を必要としましたので木材の貯蔵所、即ち貯木場が造られました。

江戸川区の猿江恩賜公園は徳川幕府の貯木場があったところです。
明治になって、そこは政府御用達の貯木場になりました。
戦後に、貯木場は廃止になって猿江恩賜公園になったのです。
写真の池は、木材を貯蔵したところで、保存のため木材は石材で沈下させていたそうです。
(写真1)

猿江恩賜公園から少し南に下ったところに木場公園があります。
ここも貯木場のあったところです。ここは建設当時は隅田川の河口でした。
紀伊国や木曽から伐り出された木材は海路運ばれて、ここに貯木されました。
写真は、貯水池内で木材を移動させる作業の「角乗」の実演を見せるために、貯木場跡地の一部水面を残してある場所です。
(写真2)

木場の地先が埋め立てられて手狭になったので、戦後、荒川の河口に移転して新木場となりました。
新木場には遠く南洋から外国産木材も運び込まれて、貯木場は南洋材の丸太でいっぱいになりました。
(写真3)

しかし、間もなく原木の輸出国は原木の丸太を自国で加工して製材品として輸出することになります。
そして新木場の貯木池は急速に空っぽになりました。
(写真4)

その結果、当初の新木場は丸太を製材加工する工場団地として活況を呈していましたが、今は静かな木材流通市場になりました。
(以上)
【2018/09/22 18:49】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
重畳たる瓦屋根は重厚ながら華美である
写真1 神奈川県
1.龍口寺-08D 1207q

写真2長崎県 
2.瓦屋根-07P 96q

写真3 京都府
3.哲学の道-04D 1404qr

写真4 奈良県
4.瓦屋根-02P 94q

西欧建築では屋根よりも壁を重視しますが、日本建築では壁よりも床と屋根を重視します。

欧州大陸は緯度が高いところで気温が低く乾燥しているので、家を建てるときには壁を厚くして寒さに備えますが、降雨量が少なく湿度は低いので、壁を厚くして風通しが悪くなっても気にしません。

日本の国土は南北に長いので全国的に亜熱帯に属するとは言えませんが、総じて降雨量は多く、年間を通じて湿潤な気候ですから、地表からの湿気を防ぐ床と、上空からの雨露を凌ぐ屋根を重視します。その代わり風通しを悪くする壁は重視せず、部屋を仕切るにも軽やかな襖や障子を用います。

壁を重視する西洋建築では、建物の正面の壁面(ファサードと言う)に種々の装飾を施して建物の美観を競いますが、それに対して、屋根を重視する日本建築では、屋根の稜線と、それが重なる姿に美観を求めます。

日本建築の屋根のタイプに切妻造、寄棟造、入母屋造があります。切妻造は本を半開きにして伏せた形で、建物の正面が三角形にそそり立ち、派手に見えます。寄棟造は四つの屋根を伏せて張り合わせた形で、地味ですが安定感があります。入母屋造は上部は切妻造で下部は寄棟造にした建物で、派手と地味の両者を兼ね備えた建物です。

切妻造や寄棟造の建物が沿道に並んで建つ街並みは整然として美しいですが、寺院などに多い入母屋造の建物が屋根の稜線を重なり合わせると重厚で複雑な美しさを表します。

寄棟造の稜線が幾重にも重なったり、寄棟造と切妻造とが組み合わされたり、切妻造の屋根が幾棟も並んだりする光景に出会いますと、暫く足を止めて眺め入ってしまいます。
(写真1、2、3、4)

重畳たる瓦屋根は、順序よく並んでも、複雑に入り組んでいても、夫々の重厚な美観を体現しています。
(以上)
【2018/08/24 16:27】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
神と仏は互いに守り合うと考える日本人の宗教心
東大寺 大仏殿
1.東大寺-14D 1404q

東大寺境内の鏡池の畔にある手向山八幡宮
2.東大寺-48D 1404q

21世紀文明を論じた高名な歴史学者、ハンチントンは、その著書「分断されるアメリカ」で世界の信仰心の度合いをグラフを用いて次のように述べています。

(信仰心の度合いは)欧米諸国は50%前後であり、アメリカは65%と比較的高く、ロシアを含む共産圏は20%台と低い。最下位は中国で5%、日本は下から三位の18%であると。

