|
文化とは民族の個性の表現です。絵画、音楽、文学などに民族的な夫々の個性があり尊重されてきました。
しかし、東西の文化が邂逅し、相互に融合が進んでいくと、嘗ての民族固有の文化の姿は変貌し、その境界線は曖昧になります。 経済のグローバリズムは効率を挙げますが、文化のグローバリズムは均質化をもたらします。均質化というと言い過ぎですが、外見は非常に似てきます。 世界は分化し分裂して発展してきた、即ち種が多様化して進化してきたと言うのに、グローバリズムはその進化に逆行するもののようです。 絵画では抽象画を見ると民族固有の形式を放棄して世界的に比べると似てきます。 音楽でも民族音楽固有の音階は残っていも形式は西洋音楽に合わされていきます。 文学でも使う文字は違いますが表現様式が、例えば俳句と短詞形というように似てきます。 それに対して写真では民族的個性という捉え方は聞きません。写真家の個人またはグループの個性は主張されますが、写真は民族とか国家という個性とは無縁の芸術です。 その理由として、写真は歴史が浅いこともありますが、写真機という道具が同じ機能で一斉に世界に普及したからだとも云えます。民族とか国家とかを越えて、いきなりグロ−バリズムで出発したのが写真芸術でした。 (以上) |
|
高齢化社会になり身近にボケ老人の話をよく耳にします。病人の介護は大変ですが、その中で一番困るのは身体壮健にして頭がボケた老人の介護だそうです。
偶々、抗高齢化療養の専門家の話をラジオで聴いておりましたら、物忘れはボケの始まりであり、高齢になって前日の夕食に何を食べたか思い出せない人は、既にボケの危険が迫っているとのことでした。 その専門家は、前日の夕食に何を食べたかを記憶するには言葉でなく映像で記憶する方が効果的だと云っていました。昨夜のお膳には刺身と鯖の味噌煮ときんぴらゴボウが並んでいたな、と映像で覚えると忘れないそうです。 人間の脳は常時働くよう刺激を与え続けないと直ぐさぼり始めます。そして脳をさぼった状態のまま放置するとボケは進行するとのことです。 脳にとって言葉は抽象的ですが映像は具体的です。具体的ものが脳へ刺激的であれば、写真を趣味とする人は、そうでない人よりも日常生活で脳を強く刺激していることになります。 写真撮影に戸外に出かけるときは狩人のような目で辺りを見回します。これからは家の中にいる時も、写真を撮るつもりで生活の茶飯事を見詰めることにします。 手前味噌の話で失礼致しました。 (以上) |
|
文芸作品には古典があります。古代にはギリシャ神話や四書五経があり、近世にはダンテの詩篇やシェイクスピアの戯曲があります。そこには人類の知恵がぎっしり詰まっています。現在でも、私達はそこに立ち返り、そこから多くを学ぶことができます。
警世家山本夏彦氏は云いました。人類の知恵は西洋ではギリシャ哲学、東洋では四書五経ですべて出尽くした、その後の知恵は、それら古典の亜流に過ぎないと。 それでは写真には、立ち返って学ぶ古典はあるでしょうか? 写真機の誕生が19世紀の初めですから、他の芸術、文芸に比べて写真の歴史は浅いです。古典は長い年月の批評に濾過されて生き残った作品ですから、濾過する時間が足りない写真に古典を求めるのは無理かも知れません。 写真の世界では古典に学ぶことが出来ない代わりに、伝統に縛られることなく自由闊達に表現の自由が行われると言う利点があります。しかし、他方では価値のない写真作品が大手を振って自己主張する場合もあります。 芸術でも思想でも古典と称するものには、古典誕生以前に存在した良きものが集約されて凝縮しています。そしてその後には古典を土台として新しい良きものが発展します。そのような観点から、将来の古典になるかも知れない写真作品を残している写真家とは誰でしょうか? 写真は選択の芸術と云われますが、現存の作品の今日的選択はできても、将来の歴史的選択は至難の業です。それでも敢えて私なりに選択基準を述べれば、その写真家以前には存在しなかった写真作品を残し、その後にその追随者を産んだ写真家だと思っています。 具体的名前を上げれば、第一にシュールレアリズム写真のマン・レイです。事実を写す写真に心理を写す可能性を切り開いた作家だと思います。これは写真の世界で初めての革新運動であって、ラズロ・モホリー=ナギなどの追随者を産みました。 第二にアンリ・カルティエ=ブレッソンを挙げたいと思います。彼はカメラだけがなし得る能力をフルに活用した写真作品を多数制作しました。決定的瞬間と称する彼の諸作品は、他の芸術では到底実現できない分野であり、マン・レイとは全く違った意味で、革新的な世界を切り開いたと思います。 その後、写真は活躍の場はフォトジャーナリズムや商業写真にも広がり、社会的重要性は益々高まっていますが、マン・レイの心理的世界とアンリ・カルティエ=ブレッソンの時間的世界を切り開いた業績を抜く写真家は現れていないと思います。 (以上) |
