写真展「アフリカ」を見て
いま東京都写真美術館でセバスチャン・サルガドの写真展「アフリカ」が開催されています。(2009.10.24〜12.13)

写真展会場に入ると、次から次へと大画面のカラー写真でアフリカの様々な現状が、これでもかこれでもかと迫ってきます。これ程強烈な迫力のある写真展を最近見たことがありません。

サルガドは経済学者から報道写真家になった変わり種ですが、それだけにアフリカ社会が持つ病弊への関心が強く、また着眼点も鋭いのです。この作品展も彼がいま挑戦中の最大のプロジェクト「GENESIS(起源)」の作品群から選んだ100点を展示したものです。

戦争と饑餓に苦しむ人々の大画面の写真の前に立つと、アフリカ(主としてザンビア)が直面している悲惨さに、観客の心は占領されてしまいます。写真の殆どは、その悲惨さを正面から見据えたもので、斜に構えたり思わせぶりの写真はありません。

写真の持つリアリズムというのはこれ程までに厳しいのか、と立ちすくみます。言葉では表現できない様を「筆舌に尽くし難し」と云いますが、これらの写真は正に文章や言葉では表現しようもありません。

報道写真というと兎角告発型やセンセーショナルな写真になるのですが、サルガドの写真は事実を事実として克明に描写するだけです。それでいて、画面構成が美的にも優れているので、写真を通して厳しい現実を見る人に与える印象が尚のこと強いのです。

例えば展示会場で配られた解説ペーパー(下に掲載)に載っている写真をご覧になれば分かるように牛の巨大な二本の角は、左端の人が立てている二本の棒に対応して画面にリズムを持たせています。

このようにサルガドが単なるドキュメンタリー写真家でないことは、展示された写真の中に砂漠の美しさを捉えた数枚の写真を見れば良く分かります。厳しいアフリカの撮影現場にいても、砂丘と太陽光が造り出す造形美を見逃さないのです。

見終わってからも、興奮がさめやらぬ写真展です。
(以上)

                         パンフレット:写真展アフリカ-01D 0911qc
【2009/11/20 20:19】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
波のリズムは複雑で繊細
1.冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 q
写真1
               2.浜の模様-01D 0909q
               写真2
                              3.浜の模様-02D 0909q
                              写真3

葛飾北斎の冨嶽三十六景の中の一枚、「神奈川沖浪裏」の描写をよく見ると、大波の先端は大波と相似形の小波が沢山描かれています。これは北斎の自然観察眼の精緻さを示している例です。(写真1)

波は風が作った水のリズムですが、そのリズムは波の外面だけではなく、内面にも生じており、波のリズムは波の大小に関わりなく同じなので、自己相似形が形成されていることを北斎は見抜いたのです。

戦後、数学者ブノワ・マンデルブロが考案したフラクタル幾何学は、図形の全体とその部分とが自己相似形になっていることに着眼して、単純に見えるものの内に実は複雑さを抱えており、複雑に見えるものも本質は単純であることを説きましたが、北斎は江戸時代に既にその手法で大波の謎を描いて見せたとも云えます。

湾や入江の静かな浜辺を歩いていると、潮の退いた砂浜の上に細かな波の紋様を見ることがあります。それは、静かに寄せては返す細波(さざなみ)のリズムの足跡です。足跡の一つ一つは似た形ですが、よく観察すると微妙な変化を伴った足跡です。

寄せる波も返す波も、浅瀬になると浜の底からの反動で波形が変わり一律ではなくなります。その波の力が浜の底の砂や土を押上げたり削ったりします。潮が退いた後に砂浜に残る軌跡は、細波の複雑な運動の足跡なのです。それが時には大きく変形することもあります。

教育哲学者として有名な J.デュウイーはその著書「経験としての芸術」で美的秩序を次のように説明しています。
「律動(rhythm)は常に変差(variation)を伴っている。なぜなら律動とは力(energy)が秩序立った変差を以って現われたものだからである。この変差は秩序と同様に重要であるばかりでなく、美的秩序に必ず件う不可欠の要素である。秩序が維持されている眼り、変差が大きければ大きいほどその結果は面白い」と。

写真2と3は東京湾の内奥の葛西海浜公園で見つけた海砂の紋様です。波の律動は微妙な変化を伴いながらも足跡に秩序を維持しています(写真2)。しかし、場合によっては細波の律動が足跡の形を大きく変えることもあります(写真3)。

葛飾北斎が見た波の律動は複雑で力強いものですが、浜の細波の律動は複雑で繊細です。北斎は動いている水の状態で見届けましたが、私は砂浜にプリントされた状態で発見しました。
(以上)
【2009/11/14 12:59】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
風雪は風格の親
1.上野動物園-15D 0910qtc
写真1
                  2.樹木-33D 0805q
                  写真2
                                     4.街並み-11P 98h
                                     写真3

風雪に耐えて生き抜いた老人の顔にはある種の風格があります。時にはそれが威厳を高めることにもなります。

人間だけではありません。長寿の動物の顔や体に風格が備わるのは風雪に鍛えられたお陰です。(写真1)

動物だけでもありません。植物もまた然りです。樹種により異なりますが、大木の木肌に刻まれた味深い紋様は風雪の作品なのです。(写真2)

風雪は生きとし生けるものに試練を与え、その試練を乗り越える過程で皺や色彩や紋様を刻印するのです。

動植物だけでもありません。建物など建造物でも古いものほど風格があります。木造、石造いずれも年月を経たものは味わいがあります。
(写真3)

