東京タワーと東京スカイツリー 眺望比べ
1.東京スカイツリー天望デッキ:北方-14D 1501q
写真1 スカイツリーの展望台から北方面
2.東京スカイツリー天望デッキ:東南方-01D 1501q
写真2 スカイツリーの展望台から東南方面
3.東京スカイツリー天望デッキ:東南方-04D 1501q
写真3 スカイツリーの展望台から近くを見る(北十間堀が左端に見える)
4.東京スカイツリー天望デッキ:西北方-01D 1501q
写真4 スカイツリーの展望台から近くを見る(隅田川に桜橋が架かる)
5.東側大展望台-01D 1001q
写真5 東京タワーから東方向の足下(増上寺が見える)
6.東側特別展望台-06D 1001q
写真6 東京タワーから東方向には浜松町、豊洲の町
7.南側特別展望台-03D 1001qr
写真7 東京タワーから東南方向には芝浦、レインボーブリッジ、お台場
8.西側特別展望台-02D 1001q
写真8 東京タワーから西方向には六本木ヒルズ

東京スカイツリーが誕生したとき、東京タワーからスカイツリーを見ると言うキャッチ・コピーを考えた人がいました。そうすればスカイツリーが如何に高いかを思い知らされると考えたのでしょう。

しかし、高い塔は下から見ると高いけれども、高い所から見たら高さは相対化されて大したことはないと言うことになります。

それよりも、高い所に登って下界を見た時の景色を比較する方が面白いでしょう。塔の上から地上を見る景色は、低い東京タワーからの方が高いスカイツリーからより優れています。

塔の背丈が高ければ、それだけ遠くが見えて視界が広くて有利になりますが、逆に地上の景色は小さく見えて、スカイツリーから見る下界の景色は立体感に乏しい平板なものになります。それに反して、東京タワーからですと、視界は狭くなりますが、建物の陰影等が見えて、地上の景色に立体感が出てきます。

それでは東京タワーとスカイツリーの展望台に登って見比べて見ましょう。
先ず、日本で 最も高いスカイツリーの展望台からはどう見えるでしょうか。
さすが北方面も東南方面も遠くまで見えますが、全体としてフラットな景色です。足下を見ますと建物や橋は詳細に見えますが、高い上空から見る角度になりますので、三次元というよりも二次元の景色になります。
(写真1、2、3、4)

次に東京タワーの特別展望台に登って見ましょう。
東方向の足下には増上寺があり、東北方向に目を上げると浜松町から豊洲にかけての超高層ビル群が見えます。東南方向には芝浦からレインボーブリッジが見えます。更にその先にはお台場が見えます。西方向には六本木ヒルズが独立峰のように見えます。

東京タワーから見る景色は、どちらの方向からの景色も、斜め上から自然に眺める三次元の景色で、自分が鳥になって空を飛びながら地上を見ている気持ちになれます。
(写真5、6、7、8)
(以上)
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【2017/02/04 12:54】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東京タワーと東京スカイツリー 姿態比べ
             1.スカイツリー:アルカキット屋上より-02D 1410qr
             写真1
             2.スカイツリー:ネオン-03D 1501qr
             写真2
             3.スカイツリー:源森橋-02D 1103qr
             写真3
                                  4.東京タワー-20D 1612q
                                  写真4
                                  5.東京タワーの夜景-02D 04
                                  写真5
                                6.東京タワー-05D 1608qt
                                写真6
             7.スカイツリー部分-02D 1103qr
             写真7
                                   8.東京タワーの夜景-04D 04
                                   写真8

墨田区に平成24(2012)年東京スカイツリーが誕生してから、港区の東京タワーへの人々の関心は薄れたようです。電波塔も首都のパブリックアートだと見れば、ファッションは古いものより新しいものが好かれますから、流行には逆らえないので仕方がないことです。

スカイツリーは、平らな地上からすっくと立ち上がり、すらりと背が高くて、力(りき)むところもなく自然体で立っています。四方八方どこから見ても同じ姿形に見えて、しかも隙のないスマートな体型です。
(写真1、2、3)

他方、昭和33(1958)年に竣工した東京タワーは、傾いた高台の上で四肢をがっちり突っ張って、背伸びするように突っ立ています。下半身は逞しく安定感がありますが、背丈はそれ程高くはない、丈夫そうなマッチョな体型です。
(写真4、5、6)

東京スカイツリーには完成してから大勢の観光客が押し寄せていましたが、いっときの流行への情熱は冷めますから、今では当日ふらりと出かけても、余り待たされずに入場できるようになりました。他方、関心が薄れたと思われた東京タワーの方は、東京スカイツリーの誕生が刺激になって、意外に来場者数は若干盛り返しているようです。

東京タワーは、塔博士と言われた内藤多仲の設計になるもので、力学的に合理的で、端正な美しさが自慢です。内藤多仲の設計による塔は日本に六つあって、タワー六兄弟と言われています。主なものでは、大阪の二代目通天閣、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔などが内藤多仲の設計によるものです。

内藤多仲は、東京タワーはパリのエッフェル塔に似ていますねと言われたら「人が人に似ているようなものです」と平然としていたそうです。無駄をなくして数学的合理性を追求すればこうなると、内藤多仲の自信の程を示す答えです。