|
リアリズム文学のモウパッサンは、師フローベルから世の中には二つとして同じものはない、それを書き分けろと教えられて、見たままの情景を繰り返し文章で書きました。ある部屋の情景を数十ページに及ぶ文章で書きました。
写真は物事を記録することにかけては文字より優れています。ある部屋の情景を写真は一枚で描きます。それだけでありません。写真はモウパッサンが描けきれなかった家具などのディテールまで描写します。 しかし、写真は記録することだけが仕事ではありません。写真に対して感動を求める人は、事実を単に説明した写真は、どんなに良く撮れていても評価してくれません。また美しく写っている写真でも、既に何処かでよく見たような写真を見せると「これは観光写真だよ」と言って褒めてはくれません。 それは俳句で先人たちの作品と似た句は、類句と言って評価されないのと似ています。見慣れた風景の中に、今まで人が気付かなかった新しい発見があると、俳句も写真も人は評価してくれます。モウパッサンは全てを書き込むリアリズムで新しい発見をしたのでしょうか。 嘗てテレビで俳人の狩羽守行氏が句作に際して注意すべきこととして次のようなこと云っていました。 「俳句は詩だから、”省略”と”飛躍”が必要である。イメージで俳句を作ると、”省略”と”飛躍”が無くなるので良くない」 私は写真も俳句と同じく「詩」だと思います。森羅万象に対する感動を、五七五の十七文字で捉える代わりに、ワンショットで捉えるのが写真です。 写真では省略はよく行われます。全ての情景を説明的に取り込むことをせず、欠けた部分は写真を見る人の想像に任せる手法です。また時に飛躍も写真に見られます。一見関係のない二つの事象を一枚の写真に取り込んで、別次元の新事実を発見する手法です。 ここで注意すべきは、狩羽守行氏が言うイメージは写真でいうイメージとは違います。「イメージで俳句を作る」とは、「具象を見ることなしに観念で俳句を作る」という意味でしょう。ですから具象が前提であることでも写真と俳句は似ています。想像だけでは写真が撮れないように、俳句も作れないのです。 平凡な情景の中に新しい美を発見するには、省略と飛躍が必要とは名言です。この手法を巧みに使えば、美は至る所で発見できますし、人より多くの感動が得られるでしょう。 (以上) |
|
東京都写真美術館では「東洋と西洋のまなざし」という副題で、スナップの名手、木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソンの大規模な写真展が開かれています。(2009.11.28〜2010.2.7)
今回は、同じく決定的瞬間を求めた二人の写真家の作品を鑑賞しながら、両者の違いを述べてみたいと思います。 写真家木村伊兵衛は初めて渡欧した時(1954)、カルティエ=ブレッソンに会い、大いに共鳴した云います。カルティエ=ブレッソンには「決定的瞬間」という著書がありますが、そこで述べている写真哲学は、撮影対象には最適な構図の決定的瞬間があり、その瞬間を逃さず撮影するのだというものです。 他方、木村伊兵衛も出会いの瞬間を大事にする写真家です。写真家協会会長の田沼武能氏は、ある雑誌で木村伊兵衛の写真哲学と撮影方法を次のように述べていました。 「向こうから”被写体としていいな”と思う人物がやってくる。すると木村は、その人物がどの地点まで来たときに背景がどうなっているか、構図や写角を瞬間的に計算する。そしてシャッターを切る。撮ってもせいぜい二、三枚。すれ違ったらもう終わり。撮り損なっても追いかけてまた撮るというような真似は、絶対にしなかった。まさに瞬間の勝負である。木村の撮影は、傑出した感性と経験に裏打ちされた”居合抜き”のようだった」と。 このように二人の写真家は、写真哲学でも撮影手法でも、大いに似ていますから、今回の写真展は両巨匠の作品を見比べられる貴重な機会です。