写真を撮っていると、新しいものより古いものにカメラを向けるのは、風雪に耐えたものには風格があるからです。そして風格のあるものは不思議な魅力を発するからです。
(以上)
【2009/11/08 11:27】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
心の眼 稲越功一の写真
東京都写真美術館で「心の眼」といテーマで稲越功一の写真展が開かれていました。(2009.8.20〜10.2)
写真展を見てから少し時間が経ちましたが、私が生きてきた同時代の身近な場所が撮られているので、感想を書き留めてみました。

写真家稲越功一は広告写真家、肖像写真家として有名ですが、今回はテーマ「心の眼」にあるように、商業用ではなく自分自身のために心の眼で撮影した写真展です。

本人は惜しくも今年春他界しましたが、個展の準備は本人が丹念に進めていたとのことで、この個展は文字通り「心の眼」を伝える遺展となりました。

作品は制作年代順に展示されており、「Maybe,maybe」「meet again」「記憶都市」「Ailleurs」「Out of Season」「未だ見ぬ中国」「芭蕉景」の中から124点が選ばれています。

「Maybe,maybe」は1971年のアメリカ社会を撮影したものです。その頃のアメリカは、ベトナム戦争に疲れて国民は苦しんでいた時代であり、社会全般に焦りと無気力が広まっていました。

中でも孤独で寂しいアメリカ人を捉えた作品14、19、25、30は、写真家稲越が早い時期からシリアス写真に並々ならぬ意欲を以て取り組んでいたことを示します。

「meet again」はボケを使ったイメージを描いた写真ですが、正直のところ私にはよく分かりませんでした。

それに対して、「記憶都市」は1987年(昭和62年)の東京という都市の、何気ない風景を記録した写真ですが、当時の私の記憶を鮮明に呼び起こしてくれる作品です。

この年は丁度バブルが発生した年です。その後1990年代の始めにかけて土地と株の急上昇が始まり、地上げ屋が横行し、それまでの都市の形が大きく変わる直前でした。「記憶都市」に撮られた東京は数年後には消えて無くなりました。

森下町(作品47)、代々木(同48)、千住(同53)、向島(同80)の木造古屋や裏露地のような景色を今は見るのが珍しくなりました。向島3丁目(同55、63)の工場煙突、足立新田(同69)、吾妻橋付近(同70)の町工場は市街地から追出されました。他方、大久保(同51)には早くも新宿西口の高層ビル群が見えています。

失われた都市の記憶を、これ程多く撮り留めた写真集は珍しいです。神社仏閣のように公的でハレの舞台となる施設や建物は容易に消えませんが、日常の平凡な民家や露地は、時代の流れと共に消え去ります。写真家稲越は、うつろい易い平凡な風景の中に保存すべき歴史を発見することに鋭い感性を持っていたと思います。

「Ailleurs」と「Out of Season」は、写真家が1993年に世界各地を旅したとき目にしたの光景です。「未だ見ぬ中国」と「芭蕉景」は2008〜2009年の写真です。写真家は晩年には風景写真をカラーで撮っています。まだまだ「心の眼」で撮りたい光景が海外に沢山あったと思います。

歴史に残すべき光景を、現在の光景の中から発見することは難しいことですが、稲越功一は「記憶都市」で見事にそれを成し遂げていると思いました。
(以上)
【2009/11/02 14:41】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
複数の視点で撮った写真
     1.春雨庵:上山-14D 0811qtc
     写真1 上山温泉 春雨庵にて
                              2.プラダ-05D 0901q
                              写真2 東京銀座 中央通にて

画家は、見たままの形を写生するのではなく、存在するものの内に潜む実体を引き出して描こうとします。机の引出は drawer と云いますが、英語で絵のことも drawing と云うのは、絵を描くのは引出す作業であるからです。

フェルメールの風景画「デルフトの眺望」は、複数の視点で見えた風景を合成した絵と云われています。あのようなデルフトの街は、何処からデルフトを見てもあり得ないといいます。

セザンヌの静物「りんごとオレンジ」も又、いくつもの視点から眺めた静物を平面のキャンバスに並べ替えて一枚の絵にしたものと云われています。そうすることによって二次元のキャンバスは三次元にも四次元にも見えてきます。

ピカソの「アビニヨンの娘たち」はアフリカ彫刻からヒントを得て描いたと云われますが、洞窟に描かれた太古の絵は抽象画であったと云いますから、アフリカ彫刻は抽象的であったのでしょう。ピカソのキュビズム絵画も、異なった視点を複合して対象の内実を引き出す手法を採っています。

西洋絵画では遠近法の支配が長く続きました。その支配から脱出したのは後期印象派の頃と云われています。画家達の目は一点に固定せず、対象を把握しようとすれば、前後、左右、上下に動かざるを得ません。そうして複数の視点で捉えた映像を一枚のキャンバスに描くとフェルメール、セザンヌ、ピカソの絵になったと言うわけです。

それでは、写真で複数の視点をもつ映像を撮ることはできるでしょうか?
ワンショットでは一つの視点の映像しか生まれませんが、シュルレアリスム写真の元祖、マン・レイは「アングルのヴァイオリン」という合成写真で、被写体(女体)をヴァイオリンに見せる分かりやすい例を示しました。

