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写真はよく俳句に喩えられます。森羅万象への感懐を17文字(五七五)で表現する俳句に対して、写真は目から入った印象を一片の映像として切り取って表現すると。
俳句は使う言葉の数に厳しい制限があるので、不必要な言葉を排除するのに全力を傾けますが、写真はレンズに入る映像は全て写ってしまうので、不必要な映像を極力排除するよう大いに努めます。 このように俳句も写真も表現する際の材料を出来るだけ少なくしようとします。余分な言葉や余分な映像を削ることで、表現する内容をより鮮明にし、強調し、その結果、人々により強い感動を与えようとするのです。俳句も写真も、冗長は敵であり、説明は失敗だと言います。 俳句ですが、これは和歌から発達した俳諧連歌の第一句(発句)が独立したものです。31文字で詠まれる伝統的な和歌より短い詩です。江戸時代の前期に史上最高の俳人と言われた松尾芭蕉が活躍し、明治には俳句の復興を唱えた正岡子規が活躍しました。 それでは俳句の親元である和歌はどうでしょうか。万葉集、古今和歌集、新古今和歌集と受け継がれ、明治以降は短歌と呼ばれて、今でも盛んに詠まれています。いにしえの人々が恋情をめんめんと綴った和歌など現代人にもすぐ通じます。 ところで、31文字の短歌は17文字の俳句よりも、より説明的です。従って、短歌は詠む人にとっても観賞する人にとっても、作り易く理解し易いものになります。(これは短歌は読みますが、作らない私の想像です) そこで、写真の撮影でも、俳句方式よりも短歌方式で行くのが良いのではないかと考えてみました。見る人の感動を強めるために写る被写体を極力排除するのは程々にして、画面に少々の余分な映像が入るのを許すのです。俳句方式よりも短歌方式にすると、写真は撮り易くなりますし、見易くなります。 この頃は、このように気持ちを切り替えて気軽に写真を撮るようにしています。駄作を沢山撮りますが、そのうちに良いものも多くなるでしょう。俳句では考え込むよりも沢山作れと言われます。写真も俳句も多写、多作が良いようです。 (以上) |






















