ハンチントンは、アメリカがアイルランドとポーランドと共にトップグループに属していると自慢しています。この発言がキリスト教世界での順位づけなら敢えて異論を唱えませんが、非キリスト教世界まで含めて論じるとなると、歴史学者ハンチントンの常識を疑います。

宗教心は、宗教が発生する背景や布教する過程で育つものであり、宗教が違えば信仰の行動、信仰の表現は皆違うのです。まして信仰心の深さまで外見で推し測ることなど出来ません。それをハンチントンがキリスト教の外的基準で判定しているのですから、もう滑稽です。

ハンチントンに宗教心は最低と云われた中国の宗教事情はどうでしょうか?
紀元前500年余り前、中国で孔子は儒教と説きしたが、その思想は正しい政治の在り方を説いたものでしたので、その内容が高邁な思想ではあっても宗教心に至るものではありませんでした。

その後、中国にも後漢の末期にインドから仏教が入ります。宗教心の乏しい中国人も戦乱で荒廃する時代に宗教に救いを求めたのです。それで仏教は普及して中国流に深められましたが、中国には仏教伝来以前から道教など土着の信仰があり、かつ、中国は自らが文明の中心との考えがあるので、外来の仏教は遂に中国では定着しませんでした。

ハンチントンに宗教心は下から三位と云われた日本はどうでしょうか?
日本には仏教渡来以前から、先祖伝来の神道がありました。世界の宗教は互いに排他的ですが、神道には教祖もなく、教義もなく、あるがままの自然を神として崇める宗教でしたから、新来の仏教とも融和しました。平安時代には在来の神と渡来の仏は互いに相手を認め合い神仏習合(しゅうごう)を果たしています。(その理論的根拠を天地垂迹説と云います)

そもそも仏教が渡来した6世紀に大仏殿を建立した聖武天皇は境内の鏡池のほとりに東大寺の鎮守の神として手向山(たむけやま)八幡宮を造営しましたし、宇佐の八幡宮の境内に神社を守る神宮寺として弥勒寺(みろくじ)を建立させています。八幡宮は東大寺を守り、神宮寺は八幡宮を守るという、神仏が相互に守り合うという発想は、平安朝の神仏習合の思想の先駆けとして奈良時代に始まっているのです。

昔は、天皇は神道で即位し、退位すると出家して仏門に入りました。一般家庭では神棚と仏壇があるのが普通でした。ですから、同じ境内に神社と寺院が同居していても誰も不思議に思いませんでした。

そう言えば江戸時代でも浅草寺の境内に浅草神社(三社様)が祭られています。浅草神社の祭神の一柱は浅草寺の観音様を隅田川から引き上げた漁師というのですから仏と神は誠に近い関係なのです。

しかし、明治政府はこの神仏混淆を良しとせず、廃仏毀釈を強行します。一神教の西欧文明に遭遇して、欧米化のために宗教の混在を恥ずべきことと考えたとの説がありますが、いや違う、狂信的とも思われる一神教の激しさに恐れをなした明治政府は、神道の力で西欧と対抗しようとしたとの説が有力です。

いずれにしても、明治政府はそれまでの寛容な日本の宗教のあり方に打撃を与えました。しかし、明治政府の廃仏毀釈政策にも拘わらず、一般庶民の間では神と仏は同居したままです。神仏習合は奈良、平安時代からの日本人の長い伝統であり、今も人々の宗教心の中に生き続けているのです。
(以上)
【2018/08/06 13:49】 | 文明 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
銀杏並木の幾何学的造形美
写真1
1.神宮外苑銀杏並木-45D
写真2
神宮外苑銀杏並木-36D
写真3
3.神宮外苑銀杏並木-27D
写真4
4.神宮外苑銀杏並木-29D 1805q
写真5
5.神宮外苑銀杏並木-35D 1805qt
写真6
6.神宮外苑銀杏並木-26D 1805qt

庭園の美しさは日本と欧米では違います。日本では、庭園に自然の美しさを表現しようとしますが、西欧では庭園に人工的な美しさを表現しようとします。

京都の桂離宮は、自然から不自然なものを取り除いて完成したと云われます。ヴェルサイユ宮殿の噴水庭園は、自然を改造して建設しました。

庭園内の樹木や草花も、日本庭園では自然のままに似せて植えますが、西欧庭園では整形した樹木を整然と植栽します。枝振りの良い梅や松の木を西洋庭園に植えた景色を想像すれば、両者の違いは歴然とします。