そして展示作品は、木村伊兵衛91点、カルティエ=ブレッソン62点展示されていますから、数に不足はありません。 先ず、木村伊兵衛の写真で気が付くのは、写す人物の目を強く意識していることです。即ち、主題の人物は木村のカメラを鋭い視線で凝視しているケースが多いことです。「那覇の市場」(作品1、2)「大曲、秋田」(38)、「人民公社、北京」(73)などです。 嘗て、宗教哲学者の中沢新一と動物写真家の岩合光昭が、写真と狩猟の類似点を論じていたことを思い出しました。 そこで中沢はスティル写真家を狩人に喩えて 「カメラマンは、動物を殺ましませんけど、動いていくものを瞬問的にカシャッと止めていく」と述べています。 これに対して、動物写真家の岩合光昭は 「ハンターと写真家の共通点は、どっちも嘘をつけないことですよ」と応えています。 狩人が獲物を射止めようと構えるとき動物の目を見るそうですが、写真家が被写体の人物と目線を合わせるのは、どこか狩人の精神に似ているのです。 田沼武能氏が木村伊兵衛の写真は「居合抜き」のようだったといい、撮り損なっても追いかけてまた撮るというような真似は絶対にしなかったと言うのも、狩人精神の現れでしょう。 しかし、構図の点では、木村はカルティエ=ブレッソンのような厳格さを求めていないようです。例えば「本郷森川町」(13)や浅草寺の仲見世にコウモリ傘を持って現れた永井荷風を撮った「浅草寺境内」(29)などは、構図的に余り整理されておらず、被写体との出会い、間合いを重視した作品です。 次にカルティエ=ブレッソンの写真ですが、流石に構図の取り方が決まっています。その構図は遠近法を駆使した画家の構図のように気持ちよい位に実にしっかりと決まっている写真が多いのです。例えば「マルヌ河畔で、フランス」(18)、「シエナ、イタリア」(5)、「ラクイラ・デーリ・アプルッツィ、イタリア」(40)などです。 しかしながら、これらの写真は特定の場所から俯瞰した写真です。この構図なら予め想定して決めることが出来たとも云えます。想定された構図の中に人物が入ってくるのを待って撮ることも出来ます。必ずしも不意に現れた場面を瞬時に構図を計算しなくても可能です。 しかし、カルティエ=ブレッソンはその構図を瞬時に計算して撮ると主張しているのですから、そう言う写真もあるのでしょう。例えば、大勢の子供達が群れて遊んでいる場面を撮った「マドリード、スペイン」(13)、「セビーリア、スペイン」(14)は、背景のビル壁面の小窓や、崩壊した瓦礫の情況からして、とっさの判断で構図が出来たと思います。 「決定的瞬間」という言葉を絵にしたような写真は「サン・ラザール駅裏、パリ」(8)です。一人の男が水溜まりを飛び越えようとジャンプしたが失敗して、靴先が水溜まりの水面にまさに着水しようとしている場面です。 時間的な決定的瞬間と共に、この写真には構図の面白さがあると云われています。それは三角形、円形、長方形の形が對(つい)となって一枚の写真内に取り込まれていると云うのです。 この全ての要素が、男のジャンプの瞬間に計算されたというなら、正に天才的な写真家のなせる業となります。しかし、或る研究者の話によりますと、カルティエ=ブレッソンは物陰に隠れて、この構図の中に人が飛び込んでくるのを待っていたと云います。 やはりそうでしたかと思ますが、それでも「サン・ラザール駅裏、パリ」の作品の魅力は少しも減じないことに変わりはありません。彼は獲物を狙う優れた狩人に違いはないのですから。 (以上) |
|
先月(平成21年10月)、新宿歴史博物館で写真家松本徳彦氏の講演を聞く機会がありました。演題は「戦後社会と写真表現を辿る」ということで、「日本現代写真史(1945〜1970)」を教材にしたものでした。日本の作家の作品をスライドで提示しながら、戦後の写真表現の歴史を具体的に分かり易く聴くことが出来ました。
