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東京都写真美術館で「心の眼」といテーマで稲越功一の写真展が開かれていました。(2009.8.20〜10.2)
写真展を見てから少し時間が経ちましたが、私が生きてきた同時代の身近な場所が撮られているので、感想を書き留めてみました。 写真家稲越功一は広告写真家、肖像写真家として有名ですが、今回はテーマ「心の眼」にあるように、商業用ではなく自分自身のために心の眼で撮影した写真展です。 本人は惜しくも今年春他界しましたが、個展の準備は本人が丹念に進めていたとのことで、この個展は文字通り「心の眼」を伝える遺展となりました。 作品は制作年代順に展示されており、「Maybe,maybe」「meet again」「記憶都市」「Ailleurs」「Out of Season」「未だ見ぬ中国」「芭蕉景」の中から124点が選ばれています。 「Maybe,maybe」は1971年のアメリカ社会を撮影したものです。その頃のアメリカは、ベトナム戦争に疲れて国民は苦しんでいた時代であり、社会全般に焦りと無気力が広まっていました。 中でも孤独で寂しいアメリカ人を捉えた作品14、19、25、30は、写真家稲越が早い時期からシリアス写真に並々ならぬ意欲を以て取り組んでいたことを示します。 「meet again」はボケを使ったイメージを描いた写真ですが、正直のところ私にはよく分かりませんでした。 それに対して、「記憶都市」は1987年(昭和62年)の東京という都市の、何気ない風景を記録した写真ですが、当時の私の記憶を鮮明に呼び起こしてくれる作品です。 この年は丁度バブルが発生した年です。その後1990年代の始めにかけて土地と株の急上昇が始まり、地上げ屋が横行し、それまでの都市の形が大きく変わる直前でした。「記憶都市」に撮られた東京は数年後には消えて無くなりました。 森下町(作品47)、代々木(同48)、千住(同53)、向島(同80)の木造古屋や裏露地のような景色を今は見るのが珍しくなりました。向島3丁目(同55、63)の工場煙突、足立新田(同69)、吾妻橋付近(同70)の町工場は市街地から追出されました。他方、大久保(同51)には早くも新宿西口の高層ビル群が見えています。 失われた都市の記憶を、これ程多く撮り留めた写真集は珍しいです。神社仏閣のように公的でハレの舞台となる施設や建物は容易に消えませんが、日常の平凡な民家や露地は、時代の流れと共に消え去ります。写真家稲越は、うつろい易い平凡な風景の中に保存すべき歴史を発見することに鋭い感性を持っていたと思います。 「Ailleurs」と「Out of Season」は、写真家が1993年に世界各地を旅したとき目にしたの光景です。「未だ見ぬ中国」と「芭蕉景」は2008〜2009年の写真です。写真家は晩年には風景写真をカラーで撮っています。まだまだ「心の眼」で撮りたい光景が海外に沢山あったと思います。 歴史に残すべき光景を、現在の光景の中から発見することは難しいことですが、稲越功一は「記憶都市」で見事にそれを成し遂げていると思いました。 (以上) |
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東京都写真美術館で北島敬三写真展が開かれていました。(2009.8.29〜10.18)
ストリートスナップの名手である北島敬三氏は、1975〜1991の間、世界を舞台に撮影を続け、作品集「KOZA(沖縄)」「東京」「NEW YORK」「東欧」「U.S.S.R.」と次々と話題作を発表してきました。今回はこれらの作品から190点を抜粋した写真展でした。 東京都写真美術館によれば、写真家北島はこれらの写真を単なる回顧としてではなく、「現在の写真」として私達の知覚回路に接続させようと企図していると解説しています。即ち、これらの数々のスナップショットは、報道や芸術というジャンルを越えた現代へのメッセージだと云うのです。 先に、私は写真家は歴史家の眼をもたねばならぬと書いたばかりです。この写真展の意図は私の写真への理解と一致しますが、果たしてそれを実現しているかと言う目で鑑賞した感想を述べてみます。 最初に展示されていたのは作品「東京」でした。写真の濃淡を強調した力強い写真ですが、被写体の歴史的意味を問う前に、造形的意味を前面に押し出した写真です。