ところで、東京にも明治神宮外苑と言う西洋式庭園があります。聖徳紀念絵画館とその前の庭園と、そこに至る参道のような壮大な銀杏並木は、日本では珍しく大規模の西洋式庭園です。

この神宮外苑の銀杏並木は、秋の黄葉のときが大変有名です。人々は歩道に敷き詰めた黄落の絨毯を踏みしめながら、頭上の銀杏並木を観賞するのです。

しかし、新緑の初夏、この銀杏並木を訪れる人は数えるほどしか居ません。歩道には子供連れの家族が散歩し、車道には若いカップルが座り込んでいます。そそり立つ新緑の銀杏並木を見上げる人は誰も居ません。
(写真1、2)

そこで銀杏並木を見上げると、右も左も円錐形の銀杏の木が一列縦隊で整列しています。まるで銀杏の木を一本づつ同じ形に刈り込んで並べたようです。幾何学的に刈り込んだフランス庭園を見ているようです。
(写真3、4)

車道の真ん中に立って正面を見ると、視線は透視図法によって描かれた透視図を見ているようです。振り返って見ても同じように目は焦点に吸い込まれます。銀杏並木の行列は幾何学的美しさで直線で続いているのです。
(写真5、6)

思わぬところで思わぬ季節に、西洋庭園の幾何学的美を発見した次第です。
(以上)
【2018/07/20 12:16】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅雨の晴れ間に緑和らぐ山肌
1.熱海邸より-03D 1705q

2.熱海邸より-33D 1705q

3.熱海邸より-26D 1705q

4.熱海邸より-23D 1705q

5.熱海邸より-14D 1705q

梅雨空の晴れ間
太陽が顔を出す
春霞のように辺りに漂う湿気を帯びた空気
雲間から山の稜線が浮かび上がる

山肌のまだら模様は樹種の違い
針葉樹は色濃く力強く
闊葉樹は淡く綿布団のよう柔らかく
自然劇場の幕間の一瞬<
以上
【2018/07/06 11:45】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
地味だけど美しい初夏のモミジ
1.主屋とモミジ-03D 1804q
写真1
2.主屋のモミジ-01D 1804q
写真2
3.主屋のモミジ-03D 1804q
写真3

初夏のモミジは、柔らかく明るく美しい葉で身繕いします。

その葉は、暖かい藁葺き屋根よりも軽やかで、羽布団の様に柔らかです。

陽の光は、淡く薄い葉を通してモミジの樹幹を照らします。

葉越しの間接照明は、屈曲するモミジの美しい枝振りを浮き上がらせます。

初夏のモミジには秋にない地味な美しさがあります。

(以上)
【2018/06/16 09:01】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ビルの窓拭きは粋な仕事
1.日比谷通り:窓拭き作業-02D
写真1
2.日比谷通り:窓拭き作業-04D
写真2
3.日比谷通り:窓拭き作業-05D
写真3
4.やもり-01Pt
写真4

昔は、街を歩いていると、時々一本の縄につり下がってビルの窓拭きをしている人を見かけましたが、今はビルが高層化しましたので、ビルの屋上から細長いゴンドラを吊り下げて、それに複数人が乗って窓拭きをしています。更に、超高層化ビルではゴンドラは風に煽られて危険だというので、今では無人の機械で窓掃除をしています。

ですから、今は一本縄の曲芸的窓拭き光景は滅多に見かけませんが、最近、日比谷通りで昔ながらの一本縄窓拭きの現場に出会いました。中層階のビルでは、今でも昔ながらの窓拭き作業は行われているのです。
(写真1)

屋上からつり下がった長いロープに身を託して、下降しながら巧みに窓から窓へと左右に渡り歩き、手際よく窓の拭き掃除をしていました。新年の消防出初式で行われる梯子乗りより高い所で、長時間作業するのですから、さぞかし大変な仕事だろうと思いました。
(写真2、3)

昔見たビルの窓拭き掃除は、四人の拭き手が、足並みならぬ手並みを揃えて、見事な連携プレーをしていました。遠くから見ると、拭き手はビルに張り付いたオブジェのようです。いや、動いていますからオブジェではなく、壁面に張り付いている大きなヤモリのように見えました。窓拭きは家を守るのですから家守り(ヤモリ)に違いありません。
(写真4)