一枚のフィルムに複数回のシャッターを切ることによって写真映像の合成は出来ます。これをモンタージュ写真と言います。そんなことをしなくても、パソコンを使えば撮影済みの複数の写真映像を重ねて合成することは今や簡単にできるようになりました。

しかし、考えてみると重要なことは複数の視点という方法を採用することではなくて、完成した合成写真が単なる外観の描写ではなく、写真映像の内奥に潜む「美しさ」とか「不思議さ」を捉えているか否かではないでしょうか? 一つの視点の写真、即ち普通のワンショット写真でもそれが可能だと思っています。

ここに掲げた二枚の写真は、それぞれワンショットの一枚の写真です。写真1は陰陽の組合わせで「美しさ」を、写真2は真昼の夜で「不思議さ」を撮ったつもりです。
(以上)
【2009/10/27 22:19】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展 北島敬三
東京都写真美術館で北島敬三写真展が開かれていました。(2009.8.29〜10.18)

ストリートスナップの名手である北島敬三氏は、1975〜1991の間、世界を舞台に撮影を続け、作品集「KOZA(沖縄)」「東京」「NEW YORK」「東欧」「U.S.S.R.」と次々と話題作を発表してきました。今回はこれらの作品から190点を抜粋した写真展でした。

東京都写真美術館によれば、写真家北島はこれらの写真を単なる回顧としてではなく、「現在の写真」として私達の知覚回路に接続させようと企図していると解説しています。即ち、これらの数々のスナップショットは、報道や芸術というジャンルを越えた現代へのメッセージだと云うのです。

先に、私は写真家は歴史家の眼をもたねばならぬと書いたばかりです。この写真展の意図は私の写真への理解と一致しますが、果たしてそれを実現しているかと言う目で鑑賞した感想を述べてみます。

最初に展示されていたのは作品「東京」でした。写真の濃淡を強調した力強い写真ですが、被写体の歴史的意味を問う前に、造形的意味を前面に押し出した写真です。歴史のメッセージというより、芸術性を訴える作品に見えました。

次に、作品集「コザ/KOZA」ですが、ヴェトナム戦争の頃の沖縄の人々の情況を象徴的場面で捉えた写真です。後に写真家は、ストリートスナップからポートレート写真に転向しますが、これらは被写体がみんなカメラを意識していて、スナップでありながらポートレート写真の性質を色濃く反映しています。ということは断片的事実は写されているが、歴史的現実を伝えるには不足します。

第三番目の「NEW YORK」についても「コザ/KOZA」と同じ感想を持ちました。80年代初頭のアメリカ社会の断面を捉えて写真ですが、これだけで歴史的メッセージを伝えるとはとても云えません。被写体を人物に偏重する撮影の仕方に限界があると思います。

第四番目は「東欧」の作品です。ソ連のゴルバチョフがペレストロイカ政策で共産圏の自由化を始めたのは1985年で。写真家はそれより前の東欧を旅してプラハ、ブダペスト、ワルシャワ、ブカレストで秀逸なスナップショットを放っています。

例えば、都会の街中を撮った「プラハ(120)」は、ビルの壁面も路面電車の軌道も、疲弊した当時の経済状況を窺わせます。兵士とおぼしき二人の男が放心したように高所から川を眺めている「ブダペスト(141)」は、沈滞した社会の一面を捉えています。

人物をクローズアップした写真でも目線をカメラに向けているのは少なく、道行く人々の貧しい服装と表情を見ることが出来ます。そこには「コザ/KOZA」や「NEW YORK」とは違ったリアリティがあります。

最後は作品「U.S.S.R.」です。写真展の解説書によると、これらの写真はソ連崩壊の直前に撮影されながら、1991年には発表せず、2007年の展覧会で初めて公開されたとの説明がありました。

そして、その時の評価が「常に時間と場所に思いをめぐらし、写真と記憶の関係性について考えてきた作者の貴重な作品の誕生」と高い評価が与えられた述べています。

しかし、私にはこの解説は殆ど理解不能です。歴史的な目で写真を評価するのに、撮影時点から発表時点を遅らせることに意味はありません。写真は撮られてから時間の推移と共に意味内容は変化し続けます。突然公表したら評価が高まったということはないのです。

次に、写真の報道性という観点から云ったら、ソ連の崩壊という大事件が起きたときこそ一刻も早く事前に観察した事実を公表すべきだったでしょう。

それにしても「U.S.S.R.」の写真を見ると、平凡な記念撮影的な写真が多く、発表を急ぐ報道的な意味合いは少なく、また写真と記憶の関係性を深く考えさせるものでもありませんでした。
(以上)
【2009/10/22 07:50】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
足音を写真に撮れば
                    猫-05D 0909q

これは猫を撮影した写真ではなくて、近づく人の足音を撮影したものですと説明しても、やはり猫を写したのだろうと云われてしまいます。スチル写真で音を撮影することは、大変難しいものです。

しかし、日常生活では人は視覚と聴覚を同時に働かせて生きていますから、音声を写せないスチル写真にも、密かに音が入り込む隙間があります。音が姿を変えて映像に忍び込むのです。

