美しい桜花 幽冥の境を行く
          モンタージュ:桜-02P 92q
                            さくら花びら-40D 1204q

宗教を信じる人々は、死ねば幽冥の世界へ旅立つと信じています。この世に妖精が居ると信じる人々は、草木もこの世とあの世を往来していると考えます。

妖精たちは、嘗て地上に生育した草木が、枯死してのち幽冥に生き続ける霊的存在と見るのです。そして、妖精たちは地上の草木を守護する霊的存在と見るのです。

西欧では妖精の存在を信じる人々はいますが、妖精神話は西欧がキリスト教化される前のケルト族の思想であって、キリスト教では妖精の存在を否定します。もし認めても妖精は人間の霊魂よりも劣後の存在とします。

しかし、万物に神宿るという日本の伝統的思想では、人間も草木もこの世で同じ次元に生きる存在であり、死後も霊的存在として共に生き続けると考えます。

更には、日本では自然物だけでなく人工物にも霊的存在を認めて供養する習慣があります。針供養は折れた縫い針に、筆塚には使い古した筆に感謝を込めて、その霊魂を祭り上げる行事です。

このように霊的存在を信じるようになれば、美しく咲いたあの桜の花びらにも霊的存在を感じても不思議ではありません。今、散りつつある桜の花びらは幽冥の世界に行く途中なのです。
(以上)
【2012/05/12 10:35】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モミジは二度紅葉する
                   1.もみじ-01D 1104qt
                   写真1 春先に芽吹くモミジ
                      2.もみじ-09D 1204q
                      写真2 初夏に葉を広げるモミジ
                   3.もみじ-03D 1112q
                   写真3 秋深い頃のモミジ

新緑を求めて歩いていると、時に緑の木々の間に赤い葉を見つけることがあります。初夏に紅葉する木々のなかで、ひときわ鮮やかなのは、やはりモミジです。

赤い葉の木々でも、芽吹くとき赤くなっても、やがて緑色に変わるのが普通ですが、モミジは芽吹くときは濃い赤であり、葉を広げると淡い赤に変わります。

秋のモミジは概して濃い赤ですが、初夏に葉を広げるモミジは淡く明るい赤です。ピンクに近い淡い赤は、いかにも春の赤です。

これから野山は新緑のシーズンになります。緑一色のなかに赤い色が混じるのを見るのは、心休まる光景です。そう言えば、赤と緑は補色の関係でした。
(以上)
【2012/05/06 14:51】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
横浜大桟橋は異空間の世界
  1.横浜大桟橋-06D 1201qtc
写真1 鯨の背中を思わせる大桟橋の屋根
            2.横浜大桟橋-16D 1201qtc
       写真2 木造デッキは異空間を演出する。遠くの大きな橋は横浜ベイブリッジ
                        3.横浜大桟橋-09D 1201qt
                   写真3 夕陽を浴びて暖かさを益す屋上の芝生
                                   4.横浜大桟橋-27D 1201qt
                          写真4 横浜大桟橋の上に満月はゆっくり昇る。

日本では公共の建造物は大抵平凡な形をしています。東京都の庁舎のように豪華な例外もありますが、大抵はデザインなどの外見にお金を掛けず、実用主義の簡素な建造物が多いのです。

ところが、横浜港の大桟橋は、そのデザインに目を見張るものがあります。全体の容姿が通常の建築物とは大きく異なり、極めてユニークな形をしています。(写真1)

日本の海の玄関だからということなのでしょう、横浜桟橋を改築する際にその設計について国際コンペに掛けて、見事に個性的な大桟橋を建造しました。

愛称は「くじらのせなか」と言うのだそうですが、成る程と思いました。建造物の屋根はうねるような局面で覆われていて、その上を歩くと、正に不安定な鯨の背中の上に居るようです。(写真2)

人間は坂を前後に上ったり下ったりすることには慣れていますが、それに左右の坂が加わると、誠に歩きずらいものです。この鯨の背中では不思議な平衡感覚の変化を感じますが、このような空間を専門用語でトポロジカルな空間と言うそうです。

また、建物の内部も柱や梁がなく、階段ではなくスロープを使うなど、横浜大桟橋では日常経験できない異空間を楽しむことも出来ます。

それと同時に、大桟橋の屋上が木造デッキと芝生で覆われていることも、コンクリートと鉄の世界から解放された暖かさがあります。(写真3)