塔を人に喩えた内藤多仲の言葉で、思い直して両者を見比べてみると、東京スカイツリーはモダンだけれども何処か冷たい人という感じがしますが、東京タワーの方は野暮たく見えるが暖かい人という感じがします。
(写真7、8)
(以上)



【2017/01/19 11:51】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
芝公園にあるモミジ谷
1.芝公園:もみじ谷-06D 1612q
写真1
2.芝公園:もみじ谷-02D 1612q
写真2
3.芝公園:もみじ谷-11D 1612q
写真3
4.芝公園:もみじ谷-18D 1612q
写真4
5.芝公園:もみじ谷-36D 1612q
写真5
6.芝公園:もみじ谷-26D 1612q
写真6
7.芝公園:もみじ谷-29D 1612q
写真7

晩秋になるとモミジ狩りに郊外に出かける人は多いですが、都心の芝公園に小さいながら立派なモミジの渓谷があることを知る人は意外に少ないです。

場所は芝公園の北端、東京タワーの台地が崖となって落ちるところに、小さな地下水の流れが露出して谷川となり、崖の斜面に何本ものモミジの木が枝を伸ばしています。

手すりのある崖の路を降りていくと、眼下に樹間から僅かに谷川がキラキラ光るのが見えて、その水面からの光の反射で、モミジの葉は明るい赤に見えました。
(写真1)

ここは常緑樹も茂る崖の、やや薄暗い場所ですから、モミジの紅葉は尚更鮮やかに見えるのです。黒い幹の樹木を背景にして、モミジの紅葉を眺めると赤い葉は引き立って見えます。
(写真2、3)

ミニ渓谷に覆い被さるようにモミジの枝が伸びて、流れの左右に小岩を配した水面に紅葉がその色を映しています。流れの岸辺はモミジの枯れ葉で埋まり、紅葉の季節も盛りを過ぎようとしているようです。
(写真4、5)

まるで箱庭のようなモミジの渓谷を出ると、そこは広場となっていて、ベンチが三つ並んでいましたので、ここが公園だと分かる仕組みになっているのです。振り返ると、一本の大きなモミジが、赤い葉をいっぱいに広げて見送ってくれていました。
(写真6、7)
(以上)

【2016/12/23 21:10】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モミジ散る朝の庭
初夏に野山を赤く染めるツツジは、燃え上がる情熱を感じさせますが、晩秋に野山を赤く染めるモミジは、燃え尽きる情念の深さを感じさせます。

初冬に入り、時雨に打たれて、木枯らしに吹かれると、情念が燃え尽きたかのようにモミジはその赤い葉を一斉に落とします。。

木枯らしが吹いた翌朝、庭一面にモミジの葉が散っていました。頭上を見上げると、梢の先には明るい秋の青空がありました。

明るくなった庭に目をやると、離れの住まいの前の刈り込まれた植木の上には、散ったモミジの葉が載っていました。初冬の濃緑の植木は赤いアクセントを付けて引き立ちます。離れの窓枠は水色ですから、庭の景色は緑色、水色、赤色の三色の柄模様になっていました。
1.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-13D 1611q

2.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-14D 1611q

藁葺き屋根の主屋へ通じる敷石の小道は、モミジの厚い落ち葉で埋まっています。一夜で主屋への道に赤い絨毯が敷かれました。
3.奥庭(石庭)-08D 1611qr

セレブになった気持ちでモミジの赤絨毯の上を歩みます。じかに赤絨毯を踏むのを憚り、踏み石を拾いながら進みます。しかし、やがて踏み石にも赤絨毯が敷かれて、行き悩みます。
4.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-02D 1611q

そこで立ち止まり、モミジの落ち葉に埋まる敷石を眺めます。敷石は赤い刺繍で縁取りされており、刺繍は敷石の上にも施されています。モミジ葉にすっぽりと隠れてしまった敷石の上を歩くのは憚られ、暫しその美しさに見とれます。
5.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-05D 1611q

6.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-06D 1611q

7.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-04D 1611q

このように地上に散り敷いた紅葉は美しいのですが、モミジの葉がくるくる舞いながら散る姿は、ひときわ悲しみを覚えるようです。

モミジが散るその様子を良寛は俳句に詠みました。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」と。
その心は、自分は、いいところも、わるいところも、かくさずに見せて死ぬのだと言う意味だそうです。

表と裏を隠さずに落ちたモミジの葉は、地面で混ざり合って、赤い絨毯に濃淡の陰影をつけて、美しさは一層深みを増しました。
8.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-10D 1611q

9.奥庭(石庭):もみじ落ち葉-08D 1611q

ここに掲げた写真は、武蔵野の面影を色濃く残す「顧想園(こそうえん)」の朝の風景です。
顧想園は、東京は東久留米市柳窪にあり、園内には、藁葺き屋根の主屋、離れ、土蔵、薬医門、中雀門など、国の登録有形文化財に登録された建造物があります。
(以上)
【2016/12/02 18:14】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モミジ狩り
1.紅葉-06D 05

2.紅葉-13P 88t

3.もみじ-25D 1212qt

4.三渓園-36D 0712qc

5.紅葉-03Pt

6.紅葉-04Pt

モミジ狩りという言葉は、昔から使われていましたが無粋な表現です。狩るという言葉は鳥獣を捕まえることですから、鳥獣以外でも莓狩りとか葡萄狩りのように果実を収穫するという意味までは分かりますが、モミジを眺めるだけで狩りというのは誠に不自然な表現です。