この写真では、住宅地の小径にのんびり横たわる猫が、ピンと耳を立てて振り返っています。近づく人の足音を聞いたからです。直ぐ近くに忍び寄る人の靴の先が見えます。

撮影者が音を映像に捉えた思っても、写真を見る人がそうと気づかないこともあります。音は、正面切って現れるものではなく、姿を変えて密かに画面に現れるからです。そのような音は、写真の鑑賞者によって初めて発見されるものかも知れません。
(以上)
【2009/10/17 11:24】 | 写真論 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
写真はどこか歴史学に似ている
歴史学とは、古い過去の事実を詮索する学問ではなく、現在から始まって次第に過去に遡り、今日が依って来たるところを明らかにする学問であると、東洋史の碩学、京都大学の宮崎市定教授はその著「アジア史論」で述べています。

その中で教授は歴史学で云う「現在」を次のように説明します。
「現在というものは、謂わば厚みのない時間であって、次から次へと過去へ繰り入れられものであるから、常識的には現在というものは実は過去なのである。我々の認識に上り得るものは、すべて過ぎ去った過去の事柄ばかりであって、所謂現在なるものは、過去の中で比較的新しい部分と言うに止まる」

何処かで聞いたことのある議論だと思い返してみたら、それは写真評論家スーザン・ソンタグの「写真と時間」の議論でした。

スーザン・ソンタグは次のように述べています。
写真を撮ることは、生(存在)の瞬間を薄切りにして凍らせることだ。
写真家は優れて現代の存在であり、彼の眼を通して「今が過去」になる。

木村伊兵衛は生前「五十年、百年後に見られるような写真を撮りたい」と云ったそうですが、それはソンタグのいう「今が過去」をひっくり返して、五十年、百年後の人々に、「過去となった今」を見せたいということでしょう。

写真家は歴史家の目を持てと云うことでしょう。
(以上)
【2009/10/11 18:29】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ハギは御飯のような花
       塩船観音-06D 0909qc

                                萩-04P 84t

漫然と風景を眺めていると、花は人の目に目立つものです。しかし花は人間に対してではなく昆虫たちに気づいて貰うために目立っているのです。花は、交配し繁殖するために、色や形だけでなく匂いも発して、昆虫たちを呼ぶために派手に咲いているのです。

しかし、この世に花がなければ、人間の心は喜びと楽しみを失い、慰みも潤いも無くなります。古今東西、人々と花の関係を話題にしたら種が尽きません。花は鮮やかな色彩や複雑な形で人々を惹き付けます。花は群生して人々を包み込み、早く咲いた早く散ったと言って一喜一憂させます。

花は総じて華やかさで人々の心を惹き付けるものですが、例外もあります。それは秋の七草の一つであり、日本では古くから大いに愛されてきたハギの花ですが、大変地味な花です。

ハギはマメ科の植物でして、痩せた土地でもよく繁殖します。ですから日本全国どこにでも生えます。ハギの花弁は密生した葉の上に顔を出してパラパラと広がり、惜しげもなく花弁を地上に散らしては、次から次へと咲き続けます。

何処にでも咲く花だからでしょうか、庭に咲く花としてハギは主役にはならず、大抵脇役を務めます。庭の隙間を埋め、そっと控えめに庭を飾ります。しかし、食事に譬えるなら御飯のような花で、秋の庭でハギは欠かせない植物です。

そう言えば、お彼岸の仏様への供え物に「おはぎ」があります。丸めた御飯をあんこで包んだものです。一説によれば秋はハギが咲くので、お供え物に花の名のハギと付けたのだそうです。御飯のような花の名を付けたのは至当でした。

同じ「おはぎ」を春のお彼岸では「ぼたもち」と云うのは、その頃はボタンが咲くからでしょうか。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と言う位ですから、ボタンは花の美しさでは主役を務めます。

ハギもボタンのように主役を演じているところを秋のお寺で見つけました。静かで控えめな花は、同じく静寂な寺院の空間では王者になれるのです。
(以上)
【2009/10/05 12:18】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真の美の捉え方
       シュノンソウ-03Pr
       フランス シュノンソー
                               京都:外務研修-16N 72
                               京都 修学院離宮

西洋人は「美」を人工的に創造し、日本人は「美」を存在から発見すると言われますが、このことは、西洋庭園と日本庭園の造り方を見るとよく分かります。

フランスのロワール渓谷にあるシュノンソー城の庭園は、人工的に造られた美です。京都の修学院離宮は、自然の地形と植生をベースにして、不必要な植物などを抜き去って造ったという意味で自然的美と云えます。(写真1、2)

美というイメージが初めにありきという場合と、白紙の状態で自然を眺めていて美を発見する場合とでは、美に対する基本的立場が異なります。前者の態度はアクティブであり、後者の態度はパッシブです。

造園や彫刻や絵画と違って、写真撮影は存在するものを写すわけですから、基本的にはパッシブな態度と見なされます。存在するものを眺めて、その中から美しいと思うものを取り出すという意味では日本庭園の造り方に似ています。

活花を撮影して写真芸術だという人もいますが、それが成り立つのは実物より写真の方が美しいという場合でしょう。しかし、実物の造形と写真の撮影のどちらが美の発見により多く貢献しているかと問われれば分からなくなります。

写真の場合は、被写体が自然物でも人工物でも構いませんが、その中に美を発見することです。平凡な被写体に人の知らない美を発見すると嬉しくなります。何気ない情景に感動する場面を発見すると楽しくなります。

新しい美の発見は、じゅっくり観察して行うこともあれば、瞬時に直感的に行うこともあります。貝殻やチューリップの造形美を撮影した写真家ロバート・メイプルソープが前者なら、決定的瞬間を唱えた写真家カルティエ・ブレッソンは後者です。