この横浜大桟橋は国際客船ターミナルとして建造されたので、大型客船が複数同時に着岸できます。クイーン・エリザベスII(7万トン)クラスの客船でも同時に2隻が着岸できるそうです。

因みに、日本郵船の豪華客船クリスタル・ハーモニーを日本人用に改造した飛鳥II(5万トン)は、横浜港を母港としています。

飛鳥IIが出港する少し前、丁度夕月が横浜大桟橋の上に昇り始めました。夕陽を浴びて大桟橋の芝生が暖かそうな色に変わり、その先に赤みがかった大きな月が見える光景は、本当に幻想的でした。(写真4)
(以上)
【2012/04/26 22:21】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜の不思議な魅力
                   さくら-26D 1204qt
                     さくら-28D 1204qtc

日本人が愛でる桜は、その美しさ故に「死」に結びつけられることがあります。

西行法師は「願はくは花の下にて春死なむ」と詠み、その通りになりましたし、近代作家梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」で始まる散文詩を書いて早世しました。

桜は、その花が余りに美しいにも拘わらず、その樹は大変醜いのです。この見事なまでの不釣り合いな姿を同時に眺めていると、不思議な魔力に取り憑かれるのかもしれません。

多くの人々は、桜の花に見とれてしまい、その樹幹を見ません。しかし、桜の樹幹から直接桜の花びらが咲いていることがあります。そこでは当然、花びらの可憐さと無骨な樹幹の肌が並んでいます。

このコントラストは、不思議な魔力というよりも、桜花の可愛さを訴えてきます。人々は、これをフランス語で花束を意味する言葉、桜のブーケと呼んでいます。

頭上に咲き乱れる桜は見上げねば見えませんが、桜のブーケは目の高さで、見て下さいと囁やいているようです。そのときには不思議に醜い樹幹の肌も力強く感じます。
(以上)

【2012/04/20 20:55】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
散った花びらが再び咲く桜
            さくら花びら-07D 1204qt

                                  皇居の花見-40 1204q
        さくら花びら石畳-02D 1204q
                              さくら花びら-14D 1204q


桜は風に吹かれて花びらが散る時が一番美しいです。桜の花吹雪は花見客の気分を高揚させます。しかも、散った花びらは、水面や地面に落ちて、もう一度花を咲かすのですから驚きです。

川や池の水面に浮かんで漂う様は花筏と言われて人々を楽しませます。また樹下の地面や敷石の窪みに溜まった桜の花びらは思いも掛けない絵を描きます。

桜花の寿命は短いですが、水面の花筏は忽ち姿を変えますし、地面の花びら絵も二、三日しか保ちません。そうなると、二度目に咲く花びらの花は、なおさら愛おしくなります。

桜は一度散って、その後にもう一度咲く、本当に素晴らしい花です。満開の桜が峠を越えた頃、風の吹く日が最高のお花見日和となります。
(以上)
 
【2012/04/13 22:28】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜花が一番美しいのは朝方ですか、夕方ですか
                    桜-02P 86t


桜の季節が参りました。
年に一度、それも一週間程の短い間に花の命は終わります。そして温暖前線のように桜前線と呼ばれて、素早く日本列島を南から北へ一月余りで走り抜けます。

誠に桜の花は、颯爽として潔く行動して、未練がましいところがない花です。日本人が桜の花を国花として愛でるのは、この「いさぎよさ」にあります。

桜は一日中いつ見ても美しいのですが、最も美しいのは朝方でしょうか、夕方でしょうか。

本居宣長は「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花」と詠みましたから、朝日の昇る頃が一番美しいと感じたのかもしれません。

もっとも、この和歌は大和心を詠ったのであり、桜の花は喩えとして引き合いに出されたのに過ぎず、それも「朝日に匂う」と言っているので、桜の美しさを色彩や形態で愛でたわけではありません。

本居宣長は、桜が醸し出す雰囲気、更に言えば桜のオーラを感じ取って詠んだのでしょうから、一日が始まる朝方が桜のオーラが発する時間帯なのかも知れません。

見た目の美しさを讃えるなら、桜の花は朝方より夕方が良いのではないでしょうか?