高層建築や橋梁建設を組み立てる高所で働く鳶職人は現場の華と言われ、粋な職業だそうですが、一本縄の曲芸的窓拭きも粋な仕事なのです。
(以上)
【2018/06/02 18:08】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
あれは何でしょう?
1.船内の人物
写真1
2.東京湾アクアライン:風の塔-07D
写真2
3.東京湾アクアライン:風の塔-01D
写真3
4.東京湾アクアライン:風の塔-11D
写真4

船旅に出るとき、東京湾を航行していると川崎沖辺りで不思議なものを見かけました。
遠くから逆光で見ると、大きな帆を膨らませて船が一艘迫ってきます。
船体を見ると、だるま船のような幅広の大きな船です。
荷物を満載しているのか、船縁が極端に浅い船です。
(写真1、2)

乗っている船が回り込みますと、大きな帆船の正体が分かりました。
帆に見えたのは換気のための塔でした。
それも大小二つの換気塔が背中合わせに建っていました。
それは東京湾アクアラインの海底トンネルの通気口でして「風の塔」と云います。
(写真3)

大きな塔が吸気口、小さな塔が排気口です。
船体に見えた島は「川崎人工島」と云います。
それにしても海抜の低い島です。
羽田空港に近いので航空機の離着陸に邪魔にならないよう配慮したのです。
それでも、高い波が寄せてくると海水がトンネル内に入らないかと心配です。

東京湾上を渡る風は年間を通じて南北方向です。
換気口と排気口の二本の風の塔の隙間には周囲より強い風が吹くそうです。
すると、周囲の風は二本の塔に引き寄せられるのだそうです。
この現象を物理学でベルヌーイの定理というそうです。
電車のホーム際に立っていると、通過する電車に吸い寄せられる原理と同じです。

でも変ですね、
ベルヌーイの定理は吸気にはプラスですが、排気にはマイナスじゃないかと。
安心して下さい、
二本の塔は長い吸気口の塔の方に傾いています。
ベルヌーイの定理が働く力は排気口より吸気口により強く働くのですから。
(写真4)

船旅に出るときに学んだ物理学でした。
(以上)
【2018/05/02 18:58】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ビル街の影絵芝居
写真1
1.新宿西口高層ビル群:都庁中央通りより-02D 1712qt
写真2
2.新宿西口:コクーンタワー-30N 1712qr
写真3
3.新宿西口:コクーンタワー-29N 1712qr
写真4
4.新宿西口:コクーンタワー-31N 1712qt

宿西口には東京で最初に誕生した超高層ビル街があります。
広い淀橋浄水場跡地を再開発したので、超高層ビルは整然と配置されています。
そして、夫々のビルは高さや容積がほぼ同じですから、街に一体感があります。
しかし、夫々の超高層ビルの姿は形や色は多様で個性的です。

街中を散歩していると、そのような超高層ビルを背景にした影絵を発見しました。
ビルの間に植えられた街路樹が演じてくれる影絵を楽しんでみませんか。
(写真1)

中でも西新宿で最も美しいビル、モード学園コクーンタワーを背景にした影絵は素晴らしいです。

葉を落とし枝を下ろされた銀杏の木のシルエットはコクーンタワー絵柄にマッチします。(写真2)

コクーンタワーに寄り添うように迫る常緑樹のシルエットは厚かましく見えます。(写真3)

見せないぞとコクーンタワーの前に立ちはだかるシルエットは嫉妬心が強いのでしょう。(写真4)
(以上)
【2018/04/05 15:34】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
皇居前広場のケヤキたち
1.皇居前広場(皇居外苑)-69D 1712qt

2.皇居前広場(皇居外苑)-79D 1712qr

3.皇居前広場(皇居外苑)-78D 1712qt

5.皇居前広場(皇居外苑)-83D 1712q


縄文時代には日本列島はブナ林で覆われていたと言います。
日本に広く分布する広葉樹の代表にはブナの外にケヤキがあります。

関東地方では古いお屋敷に大木のケヤキが聳えていることがあります。
しかし、大木のケヤキが育つには、広い大地が相応しいです。
広い大地に聳え立つケヤキは、その全容が見えて遠くからでも目立ちます。

「けやけし」という日本語は「ひときわ優れている」とか「際立っている」という意味です。
だから「けやけし木」からケヤキと名付けられたのでしょう。

ケヤキは冬に葉を落とした時の方が見栄えが良いです。
と言いますのは、大きなケヤキの樹幹から太い枝が四方に伸びて、その枝から小枝が広がります。
その小枝の先は、繊細でしなやかな刷毛のようです。