写真機を片手に美の探訪者になることほど楽しいことはありません。
(以上)



【2009/09/29 11:09】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
彼岸花とコスモス
   1.彼岸花-07P 96tc
   写真1
                                   2.葛西臨海公園-37D 0909q
                                   写真2
   3.塩船観音-12D 0909q
   写真3
                                   4.コスモス-09Pt
                                   写真4

日本で春の花を代表するのは梅と桜ですが、秋の花としては彼岸花とコスモスを代表に挙げたいと思います。梅の静けさと桜の派手やかさが対称的であるように、彼岸花の妖艶さとコスモスの可憐さが対称的です。

彼岸花はその名の通り九月のお彼岸の頃咲いて、花の期間は割と短いですが、コスモスは夏の盛り頃から晩秋まで長い期間にわたり咲き続けます。賑やかに群生して咲くのも良し、二、三本で楚々として咲くのも良しという点は、彼岸花もコスモスも同じです。(写真1、2)

彼岸花が球根で、コスモスはタネで繁殖するという植生上の違いはありますが、放置して置いても毎年同じ処に同じように咲くので、手間のかからない景観植物として重宝されています。

彼岸花は別名マンジュシャゲ(曼珠沙華)と呼ばれ、コスモスはアキザクラ(秋桜)と呼ばれます。

曼珠沙華という名前は法華経などの仏典に由来するそうで、その球根が有毒で、墓地に植えられていることから彼岸花には何か不吉とか不気味というイメージがつきまといます。葉のない緑の茎がツイーッと伸びた先に赤い妖艶な花弁を付けた曼珠沙華は、そのイメージを一層膨らませます。
(写真3)

他方、秋桜という呼び名はコスモスの容姿を表すのに秀逸な表現です。群生するコスモスは将に満開の桜並木を連想させます。しかし、数本のコスモスがなよなよした茎の上に菊科独特の花弁を優しく広げた秋桜は可憐そのものです。コスモスの花言葉は少女の純真だそうですが、ぴったりです。(写真4)
(以上)
【2009/09/22 12:58】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
美醜は相対化する
  1.建物-31D 0909q
  写真1
  2.建物-32D 0909q
  写真2
                    3.シンガポール-16P 79
                    写真3
                    4.シンガポール-16P 79tc
                    写真4
                                        5.風化模様-02D 0702q
                                        写真5
                                        6.風化模様-03D 0702qr
                                        写真6

美しいと思われていたものが急に醜く見えたり、醜いと思っていたものが急に美しく見えたりすることがあります。

それは、見る人の見方が変化した場合に起きることもありますし、見る場所、見る角度、見る範囲が変わったときにも起きます。

前者は、いわゆる心境の変化とでもいうもので、人間関係で好きだった人と嫌いだった人が、今は逆転していると言うケースに似ています。これは極めて主観的な変化です。

後者は、対象物の何処に着目するかによって、その対象物が美しく見えたり、醜く見えたりする場合です。これは心境の変化ではなく、観察という客観的な行為によって生まれます。

ここに掲げた写真は、全体としては平凡で何の感興も湧かないのですが、その一部に注目すると面白いとか美しいとか感じます(私だけかも知れませんが)。写真1と2、3と4、5と6が夫々全体と部分を対比して眺めたものです。

マンションや朽ちかけた木は以前にも見ていたものですが、ある日その部分が美しいと感じたのです。見ていて見ていなかったのか、見ていても感じなかったのか分かりませんが、いずれにしても以前は少しも感興を呼ばなかったのは事実です。

今回改めて美しいと感じたのは、部分の美を発見したためか、心境の変化のためか分からないままでいますが、いずれにしても美醜は相対化するものだと思いました。
(以上)
【2009/09/15 17:55】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
見直される和紙
        小津和紙博物館-01D 0908q
                   小津和紙博物館-08D 0908q
                                小津和紙博物館-13D 0908q


明治に西洋の紙が日本に入ってくると、江戸時代まで使われていた和紙は消えていきました。文明は紙を大量に消費しますから、安価に大量生産できる洋紙に和紙は太刀打ちできなかったからです。

しかし、品質については和紙は洋紙より優れています。先ず、和紙は柔らかく丈夫であり、無機質な洋紙に比べて温かさがあります。

和紙は個性的な紙です。和紙は原料となる植物によって色合いに違いが生じますが、これは欠点であると同時に強みになります。同じく、和紙では植物の繊維質を地模様に活かして使うことも出来ます。

また、洋紙は製造工程で化学処理を経るため、長年保存すると紙質が変化するので永久保存には向かないと云われています。その点、和紙の製法は、基本的に木の皮の繊維を水でほどいて整理するだけですから、耐久性は洋紙より数段優れています。

そこで最近、高級志向の人々の間で和紙への関心が高まっています。国内だけでなく、外国からも日本の和紙は注目を集めています。更に、その工芸的な利用にも多くの分野があります。

たまたま訪れた時、博物館内で和紙を写真のプリント用紙に用いた写真展が開かれていました。和紙には木の繊維質により微妙な色合いが出ます。その紙の地(じ)の色が写真の色彩を引き立てる働きをするのです。

日本の和紙というと美濃紙が有名ですが、和紙は美濃と限らず日本の各地で生産されていました。原料となる楮(コウゾ)三椏(ミツマタ)雁皮(ガンピ)という植物が育つところで、良質の水が得られるところなら、何処でも生産できるからです。