わずかにピンク色した花びらが夕陽を受けて赤らむ姿は、桜の一番綺麗に見える瞬間です。

風もない静かな夕暮れ時、あかね色の夕陽を浴びて色づく桜の花びらが、はらはらと落ちる光景を見ていると、これが「さくらばな」の最高の美しさだと思います。
(以上)
【2012/04/06 21:48】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美を知っている小石たち
                     小石-01D 1111qtc
                  小石-04D 1111qt

美は創造するものではなく発見するものだと言います。自然には数多の美が隠れていると言います。自然の美は、その存在が人に気付かれて初めて言うところの「美」となります。

美は自然の中にあり、人はそれを発見して真似ると言います。とすると、芸術品は、自然から発見された美が、真似る技術で磨き上げられた結果だと言えましょう。

ある古刹の境内を歩いていると、苔むす庭に小石が散らばっているのを見つけました。

ある小石の群れは、蹴散らかされ踏みつけられて苔の地面に埋め込まれたいました。又ある小石の塊は、雨で削られた小穴に纏まって落ち込んでいました。

何処にでもある苔庭の小石たちの姿です。しかし、じっと見ていると小石は意志を持って境内を徘徊しているかのように見えてきました。

列を作っている小石たちは、曲がりながら何処へ行くのか苔庭を移動中のようです。小さな穴に肩寄せ合って集合している小石たちは移動するのをやめて、一休みしているかのようです。

訪れる人の少ない境内で、それらの小石たちは、ビロードの苔を敷き詰めた庭で、白っぽい肌を見せて、美しく動き回っているのです。
(以上)
【2012/03/28 20:32】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真は俳句方式か和歌方式か
写真はよく俳句に喩えられます。森羅万象への感懐を17文字(五七五)で表現する俳句に対して、写真は目から入った印象を一片の映像として切り取って表現すると。

俳句は使う言葉の数に厳しい制限があるので、不必要な言葉を排除するのに全力を傾けますが、写真はレンズに入る映像は全て写ってしまうので、不必要な映像を極力排除するよう大いに努めます。

このように俳句も写真も表現する際の材料を出来るだけ少なくしようとします。余分な言葉や余分な映像を削ることで、表現する内容をより鮮明にし、強調し、その結果、人々により強い感動を与えようとするのです。俳句も写真も、冗長は敵であり、説明は失敗だと言います。

俳句ですが、これは和歌から発達した俳諧連歌の第一句(発句)が独立したものです。31文字で詠まれる伝統的な和歌より短い詩です。江戸時代の前期に史上最高の俳人と言われた松尾芭蕉が活躍し、明治には俳句の復興を唱えた正岡子規が活躍しました。

それでは俳句の親元である和歌はどうでしょうか。万葉集、古今和歌集、新古今和歌集と受け継がれ、明治以降は短歌と呼ばれて、今でも盛んに詠まれています。いにしえの人々が恋情をめんめんと綴った和歌など現代人にもすぐ通じます。

ところで、31文字の短歌は17文字の俳句よりも、より説明的です。従って、短歌は詠む人にとっても観賞する人にとっても、作り易く理解し易いものになります。(これは短歌は読みますが、作らない私の想像です)

そこで、写真の撮影でも、俳句方式よりも短歌方式で行くのが良いのではないかと考えてみました。見る人の感動を強めるために写る被写体を極力排除するのは程々にして、画面に少々の余分な映像が入るのを許すのです。俳句方式よりも短歌方式にすると、写真は撮り易くなりますし、見易くなります。

この頃は、このように気持ちを切り替えて気軽に写真を撮るようにしています。駄作を沢山撮りますが、そのうちに良いものも多くなるでしょう。俳句では考え込むよりも沢山作れと言われます。写真も俳句も多写、多作が良いようです。
(以上) 
 
【2012/03/21 21:20】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
寿命の長いススキの穂
     1.すすき-15P 87t
     写真1
                         2.すすき-13P 89t
                         写真2
     3.中川-06D 1202qt
     写真3
                         4.中川-20D 1202qt
                         写真4
ススキは、日本の山野にはどこにでも生えている草です。山野には色々な草が生えますが、変遷する草原を最後に制覇するのはススキです。それだけ繁殖力と持続力が強い草です。