その姿は、まるで巨大な箒を空に向けて逆さにしたようです。
皇居前のケヤキたちは、きっと冬の大空を掃除しているのでしょう。
(以上)
【2018/03/10 21:14】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
登山電車は省エネ技術の元祖だった
1.箱根登山ケーブルカー-02D 0703q

1973年に石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げたときは世界経済は大混乱に陥りました。中東石油に依存していた日本は油断大敵でして、政府は大慌てて産油国詣でに奔走し、庶民は生活物資の買い占めに走りました。

石油ショックでエネルギー資源が大切なことを思い知らされて、改めて地球上のエネルギー資源を並べてみますと、木材、石炭、石油、天然ガスなど、すべて太陽からの熱と光りが造り出したものと分かります。人間は太陽からの贈り物を使うだけで、自ら新しいエネルギーそのものを創造することは出来ないのだと知るのです。

人間の手で産み出したエネルギーと言えるのは、核分裂で発生させる熱エネルギーだけです。その核分裂エネルギーも、原子力発電所の将来性に疑義を持たれている現在、人類は未だ自前のエネルギーを安全に確保いていないのです。将来、核融合で発生するエネルギー開発に成功すれば、人類は太陽を我が物にしたと自慢できるのですが、今のところ、その見通しは立っていません。

そこで、エネルギー資源に関して人間に出来る事と言えば、太陽から与えられたエネルギー資源を無駄なく使うこと、無駄を出したらそれを回収して再利用すること位です。そのような分野で、省エネルギーの技術を開発することは大事なことで、既に色々な工夫と発明が為されています。

例えば、平地を走る電車は、減速するとき電気ブレーキを使って運動エネルギーを電力に変換して回収しています。これを回収ブレーキと言うのですが、今急速に普及している電気自動車でも同じく回収ブレーキが使われています。回収ブレーキの利点は、エネルギーの面だけでなく、摩擦による部品のロスを少なくする働きもあります。

エネルギーの無駄を省くという意味では、揚水発電所があります。これは電力エネルギーの場合は、需要(消費)と供給(発電)とは同時に同量であることが求められますが、原子力発電所は、その需給の変化に合わせて発電量を調節することが難しい発電所です。

夜間には電力需要は低下するので、過剰となった原子力発電所の電力を使って、水力発電所の水をダム下の貯水池からダム上の貯水池へ汲み上げておくのです。無駄になる電力を位置のエネルギーに変換して貯蔵しておくのです。

そう言えば、もっと単純なもので登山ケーブルカー(鋼索鉄道)があります。上り下りの車両を一本のワイヤーロープで繋いで、交互に山の斜面を上下しています。登る車両は下る車両の重力を利用して登ります。下る車両の重力を無駄にせず、登る車両が再利用しているわけです。登山ケーブルカーは、車両に動力を積まないので推進効率がよく、それも省エネになります。
(写真)

揚水発電所では水が上下する、登山ケーブルカーでは車両が上下するので似ているのですが、前者が位置のエネルギーであり、後者は慣性のエネルギーですから、原理は違うのです。しかし共に優れた省エネ技術です。
(以上)
【2018/02/21 17:49】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
皇居前の地植えの盆栽
写真1
1.皇居前広場(皇居外苑)-66D 1712qt

写真2
2.皇居前広場(皇居外苑)-100D 1712qr

写真3
3.皇居前広場(皇居外苑)-73D 1712qr

写真4
4.皇居前広場(皇居外苑)-93D 1712qt

写真5
5.皇居前広場(皇居外苑)-101D 1712q

写真6
6.皇居前広場(皇居外苑)-96D 1712q

写真7
7.皇居前広場(皇居外苑)-97D 1712q

盆栽は、平安時代に唐から盆景として日本に伝えられたと言います。鎌倉時代には高級な趣味として武士階級に普及しましたが、江戸時代になると庶民の間で植物園芸が盛んになり、世界でもトップクラスの園芸大国になりましたから、盆栽も高級な園芸の一つとして広く町民の間で愛好されました。

その伝統は今日まで引き継がれていて、盆栽は日本固有の園芸として世界に広く知られています。盆栽は外国でも「ボンサイ」と呼ばれています。

嘗て、江戸城の前には江戸湾の海水が迫っており、浜辺には松林があったでしょう。現在の皇居前広場には沢山のクロマツが姿形美しく並んでいますが、この松林は皇居の東方近くが海浜だったイメージを喚起するものかも知れません。