しかし、ある語源説に拠りますと、無粋で野蛮な狩猟などはしない貴族達は、野山に入り自然の美を観賞しましたが、それを狩猟に喩えたのだと言います。美を狩ると言う意味にとると、モミジ狩りとは優雅な表現に聞こえてきます。

秋になると、落葉樹は太陽光による葉緑素の光合成を休止します。そうすると、葉緑素の持つ緑色が薄れて、葉に残された糖分が変色して赤くなります。ご存じのようにカエデ科に属する種々のモミジは葉に糖分を沢山蓄えていますから赤くなります。カナダのメープルシロップはサトウカエデの樹液を濃縮した甘味料です。

秋になって葉が黄色くなる木にはイチョウやケヤキがあります。これらの木は糖分が少なく、秋になって葉緑素の生産が休止すると、素地の黄色の色素が表面に現れるのです。葉緑素の生産休止は、同時に木の成長の休止ですから、成長に役立たなくなった葉はエネルギー・ロスを防ぐため木から落ちます。俳句の季語に「黄落(こうらく)」という言葉がありますが、晩秋にイチョウの葉が落ちる様を一言で表現した言葉です。

イチョウに比べて、モミジの葉は枯れても直ぐには落ちません。地面に落ちても色も褪せず形も崩れません。これは糖分のエネルギーのお陰でしょう。

それに、赤いモミジは、自然の野山でも目立ちますが、家屋や工作物の人工物とも調和します。白い障子窓とも、大理石の階段とも相性がよいようです。

枝振りもよく葉も可憐で色に変化のあるモミジを見ていると、山に入って眺めていた貴族達は、やはり小枝を手折って家に持ち帰り、観賞したくなったのでしょう。モミジ狩りは、やはりモミジ狩りでした。
(以上)
【2016/11/16 15:06】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
海で泳ぐ魚たちの生態
1.葛西臨海水族園-34D 1609q
写真1
2.葛西臨海水族園-32D 1609q
写真2
3.葛西臨海水族園-11D 1609q
写真3
4.葛西臨海水族園-12D 1609q
写真4
5.葛西臨海水族園-13D 1609q
写真5
6.葛西臨海水族園-16D 1609q
写真6
7.葛西臨海水族園-18D 1609q
写真7
8.葛西臨海水族園-21D 1609q
写真8
9.葛西臨海水族園-24D 1609q
写真9
10.葛西臨海水族園-26D 1609q
写真10
11.葛西臨海水族園-29D 1609q
写真11

真夏に涼しさを求めて、葛西臨海水族園で海で泳ぐ魚たちの生態を観察しました。この水族館では一昨年(平成26年)マグロなどの回遊魚が全滅したとの報道がありましたが、今は沢山の新しいマグロが元気よく巨大な水槽で泳いでいました。

マグロは大洋を回遊する魚で、休むことなく四六時中泳いでいる習性があります。体型は紡錘形で高速で遊泳します。最高時速80キロも出すと言います。フラッシュの使えない水族館では、スピードの速いマグロは写真撮影すると皆ブレてしまいました。
(写真1、2)

水族館での次の大型魚はサメです。性質は獰猛ですがスタイルの良さは満点です。長くて滑らかな体をくねらせて餌を求めて悠然と泳いでいました。満腹なのでしょうか、小魚の群れを横目に見て、襲う気配を見せませんでした。
(写真3、4)

サメに追われる小魚の群れは上下左右に逃げ惑いますが、群れの集団が崩れることはありません。しかし群れが水面近くに浮き上がると水面を波立たせるので、今度は空から鳥の攻撃を受けます。陸上より海中の動物の生存競争は厳しいものです。
(写真5)

見物人は、追いつ追われつの水中ドラマに夢中になって水槽ガラスに釘付けになっていました。
(写真6)

ダイナミックな魚類の生態は見飽きませんでしたが、岩陰などの静かな海で、変わった魚、美しい魚が、ゆっくりと泳いでいる生態も見飽きませんでした。

流線型のマグロの水槽とは違って、こちらの水槽では泳ぐ魚は形も色も変わっています。おでこちゃんで、つののある魚、おちょぼ口の魚など、表情豊かな魚たちを見ていると、おかめひょっとこを連想して思わず笑いそうになります。
(写真7)

更に魚の美しい色彩と紋様には魅了されます。地上に色とりどりの花が咲くように、海中には色鮮やかな動く花が咲いています。水槽の一ヶに留まって眺めていても、美しい海の花は、移動しながら角度を変えて、ポーズをとって、見る人を楽しませてくれます。
(写真8、9、10、11)
(以上)
【2016/10/27 19:18】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
落書きに芸術性は求められない
1.壁の落書き-14D 0812q
写真1

2.壁の落書き-54D 1608qr
写真2

3.壁の落書き-55D 1610qr
写真3

4.壁の落書き-28D 1105qt
写真4

5.壁の落書き-24D 1001qt
写真5

6.高田馬場ガード下:落書き-04D 1610qt
写真6

公共物の壁や電車などにスプレーやフェルトペンなどで落書きをする行為が最初に現れたのは、ニューヨーク市でした。最初は不思議さもあって非難の対象とはなりませんでしたが、その後、出来映えの良い落書きは、公共の場での前衛芸術などともてはやされました。所謂グラフィック・アートの登場です。