東京の日本橋に「小津和紙博物館」があります。私的な博物館ですが、中央区の登録有形文化財に指定された古文書千点余りを所蔵する割と大きな博物館です。

博物館は和紙専業の小津産業本社の二階にあります。小津の初代は江戸時代(1643年)に伊勢松坂から日本橋に出て紙問屋に勤めた後、本居宣長の曾祖父から資金援助を受けて、大伝馬町に紙問屋を開業したと云います。小津産業は東京に数々ある長寿企業の中でも最古の企業です。

お店の中には色々な用途の和紙が陳列されていますが、その一廓では、和紙の製造過程を実演して見せてくれます。ここは都心で社会科の勉強も出来る総合博物館です。家族連れで訪れたらいかがでしょうか。
(以上)
【2009/09/06 08:52】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
韓国の陶磁器
   焼き物-07D 0908q
                   李朝青磁-05D 0908qt
                                     焼き物-06D 0908q

日本に広く知られている韓国の陶磁器には、高麗青磁と李朝白磁があります。その名の通り、高麗青磁とは高麗時代の薄緑色の陶器であり、李朝白磁とは李朝時代の白色の磁器です。

陶磁器はチャイナと言われる位ですから、その本場は中国です。従って洋の東西を問わず、各国に伝わる陶磁器の製法は、多かれ少なかれ中国から伝わったとものと言えましょう。

当然、韓国の陶磁器は隣国中国から強い影響を受けましたが、高麗時代に韓国の陶磁器は独自の発展を遂げます。高麗青磁は宝石の翡翠(ひすい)に似た淡い薄緑色をしています。中国人は翡翠を玉(ぎょく)として愛好しましたから、高麗の青磁は中国でも大いに愛好され逆輸入されました。

中国の陶磁器は唐三彩のように色彩は豊かであり、形態も大きくて力強いものが多いですが、韓国の高麗青磁は、色は翡色一色であり、形態は流麗であり、陶象嵌で描かれる絵柄は繊細です。高麗青磁は日本人の美感に強く訴えるものがあり、日本にも数多く輸入されました。

李朝時代に入りますと、高麗青磁より高温で焼く李朝白磁が生まれます。磁器は陶器より硬いので制作は難しくなりますが、薄く繊細に仕上げることが可能になります。また白磁の色彩も翡色一色から微妙に変化する白色に変わりました。日本の民芸運動家の柳宗悦は、その李朝白磁が持つ親しさと暖かさを讃えて、その美を日本人に教えた人として有名です。

三十数年前、私はソウルに滞在していましたが、そのとき高麗青磁と李朝白磁の再現を試みている陶芸家を何度かその登り窯に訪ねたことがあります。高麗青磁は柳海剛氏、李朝白磁は安東吾氏の窯でした。

二人の陶芸家たちは、夫々高麗時代、李朝時代の陶磁器を再現することに心血を注いでいましたが、同時に同じ素材でより現代的なデザインや絵柄の作品もつくっていました。

そのとき購入した高麗青磁と李朝白磁を写真でご覧に入れます。高価なものは買えませんでしたが、それでも手許で楽しむには十分な作品です。
(以上)
【2009/08/30 09:11】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
現代の地上絵
          シンガポール-02P 79tc

                              シンガポール-57P 80tc

ペルーのナスカの地上絵は今でも謎に包まれていますが、現代の地上絵には謎はありません。人間が土地を使っている状況を知った上で、上空から眺めるからです。

かの google は、時々人工衛星から撮影した地球上の一点の写真を送ってきて、そこは何処か当てなさいと云ってきます。それは一見、変わった地形ですが特に面白い形をしているわけではありません。

しかし、ここに掲げた二枚の写真は不思議な形をしています。巨大な動物か植物が地面を這っているように見えます。

農耕や植林といった通常の人間の営みなら、既に見慣れていますから直ぐ分かるのですが、これらを見た瞬間、ナスカの地上絵を見たような錯覚に陥りました。

これを撮影したとき、最初はジャングルを切り開いて造ったゴルフ場かと思いました。しかし、暫くして何故熱帯の山野を切り開いてゴルフ場を造るのかとの疑いが湧いてきました。

これはゴルフ場ではなく、南方でなければ栽培できない特殊な植物の農園かとも思いましたが、それにしては農園の形が極めて非効率的です。

飛行機を降りて現地に行けば分かることですが、もう40年余り前に東南アジア旅行で撮った写真は、私にとってナスカの地上絵のようです。
(以上)
【2009/08/24 09:55】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
昔の写真に思いを馳せて
1.バンコク市内物売り-01P 71t
タイ バンコック市内路上にて 1971
        2.ペナン-12P 79t
        マレーシア ペナン街中にて 1979
             3.インド-34P 79adbet
             インド デリー郊外の農村にて 1979 
                  4.パキスタン-62P 79t
                  パキスタン カラチから地方都市への途中 1979
                       5.水上マーケット-06N 80t
                       バンコック チャオプラヤ川にて 1980
                            6.水上マーケット-18N 80t
                            タイ ダノワンサドワック水上マーケット 1980

写真を趣味とする人々の余得は、過去の記憶を正確に思い出せることです。年老いて懐かしい昔の場所を訪問することは出来ますが、尋ねてみても大抵は大きく変貌していて、昔の記憶は取り戻せません。