戦後の一時期、外来種の黄色い穂のブタクサが繁殖してススキの原を圧倒した時がありましたが、今はススキの野原となっています。

ススキはそれほど強靱な草ですが、その姿は繊細で弱々しい外観を持っています。野口雨情が作詞し中山晋平が作曲した「船頭小唄」は枯れススキの歌として有名ですが、ススキを暗い歌詞と悲しい曲で歌っています。

その所為か、ススキは、白い穂を出したばかりのふさふさした秋のススキ野の風景よりも、枯れ果てて、かさかさして黄ばんだススキの野原の方が風情があります。太陽の高い日中よりも、傾く夕陽を浴びたススキが美しいです。(写真1、2)

外見の弱々しさに反して強靱なススキは、枯れてからの寿命がとても長いのです。冬の寒風にもめげず、春先に草木が新芽を出しても未だ枯れ穂で頑張っています。

もう春めいたある日、今は川の流れを辞めた東京下町の中川の土手を歩いていて、ススキの枯れ穂を美しいと思い撮影しました。
(写真3、4)
(以上)
【2012/03/15 19:25】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
仮想現実の落書
                     落書き-04P 04t

仮想現実とは英語のバーチャルリアリティ(Virtual Reality)の訳語です。コンピュータで構築された映像ですけれど、実物を見るように見えます。描かれたものは立体的で、五感で感じるよう見えます。

東京の両国駅近くのコンクリート壁に描かれた落書きを見て、おや!と思わず引き込まれました。そこは自転車置き場なので実物の自転車が何台か置いてありました。

コンクリリート壁は、上半分は空色、下半分は鼠色のツートンカラーで染め分けてありましたから、上半分は一見、空間のように見えます。いま、一人の男が鼠色のコンクリート壁を乗り越えて、空色のコンクリート壁を突き抜けていこうとしています。

空色の部分もコンクリート壁ですから、現実には透明人間でなければ壁を通り抜けられません。それなのに、二番目の男が、一番目の男に続いて架空の空間に向かって進もうとしています。公共物への落書きは褒めたものではありませんが、この落書きには思わず微笑んでしまいました。

しかし、もし三人目の男が酔っ払ってこの二人に続いたら、間違いなくコンクリート壁に頭を打ち付けて怪我をするでしょう。その所為かどうか知りませんが、この落書きは消されてしまい、今はありません。
(以上)
【2012/03/08 10:10】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
氷の結晶の美しさ
            1.池の氷-05D 1201q
            写真1
                              2.池の氷-04D 1201q
                              写真2
        3.池の氷-01D 1201q
        写真3
                                   4.池の氷-07D 1201q
                                   写真4
雪の結晶の美しさを紹介した物理学者中谷宇吉郎は「冬の華」という随筆を書いていますが、氷の結晶の美について人々は余り関心を示しません。しかし、氷の結晶も雪の結晶に劣らず綺麗なものです。

この頃は冬でも東京では滅多に氷の張った池を見ることがありませんが、今年は例年になく寒い冬なので、池などに薄氷の張る日があります。偶々訪れた墨田区にある旧安田庭園の池で美しい氷の結晶の模様を見つけました。

その池は庭園の真ん中にあり、周囲を樹木で囲まれているので、池の表面は余り波が立たず、氷結するのに良い条件だったようです。そのため氷の平板な部分とさざ波の部分とが混ざり合った、複雑な氷の模様を見ることができました。

雪の結晶の美は顕微鏡でなければ見えませんが、氷の結晶の美は肉眼でも見えます。池の周りを巡りながら、氷の表面に当たる光の変化を楽しむことが出来ました。凍った池の表面を眺めているうちに、色々な想像が湧いてきました。

ある角度からは広大な山脈を宇宙から眺めるように(写真1)、ある角度からは火山湖を真上から覗き込むように(写真2)、ある角度からは細菌を電子顕微鏡でみるかのように(3)、ある角度からは洪水が泥土を平野に押し流しているように(写真4)見えてきたのです。

自然が創り出した、同じものは二度と現れない、ひとときの氷の芸術作品をご鑑賞下さい。
(以上)
【2012/03/01 18:42】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
街角の張紙芸術 コラージュと言えるか
                       1.貼り紙-05D 1104qc
                       写真1
                       2.貼り紙-07D 1104qc
                       写真2
                       3.貼り紙-10D 1104qc
                       写真3
                      4.オペラシティビルからの眺望-05D 1201qr
                      写真4
新聞や布きれ、その他の印刷物、壁紙の一部、プリンント写真などを「切り貼り」することによって作られる近代的アートを「コラージュ」と言います。コラージュとはフランス語で「糊づけ」の意味です。