その先駆けは、ニューヨークの地下鉄の空白の広告板に描いて、通勤客の間で評判となったキース・ヘリングでした。もう一つ有名なグラフィック・アートはベルリンの壁の落書きで、イーストサイド・ギャラリーと呼ばれました。

しかし、ベルリンの壁の落書きは、東西に分裂したドイツの統合を願う政治的メッセージです。このベルリンの壁の一部は、米ソ冷戦の象徴的証拠として今も保存されているのであって、藝術的だからではありません。

芸術性という点から言うと、アフロ・アメリカンのヒップホップ・カルチュアーの一要素として、グラフィック・ライターが描いた繪で用いられて有名になった文字があります。文字幅を極端に広げて、うねるような曲線で書かれた文字です。
(写真1)

このストリート系アートのアルファベット文字で書かれた悪戯書きを東京の街でよく見かけますが、ヒップホップ・カルチュアーで用いた文字で書いたから藝術性が出るわけではありません。他人の器物の上に描いたり、非常識なのには公共の地図案内板の上に書いたりするのは犯罪です。
(写真2、3)

悪戯落書きを軽微な犯罪だと見なして、これを放置しておくと凶悪な犯罪を産む温床になるという「割れ窓理論」と言うのがあります。

建物の窓が一つ二つ割れているだけだと放置していると、建物の維持管理に誰も注意を払っていないと思われて、やがて他の窓も全て壊されてしまうと「割れ窓理論」は言います。秩序の破壊は些細なことから始まる、だから些細な秩序破壊も許してはいけないというのが、環境犯罪学でいう「割れ窓理論」です。

嘗て、ニューヨーク市の検事出身のジュリアーニ市長は、この「割れ窓理論」を採用して、それまで乱れていたニューヨークの秩序を取り戻し、犯罪発生率を劇的に引き下げたことで有名になりました。

そうは言っても、時たま思わず足を止めてしまう悪戯書きに出会うことがあります。消さないで欲しいと眺めてしまう悪戯書きもあります。ご同意いただけるか、その数点を掲げます。
(写真4、5、6)
(以上)
【2016/10/13 17:12】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
山岳地方に早くも秋の雲現れる
1.西熱海別荘内:雲-01D 1608qt
写真1
2.西熱海別荘内:雲-13D 1608q
写真2
3.西熱海別荘内:雲-02D 1608q
写真3
4.西熱海別荘内:雲-14D 1608q
写真4
5.西熱海別荘内:雲-18D 1608q
写真5
6.西熱海別荘内:雲-15D 1608q
写真6
7.西熱海別荘内:雲-21D 1608q
写真7
8.西熱海別荘内:雲-06D 1608q
写真8

秋の長雨もようやく終わると、爽やかな秋がやってきます。
しかし、日本の秋は、その前に必ず台風がやってきます。
風水害をもたらす台風は嫌われものです。

しかし台風が来ないと、すがすがしい秋は来ません。
台風は乾いた河川を大量の水で洗い流します。
台風は汚れた空気を強い風で吹き払います。

台風は秋の訪れを清める露払いなのです。
台風が清めた空には、秋の雲が現れます。

秋を告げる白い雲の塊が山陵の上に天高く現れます。、
(写真1)

強い風に乗って一塊の黒い雲が山の向こう側から現れます。
白い雲は吹き散らされて空の彼方へ飛ばされました。
(写真2)

吹き散らされた白い雲は斑点となって空に広がります。
(写真3)

広がった斑点状の雲に向かって上空から強い風が吹き付けます。
すると雲は刷毛で薄く掃いたように広がります。
その部分は綿菓子のように軽やかです。
(写真4、5、6、7)

たなびく雲の中を一羽の鳥が飛んで行きました。
秋空の雲の一瞬のドラマです
(写真8)
(以上)
【2016/10/01 17:44】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夜の銀座大通りは万華鏡
中央通り:銀座-13D 1608qt

中央通り:銀座-14D 1608qt

中央通り:銀座-16D 1608qt

夜景が美しい街は、日本にも外国にも沢山あります。

ライトアップした建造物や橋梁などを遠くから眺める夜景です。

例えば、函館や香港のように俯瞰して見る光景です。

銀座大通りに超高層ビルはありません。

商店街は切れ目がなく続きます。

道路幅は狭くもなければ広くもありません。

商店街のビルに外付けされた縦看板のネオンは遠くまで並んで見えます。

歩道を歩く人も、車道を運転する人も万華鏡の中を覗くように夜景を楽しめます。

銀座大通りの夜景は外側からではなく、内側から覗く夜景です。

まるで万華鏡を覗くようです。
(以上)
【2016/09/22 10:40】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
街並みに夢がある銀座大通り
1.中央通り:銀座-28-2D 1606qr