過去の写真を整理していましたら、30年余り前、仕事でアジア各地を旅したときに興味にまかせてに撮ったスナップ写真が出てきました。当時は写真撮影の基礎も知らずに撮った写真ですから、出来具合はよくありませんが、記憶の回想には役立ちます。

観光地での写真よりも、街中や農村でふと出会った現地の人々の日常生活を撮った写真が特に印象に残ります。発展途上国では庶民の生活も急速に変わっていきますから、30年も経ちますと、今、そこを尋ねても当時の姿はありません。

炎天下に街行く物売り、ゆっくり走るタクシー代わりの三輪車、満載した積荷の上に少年を乗せた牛車、傾ぐほど荷物を積んだトラック、濁った川水を生活用水に使う人々、縦横に発達した水路が市場となる水上マーケトなど、そして、それらの場面に連なる光景が次から次へと現れてきます。

当時は、人々は物質的に貧しかったかも知れませんが、表情は穏やかであり、行動ものんびりしたものでした。写真を見ていると時間がゆっくり流れているのが見えるようです。

今回は私の個人的な写真回想録でした。
(以上)
【2009/08/19 08:31】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
花火の美学
1.晴海-09P 02h
写真1
             2.晴海-35P 02
             写真2
                           3.熱海-011P 95
                           写真3
                                        4.熱海-001P 95
                                        写真4

花火は夏の風物詩です。夏になると日本全国で花火大会が開かれます。隅田川の花火は江戸時代から盛んでした。東京湾花火は関東第一の規模を誇ります。秋田県大曲の花火は日本全国の花火師達が最高の技術を競います。

日本人がこれほど花火が好きなのは、花火が日本人の美的感覚を刺激するからです。日本人が桜の花が好きなのは、咲いたら忽ち散るいさぎよさが好きなのです。はかなくて消え去るものへの哀惜が日本人の美感を刺激するのです。

花火は一瞬の美です。何十発打ち上げても、夫々は瞬間の美です。そして絵画や彫刻のように長く残るものは何一つありません。残るのは人々の心に中に残る感動だけです。毎夏、新しい花火が工夫されて生まれ消えていくことが好きなのです。

花火の好きな日本人は、長年にわたり大いに花火の開発に努力しました。日本の花火は、その華麗さと種類の多さでは世界に抜きんでています。

先ず、真っ暗な夜空をバックにして打ち上げられる花火はその色彩が命ですが、日本の花火は色彩が豊富であり、輝度が高いと云われます。これは火薬の混ぜ具合の技術が進んでいるからだと思います。

また、日本の花火は空中で開花する花火の形が多様であり、複雑に変化します。開花のテンポやリズムにも工夫がこらされて、一発の花火でも二段三段に開きます。

開花が一瞬で終わる花火もある一方で、輝きが持続する花火もあります。落下しながら輝きが持続する花火は、柔らかい光の流れで人々の惜しむ気持ちをそそります。

花火は目で楽しむだけでなく、耳でも楽しみます。花火が開花するときの爆発音は花火大会の空気を盛り上げます。花火の大玉が打ち上げられたときに発するシュルシュルという上昇音も、花火への期待を高めます。
窓を締め切った高層マンションで花火を見ていた人は、何か足りないと思ったら音が無いことに気付いた、と云っていました。

ここでは音の聞こえない静止画の花火をご覧に入れます。東京湾花火(写真1、2)と熱海湾花火(写真3、4)です。
(以上)
【2009/08/13 12:12】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅のコレクション展 第二部「異郷へ」
東京都写真美術館では、「旅」をテーマに三回シリーズでコレクション展を開いています。第二回は「異郷へ」という題名で、1970〜80年頃に発表された戦後世代の日本の写真家達の作品が展示されています。

展示されている写真家は、内藤正俊、秋山亮二、土田ヒロミ、牛腸茂雄、荒木経惟、森山大道、須田一政、柳沢信、北井一夫の9人です。これらの写真家の作品は、旅して撮った写真という意味でくくられていますが、内容的は同時代という年代でくくった作品展です。

「異郷へ」というテーマも地理的異郷から心理的異郷までを含み、作家毎には纏まりはありますが、9人の写真家の作品が「異郷」という意味で共通点がある訳ではありません。「旅」「異郷」という意味での共通した批評は無理です。展示会の題名の付け方に無理があったと思います。

従って、以下では個性的な作家の、興味ある作品について鑑賞し、感想を述べることにします。

先ず、牛腸茂雄の写真に惹かれました。普通は見過ごしてしまう日常生活の何気ない風景の中に、一瞬、人間の情感を表出した情景を捉えた写真に惹かれるのです。

一本の立て看板を支える母とその棒に抱きつく子供が居て、その横では地面に横たわる看板をかがみ込んで読む男が居る写真(作品52)、及び飛行機に乗ろうと大きな花束を抱えて機首に走る一人の男と、同時にその遠方には機尾から乗ろうと急ぐ三人の女を写した写真(作品56)は、作品の焦点が鮮明です。

次に注目したのは、森山大道の北海道旅行の写真です。これらは、撮影に行き詰まって旅に出た森山大道が、新境地を開いたと言われる写真集です。アレ、ブレ、ボケの手法も有効に使われていて、絶望と孤独の心境を北海道の風景に託した写真です。