コラージュという芸術は、表現方法ではなく制作手法のことですから、貼り付ける物は立体的な物まで含まれます。従って、コラージュは絵画と彫刻の境界を消滅させたと言われます。

山下清は「ちぎり紙細工」から「貼り絵」画家になりましたが、山下清の貼り絵は制作手法としてはコラージュですが、世間ではコラージュとは言いません。と言うことは、コラージュは「貼り絵」ではないので具象を描くのは難しく、表現する内容は抽象的内容になるからからです。

コラージュで表現する中身は千差万別で何でも有りに見えますが、貼り付けられたものの部分と部分の構成に意味を持たせて、全体としての構図に感動や興味を感じさせるのがコラージュ作品なので、何でも有りとは参りません。

そう言えば抽象画に「コンポジション」という名前をつけた絵がありますが、これらは具象の形態のエッセンスだけ取り出して見せると言う手法で、より強い感動を与えました。コラージュの表現方法をいち早く実践したのはキュビスム時代のパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックであったと言うのは頷けます。

正直言って、抽象画が分かり難いように、コラージュも鑑賞の仕方が難しいです。コラージュ作品を見て風景画や美人画のように一瞥して引き入れられることはありません。美術館でコラージュを見て一体全体何を表現しようとしているのか首をかしげながら眺めることが多いです。

コラージュに対する私の理解はその程度ですから、ふと街角で目にした落書きのコラージュは、子供還りするカオスの好きな大人達の遊び心と見て写真に撮りました。(写真1、2、3)

そしてふと思ったのです。新宿のオペラシティ・ビルの高層階から俯瞰した東京の街は見事なコラージュ作品ではないかと。(写真4)
(以上)
【2012/02/24 21:22】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
北半球への大型寒波の襲来に思う
        雪景色:車窓-02P 99qt
                  角館-23P 98q
                            角館-45P 99q

今年の北半球の冬は、いずこも異常に強い寒波の襲来で、降雪や氷結などで生活も産業も大混乱です。

日本海側の各地もまれに見る大雪で、平成18年の豪雪に並ぶと言われています。欧州ではベルリン市内の川に流氷が溢れて砕氷船まで出動したとか、温暖なイタリア中部でも珍しく大雪が降ったとか、世界各地で寒波の被害が伝えられています。

この異常気象の原因は、温暖化で北極海の氷が溶けて海面の面積が広がり、そのため寒気団の流れが変り、北半球に大量の寒波を送り込んでいるとの説明がありましたが、本当のところは分かりません。

写真は秋田の雪風景です。野も街も庭も雪で埋まっています。

数年前上映されたアメリカのパニック映画「デイ・アフター・トゥモロー」では地球温暖化により南極の氷が溶けてニューヨークに津波が襲い、その後急に気温が下がって都市が氷結するという非現実的な内容でしたが、このストーリーは「温暖化が続けば、寒冷化を招く」ということです。

時は1万年位前、所は日本海のことですが、その頃から冬になると日本列島の日本海側に大量の雪が降り始まりました。

その原因は、地球の温暖化で大洋の海面が上昇し、暖流の一部が分流となって対馬海峡を通って日本海に流れ込むようになり、日本海の海面が暖かくなったことにあります。

毎冬渡来するシベリア寒風は、この暖かい日本海の表面と接触して大量の水蒸気を発生させ、それが日本列島の山脈に突き当たり、大量の雪を降らせたのです。

今回の寒波襲来の原因や経過は明らかではありませんが、温暖化が冬を寒くして大雪を降らす現象は1万年前の日本列島で既に起きていました。

温暖化の結果、寒波が襲来しても少しも驚きません。皮肉な現象ですが、自然は人間の知恵をあざ笑っているようです。
(以上)
【2012/02/17 18:03】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
つららは三寒四温が作る宝石
                    氷柱-01P 01t

つららは漢字で氷柱と書きます。意味は分かりますが、漢字では「つらら」の感覚は伝わりません。ここが大和言葉と漢語との違いなのでしょう。漢語はもともと外国語ですから、大和言葉に込められた感情が抜けてしまうのです。