2.中央通り:銀座:DAMIANI・SAEGUSAグループ-06D 1607qr

3.中央通り:銀座:DAMIANI・SAEGUSAグループ-09D 1607qt

銀座大通りは日本一の繁華街です。

一丁目から八丁目まで直線の日本一長い繁華街です。

デパートがあり、一戸建ての店舗が並びます。

デパートのファサードは単調ですが、一戸建てのファサードは個性的です。

個性的なダサードは、並び方次第で魅力的になります。

夕方から夜にかけて、より魅力的になります。

お伽の国のような夢のある街並みになります。

(以上)
【2016/09/17 20:37】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ネオン点灯の一瞬で夜の衣替えを終える銀座大通り
1.中央通り:銀座:薄暮光景-13D 1607qt

2.中央通り:銀座-12D 1608qt

3.中央通り:銀座-11D 1608qt

夜の銀座の始まりは、銀座大通りのネオンの点灯が合図です。

ネオンが灯り始める頃、銀座大通りは、人と車の往来が慌ただしくなります。

家路への帰りを急ぐ人、銀座へ出かけてきた人、歩道も車道もみんな急ぎ足です。

宵の雲と月が空に懸かっていても、はやる心で、人々は見向きもしません。

銀座大通りの夜への衣替えは、ほんの一瞬で終わります。
(以上)
【2016/09/01 17:56】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
たそがれ時に優しくなる銀座大通り
中央通り:銀座:薄暮光景-05D 1607qt

中央通り:銀座:薄暮光景-01D 1607qt

中央通り:銀座:薄暮光景-10D 1607qt

夕暮れが迫ると、銀座大通りは大変優しくなります。

それは、銀座大通りが、薄い靄(もや)がかかったような空気に包まれるからです。

太陽の光がビルで遮られても、なお上空の雲から余光が降りていました。

しかし、その余光も次第に失われると、辺りは薄暗くなります。

その直前の、たそがれの銀座大通りは優しい表情を見せます。

昼間の銀座通り、夜の銀座通りも良いですが、優しい銀座大通りも味わって下さい。

(以上)
【2016/08/23 09:21】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
亜熱帯から熱帯の国に近づいた日本
1.シオサイト:シティセンター前景-02D 1607q
写真1 汐留シオサイトを新橋駅側から見る。

2.勝鬨:浜離宮を見る-02D 1003qt
写真2 汐留シオサイトを浜離宮側から見ると超高層ビルが屏風のように建ち並ぶ。

3.代々木4丁目-08D 1608qrc
写真3 新宿駅付近から見た積乱雲が頭をもたげる。

4.雲-61D 1309qt
写真4 積乱雲の一部が都心部に近づく。

6.雲-51D 1209q
写真5 新宿駅から遠方を見ると鼠色の雷雲が現れる。

5.雲-66D 1309qt
写真6 俄に雷雲は都心部に近づき辺りは暗くなる。 

今年の夏も暑い日が続いています。勢力の強い太平洋高気圧のため、その暑さは本州全体に及びました。最高気温が30度以上を真夏日と言い、35度以上を猛暑日と言いますが、今年の夏も全国的に猛暑日が続いています。

近年、日本近海では海水温度が上昇しており、南洋の海のように暖かくなっています。それは、地球温暖化で暖められた空気中の熱エネルギーの80%以上を海が吸収しているからです。海水温度は大気に比べて変化しにくいので、海水温度が一旦上がると、その状態は長く続きます。

東太平洋の赤道付近の海水温を上下させるエルニーニョ現象やラニーニャ現象が起きると、日本で猛暑になったり冷夏になったりしますが、トレンドとして気温を上昇させる原因ではありません。また、高温の原因は、偏西風が日本付近で北に大きく蛇行したため南からの暖気が入り易かったためとか、太平洋高気圧が偏西風に阻止されて長期間日本上空に居座ったためとか言われますが、これも2~3年ごとに変化する現象です。

20世紀には日本はむしろ冷夏が続きましたが、21世紀に入る少し前(1990)から真夏日や猛暑日が頻発するようになりました。そして2010年以降は毎年のように高温の夏になりました。その原因は、やはり日本周辺の海水の温度が、徐々ですが上昇しているからなのです。そうだとすると、この熱帯化現象は恒常的なものであり、日本は亜熱帯から熱帯の国になった考えざるをえません。

それにしても東京の夏は特に暑くなったように思いませんか?
都市化は地表をコンクリートで覆うことで、更には高層ビルが風を遮ることで、都市の熱帯化が増幅されます。それは都市部におけるヒートアイランド現象のことです。

最近、都市の中心部に沢山の超高層ビルが建設されています。そのビルの表面に太陽の熱が当たり輻射熱となり周囲の空気を暖めます。暖められた空気は高いビルに囲まれて都市内部に滞留します。都心部では日中暖められた熱気が対流して分散せず、都市圏だけが一段と温度の高い空気団に包まれるのです。このようにして都市部の熱帯化は増幅されるのです。

一例を挙げると、東京に汐留という場所があります。汐留とは、東京湾の海水がここで留められたと云う意味であり、ここへは海水と共に潮風も入ってきていました。しかし、平成7年(1995)、ここに汐留シオサイトと言う超高層ビル群が建設されると、東京湾からの潮風は封鎖されました。都心部の気温を冷やす海風は入らなくなると、汐留のの背後地に当たる虎ノ門付近では、夏の平均気温が約2度上昇したと言われます。
(写真1、2)