歴史のメッセージというより、芸術性を訴える作品に見えました。 次に、作品集「コザ/KOZA」ですが、ヴェトナム戦争の頃の沖縄の人々の情況を象徴的場面で捉えた写真です。後に写真家は、ストリートスナップからポートレート写真に転向しますが、これらは被写体がみんなカメラを意識していて、スナップでありながらポートレート写真の性質を色濃く反映しています。ということは断片的事実は写されているが、歴史的現実を伝えるには不足します。 第三番目の「NEW YORK」についても「コザ/KOZA」と同じ感想を持ちました。80年代初頭のアメリカ社会の断面を捉えて写真ですが、これだけで歴史的メッセージを伝えるとはとても云えません。被写体を人物に偏重する撮影の仕方に限界があると思います。 第四番目は「東欧」の作品です。ソ連のゴルバチョフがペレストロイカ政策で共産圏の自由化を始めたのは1985年で。写真家はそれより前の東欧を旅してプラハ、ブダペスト、ワルシャワ、ブカレストで秀逸なスナップショットを放っています。 例えば、都会の街中を撮った「プラハ(120)」は、ビルの壁面も路面電車の軌道も、疲弊した当時の経済状況を窺わせます。兵士とおぼしき二人の男が放心したように高所から川を眺めている「ブダペスト(141)」は、沈滞した社会の一面を捉えています。 人物をクローズアップした写真でも目線をカメラに向けているのは少なく、道行く人々の貧しい服装と表情を見ることが出来ます。そこには「コザ/KOZA」や「NEW YORK」とは違ったリアリティがあります。 最後は作品「U.S.S.R.」です。写真展の解説書によると、これらの写真はソ連崩壊の直前に撮影されながら、1991年には発表せず、2007年の展覧会で初めて公開されたとの説明がありました。 そして、その時の評価が「常に時間と場所に思いをめぐらし、写真と記憶の関係性について考えてきた作者の貴重な作品の誕生」と高い評価が与えられた述べています。 しかし、私にはこの解説は殆ど理解不能です。歴史的な目で写真を評価するのに、撮影時点から発表時点を遅らせることに意味はありません。写真は撮られてから時間の推移と共に意味内容は変化し続けます。突然公表したら評価が高まったということはないのです。 次に、写真の報道性という観点から云ったら、ソ連の崩壊という大事件が起きたときこそ一刻も早く事前に観察した事実を公表すべきだったでしょう。 それにしても「U.S.S.R.」の写真を見ると、平凡な記念撮影的な写真が多く、発表を急ぐ報道的な意味合いは少なく、また写真と記憶の関係性を深く考えさせるものでもありませんでした。 (以上) |
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歴史学とは、古い過去の事実を詮索する学問ではなく、現在から始まって次第に過去に遡り、今日が依って来たるところを明らかにする学問であると、東洋史の碩学、京都大学の宮崎市定教授はその著「アジア史論」で述べています。
その中で教授は歴史学で云う「現在」を次のように説明します。 「現在というものは、謂わば厚みのない時間であって、次から次へと過去へ繰り入れられものであるから、常識的には現在というものは実は過去なのである。我々の認識に上り得るものは、すべて過ぎ去った過去の事柄ばかりであって、所謂現在なるものは、過去の中で比較的新しい部分と言うに止まる」 何処かで聞いたことのある議論だと思い返してみたら、それは写真評論家スーザン・ソンタグの「写真と時間」の議論でした。 スーザン・ソンタグは次のように述べています。 写真を撮ることは、生(存在)の瞬間を薄切りにして凍らせることだ。 写真家は優れて現代の存在であり、彼の眼を通して「今が過去」になる。 木村伊兵衛は生前「五十年、百年後に見られるような写真を撮りたい」と云ったそうですが、それはソンタグのいう「今が過去」をひっくり返して、五十年、百年後の人々に、「過去となった今」を見せたいということでしょう。 写真家は歴史家の目を持てと云うことでしょう。 (以上) |
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東京都写真美術館では、「旅」をテーマに三回シリーズでコレクション展を開いています。第二回は「異郷へ」という題名で、1970〜80年頃に発表された戦後世代の日本の写真家達の作品が展示されています。