つららは極寒の地では見ることは出来ないと言われます。と言いますのは、つららが産まれるには、寒さと暖かさが交互にくり返される条件が必要だからです。雪が溶けて、水がしたたり、それが凍るという過程を繰返して、つららは生まれ、育ちます。

日本の冬は、三寒四温と言うように、寒い中でも気温は小刻みに上下します。冬でも気温が一本調子で下がらないのです。それは多分、日本近海に暖流が流れているからでしょう。冬の寒気は、暖流との相互作用の結果なのでしょう。

冬になると、北国では軒下に長いつららが今にも落ちそうに垂れ下がっているのを見かけることがあります。屋根の雪は昼間に太陽の陽や部屋の暖房で温められて水になり、つららを伝わって滴り落ちます。昼間つららに付着した水は、夜に冷えて固形の「つらら」を太らせます。

昼になると、つららは太陽の光を受けてキラキラと輝きます。木々は葉を落とし、田畑は雪に覆われて、山々は黒々と沈黙し、全てがシーンと静まりかえった風景の中で、「つらら」だけは尖った先端を地表に向けて、何本もの細身の体を揃えて、目の上の高さに輝いています。

つららは三寒四温が作った宝石の贈り物です。
(以上)
【2012/02/11 22:31】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鳩の求愛
                    1.鳩-01Pqt
                    写真1
                       2.鳩-03P 86qt
                       写真2
鳩は雀とともに人間の生活圏に住み込んだ身近な鳥です。優れた帰巣本能を持つ鳩は、伝書鳩として飼育されますし、何よりも平和の象徴として愛される鳥です。

人の話によりますと、鳩は求愛に関しては不器用だとのことです。先ず、鳴き声が美しくありません。
「ぐるぐるポー、ぐるぐるポー」と聞こえる愛の呼びかけは、恥ずかしくて口ごもっているようです。
鶯の鳴き声のようなメロディとリズムがありません。

求愛する丹頂鶴は優雅なダンスを踊りますが、鳩の雄は求愛のとき雌の周りを頭を下げてグルグル回るだけで、その姿は不器用です。
折角立派な鳩胸を持っているのですから、胸を張って雌に迫れば良いものをと、歯がゆくなります。

雄が雌のために籠のような巣を造り、その巣に熱心に雌を誘い込む場面をテレビで見たことがあります。
人間の世界を連想して、寅さんではありませんが「男はつらいよ」と言いたくなりました。
しかし、鳩は横着な鳥で巣作りには熱心でありません。嘗て我が家に住み着いた野鳩は、雄がベランダの植木鉢の中に僅かな藁を引き込んだだけで、雌が卵を産んで雛を育てていました。

歌声もダンスも巣作りも駄目な鳩でも、いざその時になると素晴らしいキッスシーンを見せてくれることがあります。雄と雌の姿態から愛情の深さが分かります。(写真1)

さらには、雄鳩は人に恋することもあります。一羽の野鳩は女性像の胸に飛びつくのを見たとき、羨ましいなと思いました。(写真2)
(以上)
【2012/02/05 21:23】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ドキュメンタリー写真の力
写真は、ある時の、ある所の、ある状況を記録に留めます。一枚の写真は、百万の言葉で語るよりも雄弁です。その意味で報道写真は社会で重視され、大いに発達しました。テレビは当然のことながら文字表現を主たる手段とする新聞や雑誌でも「絵はないか?」と写真を探し回ります。

しかし、一枚の写真の伝える内容には限界があります。何故なら写された状況は、事実の全部ではなく時間的にも場所的にも一部に過ぎないからです。その一部を以て全体像を想像させるのです。これは危険なことです。写真は雄弁なだけに特に注意して読まねばなりません。

映画やテレビドラマのフィクションについても、原作とその映像化との間にはギャップが生じることはよく知られています。原作を実像とすると、映像化は虚像になることがあります。最近の実例として司馬遼太郎の「坂の上の雲」のテレビ映画化がそれでした。この場合は報道写真とは違って、原作を読めば膨らむ想像力を映像化でそぎ落とした、逆のマイナスでした。

それでも、リアリズム文学のモーパッサンが数十ページの文章で一つの部屋の状況を描写するところを、一枚の写真は一瞥で語り終えます。文章で描かなかったベッドや机椅子のディテールまで写真は描写します。