都内に居てもここ数年、真夏に山や海で見るような大きな入道雲が立ち昇るのを見ることがあります。また都心部で、急に鼠色の雷雲が発生して、局所的な豪雨に見舞われることもあります。これも、熱帯国となった東京のヒートアイランド現象の一つかも知れません。
(写真3、4、5、6)
(以上)
【2016/08/13 13:23】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本は谷に恵まれた国
1.山姿-05Pt

2.山姿-06P 84t

3.山村-01P 88t

4.山村-03P 89t

5.渓谷-01P 84t

6.渓谷-02P 83t

世界の四大文明は全て河川のほとりで発生しました。チグリス川とユーフラテス川の間に広がる沖積平野は、平野であって谷ではありません。メソポタミアとは複数の河川の間を意味するそうで、河川の下流に生成した肥沃な河川敷は農耕に適していて、そこに古代文明が育ちました。

日本では広大な平野は北海道を除けば関東平野くらいで、国土の大半は山と丘陵です。ですから、人々は山や丘陵の間の、僅かな平地に住処を見出し、山間の谷間(たにあい)で農業生産を行っていました。今で言う中山間地(ちゅうさんかんち)が格好の生活の場でした。

大平野には大規模な灌漑施設が必要です。しかし谷間は、急峻でなければ、農業用水の管理利用は大平野より容易でした。大規模の灌漑施設がなくても、段々畑に見るように水は流れて細長い谷間の畑を満遍なく潤します。それに山々は雲を呼び雨を降らせます。

このように日本では、谷は恵みの地でした。しかし、世界には逆に谷は忌避すべき劣悪な環境の場所であると言う国々もあります。

インドネシアのジャワ本島では低地は湿度が高く、マラリアなど病気に罹りやすいから、人々は好んで高地に住むと聞きました。赤道周辺の高温多湿の地帯では、概して谷より高地が住みやすく、文明発生の場所になりました。

その他の国でも、東アフリカのタンザニアやモザンビークでは、インド洋に面した低地は気温が高く、伝染病も発生し、住みにくいとのことです。逆に内陸にある丘陵地帯は、標高が高いので気候がよく、人々は内陸部の高地を好むと言います。

広大な大陸の中国では、寒冷で乾燥した北の黄土の大地では小麦が栽培され、湿潤で水利に恵まれた南の揚子江流域では稲作が盛んでした。水の流れるところは当然、谷があります。その南の稲作地帯では、人々は谷あいを好んだと言います。

山を越えたら小さな盆地が現れ、そこには桃の花が咲き、犬と鶏の鳴き声が聞こえ、のどかな山村があります。そこが中国人が言う理想郷の「桃源郷」でした。桃源郷のイメージは、谷間のイメージと重なります。

老子は「谷神は死せず」と言いましたが、谷を女性に喩えて、谷は命を産み出すところだから死はないという意味だそうです。山と丘陵に囲まれた農村は、生産的であり、永遠の命のある桃源郷なのです。

身近な東京都の奥座敷の多摩地方にも、谷神が住む渓谷があります。そこには谷住まいの村落があり、人々は谷川の水の恵みを受け、その水蒸気にまみれて暮らしています。この谷間に住むと母の胎内で暮らしている気持ちになるでしょう。

山陵が重なる奥深い谷間には、ひっそりと山村があり、夕べには家々からたち上る登る煙が谷間にたなびき、朝早く谷川に出れば川靄が立ちこめる、奥多摩の風景を写真で眺めて下さい。
(以上)
【2016/08/04 13:11】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
相馬野馬追い祭り
1.相馬神社-01P 99r
写真1 相馬中村神社

2.相馬野馬追い-03P 99t
写真2 参上いた武士たち

3.相馬野馬追い-01P 99t
写真3 迎える武士たち

4.相馬野馬追い-16P 99t
写真4 指揮する武将

5.相馬野馬追い-10P 99t
写真5 広場で神旗争奪戦が始まる。

6.相馬野馬追い-17P 99t
写真6 神旗が打ち上げられた方向に突進する騎馬

7.相馬野馬追い-08P 99t
写真7 神旗を鞭で巻き取ろうと競り合う武士たち

相馬野馬追い祭りは、毎年7月の中旬から下旬にかけて、福島県の浜通りの街、相馬市を中心とした地域で開催されます。平将門が野馬を捕らえ馬を神前に奉納したことに由来する祭りで、千年という古い歴史があります。今では、相馬野馬追いは、国の重要無形民俗文化財に指定され、一地方の祭りが全国的に知られるようになりました。

平成23年(2011)3月の東日本大震災と、それに続く福島原発事故で、相馬市は甚大な被害を受けましたが、旧い神社の多くは標高の高いところにあり、津波の被害を免れたそうで、相馬野馬追い祭りの相馬中村神社も健在だと聞きます。
(写真1)

相馬野馬追いの、祭りとしての起源は、鎌倉時代以前に遡り、土地の豪族の相馬氏が、野生の馬を放して敵兵と見立てた軍事訓練をした事に始まると云われますが、その後は、神事という名目で継続され、現在の形で祭りが復活したのは、明治になってからだそうです。

それにしても、相馬野馬追い祭りでは、相馬中村神社の氏子たちは、現在の身分を離れて相馬時代の身分に戻り、先祖伝来の鎧甲を身にまとい、武士の作法に従い、その時代の身分に応じた役割を演じ、町を挙げて往時の武家社会に変身します。
(写真2、3、4)