このクロマツ林は、昭和15(1940年)に紀元(皇紀)2600年祭を祝って植林されたものだそうです。植えてから80年弱年の年月を経て、今では程よい背丈の、立派な黒松林になています。

しかし、クロマツの背丈も伸びましたが、皇居の東側のオフィス街のビル群は、それ以上に背丈を伸ばしました。高層ビルが超高層ビルになって聳えると、クロマツ林の後ろに屏風が立てられたように見えます。
(写真1)

目を細めて眺めていると、突然、屏風のような超高層ビル群が積み木細工のように小さく見えてきました。すると手前の松林のクロマツが樹形の美しい盆栽のように見えてきました。

盆栽と言えば、樹木を鉢植えにして、自然の風景の美を小さな鉢に凝縮させて楽しむ園芸ですが、さしずめ、皇居前の広場のクロマツは地植えの盆栽なのです。
(写真2、3、4、5、6、7)
(以上)
【2018/02/10 20:44】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
来世への輝ける道か
1.六本木表通り-63N 逆光の反射-06D 1712q

2.六本木表通り-63N 逆光の反射-07D 1712q

3.六本木表通り-63N 逆光の反射-08D 1712q

明るさを求めて
虫のように進んで行くが
行けども行けども何も見えない

光は反射して初めて目に見える
反射しない光線は横を通り過ぎるだけ

光のトンネルの中は輝くばかり明るい
明るすぎて何も見えない
来世への輝ける道は何も見えない

以上
【2018/01/23 09:58】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
オリンピック国立競技場の建設現場の空にクレーンは舞う
1.神宮外苑:国立競技場建設中-07D 1711q

2.神宮外苑:国立競技場建設中-12D 1711q

3.神宮外苑:国立競技場建設中-09D 1711q

4.神宮外苑:国立競技場建設中-06D 1711q

5.神宮外苑:国立競技場建設中-20D 1711q

6.神宮外苑:国立競技場建設中-22D 1711q

スタートから躓きが多かったオリンピック国立競技場の建設ですが、遅れを取り戻すべく急ピッチで工事は進んでいます。

工事現場は高い塀で囲われているので覗き見ることは難しいのですが、東京体育館の高い場所からは建設状況を垣間見ることが出来ます。

そこから建設現場を見ていると、オリンピック国立競技場の予定地全域にわたって沢山の建設用クレーンが動き回っています。

多くの建設用クレーンは空高く長い腕を伸ばします。そして互いに近づき接触しては離れます。恐らくクレーンの下では建設資材の運搬が行われているのでしょうが、上空では複数のクレーンが話し合っているようにも、じゃれる合っているようにも見えます。

複数のクレーンが重なり合う時、荷物を運ぶクレーンのワイヤーが絡み合うように見えます。やがて、ワイヤーが紐に見えてくると、クレーンは指に見えてきます。

覗いていたカメラのファインダーの中で、クレーンとワイヤーで何やら絵柄を描いているようです。まるで巨大な指が綾取りをしているかのようです。空に舞うクレーンの遊び心でしょうか。
(以上)
【2018/01/02 12:18】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
岩に散るモミジは再び美しい
1.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-03D 1612q

2.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-04D 1612qt

3.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-07D 1612qt

4.芝公園:もみじ谷:岩と落葉-05D 1612qt

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」という俳句があります。

これは良寛和尚の俳句ですが、弟子の尼僧の貞心尼が良寛の死を予感して嘆いたとき良寛が自らの心境を詠んだものだそうです。

美しく夕日に映えたモミジは、散るときには美しかった葉の表も、醜かった葉の裏も、全て見せて散る、自分も死ぬときは隠し立て無く全てをさらけ出して死のうとの気持ちを語ったとの解説を読んだことがあります。

しかし、夕日を浴びるモミジは、裏側から見るのが一番美しいのです。太陽光線の反映は柔らかくなり、葉脈も浮いて模様となり、表側から見るモミジより一段と美しさに深みが増します。

そのモミジの葉が、はらはらと散り落ちるときは、それこそ表と裏を交互に見せて瞬間の美を見せつけるのです。

それだけではありません。モミジの葉は散った後も岩の上で、裏と表を見せて再び美しくなります。
(以上)
【2017/12/18 21:28】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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