写真は、過去を記録する手段としては抜群の力を持ちます。文章は、思出を想像力豊かに表現できますが、写真は余分の想像力が働くことを制限し、じかに事実を突きつけます。そして、その事実の映像が回想を喚起し、更に豊かな想像まで生み出すのです。

下の写真は、半世紀余り前に青函連絡船に乗ったときのものです。四本の煙突から黒煙を濛々と吐き出しながら連絡船は数時間かけて青森から函館に航海していました。台風で沈没した悲劇の洞爺丸よりもずっと古い形の船です。

私は、この煙突の黒煙を見ると、三等船室の畳の大部屋で雑魚寝して北海道に渡ったときの思出が次々と思い出されて、懐かしくなります。さらには函館から列車に乗って長万部駅で茹でたての毛ガニを買って食べたことなど思い出すのです。
(以上)
 

                    原田、青函連絡船-01P S34t
【2012/01/29 13:49】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
都市空間の造形 横浜みなと未来のケース
                   MM21-29D 1201q

都市空間を体系的に整備する試みとしては、かつて19世紀にオスマンにより断行されたパリ大改造計画が有名です。

このパリ大改造は、複雑で非衛生的となった街を、近代的で快適な都市に造り替えることが目的でしたが、そのために造った放射線状に伸びる幅広い街路と、それに面して立ち並ぶ建物の高さを統一したことで、そのパリの都市空間に画期的な美しさを与えました。

しかし、パリのように人工的に改造した都市に限らず、西洋の主要都市は、自然発生的に誕生した都市でも市庁舎や教会を中心にして都市が建設され、その建物の形態と色彩は統一されていて、美しい都市空間を形成しているケースが多いです。

そのような伝統的な西欧の都市の内部にも、最近は逐次高層ビルが建つようになり、都市の立体的空間の程よいバランス、即ち秩序感が失われつつあります。これは業務機能が増大する都市に顕著に現れます。よく言えばダイナミックに、悪く言えば無秩序に都市は発展しているのです。

特に日本の大都市、東京や大阪では、経済性や利便性が優先されて、狭い土地を目いっぱい利用するので、林立する都市ビルが構成する都市空間は無秩序そのものになります。もともと日本には都市空間を美的に整備するという意識が少ないのですから、これも仕方がないことです。

ところが例外があります。横浜みなと未来地区の都市開発は、都市の立体的空間を造形しようとする、濃厚な意識のもとに実現した、日本では珍しいケースです。

横浜みなと未来地区は、開発前は三菱重工横浜造船所と国鉄高島線の操車場などのあったところで、広大な用地が一括開発できるという幸運にも恵まれましたが、それだけでなく「21世紀にふさわしい未来型都市」という基本構想のもと、電力・通信の地下埋設、上下水道の共同化、建物の色彩の調和などを図り、新しい統一した都市空間を実現しようと努力したからです。

それは建設されたビル群の形態と構成に顕著に現れています。海上から横浜みなと未来地区の都市景観を一望すると、高層ビル群が形成するスカイラインが統一したコンセプトで形成されていることに気づきます。

横浜ランドマークタワーを帆船の帆柱に見立てれば、インタコンチネンタル・ホテルは船の帆になり、両者の間にある三つの高層ビルは波頭を表しています。(写真)

横浜は港町であり、何よりも海の息吹で生まれ育った都市です。個々の建築物でその都市を表現するケースは海外にも良くありますが、街全体のスカイラインを海のイメージで統一して描いた都市造りは、世界のどこにもありません。

パリの大改造は、光と風を市の中心部に導入することで、世界の「花の都パリ」を誕生させたと言われます。横浜の大改造は、海の潮風を街中に呼び込んで、世界の「港町ヨコハマ」にリニューアルしたと思います。
(以上) 
【2012/01/23 16:21】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東京湾の日の出
                              1.東京湾の日の出-01D 1201q
                              写真1
                         2.東京湾の日の出-03D 1201q
                         写真2
                    3.東京湾の日の出-07D 1201q
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               4.東京湾の日の出-12D 1201q
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          5.東京湾の日の出-17D 1201q
          写真5
     6.東京湾の日の出-13D 1201q
     写真6
7.東京湾の日の出-18D 1201q
写真7
今年は元旦は曇っていましたので、初日の出は見られませんでした。しかし数日後に幸い東京湾を行く船の上から千葉県の山々の上に顔を出す太陽を拝みました。