例えば、現在は市役所の平(ひら)の職員でも、先祖が相馬藩の重臣であったらそのように、そして市役所の部長の先祖が足軽であったならそのように振る舞うのです。祭りでは現世の地位は逆転して部長は平の職員の指揮に従います。

殿様の使者が市役所を訪れたとき、市庁舎の二階から眺めていた職員は頭(ず)が高いと叱られました。殿様の使者を高いところから見下ろすことは大変失礼なことだからです。三日にわたる祭りの間は、町中では武者姿の武将達が、馬に乗って走ったり、家来を連れて歩いたり、交わす挨拶も、なにかユーモラスな光景があちこちで見られます。

行事のハイライトは二日目の神旗争奪戦だと云われます。多数の鎧甲の武者が広場に集まり、空中に打ち上げられた布の旗を馬上から鞭で巻き取る戦いで、騎馬戦のような激しさがあるからです。
(写真5、6、7)
(以上)
【2016/07/27 12:47】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
寅さん映画は日本民俗の表現
1.柴又駅前-02D 1507qr

2.柴又帝釈天参道-16D 1507qt

3.柴又帝釈天:帝釈堂-07D 1507qr

4.柴又帝釈天:二天門-03D 0701qr

寅さん映画「男はつらいよ」は、昭和44年(1969)の第一作から平成7年(1995)の最終作までの27年間に全48作品が製作されて、世界最長の映画シリーズでした。

どの作品も場面(シーン)は違いますが、ストーリーの構成は同じです。神社の縁日で露天商を営む的屋(てきや)を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が主役で、地方での営業の合間に生まれ故郷の東京葛飾柴又に戻ってきて、叔父の経営する団子屋で一息入れる時に、親戚の人や近所の人々と騒動を起こすという喜劇です。

的屋(てきや)の寅次郎は、寺社の祭日を求めて日本全国を股にかけて歩き回りますから、毎回舞台となる地方の街や農村は違いますし、そこで繰り広げられる話題も変わります。毎回違った日本の風景が紹介され、地方の人々と寅次郎との間で繰り広げられる人情話が、滑稽であると同時に、ほのぼのした暖かいものですから、似たようなストーリーの繰り返しにも拘わらず人気は衰えませんでした。

このように単純なストーリーの繰り返しなのに、何故映画「男はつらいよ」の人気が高く続いたのかと云うと、そこには戦前まであったが、今は失われつつある、日本人の人間性の生地(きじ)とでもいう気質が描かれているからだと思います。明治の近代化で次第に薄れていき、特に戦後の経済優先主義の風潮で急速に消えていった、日本人の良き気質を、観客は寅さんの中に見出して懐かしみ、取り戻したいと願ったのでしょう。

日本人の良き気質と言いましても、一言で説明するのは難しいですが、それは国民或いは民族が長年共同生活の中で培ってきた対人関係で示す人間感情の全てです。それは「社会」ではなく「世間」という世界で生まれた生活感情です。それは具体的な形として見えるものは、習俗、習慣、しきたりなどとして継承され、これらは総称して「民俗」と呼ばれます。

戦前は民族学と言い、戦後はアメリカ流に文化人類学とい云う学問がありますが、その学問では「民俗」を捉えることは出来ません。外観から民族を研究しても「民俗」という内容までは立ち入れないからです。ところが、寅さん映画は、その「民俗」をいとも簡単に、映像として取り出してみせています。

司馬遼太郎は、日本人に「公共性」はあるかと問うて、それは「実直さ」であると答えています。「実直さ」は日本人の文化的遺伝子であるとまで云っています。実直は正直(honesty)でもなく、誠実(sincerity)でもない、ですから「実直」は外国語に翻訳できない日本固有の価値観であるというのです。

日本人には「社会」の公共性が乏しいと批評されますが、「世間」の実直さがあります。そう言えば、映画の中で寅さんは屡々「地道(じみち)が大事だよ」と云っていました。

写真は柴又駅前の寅さんの銅像と、寅さんの実家の団子屋と、寅さんが産湯を浸かった帝釈天の本堂と境内です。
(以上)
【2016/07/17 11:55】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雨傘は梅雨に咲く花である
1.明治神宮-05P 86Y10

2.明治神宮-04P 86t

3.傘-01D 1606q

4.雨降り-02P 96

日本では雨期は年に二度あります。6月の梅雨(つゆ)と10月の秋雨(あきさめ)です。

昔の梅雨は最初はしとしと降り、夏に入る直前に強く降りましたが、この頃は最初から特定の場所に集中して大雨を降らすようになりました。それでも、梅雨の季節が蒸し蒸しして薄暗く憂鬱です。

秋雨は、最初の頃はかなり強く降りますが、後半に入ると秋の長雨と言われるようにダラダラと降るので、なかなか終わらず寒々として憂鬱な日が続きます。

日本では春夏秋冬の四季の長さがほぼ等間隔にあるので、それぞれの季節に咲く花の種類が多いのですが、二回もある雨期には、それらの自然の花に加えて、人工の花も咲きます。それは雨傘の花です。