スライドで見る写真は、戦争末期の防空壕生活から敗戦直後の厳しい日常生活、焦土と化した東京の街、原爆投下で壊滅した広島と長崎、戦後の復興期の逞しい人々の生活、経済成長を達成して変わる日本社会などでした。写真家達は、こんなにも沢山の現実を映像として保存してくれていたのかと、驚きもし感心もしました。 現実を直視するこのような写真がある一方、他方では造形美を表現する数々の写真が同じ時代に撮られていたことも知りました。それは、写真家が抱くイメージを風景や人物で構成して、そこに美を創造して見せる写真です。写真にはこのような可能性があるのだということも理解しました。 写真表現には、リアリズムと造形美の二つがあると云うことですが、リアリズムを求めて美に至る場合もあるし、美を表現しながら厳しい現実を語る写真もあります。 教材として示された写真が撮られたのは、敗戦後から高度成長が終わるまでの日本の社会ですから、同時代を生きてきた私にとっては、過去の現実を記録した写真には忘れられないものが幾つかありました。 防空壕生活の場面を撮った写真は、サイレンが鳴ると庭先の穴蔵に潜ったことを思い出させます。焦土と化した東京の街を撮った何枚かの写真を見て、昭和20年5月24日の空襲で廃墟となった我が家をみたときを思い出しました。回想を刺激する写真の力は、文章で表現するよりも直感的でもあり包括的でもあります。 また、政治社会の報道写真では、当時は政治プロセスの一場面に過ぎなかったものが、今振り返ると感慨深い瞬間の写真だと思うことがあります。それは鳩山一郎元首相が病気で辞任するときの一枚の報道写真でした。 渋い顔で立ち去る鳩山首相を、岸信介、前尾繁三郎、田中角栄など当時の重要政治家が並んで見送っている場面です。自由民主党と社会党が対峙した1955年体制は、第二次鳩山内閣の頃スタートしましたから、この写真に写っている政治家達は、その後、半世紀余り日本の政治を担う人々となりました。 この一枚のドキュメンタリー写真は、戦後政治史の一断面を切り取ったものとも云えます。映像は文字よりも多くのことを語ります。それがドキュメンタリー写真の凄さなのでしょう。 今回の講演は1945〜1970年の写真表現ですから、25年間を通して多くの作家の作品を纏めて知ることが出来て、写真が持っている力を理解するのに大いに役立ちました。現在の写真を知るには、何事も広い範囲で昔のものまで知ることが大事なことが分かりました。 (以上)) |
|
東京都写真美術館で「心の眼」といテーマで稲越功一の写真展が開かれていました。(2009.8.20〜10.2)
写真展を見てから少し時間が経ちましたが、私が生きてきた同時代の身近な場所が撮られているので、感想を書き留めてみました。 写真家稲越功一は広告写真家、肖像写真家として有名ですが、今回はテーマ「心の眼」にあるように、商業用ではなく自分自身のために心の眼で撮影した写真展です。 本人は惜しくも今年春他界しましたが、個展の準備は本人が丹念に進めていたとのことで、この個展は文字通り「心の眼」を伝える遺展となりました。 作品は制作年代順に展示されており、「Maybe,maybe」「meet again」「記憶都市」「Ailleurs」「Out of Season」「未だ見ぬ中国」「芭蕉景」の中から124点が選ばれています。 「Maybe,maybe」は1971年のアメリカ社会を撮影したものです。その頃のアメリカは、ベトナム戦争に疲れて国民は苦しんでいた時代であり、社会全般に焦りと無気力が広まっていました。 中でも孤独で寂しいアメリカ人を捉えた作品14、19、25、30は、写真家稲越が早い時期からシリアス写真に並々ならぬ意欲を以て取り組んでいたことを示します。 「meet again」はボケを使ったイメージを描いた写真ですが、正直のところ私にはよく分かりませんでした。 それに対して、「記憶都市」は1987年(昭和62年)の東京という都市の、何気ない風景を記録した写真ですが、当時の私の記憶を鮮明に呼び起こしてくれる作品です。 この年は丁度バブルが発生した年です。その後1990年代の始めにかけて土地と株の急上昇が始まり、地上げ屋が横行し、それまでの都市の形が大きく変わる直前でした。「記憶都市」に撮られた東京は数年後には消えて無くなりました。 森下町(作品47)、代々木(同48)、千住(同53)、向島(同80)の木造古屋や裏露地のような景色を今は見るのが珍しくなりました。向島3丁目(同55、63)の工場煙突、足立新田(同69)、吾妻橋付近(同70)の町工場は市街地から追出されました。他方、大久保(同51)には早くも新宿西口の高層ビル群が見えています。 失われた都市の記憶を、これ程多く撮り留めた写真集は珍しいです。神社仏閣のように公的でハレの舞台となる施設や建物は容易に消えませんが、日常の平凡な民家や露地は、時代の流れと共に消え去ります。写真家稲越は、うつろい易い平凡な風景の中に保存すべき歴史を発見することに鋭い感性を持っていたと思います。 「Ailleurs」と「Out of Season」は、写真家が1993年に世界各地を旅したとき目にしたの光景です。「未だ見ぬ中国」と「芭蕉景」は2008〜2009年の写真です。写真家は晩年には風景写真をカラーで撮っています。まだまだ「心の眼」で撮りたい光景が海外に沢山あったと思います。 歴史に残すべき光景を、現在の光景の中から発見することは難しいことですが、稲越功一は「記憶都市」で見事にそれを成し遂げていると思いました。 (以上) |