展示されている写真家は、内藤正俊、秋山亮二、土田ヒロミ、牛腸茂雄、荒木経惟、森山大道、須田一政、柳沢信、北井一夫の9人です。これらの写真家の作品は、旅して撮った写真という意味でくくられていますが、内容的は同時代という年代でくくった作品展です。 「異郷へ」というテーマも地理的異郷から心理的異郷までを含み、作家毎には纏まりはありますが、9人の写真家の作品が「異郷」という意味で共通点がある訳ではありません。「旅」「異郷」という意味での共通した批評は無理です。展示会の題名の付け方に無理があったと思います。 従って、以下では個性的な作家の、興味ある作品について鑑賞し、感想を述べることにします。 先ず、牛腸茂雄の写真に惹かれました。普通は見過ごしてしまう日常生活の何気ない風景の中に、一瞬、人間の情感を表出した情景を捉えた写真に惹かれるのです。 一本の立て看板を支える母とその棒に抱きつく子供が居て、その横では地面に横たわる看板をかがみ込んで読む男が居る写真(作品52)、及び飛行機に乗ろうと大きな花束を抱えて機首に走る一人の男と、同時にその遠方には機尾から乗ろうと急ぐ三人の女を写した写真(作品56)は、作品の焦点が鮮明です。 次に注目したのは、森山大道の北海道旅行の写真です。これらは、撮影に行き詰まって旅に出た森山大道が、新境地を開いたと言われる写真集です。アレ、ブレ、ボケの手法も有効に使われていて、絶望と孤独の心境を北海道の風景に託した写真です。 鉄路に向かって走る二人の少年(作品77)、ローカル線の停車場で乗り降りする乗客達(作品80)、地面の雪を掃き散らしながら走る函館の路面電車(作品82)、廃墟と化した石狩の冬の海水浴場(作品87)、一本道を振り返りながら歩く野良犬一匹(作品89)などが印象に残りました。 その他の作家たちも当代一流の写真家ですから、優れた作品が数多く展示されていました。しかし私の個人的な趣味ですが、作意や仕掛けのある作品よりは、自然の人間の営みの中に思わず発見する人情や情感の表出を捉えた作品に惹かれました。 (以上) |
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東京都写真美術館では、「旅」をテーマに三回シリーズでコレクション展を開いています。第一回は「東方へ」ということで19世紀にアジアを旅した写真家達の記録写真を展示していました。(2009.5.16〜7.12) 19世紀に西洋の上流社会では、自らのルーツである地中海文明を子弟たちに実地体験させる旅行を奨励していました。その内の一人、カルヴァート・リチャード・ジョーンズが当時のカメラでイタリア各地を撮影した写真が展示されていました。 写されたフィレンツェのヴェッキオ橋、ローマのコロシアム、サン・アンジェロ城などは、今見る姿と殆ど変わりはありません。石の建造物が百年や二百年で変る訳がないので驚くことはないのですが、続いて見た日本の江戸から明治にかけての風景の変わりようには驚きました。 フェリーチェ・ベアトが撮影した江戸の薩摩屋敷や細川屋敷の立派な長い塀、王子の三階建ての大きな茶屋、神奈川辺りの東海道沿道に並ぶ藁葺き屋根の家々、箱根町の街道の家並み、東海道の巨木の松並木などは、今はその片鱗も残っていません。 ベアトより新しい明治時代を撮った日下部金兵衛、内田九一の写真でも、蓮が繁茂した東京城(皇居)の濠、町屋造りの京都の祇園町通り、家々が建つ上野の不忍池、長崎市の俯瞰写真など、おおよその形は残っていますが風情は今と大分違っています。 これらの記録写真は、形が持続するという点で、やはり西洋の石の文化と日本の木の文化は違うということを如実に示しています。分かり切ったこととは云え、映像で見せられると、改めて日本の変化の早さに気付きます。 それでも、伊勢神宮、鎌倉の大仏など神社仏閣の写真は今と殆ど変わりません。非日常的な場、即ちハレの場の風景は日本でも持続します。写真による記録は素早く消える日常的な風景はを撮ることが面白いと思いました。 写真展のテーマは、内容に則して云えば、「東方へ」というよりも、「変わる風景、変わらない風景」と云うことになります。 (以上) |



















