昔の雨傘は黒いものと決まっていましたが、最近では日傘のように色彩豊かで艶やかな絵柄の雨傘が多くなっています。そのお陰で街には明るい雨傘の花が咲いています。

梅雨どきは雨雲で街は薄暗いのですが、そして秋雨のしとしと降るとき寒々するのですが、雨傘の明るい花が街路に咲き乱れると、暗さや寒さを和らげます。

梅雨でも秋雨でも、家に引き籠もらず、明るく綺麗な雨傘をさして、街に出てみましょう。雨の街に咲く花々を愛でながら、自分も一輪の花を咲かせるのです。
(以上)
【2016/07/08 10:02】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
真昼に夜が来る シュルレアリスムの写真
1.仲通り高層ビル-12D 1512qr

3.仲通り高層ビル-10D 1512q

2.仲通り高層ビル-09D 1512qt

4.仲通り高層ビル-04D 1512q

写真は目に見える世界を撮るものですから、光のない暗闇では撮れません。
それでは、太陽の光が降り注ぐ快晴の日が撮影に最も良いかというと、そうとも限りません。
写真を撮る人は、太陽が最も明るく輝く、晴れた真夏の正午の時間帯を、ピーカンと言って嫌います。
と言うのは、太陽が頭の真上にあると、物の影が小さくなってしまうからです。
陰影があるから風景に立体感が現れるので、ピーカンでは平板な写真になってしまいます。

真昼に大手町の超高層ビル街を歩いていましたら、突然、ビル街の半分が夜の様に暗くなりました。
陽の当たる明るい道路やビルを見ていて、急に陽の当たらない反対側のビルに目を転ずると巨大な黒い塊に見えました。
しかし直ぐに、その黒い塊に窓があり、ビルであることが分かりました。

人間の目は瞳孔が明暗を調整する仕組みになっていますが、カメラの目は最初に機械的に露光を捉えたままです。
ですから写真の映像では、真昼なのに夜の暗闇が同時に存在するように見えます。
この写真を見た人は、都会のオフィス街に、昼と夜が同居していて、異変が起きたかと思います。

シュルレアリスム絵画の巨匠、ルネ・マグリットの繪に「光の帝国」があります。
繪の下半分が夜の路で、上半分が昼の青空という矛盾した構図の繪です。
ルネ・マグリットは、昼と夜を一枚の絵に同居させると、魅惑が産まれると言います。
自然に潜む神秘を考察して、その思想を目に見える形で表現すると魅惑が産まれると言うのです。

このような難しいシュルレアリスム理論を知らなくても、写真機は「光の帝国」を無意識のうちに簡単に描いてしまいました。
(以上)
【2016/06/24 21:49】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
苔は人知れず美を描く
 湯河原の万葉公園にて

1.湯河原:万葉公園:苔岩-03D 1605q
写真1
2.湯河原:万葉公園:苔岩-04D 1605qt
写真2
3.湯河原:万葉公園:苔岩-11D 1605qt
写真3
4.湯河原:万葉公園:苔岩-15D 1605qt
写真4
5.湯河原:万葉公園:苔岩-16D 1605qt
写真5

小さな苔たちは
光と地下水の恵みを求めて
小岩の位置に従い
小岩の形に合わせて
薄暗い谷間に
人知れず美を描く
(以上)
【2016/06/15 18:18】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
湯河原 新緑と緑陰と
1.湯河原:新緑-01D 0804qt
写真1
2.湯河原:新緑-05D 0804q
写真2
3.湯河原:千歳川-02D 0804qt
写真3
4.湯河原:旅館-03D 1605q
写真4
5.湯河原:万葉公園-02D 1605q
写真5
8.湯河原:万葉公園-04D 1605qt
写真6
9.湯河原:独歩の湯-06D 1605qr
写真7

湯河原は万葉集にも詠まれた秘湯の地であり、東京が首都となった明治時代以降は多くの文人や画家が創作や静養のため滞在しています。

今では湯河原は東京の奥座敷として、四季を通じて閑静な風情を愛する人々が大勢訪れるところとなっています。

特に奥湯河原は、秋の紅葉と共に、初夏の新緑が素晴らしいのです。
奥湯河原の丘陵に広がるすがすがしい新緑と、谷間に潜むみずみずしい緑陰を訪ねてみました。

湯河原駅から五所神社前を通って、湯河原温泉郷へ向かう途中で見る湯河原の丘陵は、新緑の木々で覆われています。薄緑から濃緑までの濃淡のある丘の斜面は、湯河原のすがすがしい初夏の景色です。
(写真1、2)

しばらくバス通りを行くと、左手に朱塗りの橋と古風な木造の旅館が見えてきます。その辺りで左に曲がり、橋を渡って千歳川沿いの緑の谷あいに向かいます。
(写真3、4)

すぐに鬱蒼と茂った谷あいの細い階段状の小道に達します。ここはもう、千歳川に沿うように細長く伸びる万葉公園の下端です。
(写真5)

千歳川の狭い谷の小道は薄暗く、しっとりとして冷ややかです。小さな岩を積み上げた小道の側壁に苔が生えています。谷あいの湿気が育てる苔たちです。小岩と苔のアンサンブルは見事です。

緑陰の谷間は初夏では寒くさえ感じますが、真夏なら程よい涼しだでしょう。谷に生える大木も苔むしています。
(写真6)

万葉公園の足湯施設「独歩の湯」まではあと少しです。
(写真7)
(以上)
【2016/06/15 18:13】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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