|
東京都写真美術館で北島敬三写真展が開かれていました。(2009.8.29〜10.18)
ストリートスナップの名手である北島敬三氏は、1975〜1991の間、世界を舞台に撮影を続け、作品集「KOZA(沖縄)」「東京」「NEW YORK」「東欧」「U.S.S.R.」と次々と話題作を発表してきました。今回はこれらの作品から190点を抜粋した写真展でした。 東京都写真美術館によれば、写真家北島はこれらの写真を単なる回顧としてではなく、「現在の写真」として私達の知覚回路に接続させようと企図していると解説しています。即ち、これらの数々のスナップショットは、報道や芸術というジャンルを越えた現代へのメッセージだと云うのです。 先に、私は写真家は歴史家の眼をもたねばならぬと書いたばかりです。この写真展の意図は私の写真への理解と一致しますが、果たしてそれを実現しているかと言う目で鑑賞した感想を述べてみます。 最初に展示されていたのは作品「東京」でした。写真の濃淡を強調した力強い写真ですが、被写体の歴史的意味を問う前に、造形的意味を前面に押し出した写真です。歴史のメッセージというより、芸術性を訴える作品に見えました。 次に、作品集「コザ/KOZA」ですが、ヴェトナム戦争の頃の沖縄の人々の情況を象徴的場面で捉えた写真です。後に写真家は、ストリートスナップからポートレート写真に転向しますが、これらは被写体がみんなカメラを意識していて、スナップでありながらポートレート写真の性質を色濃く反映しています。ということは断片的事実は写されているが、歴史的現実を伝えるには不足します。 第三番目の「NEW YORK」についても「コザ/KOZA」と同じ感想を持ちました。80年代初頭のアメリカ社会の断面を捉えて写真ですが、これだけで歴史的メッセージを伝えるとはとても云えません。被写体を人物に偏重する撮影の仕方に限界があると思います。 第四番目は「東欧」の作品です。ソ連のゴルバチョフがペレストロイカ政策で共産圏の自由化を始めたのは1985年で。写真家はそれより前の東欧を旅してプラハ、ブダペスト、ワルシャワ、ブカレストで秀逸なスナップショットを放っています。 例えば、都会の街中を撮った「プラハ(120)」は、ビルの壁面も路面電車の軌道も、疲弊した当時の経済状況を窺わせます。兵士とおぼしき二人の男が放心したように高所から川を眺めている「ブダペスト(141)」は、沈滞した社会の一面を捉えています。 人物をクローズアップした写真でも目線をカメラに向けているのは少なく、道行く人々の貧しい服装と表情を見ることが出来ます。そこには「コザ/KOZA」や「NEW YORK」とは違ったリアリティがあります。 最後は作品「U.S.S.R.」です。写真展の解説書によると、これらの写真はソ連崩壊の直前に撮影されながら、1991年には発表せず、2007年の展覧会で初めて公開されたとの説明がありました。 そして、その時の評価が「常に時間と場所に思いをめぐらし、写真と記憶の関係性について考えてきた作者の貴重な作品の誕生」と高い評価が与えられた述べています。 しかし、私にはこの解説は殆ど理解不能です。歴史的な目で写真を評価するのに、撮影時点から発表時点を遅らせることに意味はありません。写真は撮られてから時間の推移と共に意味内容は変化し続けます。突然公表したら評価が高まったということはないのです。 次に、写真の報道性という観点から云ったら、ソ連の崩壊という大事件が起きたときこそ一刻も早く事前に観察した事実を公表すべきだったでしょう。 それにしても「U.S.S.R.」の写真を見ると、平凡な記念撮影的な写真が多く、発表を急ぐ報道的な意味合いは少なく、また写真と記憶の関係性を深く考えさせるものでもありませんでした。 (以上) |





