鉄路に向かって走る二人の少年(作品77)、ローカル線の停車場で乗り降りする乗客達(作品80)、地面の雪を掃き散らしながら走る函館の路面電車(作品82)、廃墟と化した石狩の冬の海水浴場(作品87)、一本道を振り返りながら歩く野良犬一匹(作品89)などが印象に残りました。

その他の作家たちも当代一流の写真家ですから、優れた作品が数多く展示されていました。しかし私の個人的な趣味ですが、作意や仕掛けのある作品よりは、自然の人間の営みの中に思わず発見する人情や情感の表出を捉えた作品に惹かれました。
(以上)
【2009/08/07 11:25】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅のコレクション展 第一部「東方へ」

東京都写真美術館では、「旅」をテーマに三回シリーズでコレクション展を開いています。第一回は「東方へ」ということで19世紀にアジアを旅した写真家達の記録写真を展示していました。(2009.5.16〜7.12)

19世紀に西洋の上流社会では、自らのルーツである地中海文明を子弟たちに実地体験させる旅行を奨励していました。その内の一人、カルヴァート・リチャード・ジョーンズが当時のカメラでイタリア各地を撮影した写真が展示されていました。

写されたフィレンツェのヴェッキオ橋、ローマのコロシアム、サン・アンジェロ城などは、今見る姿と殆ど変わりはありません。石の建造物が百年や二百年で変る訳がないので驚くことはないのですが、続いて見た日本の江戸から明治にかけての風景の変わりようには驚きました。

フェリーチェ・ベアトが撮影した江戸の薩摩屋敷や細川屋敷の立派な長い塀、王子の三階建ての大きな茶屋、神奈川辺りの東海道沿道に並ぶ藁葺き屋根の家々、箱根町の街道の家並み、東海道の巨木の松並木などは、今はその片鱗も残っていません。

ベアトより新しい明治時代を撮った日下部金兵衛、内田九一の写真でも、蓮が繁茂した東京城(皇居)の濠、町屋造りの京都の祇園町通り、家々が建つ上野の不忍池、長崎市の俯瞰写真など、おおよその形は残っていますが風情は今と大分違っています。

これらの記録写真は、形が持続するという点で、やはり西洋の石の文化と日本の木の文化は違うということを如実に示しています。分かり切ったこととは云え、映像で見せられると、改めて日本の変化の早さに気付きます。

それでも、伊勢神宮、鎌倉の大仏など神社仏閣の写真は今と殆ど変わりません。非日常的な場、即ちハレの場の風景は日本でも持続します。写真による記録は素早く消える日常的な風景はを撮ることが面白いと思いました。

写真展のテーマは、内容に則して云えば、「東方へ」というよりも、「変わる風景、変わらない風景」と云うことになります。
(以上)
【2009/07/30 10:09】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本の家紋は超モダン
     1.銀座通り-132D 0906qtc
     写真1
                                     2.ルイビトン-01D 0709qt
                                     写真2
                  3.川崎大師-25D 0907qt
                  写真3

銀座中央通は、日本の最新のファッション店が並ぶ繁華街です。ある時その大通りに面した大手デパートの一角に日本の家紋を並べたような表看板が現れました。(写真1)

よく見ると、日本の家紋の一部を使ったデザインです。赤、青、黄、茶、オレンジなど色とりどりの家紋がデパートの壁面に貼り付けてあり、それがデパートのファサードになっていました。

広告主はフランス・ファッションのルイヴィトンです。ルイヴィトンは婦人用ハンドバッグで有名ですが、そのバッグの外面にも同じように日本の家紋を貼り付けた模様を用いています。(写真2)

デパートのファサードの家紋は色彩が鮮やかなので一見して日本の家紋とすぐ分かりましたが、バッグは薄茶色の中に家紋が薄く描かれているので、模様が家紋だと気付く人は少ないようです。

ルイヴィトンのバッグの表面は、何種類かの日本の家紋を平板に並べただけのデザインです。一つ一つの家紋の個性は消されて、全体として落ち着いた大人好みの雰囲気を出しています。

絵画の世界ではキュビズムの画家達が既存の映像物を貼り合わせて別の作品を作るコラージュという手法を発明しました。さすがルイヴィトンはフランスのメーカーです。材料は日本古来の家紋ですが、上手なコラージュで新しい別のデザインに変化させました。

家紋の故事来歴については前にも書きました(07.10.03 家紋のデザイン性)ので省略しますが、優れたデザインの家紋が日本で数多く生まれた背景についてだけ触れてみます。

背景の一つには、西洋では家紋に当たる紋章の使用は貴族や騎士階級に限られていましたが、江戸時代の日本では家紋は武家や公家の専用物でなく商人達も使っていました。自由な家紋の使用が新規考案を促し、優れた家紋を生んだのでしょう。

もう一つの背景は、古くは鳥獣人物戯画、その現代版の漫画に見られるように、日本人は映像の図案化の才能があったからでしょう。家紋には草木花や文字が組み合わされて使われており、巧みなデフォルメで識別し易い図案が数多く考案されています。(写真3)

戦後は自分の家の家紋を知らない世代が増えました。家紋は古くさい家制度の名残だと考えて無関心になりました。西洋人がデザインとしてのモダンさに注目して家紋をファッションに取り入れても、それが日本の図案であることさえも気付かない程、遠い存在になったていたのです。

古くさいと思っていた家紋が、超モダンに生まれ変わることをルイヴィトンで教えられました。
(以上)
【2009/07/23 11:03】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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