嘗て見た太平洋の水平線から昇る太陽は本当に素晴らしかったですが、山の稜線から少しづつ顔を出す太陽も、趣があります。

丁度、山の上には水平の朝雲が広がっており、山の稜線とその雲の間にちょこっと顔を出した太陽は、一旦雲に隠れましたが、その後再び雲の上に姿を現しました。

その変化に合わせて、太陽の光は微妙に明るさを変えます。太陽で明るくなる大空と、山陰で暗くなる手前の海とが、見事なコントラストを作って、風景に奥行きが生まれました。

太陽を挟んで、上方の空の色と下方の海の色とが刻々と変わる景色に見とれて、何枚もの写真を撮りました。そのうちの数枚を、撮影順にご覧に入れます。
(以上)
【2012/01/16 11:36】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
花のない花園
                     塩船冬つつじ-01D 04
                     写真1
                  塩船観音寺つつじ祭-43D 0704q
                  写真2

美しい盛りの花を避けて、萎れた花や枯れた花を描く画家がいます。死せる妻の顔を精魂こめて描いた画家がいました。人の生命を考えるとき、文学者は死者の顔を見つめるものだとも言います。

そのような画家や文学者になるつもりはありませんでしたが、花のない花園を訪ねたことがありました。それは年の瀬も迫った12月に、青梅の病院に入院していた知人を見舞いに行ったときでした。お見舞いを済ました後、すぐ近くに嘗てつつじを撮影しに来た塩船観音寺があることを思い出したからです。

案の定、季節外れのつつじ庭園には誰一人居らず、すり鉢状の斜面全面に植えられた沢山のつつじの株々は静かに眠っているようでした。しかし、グレーの沈んだ色調で覆われたつつじ園をよく見ると、株毎に僅かながら色合いが異なっていました。つつじの株々は、枯れているのではなく、冬の間も来年の花芽を準備していたのです。
(写真1)

数年前の5月に塩船観音寺を訪れたときは、つつじの花は満開でした。すり鉢状のつつじ園は赤、白、ピンクの絢爛たる色彩で覆われていました。つつじを観賞する人々の休憩所はすり鉢の一番低いところにあり、そこからつつじ庭園はくまなく見渡せます。

劇場に喩えると、つつじ園はギリシャの半月形の劇場のような形をしていて、私たちの休憩所はステージの位置にあります。と言うことは、逆につつじ達は観客ということになります。休憩所にいる人々は、満席のつつじの観客から万雷の拍手で迎えられてステージに立った気分になります。(写真2)

それに引き替え、冬の花のない花園ではつつじ達は静かに私を見つめいます。開演を待つ観客のように気を張り詰めて舞台は未だ開かないのかと私を見つています。と思うと、冬のつつじ園に不思議な緊張が漲っていると感じました。

日本はつつじの好む酸性土壌の土地が多いので、つつじ園はあちこちにありますが、塩船観音寺のような劇場タイプの庭園は珍しいです。そしてその劇場が一斉に拍手喝采するかのように開花するつつじ園は本当に素晴らしいです。

冬のつつじ園を見て満開のつつじ園を想像した次第です。
(以上)
【2012/01/09 12:18】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雪の中から福寿草
                    福寿草-01Pt

福寿草は、福を言祝(ことほ)ぐ草花です。新年に福の訪れを祝福する草花です。花弁が黄金色に輝くところが富貴を象徴するのです。

日本では昔から福寿草は旧暦の正月、即ち2月に家々に飾られる習慣がありました。季節的には福寿草はその頃花を咲かすので丁度良かったのです。しかし正月が新暦の1月になってもその習慣は続けられ、現在では温室で栽培された鉢植の福寿草が、元日に家庭の床の間に飾られます。

福寿草を地植えするときは、樹木の裾などの半日陰の場所が適当だそうです。福寿草は寒さに強い花なので、地植えして雪を被っても萎れたり枯れることなく、雪をかき分けて黄色い可憐な姿を現します。

写真は、大雪が降った翌日、神代植物公園で見つけた福寿草です。林の縁の空き地に数株の福寿草が雪の中から顔を出していました。美しく可憐であるだけでなく、生命力のある花だと思いました。
(以上)
【2012/01/05 20:43】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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